こんにちは。
京王線地下化目前のぶらり散歩第二弾、布田駅です。撮影は8月3日(金)です。
まず最初に訂正があります。前回の国領駅周辺の記事の中で、柴崎駅寄りの地下アプローチ区間の開始点にある「柴崎4号」踏切が除去対象外であると書いたのは間違いで、今回の連続立体交差事業により除去される18箇所の踏切のうちの1つでした。事業計画図をみると隣接する調3・4・7という都市計画道路がアンダーパスとなるようなので、そこに付帯する歩道として生まれ変わるようです。
さて、地下化対象3駅の中間に位置する布田駅は国領駅から0.7キロ、調布駅から0.6キロという近さにあります。
駅西端からみた仮駅舎のようす。2面2線の橋上駅で、ホーム端はカーブを描いて布田1号踏切と接しています。

出改札口のようす。切り替えに備えて売店K-Shopは7月末で営業を休止していました。

ホーム上には仮駅舎とは別に鉄骨が組まれ、ただでさえ狭いホーム幅がさらに狭まっています。これが地下化完成後に稼働する新駅舎の一部のようです。

外から見た新駅舎の一部。上へ向かって広がるデザインのようです。

ホーム中央付近の南側寄り添って立つ小さな教会。この風景ともお別れです。

ホーム東端から見た国領方。カーブで隠れていますが700メートル先に国領駅があります。この区間は布田駅本体も含めてシールド工法によって掘られているため、線路脇を這う仮設ケーブル以外に工事をうかがわせるものはありません。

その駅東端に接する「国領9号」踏切。10連化対応のホーム延伸のためでしょうか、取付け道路の南側が窮屈なクランク状になっています。

駅を出て線路に沿って国領方に歩いて行くとすぐに「国領7号」踏切があります。

布田~国領間の中間地点あたりで行きかう9000系。今回、車両の方はランダムに撮っていますが、ホント9000系が増えたなぁと実感しますね。ちなみに7000系は呼ばなくても来ます(爆)

さらに進むと線路脇の道路が行き止まりとなり、一方通行の「国領6号」踏切に出ます。国領駅はもう目と鼻の先です。

でもちょっと待ってください。「6号」ってことは300メールくらいしかないところに6本も踏切があったってことですか??
今ではこの先にあるのは「1号」と「2号」の2本だけですが・・・
その昔、今よりもっと畑が広がっていた時代には、沿線の人たちが行き来する第三種踏切が多数あったのでしょう。

行き止まりになったので、踏切を背に旧甲州街道へ向けて狭い路地を歩くと「踏切注意」のひし形標識の背中が見えました。まさかね、と思いつつ期待半分で追い越しざまに振り返ってみると、ああ残念、汽車ぽっぽではなく電車マークでした(^^;
もっとも、シングルアームパンタじゃないこのマークも既に時代遅れとなりつつあるわけで・・・。細かい話ですが。

旧甲州街道に出ると、未だにこんな建物を見ることができます。
パっとサイデリア(古い!)的なリニューアル物件と思われる蔵だとか...

ホーロー看板を掛けてあげたくなるような木造店舗とか(^^)

で、大きなマンションを回り込むと前回紹介した国領駅前の狛江通りに出るのですが、前回歩いた時に気付かなかった「国領2号」踏切がカーブの途中にありました。踏切周辺には工事関係用地が広がっているのですが、この場所で今から4年前の2008年5月、大変な事件がありました。

地下化工事中、民家の敷地内で1トン爆弾とみられる不発弾が見つかったのです。自衛隊が出動し信管処理をして事なきを得たわけですが、その処理日には半径500メートル以内の住民が避難し、京王線もほぼ半日運休するという事態となりました。一連の地下化工事の中では忘れられない出来事といえるでしょう。
再び布田駅に戻り、駅の南側を見てみます。細い街路沿線に商店や住宅が立ち並んでいますが、ここも道路整備と街並み整備が一体的に行われる予定で、ささやかな駅前広場も計画されています。ただ、沿道の状況を見る限り、これらの面整備が完了するのにはまだ相当な歳月がかかるように思われます。

駅端の「布田1号」踏切に立って西を見ると、短い直線の先に調布駅が見えます。ちょうど相模原線内折り返しの都交10系が上り本線上で待機しています。この風景も18日限りとなりました。
この区間でシールドトンネルは上下2層の4線に分かれ、ボトルネックとなっていた相模原線との平面交差が解消される調布地下駅へとつながっていきます。

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京王線地下化目前のぶらり散歩第二弾、布田駅です。撮影は8月3日(金)です。
まず最初に訂正があります。前回の国領駅周辺の記事の中で、柴崎駅寄りの地下アプローチ区間の開始点にある「柴崎4号」踏切が除去対象外であると書いたのは間違いで、今回の連続立体交差事業により除去される18箇所の踏切のうちの1つでした。事業計画図をみると隣接する調3・4・7という都市計画道路がアンダーパスとなるようなので、そこに付帯する歩道として生まれ変わるようです。
さて、地下化対象3駅の中間に位置する布田駅は国領駅から0.7キロ、調布駅から0.6キロという近さにあります。
駅西端からみた仮駅舎のようす。2面2線の橋上駅で、ホーム端はカーブを描いて布田1号踏切と接しています。

