函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

真田丸、運の良い男!!

2016-11-28 | 歴史

いよいよ女達による和平交渉が始まりましたね

女達といっても裏で動いていたのは男達ですが…

家康は和議の交渉中も以前にも増して激しく砲撃

を続けていたと言われています

少しでも有利に事を進めたかったのでしょうか?

連夜の砲撃により籠城している方は精神的に疲弊

していたでしょうが、当時の大砲は着弾しても爆

発はしなったので大した被害ではなかったと言わ

れています

しかし、砲弾の一つが茶々の住んでいた櫓に命中、

待女が亡くなるのを目の辺りにした茶々が狼狽

この時点で和睦決定です

 

ドラマでは…秀頼が大阪を捨てる条件として四国の

二か国が欲しいと提案していましたね

徳川からの返答は安房と上総の二か国への転封です

もし?この条件を秀頼が受け入れていれば家名を存

続出来た可能性がかなり高かったと僕は思っています。

家康も何が何でも豊臣家を潰そうとは思わなかった筈。 

関白家としての豊臣家が幕末まで続いていたかも知れ

ませんね


和議が整った後も両陣営に不穏な動きがありました

豊臣側では幸村が和議成立で油断している徳川に夜襲

を提案します

この案に反対したのが茶々だと言われています

幸村としては何が何でも絶対的な勝利を得たかったの

でしょうか?

一方の徳川では藤堂高虎や伊達政宗などが「将来に禍

根を残さないため秀頼を殺すべき!!」と進言しますが

家康は全く取り合わなかったと言われています

茶々と家康の判断で一触即発の事態は避けられたよう

ですね

 

通説では、大阪城の外堀だけを埋める条件だったにも

かかわらず家康が欺き内堀まで埋めたと言われていま

したが、二の丸・三の丸を破壊し内堀も埋めるという

事には豊臣も同意していた様です

この時点で秀頼が何処かへ転封していれば夏の陣は起

こらなかった筈です。

大阪城へ留まった事が最大の敗因

大阪城に秀頼が居る限り徳川は豊臣を見過ごす事が出

来ないのです

ところで…

浅井三姉妹の次女・初が交渉役として登場しましたね

初は秀吉の命令で京極高次と結婚します

京極家はバサラ大名で有名な佐々木道誉の末裔ですね。

高次の母は浅井長政の姉・京極マリアですが、名前を

見て分かるようにマリアはキリシタンです

初と高次は従兄妹同士という事になります

高次は武将としては大した人物ではありませんが、運

だけは相当の物です

本能寺の変では何故か?明智光秀に味方し、本来なら

処刑され京極家も取り潰しが当たり前

しかし、高次の姉・竜子が秀吉の側室となったお陰で

命拾い

その上、茶々の妹・初を正室として迎え入れられたの

ですから何と運の良い男でしょうか?

お家取り潰しどころか次期天下人・秀頼の縁戚となっ

たのですから驚きです

これ以上の幸運はありませんよね

関ケ原では家康に味方して大津城に籠城。

九州の智将・立花宗茂相手に善戦しますが、降伏して

高野山に入ってしまいます

運が良い事に降伏したのが関ケ原の戦いの当日だった

のです

当日という事は、宗茂が関ケ原の戦いに直接参戦出来

なかった事を意味します。

結果的に智将・宗茂を大津城で食い止めた功により越

前小浜を家康から拝領。

大出世ですね

運だけで大名として幕末まで家名を残した高次、運も

実力という事なのでしょうかね




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真田丸、最悪の交渉人長益!!

