一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

1年ぶりの魚百・1

2018-11-20 01:05:54 | 将棋ペンクラブ
将棋ペンクラブは、社団戦のないオフシーズン、神保町の海鮮居酒屋「魚百」で月に1回、交流会を行っている。魚百は幹事の星野氏が懇意にしていて、夕方まで、無償で場所を提供してくれるのだ。そして夕方から同所で、飲み会となるわけだ。
私も幹事のA氏に誘われて何度かお邪魔しているが、今回は、先日の社団戦の打ち上げでKan氏に誘われたので、ありがたく参加することにした。
17日(土)午後、神保町に行く。魚百に入る手前のうどん屋はいつも盛況で、今日も40人以上が列を作っていた。私もうどんは好きだが、うどんごときで並んでまで入りたいとは思わない。
午後1時31分、魚百の2階に入る。実に1年ぶりである。中では木村晋介会長、星野氏、Ohh氏がいた。星野氏とOhh氏は対局中で、相居飛車の乱戦になっていた。
また、交流会名物の渡部愛女流王位による指導対局は、今回はスケジュールが合わず、なし。もっとも渡部女流王位はビッグになりすぎて、気軽に招べなくなってしまった、という裏事情もある。
すぐにKan氏が入店。「将棋ペン倶楽部」の新年座談会は、フジイさんを招ぶことになったという。フジイさんって、あのフジイさんだろうか。
また、魚百は土曜日の営業をなしにしたそうだが、となると飲み会はどうなるのだろう。
Kan氏はまだ将棋は指さないようで、私が木村会長と指すことになった。会長とは初手合いである。
改めて木村会長は、本業が弁護士で、テレビ出演も多数。むかしフジテレビの土曜昼に「7人のHotめだま」という情報番組をやっていたが、会長はそのパネラーのひとりだった。いわゆるタレント弁護士の先駆けで、ミーハーな私はひれ伏すところなのだが、そこは将棋を介しているので、緊張感も薄れている。
木村会長の先手で、三間飛車に振った。私はいつものように居飛車急戦で行く。木村会長は▲6八銀型のまま高美濃に組み、堂々とした布陣だ。

第1図以下の指し手。△8六歩▲同歩△6五歩▲同歩△7七角成▲同銀△6五桂▲6六銀△8六飛▲8八歩△6七角▲6八飛△8九角成▲6五銀△6七歩▲7七角(第2図)

Kan氏がお茶を淹れてくれて、恐縮する。Kan氏は気配りの人である。
三上氏とOhno氏も見えた。三上氏に礼を言われる。将棋ペンクラブ大賞は、選考システムの変更という話もあったが、来年は現行で行くとの結論になったらしい。それに伴い私の二次選考委員も継続になったので、三上氏の言葉はその意味である。しかし三上氏も幹事を勇退したので、私こそ労いの言葉を掛けなければいけないのだが、そういう配慮が私にはまったくないのである。
局面。現在NHKEテレでは、深浦康市九段の「振り飛車なんてこわくない」を放映している。私も基礎から勉強する意味で、毎回拝見している。本局は、そこで教わった仕掛けを敢行した。すなわち△8六歩▲同歩と突き捨てを入れてから△6五歩である。木村会長は素直に応じたので、私は飛車を走り、角で桂を取ってまずまずの戦果を挙げた。
木村会長も▲6五銀と桂を取り、△6七歩には返し技の▲7七角。ここでどうする?

第2図以下の指し手。△6八歩成▲8六角△6七馬▲8一飛△5八と▲3九金△5七と▲3七金△6六馬▲4五桂△4八と▲同金△同馬(第3図)

ここで△8二飛と引くのは社団戦の手。交流会だから、飛車を取り合うのが筋である。▲8六角に△6七馬と引いて、と金得を活かす展開にした。
とはいえ△5七と▲3七金に△6六馬は、やや鈍臭い気がした。
▲4五桂には△4二銀もあるが、やや利かされっぽい。といって△6五馬▲5三桂成△同銀は▲2二銀が嫌味だ。そもそも△6六馬は△4八との狙いなわけで、△6五馬は大勢に遅れる。それで△4八とと行った。
▲4八同金△同馬に、次の手がありがたかった。

