80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

小笠原へ来ています(5)

2023-05-20 00:39:20 | その他
実は本日午後、東京へ戻ってきたのですが、最終日の話なのでまだ小笠原にいるテイで書きます。


父島へ来てからちょうど1週間がたちました。今日もオフです。なにせ帰る船が明日まで無いのですから。

天気も上々なので、朝散歩の代わりに、朝ドライブで今まで行けてなかった南部の海岸を訪ねてみることにしました。まず、村営バスの終点にもなっている「小港海岸」へ向けて車を走らせます。15分ほどで駐車場に到着。海岸はここから先5、600m先ですが、道が狭くなるのでここからは歩きになります。



しばらく歩くと幅広な川が寄り添ってきます。八ッ瀬川という川で、急峻な崖が海まで迫っている父島ではこのようにゆったり流れる川景色は珍しいといえます。



さらに進むと大きな木をまん中に据えたロータリーが見えてきました。ここが村営バスの終点・小港海岸バス停です。大木は「ベンガルボダイジュ」と解説されていました。



ここは「東京都最南端のバス停」だそうです。残念ながらバスは20分前に出て行ったあとでしたが、代わりに何やら緑色の生き物がバス停ポールに張り付いて出迎えてくれました。トカゲです!



近づいてみると愛らしい目をクリクリさせてじっとしています。爬虫類愛好家の気持ちが少し分かった気がしました。ところが後で調べたところとんでもないヤツでした。「グリーンアノール」という外来種のトカゲで、小笠原固有の昆虫をことごとく食い荒らしている困りものだそうです。宿の近くに環境省のビジターセンターがあるので写真を見せたところ「あ、それです」と即答。擬態が得意で木から降りてきたばかりなので奇麗な緑色をしているのではないかと。でもキミ、バス停に擬態しきれずに見つかったよね。w



バス停からさらに林の中を歩くと浜へ出ました。なんと美しい天然の入江に広がる白砂のプライベートビーチ!



朝早いこともあって誰一人いないビーチは波音と鳥のさえずりに囲まれていました。



続いて近くにある「コペペ海岸」にも行ってみました。一度聞いたら忘れないユニークな名前ですが、小笠原開拓時代にコペペさんという人が住んでいたからこう呼ばれるようになったとのこと。小港海岸よりも小さくさらにプライベート感にあふれる波静かなビーチでしたが、ここに写っていない背後では遠足でしょうか、小さな子どもたち10数人が引率されて来ていて賑やかでした。



宿へ戻る道中の駐車場から見た「境浦」です。湾の中に座礁船の残骸が見えます。先の大戦で日本海軍に徴用された濱江丸(ひんこうまる)が米軍の攻撃を受けて航行不能となり、漂流の果てにこの湾内で座礁したとのこと。昭和50年代頃までは船体が残っていたそうですが、現在はご覧のとおりほとんどが朽ち果て、エンジンなど一部が顔を出しているのみです。ここでも日常のすぐ隣に戦争遺構が残っていました。



宿へ戻ってひと休みし、午後はすぐ近くの大村海岸へ出て、「おがさわら丸」の代船としてやって来る「さるびあ丸」の入港を見届けることにします。あまりに水が奇麗だったので思わず靴を脱いで海に入ってみました。どうですこの澄んだ水!!ただ、下が砂地でなく枝サンゴの欠片でゴツゴツしており、ビーチサンダルで来なかったことを大いに後悔しました。



あずま屋の床を見ると何やら枝サンゴのかけらで文字が・・・。ちょっと崩れちゃってますが、カイト君お誕生日おめでとうだよ!笑



そして・・・ 😊GASAWARA LOVE💛 いいなあ思い出いっぱい作れよ!!(誰だか知らないけど)




午後2時前、まず「ははじま丸」が汽笛を鳴らして入港。今日は「さるびあ丸」からの乗換え客を乗せてもう1度母島へ向けて片航海します。



続いて午後2時15分頃、ツートンながらもポップな模様が目をひく「さるびあ丸」が予定より早く入港してきました。



青灯台を抜けると岸壁はすぐそこです。以前は「おがさわら丸」がドック入りすると1か月近く船が来ない期間が続いたのが、2021年からは東海汽船の「さるびあ丸」が代船として1往復だけ運航することになり、人や物資の流れが完全に止まることがなくなりました。乗れる人数も運べる貨物量も「おがさわら丸」より少なく速度も遅いですが、この船に対する地元の期待は大きいようです。我々はこの年に1度しかない貴重な船で明日、東京へ戻ることになります。



