水無瀬駒に注目、研究して来られた熊澤先生の講演が、思えばわたしと「水無瀬駒」そして「中将棋」との出会いでした。あの日から1年も経たない内に、将棋の駒のふるさと・島本町として一連の事業が実現するとは正直、夢にも思いませんでした。
今日再び熊澤先生と会場でお会いすることができました。熊澤先生のご尽力、日本将棋連盟のご支援、水無瀬神宮のご協力を得て充実した企画。多くの方の熱い思いが町に集まりました。
以下、熊澤先生に敬意を表し、2009年11月21日「いまここ@島本・将棋の水無瀬駒」(当時ライブドア)を転記させていただます。
町立歴史文化資料館で開催された講演会「水無瀬駒について」(講師:将棋研究家・熊澤良尊氏)と、熊澤先生による「水無瀬駒関連資料」の解説を拝聴しました。たいへん興味深いお話でした。水無瀬駒とその関連資料は歴史的にも文化的にもたいへん価値のあるものであると、将棋を知らないわたしにもよく理解できました。
水無瀬神宮に現存する水無瀬駒(小将棋一組&中将棋一組と中将棋4枚の駒)は、平成20年7月に施行された「島本町文化財保護条例」に基づき、町指定文化財の第1号に指定されました。能筆家として知られた水無瀬兼成(1514年~1602年)の作で、高級材である黄楊(つげ)を用い、作者と制作年が特定できる最古の将棋駒といわれています。
以降、水無瀬家は四代にわたって将棋の駒銘を書き、「駒の銘は水無瀬家の筆を以って宝とす」といわれたそうです。「水無瀬駒」は水無瀬家で作られた将棋駒の総称ですが、兼成は特に有名で、89歳で亡くなるまでの間に天皇や公家、大名などの依頼により、70歳代からの記録に残るだけでも700組以上の将棋駒に字を書いています。
水無瀬駒の字体は現代の将棋駒の文字の手本となっており、「水無瀬」という書体が今でも使われているそうです。また、関連資料として併せて文化財指定した「象戯圖(しょうぎず)」は、同じく水無瀬兼成の書いたもので、6種の将棋の初期配置、表裏の文字、駒の進め方などが図面で示され、この時代の将棋の指し方を具体的に示す資料として大変貴重なものだそうです。
さらに関連して指定されるべき重要資料「将棋馬日記」(依頼主、進呈先の控え)も水瀬家に保存されています。
さて、JR島本駅が開設されてから「島本町の魅力を内外にPRする」という言葉がよく使われています。ゆかりの水無瀬神宮で将棋に関連した格式のある、なおかつ連続性、発展性のある催しを行うことで、町の知名度をUPすることは充分に可能と思われました。
財政は厳しい。しかし物語(ストーリー)を活かし、対象の絞込みを明確にして(マーケティングというのでしょうか)、人材と人脈を活かし、智恵と情熱と集めて使命感をもって望めば、素晴らしい企画が生まれるような気がします。講師はもちろん、町外から参加してくださった方との出会いに感謝した一日でした。
以上です。
画像は、JR島本駅前の花壇
住民の手づくり、緑と花いっぱい活動です
今日再び熊澤先生と会場でお会いすることができました。熊澤先生のご尽力、日本将棋連盟のご支援、水無瀬神宮のご協力を得て充実した企画。多くの方の熱い思いが町に集まりました。
以下、熊澤先生に敬意を表し、2009年11月21日「いまここ@島本・将棋の水無瀬駒」(当時ライブドア)を転記させていただます。
町立歴史文化資料館で開催された講演会「水無瀬駒について」(講師:将棋研究家・熊澤良尊氏)と、熊澤先生による「水無瀬駒関連資料」の解説を拝聴しました。たいへん興味深いお話でした。水無瀬駒とその関連資料は歴史的にも文化的にもたいへん価値のあるものであると、将棋を知らないわたしにもよく理解できました。
水無瀬神宮に現存する水無瀬駒(小将棋一組&中将棋一組と中将棋4枚の駒)は、平成20年7月に施行された「島本町文化財保護条例」に基づき、町指定文化財の第1号に指定されました。能筆家として知られた水無瀬兼成(1514年~1602年)の作で、高級材である黄楊(つげ)を用い、作者と制作年が特定できる最古の将棋駒といわれています。
以降、水無瀬家は四代にわたって将棋の駒銘を書き、「駒の銘は水無瀬家の筆を以って宝とす」といわれたそうです。「水無瀬駒」は水無瀬家で作られた将棋駒の総称ですが、兼成は特に有名で、89歳で亡くなるまでの間に天皇や公家、大名などの依頼により、70歳代からの記録に残るだけでも700組以上の将棋駒に字を書いています。
水無瀬駒の字体は現代の将棋駒の文字の手本となっており、「水無瀬」という書体が今でも使われているそうです。また、関連資料として併せて文化財指定した「象戯圖(しょうぎず)」は、同じく水無瀬兼成の書いたもので、6種の将棋の初期配置、表裏の文字、駒の進め方などが図面で示され、この時代の将棋の指し方を具体的に示す資料として大変貴重なものだそうです。
さらに関連して指定されるべき重要資料「将棋馬日記」(依頼主、進呈先の控え)も水瀬家に保存されています。
さて、JR島本駅が開設されてから「島本町の魅力を内外にPRする」という言葉がよく使われています。ゆかりの水無瀬神宮で将棋に関連した格式のある、なおかつ連続性、発展性のある催しを行うことで、町の知名度をUPすることは充分に可能と思われました。
財政は厳しい。しかし物語(ストーリー)を活かし、対象の絞込みを明確にして(マーケティングというのでしょうか)、人材と人脈を活かし、智恵と情熱と集めて使命感をもって望めば、素晴らしい企画が生まれるような気がします。講師はもちろん、町外から参加してくださった方との出会いに感謝した一日でした。
以上です。
画像は、JR島本駅前の花壇
住民の手づくり、緑と花いっぱい活動です
ブログ、初めて知りまして、これも嬉しく拝見させていただきました。
16日は、東京や福岡からや、小生の友人は四日市から来られた人もあり大盛況で良かったと思いました。
80名の参加者の半分は地元の方。残り半分はその他の府内、府外の方だったように思います。
31日も水無瀬神宮へ伺います。
水無瀬神宮に初めて行きましたのは、確か昭和52年の2月でした。あれから30数年。
お訊ねした回数は良く覚えておりませんが、これからも何かにつけ、通うことになるでしょう。
今後ともよろしく。