一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

「西の谷川、東のK」

2009-09-15 00:49:48 | 愛棋家
7月31日、LPSA金曜サロンに行くと、事務所の入口で鋭い目をした男性と目が合った。私からは「眼」しか見えなかったのだが、もしや…と思った。
この日は深浦康市王位対木村一基八段との王位戦七番勝負第3局2日目が行われており、大盤ではその局面が並べられていた。
指導対局が終わって一息ついていると、その男性が出てきた。やっぱり、と思った。彼は全国的に有名な、アマ強豪のK氏だった。
K氏は中学生のころから頭角を現し、私の記憶が確かならば、「西の谷川、東のK」と言われたものだった。「谷川」とは、もちろん谷川浩司九段のことである。つまりK氏は、それほどの逸材だったということだ。
いまのアマチュア強豪でいえば清水上徹氏クラスで、私たちヘボクラスとは、一線を画していた。たしか昭和54年には、高校1年生ながら「第3回・読売アマチュア日本一決定戦」で、全国3位に食い込んだと記憶している。まさにK氏は、私たち同年代のヒーローであった。
当然マスコミも、彼が奨励会に入るものと思っていた。しかし本人は頑なに拒否した。その理由を私は、近年になって、どこかのサイトで読んだ。それは私から見れば実に他愛のないものだったが、本人にしてみれば、毎日の生活から将棋を遠ざける、必要にして十分な理由であった。
私が高校1年のとき、東京・将棋会館で高校生の将棋大会があった。K氏は3年生で出場し、個人戦では当然のように勝ち進み、決勝まで進んだ。決勝の相手は三五(さんご)という珍しい名字の選手で、たまたま私も対局の合間で観戦したのだが、決勝戦は角換わり腰掛銀になっていた。
ただ、その将棋は手詰まりになり、ここがいま考えてもおかしいのだが、(K氏が先手だったと仮定して)先手の歩が8五まで伸びていた記憶がある。
K氏が、玉を8八~8七の上下運動を繰り返すが、後手も似た手で応じる。最後はK氏が玉を8六まで上げて挑発したが双方打開には至らず、当時のルールである「同一手順3回」で、千日手になった。
ここで自分も新たな対局を1局指し、終わってしばらく経つと、「よっしゃあああ!!」という雄叫びとともに、ガッツポーズをする三五氏の姿があった。
なんと、その指し直し局は、三五氏が勝ったのだ。
いまは、いくら名の通った強豪に勝利しても、こんなあからさまに喜びを表現する高校生はいない。しかし不沈艦のK氏に勝つということは、それほどの勲章だったのだ。
「なんでやー!!」
と叫ぶK氏。このとき私は、K氏の「終焉」を見た気がした。
その後K氏は、19歳1級で奨励会に入会したと記憶する。しかしこれは方針が一貫していなかった。もし奨励会に入るなら、中学生のときに入るべきだったのだ。将棋の研鑽を積んだとはいえ、アマの世界とプロの世界での修行では、おのずと差が出るものだ。
K氏は三段まで昇段したが、年齢制限で退会した。やはり途中のブランクが響いたのだと思う。もしストレートに将棋の道を歩んでいたら、プロ棋士K、が生まれていた。
その後K氏は、「週刊将棋」の編集長などを経て、現在は奈良県在住と聞いていた。
そのK氏が、いま私の目の前にいるのだ。夢を見ているようである。
「いつもブログ読んでます」
と言われ恐縮する。以前片上大輔六段にも同じことを言われ、やはり恐縮したものだが、K氏はなぜ私がこのブログの書き手と判ったのだろう。胸のプレートを見たのだろうか。
「あのマイナビ女子オープンの観戦記は面白かったですよ。エンターテイメント性があってよかった」
以前このブログに書いたものである。お世辞だと分かっていても、週刊将棋の元編集長にそう言われれば、やはり嬉しい。
その後話を聞くと、どうも駒込サロンに遊びにきて、いままで「どうぶつしょうぎ」のシール貼りを手伝って(手伝わされて)いたらしい。
「どうぶつしょうぎ」は、現在はメーカーからも市販されているが、国産の木材を使ったオリジナル版は、LPSA女流棋士などが実際に加工した、文字どおり手作りのものである。こんな貴重な商品はほかにないのではないか。
K氏は、事務のアマ強豪であるS氏と、王位戦の検討をする。終盤のあらゆる変化が、めまぐるしく現れる。私もエラそうに口を挟むが、まったく読みが追い付かない。棋力の差を痛感する。
ふたりが親しそうに話しているのを見ながら、アマ強豪(プロ棋士も含む)にしか存在しない将棋の世界があることを感じ、私は少し、彼らに嫉妬した。
その後K氏は、「上野で用事があるので」と足早に退室した。
一度は将棋から離れたものの、再びプロ棋士を志し、その夢も半ばで破れ、現在も将棋の普及に従事しているK氏。
数奇な人生、と言ってしまえば、そうなのだろう。プロ棋士になることが幸せとは限らない。厳しい勝負の世界を味わわない幸せもある。しかし、K氏の人生の選択に悔いはなかったのだろうか。もし次にお目にかかる機会があったら、訊いてみたいと思う。
…いや、こういうことは訊かないのがスジというものだ。もしお会いできたら、またブログの感想でも聞くとしよう。

追記:読者のK氏から、「西の谷川、東のK」は、「東の泉、西の谷川」である、とご指摘をいただきました。記憶を呼び起こしてみると確かにそのとおりで、K氏および泉正樹先生にお詫び申し上げる次第です。
ただ、「西の谷川、東のK」は、私がかなり若いころから勘違いしたまま覚えていたので、本文はあえて直さないことにいたします。
コメント (7)
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