第3図以下の指し手。▲4七金△同馬▲同銀△4八飛▲3八角△5七金▲5三桂不成△同銀▲同角成△同金▲3三銀△同桂▲2一銀△4二玉(投了図)
まで、一公の勝ち。

木村会長は▲4七金と寄った。若干弱気な手で、ここは何か反撃してくるかと思った。私もここで馬を逃げる手はなく、勢い△同馬と切った。
▲同銀に△4八飛。ここ△6八飛と打てればいいが、8六角が利いている。本譜△4八飛に▲3八銀なら、△4七金▲4九角△2四桂でどうか。木村会長は▲3八角と辛抱したが、私は△5七金と張り付き、確実な寄せを目指した。
木村会長は▲5三桂不成から角も切って、「初王手だけしとこう」と▲3三銀。「タダですよ」と私は言ったが、「王手だけしとく」と会長は涼しい顔だ。
△3三同桂に▲2一銀。なるほどこれが狙いで、△2一同玉は▲4一飛成で、これは逆転の可能性さえある。
私は慎重に△4二玉と寄り、ここで木村会長が投げた。

感想戦。私は教える立場ではないのだが、序盤、どこかで▲8八飛と守られる手がイヤだったと述べた。三間飛車に振ったからここで頑張りたい気持ちは分かるが、「ここと思えばまたあちらと飛車を縦横に動かすのが振り飛車の極意」と大山康晴十五世名人も述べている。
この辺で感想戦は終わりかと思いきや、会長は「この先でも私の悪いところはあった?」と熱心である。
さらに私の△6五桂に▲6六銀では、▲8八銀(参考図)があった。これも深浦九段の講座に出てきた手で、壁銀になるが、そこで△6七角は▲7九飛でよい。

これには木村会長も、▲8八銀と▲7九飛かー、と唸る。「将棋は手が広いもんだね」。
もっとも△6七角▲7九飛には△4九角成があり、▲同銀は△6八金、▲同飛も△5八金▲7九飛△5七桂成があり難しいのだがそこはそれ、こういう手もある、と知っていただければいい。
私はかねてから会長一局交えたかったので、今日はいい記念になった。
(つづく)
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タイトル戦初出場の棋士の戦績(平成編)

2018-11-19 01:15:48 | データ
タイトル戦初登場の棋士の戦績、今日は平成編。

1989年 第55期棋聖戦 屋敷伸之四段 2-3 中原誠棋聖
1989年 第37期王座戦 青野照市八段 2-3 中原誠王座
1989年 第2期竜王戦 羽生善治六段 4持3 島朗竜王
1990年 第31期王位戦 佐藤康光五段 3-4 谷川浩司王位
1991年 第32期王位戦 中田宏樹五段 2-4 谷川浩司王位
1990年 第57期棋聖戦 森下卓六段 1-3 屋敷伸之棋聖
1992年 第60期棋聖戦 郷田真隆四段 1-3 谷川浩司棋聖
1993年 第42期王将戦 村山聖六段 0-4 谷川浩司王将
1995年 第66期棋聖戦 三浦弘行五段 0-3 羽生善治棋聖
1996年 第54期名人戦 森内俊之八段 1-4 羽生善治名人
1996年 第37期王位戦 深浦康市五段 1-4 羽生善治王位
1997年 第10期竜王戦 真田圭一六段 0-4 谷川浩司竜王
1998年 第11期竜王戦 藤井猛七段 4-0 谷川浩司竜王
1999年 第47期王座戦 丸山忠久八段 1-3 羽生善治王座
1999年 第12期竜王戦 鈴木大介六段 1-4 藤井猛竜王
2001年 第26期棋王戦 久保利明六段 1-3 羽生善治棋王
2002年 第15期竜王戦 阿部隆八段 3千千4 羽生善治竜王
2003年 第51期王座戦 渡辺明五段 2千3 羽生善治王座
2005年 第8期竜王戦 木村一基七段 0-4 渡辺明竜王
2009年 第57期王座戦 山崎隆之七段 0-3 羽生善治王座
2010年 第51期王位戦 広瀬章人六段 4千千2 深浦康市王位
2011年 第60期王将戦 豊島将之六段 2-4 久保利明王将
2012年 第83期棋聖戦 中村太地六段 0-3 羽生善治棋聖
2013年 第54期王位戦 行方尚史八段 1-4 羽生善治王位
2014年 第27期竜王戦 糸谷哲郎七段 4-1 森内俊之竜王 
2015年 第63期王座戦 佐藤天彦八段 2-3 羽生善治王座
2016年 第87期棋聖戦 永瀬拓矢六段 2-3 羽生善治棋聖
2017年 第42期棋王戦 千田翔太六段 2-3 渡辺明棋王
2017年 第75期名人戦 稲葉陽八段 2-4 佐藤天彦名人
2017年 第88期棋聖戦 斎藤慎太郎七段 1-3 羽生善治棋聖
2017年 第58期王位戦 菅井竜也七段 4-1 羽生善治王位
2018年 第3期叡王戦 金井恒太六段 0-4 高見泰地六段
2018年 第3期叡王戦 高見泰地六段 4-0 金井恒太六段