乗船ターミナル前が久々に賑わっています。なんでも、「年に1度の“さるびあ丸で行く小笠原”」のようなツアーも販売されているようで、父島組は今から明日の午前10時半まで滞在できるので若干の観光はできるものの、母島組は夜着いて朝出るという、まさに寝に行くだけのようなツアーです。まあメインは「さるびあ丸」に乗って小笠原航路を楽しむというプレミア体験がウリなのでしょう。



入港日は街も賑わいを取り戻します。この店はてっきり「ドック休暇」(「おがさわら丸」のドック入りに合わせて本土に出かける)で5月中は休業かと思っていたら開いていました。しかし、もしかして「東京↔父島」の看板もお持ちではないですか?と聞くために店に入る勇気はありませんでした。。



この後は同行者と居酒屋で仕事の打ち上げ。そして満天の星空を愛でながら小笠原最後の夜は更けていったのであります。

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小笠原へ来ています(4)

2023-05-18 03:21:24 | その他
月曜の母島で今回の仕事はひととおり終わったので、東京行の船が出る木曜までの間の2日間はオフとなりました。日課の?朝散歩で近所を歩きます。来島してから気になっていたトンネルを抜けてみることにしました。

大村隧道と清瀬隧道という2本のトンネルが大神山の下をまっすぐ貫いています。これは二見港岸壁側の大村トンネルの入口。戦前に掘られたとのことで、海沿いに都道が整備されて現在は人と自転車専用ですが、以前は車も通るメインルートだったそうです。



大村隧道は短いですが清瀬隧道はかなり長く、入口から少し入った場所に左右から衝立のようにせり出した場所があります。そして1か所だけ写真のような「扉」が畳んだ状態で固定されていました。貼り出された解説を読むと、戦時中にこのトンネルは防空壕として使われ、そのため鉄製と木製の2重の扉が両サイドに設置されたそうです。折り畳まれたこの「扉」はその名残だとか。



攻撃を受けて入口が塞がってしまった場合を考えて横穴も掘られていたそうです。確かに中央付近に1本の横穴があって、はるか彼方に外界の光が見えました。島内には数々の戦争遺構が残されている父島ですが、多くの人々が日々利用する現役のトンネルの中にも、当時の姿を留める遺構が静かに眠っているわけです。



清瀬交差点側の入口は石積みのトンネルポータルが残されていました。



漁港の方に向かって少し歩くと何やら風変わりな建物が目に入りました。



近づいてみるとネコのイラストが描かれたタイル絵が所狭しと貼られています。ここも解説が貼られていたので読んでみると、野生化した猫によって小笠原諸島にのみ生息する希少な鳥が絶滅に追い込まれたことから、こうした「野ネコ」を捕獲して本土の動物病院へ送るまでのあいだ収容しておく「待合所」なのだそうです。当初は安楽死を考えていたところ、「野生動物は島でしか生きられないが、猫ならば都会でも幸せになれる」との獣医のアドバイスを受け、東京へ移送して里親を探すためのプロジェクトが立ち上げられたとのこと。このイラストはこうして命をつなぎとめられたネコたちの顔だったんですね。



ちなみに東京までの移送は小笠原海運が無償で引き受けているそうです。「今日のねこまち」は6頭と書かれています。次の船で私たちと一緒に東京へ行くんですね。初めての都会暮らしは慣れないだろうけど新しい飼い主さんに目いっぱい可愛がってもらうんだぞ!