出改札口のようす。切り替えに備えて売店K-Shopは7月末で営業を休止していました。

ホーム上には仮駅舎とは別に鉄骨が組まれ、ただでさえ狭いホーム幅がさらに狭まっています。これが地下化完成後に稼働する新駅舎の一部のようです。

外から見た新駅舎の一部。上へ向かって広がるデザインのようです。

ホーム中央付近の南側寄り添って立つ小さな教会。この風景ともお別れです。

ホーム東端から見た国領方。カーブで隠れていますが700メートル先に国領駅があります。この区間は布田駅本体も含めてシールド工法によって掘られているため、線路脇を這う仮設ケーブル以外に工事をうかがわせるものはありません。

その駅東端に接する「国領9号」踏切。10連化対応のホーム延伸のためでしょうか、取付け道路の南側が窮屈なクランク状になっています。

駅を出て線路に沿って国領方に歩いて行くとすぐに「国領7号」踏切があります。

布田~国領間の中間地点あたりで行きかう9000系。今回、車両の方はランダムに撮っていますが、ホント9000系が増えたなぁと実感しますね。ちなみに7000系は呼ばなくても来ます(爆)

さらに進むと線路脇の道路が行き止まりとなり、一方通行の「国領6号」踏切に出ます。国領駅はもう目と鼻の先です。

でもちょっと待ってください。「6号」ってことは300メールくらいしかないところに6本も踏切があったってことですか??
今ではこの先にあるのは「1号」と「2号」の2本だけですが・・・
その昔、今よりもっと畑が広がっていた時代には、沿線の人たちが行き来する第三種踏切が多数あったのでしょう。

行き止まりになったので、踏切を背に旧甲州街道へ向けて狭い路地を歩くと「踏切注意」のひし形標識の背中が見えました。まさかね、と思いつつ期待半分で追い越しざまに振り返ってみると、ああ残念、汽車ぽっぽではなく電車マークでした(^^;
もっとも、シングルアームパンタじゃないこのマークも既に時代遅れとなりつつあるわけで・・・。細かい話ですが。

旧甲州街道に出ると、未だにこんな建物を見ることができます。
パっとサイデリア(古い!)的なリニューアル物件と思われる蔵だとか...

ホーロー看板を掛けてあげたくなるような木造店舗とか(^^)

で、大きなマンションを回り込むと前回紹介した国領駅前の狛江通りに出るのですが、前回歩いた時に気付かなかった「国領2号」踏切がカーブの途中にありました。踏切周辺には工事関係用地が広がっているのですが、この場所で今から4年前の2008年5月、大変な事件がありました。

地下化工事中、民家の敷地内で1トン爆弾とみられる不発弾が見つかったのです。自衛隊が出動し信管処理をして事なきを得たわけですが、その処理日には半径500メートル以内の住民が避難し、京王線もほぼ半日運休するという事態となりました。一連の地下化工事の中では忘れられない出来事といえるでしょう。
再び布田駅に戻り、駅の南側を見てみます。細い街路沿線に商店や住宅が立ち並んでいますが、ここも道路整備と街並み整備が一体的に行われる予定で、ささやかな駅前広場も計画されています。ただ、沿道の状況を見る限り、これらの面整備が完了するのにはまだ相当な歳月がかかるように思われます。

駅端の「布田1号」踏切に立って西を見ると、短い直線の先に調布駅が見えます。ちょうど相模原線内折り返しの都交10系が上り本線上で待機しています。この風景も18日限りとなりました。
この区間でシールドトンネルは上下2層の4線に分かれ、ボトルネックとなっていた相模原線との平面交差が解消される調布地下駅へとつながっていきます。

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ちなみに・・・不発弾はそれだけじゃなくって・・・
近所に古くから住む人は言ってるんですって。
あそこにも・・・そこにもあるよ♪って。
実際、京王の工事に絡む場所を確認すると住民のお話通り埋まってたそうで・・・・・
住民はもっといろんな場所を言っていたそうですが京王と無関係の場所は聞こえないふりをしたって・・・
同級生のお父さんが某工事業を営んでまして・・・時々駄話するんですよ。
って、あれ?コメントをナイショには出来ないんですねぇ・・・
確証の無いウワサです、ウワサって事にしといて^^;
狛江通りの踏切は、本当に開かずのなんとかで、その近辺の小さな踏切をよく利用していました。
不発弾騒動ですが、実は私が以前住んでいたマンションの隣の民家の庭にあって、私たち家族は処理当日の非難対象になっていました。
なので、当日はバーベキューに・・・。
懐かしい思い出です。
戦争中あれだけバラバラ落としたのですから、ココに限らずまだまだ眠ってる不発弾は多いのでしょうね。
探査専門の会社や国のデータベースなどもあるようですが、この先、当時を知る人が減っていくことを考えると工事を始めてから発見される、というケースも増えてくるのではないでしょうか。
そういえば地元にお住まいでしたね。でもそんなに近かったとは・・・
> なので、当日はバーベキューに・・・。
避難下のバーベキューは気が気じゃなかったのでは?
もっとも処理に失敗するケースは稀なので案外よいチョイスだったかも(^^;