お竹が梅喜の首を絞める。仏家シャベルは自身の首に手をやり、熱演である。この噺はこんな激しいものだったのか!? 私は木村家べんご志の「片棒」を思い出した。
ようやく騒動も収まり、シャベルが下げる。芝浜の類のオチだったが、ちょっと虚しさも残るそれだった。
シャベルが高座から降りると、袖から、シャベルにプレゼントが渡された。シャベルは明日、2月25日が誕生日だったのだ。それはおめでとうございます。
これで第一部のネタおろしは終わり。参遊亭遊鈴はともかく、小丸、シャベルはこのネタが初演とは思えぬ完成度で、充実の三席だった。
このあとは懇親会である。参加者の中にはこれが楽しみの人もいたかもしれない。
テーブルを大振りのものに替えて、そこに料理を載せる。今日は弁当形式だ。参加者は全12人だが、全員の顔が見えたほうがいいだろうということで、2つの大テーブルに強引に詰め込んだ。
ではここで、席の配置を記しておく。座敷奥から時計回りに、Kob氏、湯川氏、遊鈴さん、Tanさん(博士氏らの同級生)、小川さん(イラストレーター)、蝶谷夫人、恵子さん、岡松さん、Hiw氏、蝶谷氏、永田氏、私。
テーブルには何種類ものアルコールが用意されているが、ほぼビールで乾杯となった。
私はほとんどアルコールは飲まないが、最初の1杯は美味いと思う。
「やっぱり落語は実際にやってみるもんだ」
と湯川氏がつぶやく。「ネタおろしがどのくらいの効果があるか分からなかったけど、客の反応が手に取るように分かった。ここでウケたのかとか、ここは静かなのかとか、修正箇所がいくらでも出てきた」
湯川氏はアマチュア落語家として、あっちこっちで落語をやっている。今後に向けて、少なからぬ収穫があったようだ。
私は弁当をつまむ。今日はふきのとうをはじめ、旬の野菜が並ぶ。裏の畑で取れたものもあるようだ。銀杏の煮物もあるが、これは長照寺で取れたものであろう。
私の左にはKob氏、右には永田氏がいる。Kob氏は骨董店を経営しているとのことだったので、その裏話は相当面白いはずだが、私は人見知りが激しいので、黙々と箸を動かすのみである。
ひとしきり、「心眼」の話になる。これは遊鈴さんも知らないネタだったらしい。湯川氏の知識は広く、さすがに「うんちく事典」を上梓するだけのことはある。
「今日は目の不自由な人を演ってるのに、目を開けてしまったことが何回かあった」
と湯川氏は悔やむ。それが尋常でない悔しがり方なので、意外だった。でも目が不自由だって、目を開けている人はいると思う。ただ、「目をつぶっている=目が不自由」の図は観客が分かりやすいわけで、ために湯川氏は、キチンとしたかったのだろう。
「これは『めくら』の噺だから、落語ではやりにくいんだよ。だからオレは『おめくら』と言ってね、『お』を付けて柔らかくした。扇子を杖にしてやる時もね、あまりリアリティを持っちゃうとマズイ。だから軽くトントンと叩く感じにしてね、そこはサラッとやった」
周りはウンウンと頷く。「梅喜の目が開くところもね、本にはとくに書いてないんだが、オレは手をパン、と叩いて、観客にもその瞬間が分かるようにした」
なるほど、脚本を忠実に憶えるのではなく、自分なりにアレンジを加えて自分なりの噺を創っていくのも、落語の醍醐味のようだ。
恵子さんは台所に向かった。先月の新年会もそうだったが、恵子さんは私たちが騒いでいる時も、ほとんどそこにつきっきりだ。ご本人が料理好きということもあるが、客人に出来立てを食べさせたい、という気遣いからであろう。
テーブル中央には鮭のハラスの山盛りがあった。この類の食べ物は塩気が強い、とのイメージがあるのだが、戴くとちょうどいい塩梅で、美味い。これを恵子さんが作ったのだとしたら、素晴らしい腕だ。
お弁当にもあった、牡蠣の煮物のお代わりも出される。これは遊鈴さんのお手製らしい。これもいい味付けで、美味かった。
一段落すると、Kob氏が中座した。自宅が近くなので、いったん帰ったのかもしれない。湯川氏もどこかへ行ってしまった。
永田氏が私にプリントを見せる。そこには70年代から80年代のヒット曲が羅列してあった。この曲のどれを歌いたいですか、と言う。永田氏が電子ピアノ?で演奏してくれるらしい。
だが私は歌わない主義なので、丁重にお断りした。
だがしばらく経って、Hiw氏「酒と泪と男と女」を歌いだした。なるほど歌好きの人は、こうした場でも歌えるのだと、妙に感心した。
カツオのタタキが出る。カツオは2~3切れ食べると飽きがくるのだが、湯川邸の煮汁に浸してあって食べやすい。玉ねぎとの相性もよく、いくらでも食べられる。
揚げたての天ぷらも出された。エビとふきのとうだ。一口齧ると、サクッといい音がした。この音はなかなか出ないものだ。
宴もたけなわになった頃、恵子さんが
「じゃあこれからかくし芸をやります。時計回りで、私からやるのはどうでしょう」