しかし野山を駆け巡っていたネコを都会っ子にすることは大変な努力がいるようです。
おがさわらネコプロジェクトの詳細はこちらをご覧ください。


歩き疲れたのでいったん宿へ戻ることに。青灯台と対になる赤灯台は漁港の入口にありました。



ひと休みしてから改めて出直した先は、先日休館と思って引き返してしまった「小笠原海洋センター」。しかし今日も建物の扉は閉ざされ中には誰も居ないもよう・・・。HPでは奥の水槽は見学できると書いてあったのと、脇の柵が開いていて奥からは子供たちのはしゃぐ声が聞こえていたことから、意を決して中に入ってみることにしました。



一番奥の水槽でスタッフとおぼしき女性が二人、カメのお手入れ?をしていたので声をかけてみると、どうぞ自由に見学してくださいとのこと。ちなみにお手入れ中の亀さんはタイマイだそうで20歳を超す大ガメでした。



施設は「製氷海岸」と呼ばれる湾に面して建てられていて、日当たりの良い水槽では無数と言っていいくらいの子ガメたちが泳いでいます。ほとんどが0~2歳程度アオウミガメだそうで、ある程度大きくなったら海へ放流するとのこと。



気持ちよさそうに泳ぐウミガメだち。スーパーのペットコーナーで買ってきたカメは育てたことがありますがこんなに多くのカメを観察するのは初めてです。あまりの可愛さに時間を忘れて見入ってしまいます。あと「亀は意外と速く泳ぐ」は本当でした。笑



可愛いウミガメが泳ぐ様子をおすそ分けします。ちなみにカゴに入っているのは傷を負ったり体調が芳しくないカメさんとのこと。



でっかいアカウミガメも1匹いました。実に貫禄ある堂々とした泳ぎです。



ウミガメに癒してもらったあとは有名観光スポット「ウエザーステーション展望台」へ上ってみました。



かつて気象観測施設があった場所を改装したためこの名前があるそうです。西側に大きく開け見渡す限りの大海原が広がっていました。



左手南方の奥にはうっすらと母島も見えます。前日はあそこまで2時間20分もかけて荒れる海を越えて行ってきたのがウソのように近くに見えます。



ここは夕日の鑑賞スポットとして有名なので、日没時を狙ってもう一度上ってみました。実に美しい夕暮れです。



残念ながら雲が多く奇麗な落日とはなりませんでしたが、波音と鳥のさえずりに囲まれて見る雄大なショーは素晴らしいのひと言でした。



夜のとばりが下り始めた二見港も絶景でした。


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小笠原へ来ています(3)

2023-05-16 21:27:04 | その他
前回の投稿でハッシュタグを付けておきながら書くのを忘れていたことがあります。去る日曜日のこと、この日もオフなので車で宿の近くの長崎展望台というところまで上ってみました。父島の北側に位置し、海を挟んで1km足らずで対岸の兄島を見ることができます。上っていく途中で二見港が見えました。



長崎展望台からの眺め。左側に半島のように突き出しているのが兄島で、右奥に見える小さな島が東島。どちらも無人島です。兄島はかつて空港建設計画がありましたが、生物調査の結果多様な固有種が生息していることが確認されて中止となった経緯があります。



展望台から少し先へ行った場所に「枕状溶岩」の露頭がみられます。小笠原諸島周辺は海底火山の噴火によって堆積した溶岩が隆起して島々が形成されたとのことで島内の随所でゴツゴツした岩肌を見ることができます。この溶岩流が流れた跡が複数重なってできた地層の断面を見ると枕が重なったように見えることから枕状溶岩と呼ばれています。道路工事で現れたとみられるここのものは解説板も設置され、その特徴的な模様がよくわかります。



この後は山を下りて「小笠原海洋センター」という施設を訪ねてみました。ウミガメの飼育を行っている施設で年中無休とのことで訪ねたのですが残念ながら入口は閉まっていて誰もいないようでした。残念!しかしこの投稿を書いている今日判明したのですが、脇の開いていた柵を構わず通って中に入れば見学できたようです。可愛いウミガメの泳ぐ様子は次の投稿で!



近くの駐車場に車を止めて港を眺めていると1隻の貨物船とおぼしき船が静かに入港してきました。濃いブルーに黄緑色のライン。この時は船名が読めなかったのですが、帰って調べたら共勝丸(きょうしょうまる)という貨物船でした。地味ながら、おがさわら丸やははじま丸と並んで東京と父島・母島間を定期的に往復して島民の生活を支える“第三の船”が共勝丸なのです。これも今日間近で撮れたので追って投稿します。



そして翌月曜日は母島での仕事のため「ははじま丸」に乗って母島へ渡りました。



天候は雨。海況も悪く船は揺れに揺れましたが、往路のおがさわら丸で味わったような船酔いは不思議と発症せずに済みました。揺れも限度を越すとアトラクション並みの快感に変わるようです。



