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大阪府島本町議会議員
とだ*やすこの活動報告

「レオニー」イサム・ノグチの母

2010年12月24日 | とだ*やすこの活動日記
今日はOFF気分で過ごします。朝からブログをUP。その後、高槻の大阪医科大学付属病院へ。あまりの待ち時間の多さに断念、そのまま京都へ。百貨店でいくつかのクリスマスプレゼントを買い、気功の先生に今年一年のお礼を。そして、京都シネマで最終日の「レオニー」を鑑賞。

「レオニー」は、彫刻家イサム・ノグチのアメリカ人の母親、レオニー・ギルモアが主人公の映画。およそ20年前、誘われて訪れた京都市立近代美術館で偶然その作品に触れ、イサム・ノグチの作品のもつ包容力に圧倒されました。なぜかしら愛おしくて、思わず作品に手を触れ、駆けつけた監視員に注意され、その数秒後に再び自然に手が伸びて、また注意されました。

「すみません!」と詫びつつ、果たして作家はどう思うのだろう、これは触れられることをまったく厭わない作品なのではないか、という思いが拭えませんでした。代表的作品、スライド・マントラがその象徴です。小学生の息子を連れて家族で行った北海道旅行、札幌の公園にあったブラック・スライド・マントラは、子どもたちがいつでも自由に遊べます。

ドウス昌代の「イサム・ノグチ―宿命の越境者〈上・下〉」が上梓されたとき、わたしは子育ての合間に必死で時間をみつけて読みました。日本人の血、日本での生活、差別。そして戦争・・・母子は過酷な運命に翻弄されます。類稀なる才能に恵まれたイサム・ノグチの作品は国境を越えて評価を得ました。けれどもその魂は国境を越えたでしょうか・・・

超えれば超えるほど、出自への思いは強く、深くなるばかりではなかったか、とわたしは思います。そして今回の映画「レオニー」・・・想像を超える苦境のまっただなかで、母レオニーが出会った日本の美。イサムのなかの美に対する才能を見逃さなかったレオニーは、芸術は国境を越えられる、芸術家になれ、とイサムに説きます。

日本人男性との交わりを通じて得た女としての性と生。妹アイリスの父親もまた日本人ですが、日本史に名を残す人物なのでしょうか、その名は生涯明かされていないとされています。美しく教養豊かに、凛として生きる女性として、また異国での心細さから守るべき人として、正しく愛された結果と、今回の映画は描いていました。

イサム・ノグチ。日本人の父、アメリカ人の母。ヒロシマの原爆記念碑を作成したのは当初イサム・ノグチでした。が、実現はしていません。平和を願う碑であるならば、日米混血のイサム・ノグチの作品で、なんら問題がないどころか、むしろ意味があった。幻となったイサムの作品の方が、現在の原爆記念碑よりも包容力と慈しみに満ちているとわたしは思います。

そこには時代のもつ限界があったと理解はしていますが、「洞察力のない小さい枠のなかの決断は、未来にとって罪」であることを語っていると思えます。イサム彫刻の包容力は、晩年に設計した札幌のモエレ沼公園にあります。いつか必ず行きたい場所のひとつです。

久しぶりの映画鑑賞を終えて、わたしは、さらに錦通りのライブハウスへと向かいました。島本町在住の同世代のKさんが出演されるというので、友人に誘われていました。友人は着物姿。お客さんのなかにはかつてのPTA仲間も。イブの夜、家族を残しての女たちの外出・・・

これがよいのか悪いのか、わたしにはわかりません。Kさんのオリジナル曲「君へ」は息子をはじめ、すべての若者の心に届けたい名曲でした。大人になるのを怖がらないで。ゆっくりでよい、ゆっくりの方がよい、と伝えたい。そして、わたしは、わたし自身を生きなければなりません。寒波の訪れた京都の夜、物静かでゆるやかな賑わいに癒された聖夜でした。

画像は、四条烏丸の角に11月オープンしたビルのクリスマスキャンドル・オーナメント
コメント
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