2016-11-21 | Weblog

平野長泰に唆されすっかりその気になっている信之

「わしの一生一度の馬鹿を許せ!!」と妻・稲の説得

にも応じようとしません 

ここで登場したのが、亡くなったとばかり思っていた

出浦昌相

さすが忍びの棟梁ですね。

「徳川に知られたら真田は終わりだぞ!!」と信之を諫

めますが、「父上も源次郎も散々無茶をしてきた。わ

しも一度くらいと駄々を捏ねます。」

ここで出浦からきつ~い一発。

「お前の無茶と父の無茶は全然違うぅー!!」と…

誰に何を言われても全く話を聞こうとしない信幸に最

後の一撃

出浦昌相は忍者なのです。

実際には有り得ない話ですが、出浦昌相再登場のシチ

ュエーションとしては面白い設定でしたね

ところで…

和睦交渉は冬の陣が始まった直後からすすんでいたよ

うですね

豊臣家の交渉役は大野治長と織田長益。

長益は当初から秀頼に和睦を進めていたみたいですが、

秀頼は応じなかったと言われています。

関ケ原では…織田家で唯一東軍に味方し戦後32000

の大名となった長益ですが、その後、豊臣の首脳の一

人として大阪城に入り茶々の叔父として権勢を振るっ

ていたようですね

家康が望んで長益を大阪城に入れたという説もありま

すが、終始和睦を唱えていたところを見ると可能性が

高そうです

長益は豊臣家にとっては最悪のネゴシエーターです

獅子身中の虫とは長益のような人物をいうのでしょう

かね

 

徳川では…圧倒的な兵力を背景に総攻撃をしたかった

秀忠でしたが、和睦交渉を進めていた家康に止められ

ます

何度も家康に総攻撃を懇願する秀忠ですが、全く相手

にされません。

征夷大将軍としては身の置き場がありませんよね

 

豊臣家からの和睦条件は…

「茶々を江戸に送る」「家康と秀忠の誓紙を差し出す」

「浪人達に領土を与える」というものでした

幕府としては、浪人達に領土を与える事は出来ないので

扶持を与えるという条件を出します。

交渉が決裂したのは幕府が提示した秀頼の関東二か国へ

の転封です

秀頼が望んだのは四国への転封だったともいわれていま

すが、何故?四国を望んだかは定かではありません??

茶々が江戸へ行く事も、秀頼の転封も豊臣家にとって障

害ではなかったようです

絶対に呑めない条件だと思われた二条件は交渉過程を見

ると最初から豊臣家も了承していたみたいですね



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真田丸、世に出た瞬間です!!

2016-11-14 | 歴史

明石全登がミサをしている最中に木津川口の夜討ち

真田丸ではなく兵の手薄なところばかり攻められた

のですから毛利勝永でなくとも内通者を疑いますよ

幸村も勝永と同じ事を考えていた様です。

一体、内通者は誰なのか??

幸村は確信していたみたいです。

城の西側・博労口が弱点だと徳川に伝わるのを前提

に有楽斎に囁く幸村

案の定、徳川は博労口を占拠。

犯人確定です

 

いよいよ冬の陣の始まりです

無駄に時間を費やせば否応なしに上杉と戦わなくて

なりません。

上杉の後ろに控えている信之の息子達とも…

一刻も早く戦いの火蓋を切らなくてはならなくなっ

た幸村。

戦いの口火は上田城攻めと同じく「高砂」の舞です

舞っているのは幸村ではなく息子の大助。

敵を挑発し真田丸に誘き寄せ、千挺ともいわれてい

る銃で一斉射撃

決起に走る前田勢をはじめとする徳川勢に完勝

冬の陣まで全く無名といってもよかった幸村が世に

出た瞬間です

数倍の敵を相手に一歩も引かず殲滅したのですから

驚きですね

戦いをじ~っと見ていた上杉景勝も思わず「日本一

の兵、真田左衛門の佐幸村ああぁぁ~!!」と絶叫。

リアルタイムでこの戦いが見られたら誰もがそう叫

んでいた筈です

この一瞬が後世の真田幸村像の全てと言っても過言

ではありません

一年足らずの間に人々に鮮烈な記憶を残し散ってい

った幸村、その記憶が後世にまで語り継がれてゆく

のです

そんな武将は後にも先にも真田幸村一人しか僕は知

りません

ところで…

ドラマでは…豊臣軍内での幸村の発言権が高そうに

描かれていましたが、実際はそれほどでもなかった

みたいですね

ズバリ!!発言力は兵力の数です。

いかに多くの兵を連れて来たかが重要なポイントな

のですが、幸村が連れて来たのは少しの家臣と金で

雇った兵だけ

ましてや、実戦経験も殆ど無い武将に指揮権を任せ

る事など有り得ません

父・昌幸が冬の陣に参戦出来ていれば話は別ですが、

真田の名前だけで10万とも言われている軍勢を動か

す事など初めから無理なのです


しかし、幸村の発言力不足で籠城策に決したにもか

かわらず幸村は諦めません

不利だと思われても最善の策をたて敵に挑みます

武将の本能なのか?培ってきた軍略を試してみたい

のか?