母島・沖港の待合所脇のオブジェ。2時間程度で仕事は終わったので「島寿司」を昼食でいただきトンボ帰りとなりました。



帰りの船を待つ間に周辺をブラブラ。漁港なので船の陸揚げ装置があって久々に見る「鉄路」でしたがあまりワクワク感は湧きませんでした。島生活が心地よすぎて焼きが回ったというか骨抜きにされてしまったようです。



さらば母島。天気の良い日にまた来たいものです。



またまた荒波にもまれながら父島を目指します。この深い青色は「ボニンブルー」といって小笠原を代表するカラー。最近東京や横浜方面で増殖している電車の色に通ずるものがありますね。



父島へ戻ってメインストリートを歩いていると「おがさわら丸」の愛称板をテーブルに再利用していた店の脇に思わず二度見するブツを発見しました。別の店の前には「おがさわら丸」と「東京↔父島」のサインがセットで置かれていたと書きましたが、先代の船には愛称と行先サボ各2枚づつ、合計4枚が設置されていたことから、もう1枚の「東京↔父島」サボがどこかに残存しているはず・・・と、要らぬスイッチが入ってしまったのです。



近くへ見に行くのは余りに不審者なので望遠で撮った写真を拡大してみると・・・。うーん、これは似て非なるもののようですね。大きさや枠の材質が違うようです。小笠原滞在はあと1日。残りの1枚は果たして見つけられるのでしょうか。


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小笠原へ来ています(2)

2023-05-14 17:57:33 | その他
おがさわら丸が出航していった翌日の金曜朝。仕事時間まではまだ間があるのですが、部屋の掃除とベッドメイキングのため1時間ほど宿を追い出されます。ベッドメイキングというと聞こえがいいですが、要は宿のおかみさんが来てガーッと掃除機かけてタオルとシーツを取り替えていくという・・・そんな感じです。ホテルという名のワンルームアパートです。窓と入口のドアを開けると風が通り抜けて居心地は最高です。

期せずして朝散歩が日課になりました。近くの大神山神社に登ってみます。見上げるほどの石段。石段の先に見えるのは一の鳥居?らしく本殿は先のようです。。



膝の調子がよくないので途中2回休憩しましたが何とか鳥居までたどりつきました。二見港を見下ろします。曇ってますがいい眺めです。ベンチがあったので汗が引くまでひと休み。どの植物から発せられるのか分かりませんが、先ほどから、そしてこの先もずっと甘い香りが参道周辺に漂っていました。



しかし一度休んでしまうと臆病虫が騒ぎ出します。本殿参拝はまた後日♪てな感じで、やや傾斜が緩そうに見えた裏参道をまわって膝をかばいながら何とか下界へ戻りました。


そして裏道を徘徊していて見つけた飲み屋の前のこの看板。表通りの店先でテーブルになってたアレと同じじゃないですか!先代おがさわら丸の忘れ形見とおぼしき看板の再利用の2例目発見です。しかもこちらは「おがさわら丸」の愛称板に加え「東京↔父島」の行先サボ?もついた豪華セットw!おがさわら丸への島民の愛情はガチです。



こんな古~い木造アパートもありましたが、暴風雨の襲来も多い土地柄だからか近所ではこの1例しか見かけませんでした。



防波堤の先まで行ってみます。バス停名にもなっている「青灯台」。港の入口にあって左舷を示す緑色の光を発することから名付けられたとのことで反対側には「赤灯台」もあります。



防波堤のたもとには、港を浚渫した時に発見された沈没船の錨などがモニュメントとして展示された広場がありました。右側のミニ灯台のようなものは先代の「青灯台」が解体された時に灯具だけを移設したものだそうです。



現在のものよりクラシックで味のあるデザインですね。



夜は同行の仕事仲間の方と特産の青ガメの刺身(左)などをいただきながら一杯。ウミガメの肩の肉だそうで臭みはほとんどなく独特の食感です。桜肉のような感じでしょうか。



明けて5日目は土曜日で仕事もオフです。朝の強制散歩タイムにはPCを持ち出して、港の見える小高い丘の上のあずま屋の中で「ワーケーション」(ワーク+バケーション)の真似事をやってみました。まあ確かに気分転換にはなりますが、あまりに気持ち良すぎてたぶん仕事にならないだろうなぁ、、というのが正直な印象。ファイルを2、3個移動して終わりましたww。インタビューなどで「いやー仕事がはかどりました♪」とか答えてるのはだいぶ演出入ってると思われます。笑