平成時代のタイトル戦初出場者は33名。叡王戦を除く31名は、奪取5、敗退26だった。こちらは羽生竜王が強く、12勝1敗。
昭和時代と総合すると、72名がタイトル戦に登場し、獲得14、敗退58だった。初めてタイトル戦に登場してタイトルを奪取するのは、難しいのだ。
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タイトル戦初出場の棋士の戦績(昭和編)

2018-11-18 00:36:42 | データ
タイトル戦初登場の棋士の戦績を調べてみた。今日は昭和編。

1940年 第2期名人戦 木村義雄名人 4千千1 土居市太郎八段
1940年 第2期名人戦 土居市太郎八段 1千千4 木村義雄名人
1942年 第3期名人戦 神田辰之助八段 0-4 木村義雄名人
1947年 第6期名人戦 塚田正夫八段 4持千千2 木村義雄名人
1948年 第7期名人戦 大山康晴八段 2千4 塚田正夫名人
1950年 第1期九段戦 板谷四郎八段 0-2 大山康晴九段
1951年 第10期名人戦 升田幸三八段 2-4 木村義雄名人
1951年 第2期九段戦 南口繁一八段 0-3 大山康晴九段
1953年 第2期王将戦 丸田祐三八段 3-4 大山康晴名人
1953年 第4期九段戦 花村元司八段 0-3 塚田正夫九段
1954年 第5期九段戦 松田茂役八段 0-3 塚田正夫九段
1955年 第14期名人戦 高島一岐代八段 2-4 大山康晴名人
1959年 第10期九段戦 二上達也八段 3-4 大山康晴九段
1960年 第19期名人戦 加藤一二三八段 1千4 大山康晴名人
1964年 第4期棋聖戦 関根茂七段 2-3 大山康晴棋聖
1964年 第5期棋聖戦 本間爽悦七段 0-3 大山康晴棋聖
1965年 第14期王将戦 加藤博二八段 1-4 大山康晴王将
1965年 第24期名人戦 山田道美八段 1-4 大山康晴名人
1965年 第6期王位戦 佐藤大五郎七段 0-4 大山康晴王位
1966年 第7期王位戦 有吉道夫八段 1-4 大山康晴王位
1967年 第8期王位戦 大内延介六段 1-4 大山康晴王位
1967年 第11期棋聖戦 中原誠五段 2-3 山田道美棋聖
1969年 第18期王将戦 内藤國雄八段 0-4 大山康晴王将
1969年 第10期王位戦 西村一義五段 2千4 大山康晴王位
1970年 第29期名人戦 灘蓮照八段 1-4 大山康晴名人
1970年 第11期王位戦 米長邦雄七段 1-4 大山康晴王位
1976年 第28期棋聖戦 桐山清澄八段 1-3 大山康晴棋聖
1976年 第17期王位戦 勝浦修八段 2-4 中原誠王位
1977年 第30期棋聖戦 森雞二八段 1-3 大山康晴棋聖
1979年 第35期棋聖戦 淡路仁茂六段 0-3 中原誠棋聖
1982年 第7期棋王戦 森安秀光八段 2-3 米長邦雄棋王
1983年 第41期名人戦 谷川浩司八段 4-2 加藤一二三名人
1983年 第24期王位戦 高橋道雄五段 4-2 内藤國雄王位
1984年 第45期棋聖戦 中村修六段 2-3 米長邦雄棋聖
1986年 第49期棋聖戦 南芳一八段 1-3 桐山清澄棋聖
1986年 第25期十段戦 福崎文吾七段 4-2 米長邦雄十段
1987年 第35期王座戦 塚田泰明八段 3-2 中原誠王座
1988年 第52期棋聖戦 田中寅彦八段 3-2 南芳一棋聖
1988年 第1期竜王戦 島朗六段 4-0 米長邦雄九段

