一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

宗谷岬へ行く

2009-09-23 20:09:34 | 旅行記・北海道編
21日は、早暁5時30分ごろに札幌のネットカフェを出て、稚内へ向かう。
LPSA代表理事である中井広恵女流六段の生まれ故郷に参拝するためである。
稚内を訪れるのはもちろん初めてではない。学生時代に、幼馴染の悪友と北海道旅行をしたときに訪れたのが最初である。これは家族以外との、初めての旅行でもあった。
夜行列車に乗って早朝に稚内に着き、宗谷岬に向かうべくレンタカー屋へ行くと、ヒッピーみたいな格好をした男性がおり、3人で岬へ向かうことになった。この人が旅先の郵便局で貯金をする「旅行貯金」というものを教えてくれて、興味がわいた私は、その日に稚内郵便局で新しい通帳を作り、「725円」を貯金したのだった。
昭和61年7月25日のことだった。ちなみに、そのヒッピーみたいな格好をした男性とは、現在も年賀状のやりとりをしている。お互い変人同士、なにか通じるところがあったのかもしれない。
話を現在に戻すが、こんな早い時間にカフェを出たのは、前夜午後9時に入店したき、「ナイト12時間パック」で一夜を明かそうと目論んだのに、最長が「ナイト9時間パック」しかなかったからだ。まあそのままそこで時間を潰してもよかったのだが、9時間を過ぎて超過料金を取られるのはシャクなので、早々に店を出たわけである。私はヘンなところにケチなのである。
稚内へ向かう「特急スーパー宗谷1号」は、9時53分旭川発からの指定席しか取れなかったので、それまでに旭川へ着けばよい。
6時02分発の旭川行きの鈍行列車に乗る。車内で熟睡していると、「次は美唄。特急列車にお乗換えのかたは…」とのアナウンスがあり、ここでも咄嗟に降りることにする。
函館~旭川間は、函館本線の…、いやJR北海道のドル箱路線で、この区間は特急電車が頻繁に往来しているのだ。
8時13分に旭川へ着いたが、やることはある。例によって宿を決めていないので、朝のうちにめぼしいネットカフェを探すわけだ。翌22日は石北本線で網走方面へ向かうので、旭川で一夜を過ごすのに、都合がいいわけである。
居心地が良さそうな?ネットカフェを見つけたので、中を瞥見してから、市内をぶらぶらする。雰囲気の良さそうな喫茶店があったので中に入り、コーヒーを飲んで優雅な時間を過ごす。貧乏なのか金持ちなのか分からない行動である。
定刻の9時53分を1分ほど過ぎて、特急スーパー宗谷1号が入線する。この電車に乗ったことはあるが、ごく一部区間のみで、しかもデッキに立ったままだった。
今回初めて「特急宗谷」を味わうわけだが、なかなかいい座り心地である。
私はここ数年、冬の北海道ばかりを訪れていた。だからいつも雪景色で、緑豊かな北海道の大地を目にするのは久しぶりだった。
私が前夜稚内方面に近づかず、なるべく遠くから乗車したのも、この景色を観るためであった。
特急列車の冠をかぶっているが、どこかのんびりしたムードを漂わせながら、「スーパー宗谷」は、北の大地を快走する。
こうやって思い出すのは中井女流六段のことばかりである。
中井女流六段は、少女のときから林葉直子さんと鎬を削り、女流棋士の顔として、女流棋界を引っ張ってきた。そんな中井女流六段が幼少を過ごした稚内に、刻一刻と近づいているのだ。いままで何回も稚内を訪れて、そんな感慨に耽ったことなど、ただの一度もなかった。
車窓の左手に利尻島と礼文島が見え、幌延を過ぎると、稚内まであと一息だ。脳裏に、中井女流六段の優しい笑顔が浮かぶ。もし私が稚内を訪れたと知ったら、中井女流六段はどんな顔をするだろう。
定刻の13時28分を4分ほど過ぎて、スーパー宗谷は稚内に到着した。駅前の写真を1枚撮って、すぐにバス乗り場へ向かう。宗谷岬へ向かうためである。