天気は晴れたり曇ったりといった感じ。気温は22~24℃くらいで日が出ると汗ばみますが、風が通っていくのでとても爽快です。



そして今日は「ははじま丸」の運航日です。朝、母島へ向けて出て行った船が16時に帰ってきます。到着5分前に姿が見え始め軽快な足取りで目の前を通過。



青灯台の脇を通ると180°船体を回転させて接岸します。



乗船場所へ移動してみるとすでに乗客はすべて下船していてコンテナの荷下ろしが粛々と進められていました。月曜はこれに乗って母島へ渡ります。


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小笠原に来ています

2023-05-12 02:08:53 | その他
仕事で小笠原は父島に来ています。11日間の“非鉄生活”も明けて金曜には4日目になりますが何とか耐えています。笑

小笠原行きの唯一の交通機関が「おがさわら丸」で、伊豆諸島航路と同じく東京・竹芝さん橋から出航します。これが出航前に見た最後の「鉄」物件。何だか分かりますか?再開発で取り壊したビルの中から現れた東京モノレール浜松町駅の延伸部分です。今しか見られない光景としてマニアの間で密かに注目を集めているのだとか・・・って何のマニア??



出航日の東京はよく晴れていました。小笠原は自分にとって初めての地です。よーし行くぞオガサワラ!!



レインボーブリッジがお見送り。さらば東京・・・。まあ行き先も東京都内ですが。。



竹芝~父島間は24時間の船旅です。特2等寝台を利用させていただきました。狭いながらも個室で横になれるのは有難いです。



なんだか大島を過ぎたあたりから雲行きが怪しくなってきました。いままでピンピンしていたのですが、この後は見事に船酔いとの戦いになりました。



父島・二見港が近付いてきたらしい・・・。と、込み上げるものを感じながらうつろな目で見ているところ。。



上陸1日目はふらふらしながらも何とか予定を消化。明けて翌朝7時頃に港周辺を散策してみました。二見港前のメインストリート。ほとんど人影がありませんが前日の昼間はかなり賑わっていました。朝晩はすこし涼しいくらいの気温です。



シンボルツリーのようなガジュマルの木。植物をみるとああ南方の島に来たんだなとしみじみ感じます。



停泊中のおがさわら丸。やっと全容が撮れました。クルーズ船とは言いませんがかなり大きいです。四角い窓のあるところが5階で自分が乗ってきたところ。



おがさわら丸はこの日の午後3時に出港して竹芝へ向かい、そのままドック入りします。しばらくは速度が遅く規模も小さい代替船が入るので、ちょうどGWの繁忙期が終わった時期でもあり、この船で内地へ長期間出ていく島民(土産物店や飲食店従業員など)が多いそうです。貨物量も制限されるのでなんとかこの船に積み込もうと事業者もがんばるとか。宅急便はゴトコン(5tコンテナ)2個口が待機していました。



自分は特段コンテナマニアではないのですが、こうやって身近に見ちゃうとスイッチが入りますね。お、伊豆諸島開発のコンテナもあるぞ・・・、リーファーコンテナの裏側はこうなってるのかー・・・などなどしばらくコンテナ鑑賞タイムに突入したわけです。



宿へ戻ろうと道を歩いていると何か引っかかるものが目の端に。おお、おがさわら丸のサインがテーブルになってるぞw!先代の船のものでしょうか。特急のヘッドマークをこうしたらバッシング必至かも知れませんが、島民生活とは切っても切れない存在のおがさわら丸のこと、こういう使い方は最大限の愛情表現なのかも知れません。



二見港の隣にある砂浜。どこまでも透き通った海が広がっていました。泳いでいる人もチラホラ。



午後3時、汽笛一斉おがさわら丸の出航です。岸壁の方からは太鼓の音も鳴り響いていて、伴走するボートの数も1隻や2隻ではなく、盛大なお見送りが展開されていました。



人波が去ったあとの道路わきのカフェでひと休み。静かなのはいいのですが、外食難民にならないように開いている店はよくチェックしておけと言われました。まあ生協は開いていて宿には自炊設備もあるので何とかなるでしょう。


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