1940年の第2期名人戦・木村名人と土居八段から、1988年の第1期竜王戦・島六段まで、タイトル戦登場は39名。
1947年の第6期名人戦で挑戦者の塚田八段が木村名人に勝利したが、その後、初顔挑戦者はことごとく敗れ、実に27連敗を喫した。これは大山十五世名人の分厚い壁があったからで、実に19戦全勝である。初舞台で緊張している挑戦者を物ともしなかった。
ようやく挑戦者が勝ったのは36年後の名人戦で、谷川八段だった。
また、名人戦以外での初タイトル戦初勝利は、同年の王位戦・高橋五段だった。
その後は初タイトル戦者も勝ち始め、1986年の福崎七段から1988年の島六段まで、4連勝となった。
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飯野愛女流初段は、NGT48・荻野由佳に似ている

2018-11-17 00:36:39 | 似ている
日付変わって今日11月17日は、飯野愛女流初段の誕生日。おめでとうございます!!
飯野女流初段の生年月日は、木村義雄十四世名人の命日。つまり飯野女流初段は、木村十四世名人の生まれ変わりというわけである。
その飯野女流初段は、NGT48の荻野由佳に似ていると思う。
荻野由佳は1999年2月16日、埼玉県生まれの19歳。中学生のころから芸能界の各オーディションを受けたが、ことごとく落選する。
2014年、「バイトAKB」として活動し、翌2015年、NGT48としてデビューした。
以後コンスタントに活躍し、テレビでも拝見する機会が多い。今年6月に行われた「AKB48世界選抜総選挙」では、自己最高の4位に入賞した。
飯野女流初段と荻野由佳は、ヒラメ顔が似ていると思う(失礼)。

飯野女流初段は現在、NHK杯将棋トーナメントの臨時司会として頑張っている。
しかし肝心の公式戦は、今年度2勝6敗でパッとしない。いきなりタイトル挑戦は無理だが、まずはリーグ入りや本戦入りを目標に頑張ってみよう。
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角館の美女(最終回)

2018-11-16 01:17:32 | 小説
(14日のつづき)