と、妙な提案をした。
(3月2日につづく)
ようやく騒動も収まり、シャベルが下げる。芝浜の類のオチだったが、ちょっと虚しさも残るそれだった。
シャベルが高座から降りると、袖から、シャベルにプレゼントが渡された。シャベルは明日、2月25日が誕生日だったのだ。それはおめでとうございます。
これで第一部のネタおろしは終わり。参遊亭遊鈴はともかく、小丸、シャベルはこのネタが初演とは思えぬ完成度で、充実の三席だった。
このあとは懇親会である。参加者の中にはこれが楽しみの人もいたかもしれない。
テーブルを大振りのものに替えて、そこに料理を載せる。今日は弁当形式だ。参加者は全12人だが、全員の顔が見えたほうがいいだろうということで、2つの大テーブルに強引に詰め込んだ。
ではここで、席の配置を記しておく。座敷奥から時計回りに、Kob氏、湯川氏、遊鈴さん、Tanさん(博士氏らの同級生)、小川さん(イラストレーター)、蝶谷夫人、恵子さん、岡松さん、Hiw氏、蝶谷氏、永田氏、私。
テーブルには何種類ものアルコールが用意されているが、ほぼビールで乾杯となった。
私はほとんどアルコールは飲まないが、最初の1杯は美味いと思う。
「やっぱり落語は実際にやってみるもんだ」
と湯川氏がつぶやく。「ネタおろしがどのくらいの効果があるか分からなかったけど、客の反応が手に取るように分かった。ここでウケたのかとか、ここは静かなのかとか、修正箇所がいくらでも出てきた」
湯川氏はアマチュア落語家として、あっちこっちで落語をやっている。今後に向けて、少なからぬ収穫があったようだ。
私は弁当をつまむ。今日はふきのとうをはじめ、旬の野菜が並ぶ。裏の畑で取れたものもあるようだ。銀杏の煮物もあるが、これは長照寺で取れたものであろう。
私の左にはKob氏、右には永田氏がいる。Kob氏は骨董店を経営しているとのことだったので、その裏話は相当面白いはずだが、私は人見知りが激しいので、黙々と箸を動かすのみである。
ひとしきり、「心眼」の話になる。これは遊鈴さんも知らないネタだったらしい。湯川氏の知識は広く、さすがに「うんちく事典」を上梓するだけのことはある。
「今日は目の不自由な人を演ってるのに、目を開けてしまったことが何回かあった」
と湯川氏は悔やむ。それが尋常でない悔しがり方なので、意外だった。でも目が不自由だって、目を開けている人はいると思う。ただ、「目をつぶっている=目が不自由」の図は観客が分かりやすいわけで、ために湯川氏は、キチンとしたかったのだろう。
「これは『めくら』の噺だから、落語ではやりにくいんだよ。だからオレは『おめくら』と言ってね、『お』を付けて柔らかくした。扇子を杖にしてやる時もね、あまりリアリティを持っちゃうとマズイ。だから軽くトントンと叩く感じにしてね、そこはサラッとやった」
周りはウンウンと頷く。「梅喜の目が開くところもね、本にはとくに書いてないんだが、オレは手をパン、と叩いて、観客にもその瞬間が分かるようにした」
なるほど、脚本を忠実に憶えるのではなく、自分なりにアレンジを加えて自分なりの噺を創っていくのも、落語の醍醐味のようだ。
恵子さんは台所に向かった。先月の新年会もそうだったが、恵子さんは私たちが騒いでいる時も、ほとんどそこにつきっきりだ。ご本人が料理好きということもあるが、客人に出来立てを食べさせたい、という気遣いからであろう。
テーブル中央には鮭のハラスの山盛りがあった。この類の食べ物は塩気が強い、とのイメージがあるのだが、戴くとちょうどいい塩梅で、美味い。これを恵子さんが作ったのだとしたら、素晴らしい腕だ。
お弁当にもあった、牡蠣の煮物のお代わりも出される。これは遊鈴さんのお手製らしい。これもいい味付けで、美味かった。
一段落すると、Kob氏が中座した。自宅が近くなので、いったん帰ったのかもしれない。湯川氏もどこかへ行ってしまった。
永田氏が私にプリントを見せる。そこには70年代から80年代のヒット曲が羅列してあった。この曲のどれを歌いたいですか、と言う。永田氏が電子ピアノ?で演奏してくれるらしい。
だが私は歌わない主義なので、丁重にお断りした。
だがしばらく経って、Hiw氏「酒と泪と男と女」を歌いだした。なるほど歌好きの人は、こうした場でも歌えるのだと、妙に感心した。
カツオのタタキが出る。カツオは2~3切れ食べると飽きがくるのだが、湯川邸の煮汁に浸してあって食べやすい。玉ねぎとの相性もよく、いくらでも食べられる。
揚げたての天ぷらも出された。エビとふきのとうだ。一口齧ると、サクッといい音がした。この音はなかなか出ないものだ。
宴もたけなわになった頃、恵子さんが
「じゃあこれからかくし芸をやります。時計回りで、私からやるのはどうでしょう」
と、妙な提案をした。
(3月2日につづく)