この日は5連休の中日とあって人も多く、このバスも満員状態だった。しかし13時45分、定刻どおりに出発。
途中、「声問(こえとい)」というバス停を通過する。ここはかつて国鉄天北線が通じていたが、平成元年4月に廃線になった。
中井女流六段も、この路線に乗ったことがあるのだろうか。もちろん、あるのだろう。
私はかつて稚内から声問まで乗り、ここから宗谷岬行きのバスに乗り換えたことがある。エビ茶色の「キハ」は、浜頓別方面へ向けて、のろのろと去っていった。
あのとき宗谷岬などへは行かず、天北線に乗り続けていればよかったと思う。いったん廃止になった路線は復活しない。いつでも見られる宗谷岬からの景色など後回しにして、天北線を味わうべきだった。
定刻を1分過ぎて、14時32分、バスは宗谷岬バス停に到着した。岬の突端には、「日本最北端の地」と彫られた碑がある。マイカーで来た旅行者が、順番に記念写真を撮ってゆく。ここは絶対に、中井女流六段も訪れたことがあるだろう。女流棋士が訪れた地を、自分も踏む。すこし誇らしい気分になる。
私はヒトにシャッターを押してもらうのが好きではないし、ひねくれているので、最北端の碑のうしろに回る。ここが正真正銘、日本の最北端である。いま自分が日本のいちばんてっぺんにいることを自覚させてくれる場所だ。
しかし同じことを考えている旅行者は何人もいて、ここにもヒトがいっぱいいる。
私は辛抱強く人がいなくなるのを待ち、数分後、「日本最北端の地」で、40キロ先に見えるサハリンを写真に収めた。
振り返ると、「最北端」の文字があちこちに見える。
「最北端の宿」「最北端の食堂」「最北端の店」など、さまざまだ。
もう、なんでもかんでも「最北端」である。それならば、あそこにある公衆便所は「日本最北端の公衆便所」ということになる。あそこのガソリンスタンドも、ジュースの自動販売機も、なにからなにまで「最北端」である。
「日本最北端の公衆便所」に入って放尿すれば、日本のてっぺんでナニをした感じになって、さぞかし爽快であろう。こんなことなら溜めておくんだった。
小高い丘にある商店に入る。ここでも「日本最北端」のオンパレードである。日本最北端到着証明書の販売をはじめとして、「日本最北端の御守」、「日本最北端のお線香」なんてものまである。
そのとき、私はとんでもないものを見つけた。ジュースケースの中に、190ml入りの、瓶コカコーラがあったのだ!!
ケースの表には、「懐かしの190ml瓶コーラ!!」の吹き出しが貼ってある。あ、ああ…190ml瓶コーラといえば、船戸陽子女流二段である。いやいやいやいや…さすがに今回は中井女流六段一色で、ほかの女流棋士の出る幕はないだろうと思っていたが、またもや船戸女流二段の登場である。
私は震える手でケースから瓶を取り、105円を支払う。
「瓶を返してくれれば、10円返金しますから」と、店のおじさん。
「いえ、持って帰ります」と私。
「あ、そ」と、おじさんは一瞬イヤな顔をしたように見えた。
コーラが飲みたければ、120円を出して350mln缶を買えばよい。それをわざわざ瓶を買うということは、瓶を持ち帰ることを意味する。たぶん、私のようなケースが多いのだろう。
おじさんに栓を開けてもらい、店の外に出て、ドキドキしながら、一口飲む。
なんでこんなに動悸が激しいのだろう。
ごくふつうの、どこにでもある炭酸飲料を飲んで興奮する、一人旅のおっさん――。
これはどう考えても変態であろう。
私はコーラをじっくりと味わいながら飲み干すと、日本で2番目に北にある公衆便所でその瓶を洗い、旅行カバンの中に、丁寧に押し込んだ。
折りよく稚内駅行きのバスが来る。もう私の頭の中からは中井女流六段のことは消し飛び、船戸女流二段のことばかりを考えていた。
コメント (4)
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