私と郁子さんが武家屋敷通りを歩いた時、郁子さんは美容院のママさんと食事を摂ってきた、と言ったのだ。
ということは、郁子さんはそのママさんとはかなり親しい間柄であろう。となれば二人が年賀状のやりとりくらいしているかもしれない。その美容院をあたろうと思ったのである。
私は平成13年3月に広告代理店を退職し、4月より家で働き始めた。仕事内容は無味乾燥なものだったが、人と交わらない気楽さはなかなかによかった。
ゴールデンウィークは暦通りの休みとなり、5月3日、私は角館へ向かった。私はこの翌年から、ゴールデンウィークの旅行は博多どんたく専門になったが、当時は北海道や東北、上越など、毎年違うエリアを訪れていた。
東北新幹線09時56分東京発の「やまびこ9号」に乗った。ゴールデンウィークの真っ只中なので指定席は取れず、自由席を立って行く。一ノ関でようやく座れた。
盛岡で秋田新幹線「こまち11号」に乗り換え、14時21分、定刻を1分遅れて、新幹線は角館に着いた。
早速美容院をあたればいいのだが、それは興信所みたいな行動なわけで、さすがにプレッシャーがかかる。まずは桧木内川堤の桜並木を見に行った。
武家屋敷通りを抜けると桧木内川にぶつかった。約2キロの川沿いに、約400本のソメイヨシノが艶やかに咲き誇る。小高い丘に登って全容を見渡すと、それは素晴らしい光景だった。この同じ景色を、郁子さんは何度も見たのだろう。
名残惜しいが、武家屋敷通りに戻る。私が郁子さんに会った時、彼女は駅方面からやってきた。すなわち、彼女の自宅からここまでのエリア内にその美容院があると考えられる。
それで街中をあたってみたが、意外に理髪店や美容院が多いのに驚いた。そういえばサイトウ理髪店もそのひとつだ。
一軒一軒あたればいいのだが、さすがに気後れしてしまう。13年前にはなかったようなシャレた店舗は省き、個人で経営してそうな店を選ぶ。それでもなかなか入りづらい。
「三浦笑子美容室」という、こぢんまりとした造りの店舗があったので、思い切って入った。
そこには40歳前後と思しきママさんが、小学生低学年と思しき少女の髪を編んでいた。ママさんが三浦笑子さんだろうか。そしてその傍には、彼女の母と思しき女性がいた。客らしき人はいなかった。
私はママさんに、おずおずと用件を切り出す。こちらはラストチャンスと思っているから、ひたすら低姿勢である。ママさんは一瞬怪訝な顔をしたが、話を聞いてくれることになった。ただこう言ってはなんだが、ここまでの経緯は、少なからず興味を惹いてくれると確信していた。
この何年か前のことである。講談社発行の青年漫画誌「ミスターマガジン」に、「領収書物語」という人気漫画があったのだが、ある時特別企画として、この原作を読者から募集することになった。入賞数作は漫画化されという特典である。
そこで私は「角館の美女」を基に物語を作り、投稿した。すると、462名の応募で73作品が一次選考を通過したのだが、その中に拙作も入っていた。残念ながら入賞は無理だったが、私の体験談は客観的に見ても面白いのだと確信した。
果たしてママさんは途中で口を挟むでもなく、少女の髪を編みながら、時に相槌を打って聞いてくれた。おばあさんも席を外すことなく、私の話を静かに聞いていた。
すべて話し終えると、ママさんが
「郁子さんなら知ってるわよ」
と言った。だがいっしょに食事をする仲ではなく、近所に住んでいる、との認識があるだけだった。「何年か前に見たかなあ」
「見た!」
だがその情報は私だって知っている。平成6年、私が郁子さんへのアプローチを2~3週間早めれば、私からの手紙を彼女が読んでくれたかもしれないのだ。
「うん、話をしたわけじゃないけど。でも郁子さん、結婚したんじゃなかったかな」
「結婚した!?」
「うん、そんな話を聞いたことがあるんだけど」
やはりそうであろう。彼女も今年の7月で37歳だ。どう考えても、結婚しているはずである。というか、7年前でさえ、彼女には将来を決めた男性がいたのだ。「でも分からないよ。お姉さんだったかもしれないし」
その言葉が虚しく聞こえた。
「……あのう……角館はずいぶん美容院が多いように思うんですが」
「そりゃそうよ! 秋田県は美容院の割合が日本一なんだから!」
ママさんは力強く言った。このかなり数年後、日本テレビ系の「笑ってコラえて!」で知ったのだが、秋田県は中村芳子という美容師が国産パーマ機を日本で最初に取り入れ、美容業界の発展に多大な貢献をしたらしい。それに伴い秋田県は美容院の数が多くなったという。
また秋田県は女性が下着にかけるお金も多いらしく、さすがに秋田美人の面目躍如というか、内面と外見から美しさを磨いていたのであった。
「あのう……郁子さんに連絡を取れる方法ってないでしょうか」
「ないわねー。じゃあさ、あなた今ここで郁子さんに手紙を書きなさい。もし私が郁子さんを見かけたら、その手紙を必ず渡すから」
なるほど前回のうどん屋は名刺を渡すだけだったが、手紙を添えれば、また違う結果になるかもしれない。
そこで私は、その店の片隅で、郁子さんへの思いをしたためた。でも我ながら、何をやってるんだろうと思う。
私は何とか書き終え、この3月で使わなくなった名刺とともに、ママさんに差し出した。
「うん、確かに預かりました。私はこの内容を読まないよ。それでこう……はい、封筒に入れました。もし私が郁子さんに会ったら、必ずこの手紙を渡します。約束する。それで郁子さんからあなたに返事が行けばいいし、行かなかったらそこまでの関係だったってことだよ」
「ああ、ありがとうございます」
私はその一家に丁重に礼を言い、店を出た。厳密に言えば、郁子さんと食事をした美容院ではなかったわけだから、本当ならほかをあたらねばならない。しかしもうその気力が残っていなかった。こんなバカな真似はもうできない。私はそのまま、角館を後にした。

そして帰京して何ヶ月経っても、郁子さんから連絡は来なかった。これは当然予想できたことで、落胆がなかったといえば嘘になるが、覚悟はしていた。
郁子さんに会ってから10年以上、遅ればせながら、私はよく頑張ったと思う。実家を訪ねてご両親と会い、彼女の名前の由来や生年月日も教えてもらった。新卒で入った会社も知り得たし、角館の方々の親切にも触れることができた。
でもやっぱり、つらい毎日だった。もしあの日私が角館に降りなかったら……。もし私が武家屋敷に行かなかったら……。もし書き物をしていた女性があのままコーヒーを出していたら……。どのすべてが欠けても、私は角館の美女に会うことはなかった。あんなに苦しい思いをしなくて済んだのだ。
では会わないほうがよかったのか?
いややっぱり、会えてよかったと思う。いままで私は、あんなにひとりの女性を好きになったことはなかった。そしてその幻の女性に会うために、なりふり構わず行動したのだ。
私が中年になった今、真っすぐに生きていた当時の自分が懐かしく、そして誇らしくも感じられるのである。
(完)
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