もしかして…死に場所を探していたのは又兵衛だけ

ではなく幸村も同じだったのかも知れません


幸村の戦い方を見ていると楠木正成を彷彿されます。

少ない兵力で敵の最前線に出城を作り、敵を誘き寄

せ奇策を労し殲滅、天性の才もあったのでしょうが、

14年も配流生活を送っていた武将が一朝一夕に出来

る技ではありません

おそらく配流先でも父・昌幸から戦の薫陶を受けて

いたのでしょうね

そう考えると、昌幸こそが楠木正成の再来といえる

のかも??

個人的には、昌幸が指揮する豊臣軍の戦いを見て見

たかった気がします

おそらく、あちこちで兵を挙げ敵の戦力を分散、長

期戦に持ち込む様な戦いをした筈。

謙信の小田原攻めもそうでしたが、小田原城が堅固

だっただけではなく長期の陣ともなると味方同士で

も疑心暗鬼に陥り内部崩壊を起こし撤退せざるを負

えなくなります

もしかして?意外と豊臣が勝つかも?と心変わりす

る武将が出てきても不思議有りません。


歴史にイフ?は無いと言われますが、イフを想像す

るのもやっぱり歴史の醍醐味ですよね




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真田丸、主は私です!!

2016-11-07 | 歴史

個人的には大好きな真田丸のメインテーマ

いきなりナレーションから始まり本編へ。

少し驚きましたが、これも三谷マジックなのでしょうか

いよいよ最終章へ向かっているという感じを醸し出して

いる様にも感じます。

 

二転三転、結局籠城に決まりますが、兵の配置で又も横

槍が

戦の素人が口出している様では勝てません

浪人達との間を取り持っている大野治長も次第に浪人達

の意を酌む様になりましたね

出城の着工も浪人達の配置も却下、愛想をつかし立ち去

ろうとする浪人達を何とか引き留めた幸村ですが、談判

した茶々までもが危機感全く無し

普通はここで諦める処ですが、城を出ると覚悟した又兵

衛と勝永に向かって「豊臣は見捨てる訳にはいかぬ!!

と宣言

何故か?これを聞いていた秀頼、「豊臣を見捨てぬと言

うのは真だな!!

と念押し。

「私が許す!!そなたらを信じておる!!」と出城の建設を許

浪人達の忠誠心を試していたのなら分からなくもありませ

んが、一番しっかりしなければならない主が右往左往して

いる様にしか見えないのは僕だけでしょうか??

事の次第を説明するため茶々の許へ行き異を唱える茶々に

むかい「この城の主は私です!!この戦い浪人達の力を借り

ねば我らの負けでござる!!」と迫真の弁明

秀頼の勢いに圧倒される茶々と大蔵卿ですが、ようやく一

城の主になった瞬間なのかも知れませんね

 

「御所柿は独り熟して落ちにけり、木の下に居て拾う秀頼」

家康が死ねば秀頼が政権を奪うだろうと言うような意味だと

思いますが、京の町ではこの様な落首がいたる所に書かれて

いたみたいですね

人々の多くは徳川政権も長くは続かないと思っていたのでし

ょうか?

家康も70才を超えいつ亡くなっても不思議有りません。

駿府と江戸での二元政治が続いているところを見ると徳川幕

府も盤石とは言えないようです

関ケ原の戦いから14年経過していますが、曲がりなりにも豊

臣家は健在

人々の心の中では戦国の世は未だに続いていたという事なの

でしょうね

 

先週、「信じられるのは真田だけじゃ~。」と茶々が言って

いましたが、実は幸村自身も徳川への寝返りを疑われていた

節があるのです

敵に狙われ易い場所に真田丸を作ったのも豊臣への忠誠心を

表したいからだと個人的には思っています。

味方をも信じられなくなっていた豊臣が勝利出来る可能性は

殆どありません

この疑心暗鬼状態は夏の陣まで引きずります

夏の陣で後藤又兵衛が討ち死にし、ようやく全軍が幸村の指

揮下に置かれるのですが、あまりにも遅すぎます。

ところで…

絶対不利とされた豊臣軍でしたが、意外と善戦出来たのは何

故なのでしょうか??

冬の陣は関ケ原の戦いから14年後です。

戦国の猛者達も亡くなり代替わりで跡継ぎは実戦経験が殆ど

ありません

初陣の様な武将達が抜け駆けして功を焦ったばかりの敗戦が

目立ちます

歴史上の14年は短いのですが、リアルタイムで生きてる人々

には意外と長い年月だという事なのでしょうかね??



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