一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

公式棋戦の特別協賛<女流棋戦編>

2021-07-31 01:04:32 | 女流棋戦
タイトル戦に特別協賛名が冠されているケースの、きょうは女流棋戦編である。
女流タイトル戦には「杯」が付くものが多いが、実はそれがそのまま主催者というケースが多い。
それで「特別協賛」として篩にかけていくと、かなり少なくなってしまった。というか、ひとつしか残らなかった。
それが「岡田美術館杯女流名人戦」である。女流名人戦の主催はもちろん、報知新聞社と日本将棋連盟である。そこに1993年(第20期)、株式会社ユニバーサルエンターテインメントが特別協賛した。ユニバーサルエンターテインメントは、1979年12月10日設立。パチンコ機やゲームソフトの製造メーカーである。
女流名人戦は以降、アルゼ杯、ユニバーサル杯など何度か冠名が変わったが、2015年(第42期)からは同社が所有する美術館にちなみ、「岡田美術館杯」となった。ユニバーサル杯もいいが、岡田美術館杯のほうが「将棋」にしっくりきて良いと思う。
女流名人戦には半世紀近い歴史があり、その名称はいまでも最強のイメージがある。リーグ入りすれば自身の将棋を多く新聞に載せてもらえるのも魅力だ。今後の女流名人戦からも目が離せない。
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公式棋戦の特別協賛<男性棋戦編>

2021-07-30 00:29:17 | 男性棋戦
当ブログでは棋戦名に特別協賛名は記していない。タイトル名だけのほうが、重厚な感じがするからである。しかし日本将棋連盟のHPではその社名や商品名が記され、それが棋戦名の一部になっている。
具体的には、男性棋戦だと「お~いお茶杯王位戦」「ALSOK杯王将戦」「ヒューリック杯棋聖戦」である。なお王将戦は、2019年度に「大阪王将」が協賛し、「大阪王将杯王将戦」という香ばしい棋戦名になった。
きょうはこの4社のプロフィールを、各社のHPやウィキペディアを参考にして記しておこう。

【伊藤園】
1966年8月22日設立。お茶メーカー。
王位戦の特別協賛名に使われている「お〜いお茶」は、1985年「缶入り煎茶」として発売。1989年より現在のブランド名となる。テレビCMで新国劇の島田省吾がカミさんに向かい「お~い、お茶」と言うセリフが受け、そのまま商品名となった。
第62期王位戦より特別協賛。

【大阪王将】
1969年9月、「餃子の王将」ののれん分けという形で、大阪市にて、餃子専門店として営業開始。以後も大阪を中心に店舗を拡大していたが、2003年、関東に進出した。
キャベツ、ニンニク、しょうがは国産にこだわり、最適な素材を厳選している。大阪王将ブランドの冷凍食品も多数。
第69期王将戦で特別協賛。

【ALSOK】
正式名称は、綜合警備保障株式会社。1965年7月16日設立。日本屈指の警備業である。事業所は本社、10地域本部、64支社、37支店、253営業所を有する。
社内には多くのスポーツ部が存在し、オリンピックでは多くの金メダリストを輩出した。
第71期王将戦で特別協賛。

【ヒューリック】
1957年3月設立。不動産の所有・賃貸・売買ならびに仲介業務を行う。東京23区を中心にオフィスビルや商業施設を保有しており、その不動産賃貸事業が事業の中核となっている。
また近年では、高齢化、環境問題深刻化などの環境変化に対応するため、「3K(高齢者・健康、観光、環境)ビジネス」を新たなビジネスとして開拓している。
第89期棋聖戦より特別協賛。

「お~いお茶」はもちろん飲んだことがあるし、大阪王将のお店は、福岡県天神の支店で食べたことがある。ALSOKにも私たちが生活するうえでどこかでお世話になっているだろうし、ヒューリックもそれに近いものがある。
現在特別協賛している企業には、今後もそれを続けていってほしいと思う。
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7月4日の4時から男(後編)

2021-07-29 02:00:37 | 新・大野教室
多面指しは難しい。ふつうのアマは1局の将棋を脳内で考えるのが精一杯だから、そこに別の将棋が入り込む余地はない。だけど女流棋士などは、段位に関係なく、3面指しでも4面指しでも難なくこなす。さすがにプロを名乗るだけあって、この芸当には唸らざるを得ない。
飛車落ちの少年は、いつもの定跡通り。下手の仕掛けまでいつも同じ形で面白くないが、もし変化するなら、それは上手の義務だろう。
お嬢ちゃんもいつもの銀多伝。たまには平手で思いっきり指したいだろうが、いまは我慢してもらうしかない。
この将棋は、私が△8五金と寄り△9五金を見せた手に対し、お嬢ちゃんが▲9四歩(第1図)と伸ばしたのが好手。歩をすっと伸ばす感覚がいい。本局で私が最も感心した一手だ。

そこから一進一退の攻防があったが、最後は私が観念して、△2七銀(第2図・詰めろ)の形作り。

ここでお嬢ちゃんはしばらく考え、ハッシと▲2三竜。以下△同玉▲3二銀△1二玉▲2三金△1一玉に、▲2一銀成(第3図)が好手。

以下△同玉▲3二成銀△1一玉▲2二成銀まで、お嬢ちゃんの勝ちとなった。
お嬢ちゃんは亀の歩みながら強くなっている。このままいけば女流棋士も夢ではない。

少年との一戦は、中盤で私が相手の金を剥がしたが、それでも下手は銀冠が残って、堅い。しかも私も△6九金と変な形で残って、やはり飛車落ちの分だけ悪い。
そこで、△7三桂を守るべく△6三金と打ったのが悪手。ここは桂をあげてもいいから、△6一金と、▲5一馬と▲7一銀取りに打つべきだった。
本譜は△2四香の飛車取りに▲6五桂打(第1図)が厳しい。私は「しょうがない」と△2四香としたが、少年に「王手ですよ」と言われ愕然とした。王手放置で別の手を指すなんて、石田和雄九段みたいだ。

本来ならここで投了だが、続けさせてもらう。私は△6五同桂と取ったがこれも疑問っぽく、以下▲同桂△同銀▲同飛で下手優勢。そして最後は▲6五桂△4三玉▲6二銀成という手順で、私の投了となった。
続いて強豪女性と平手戦。うっかり振駒にしてしまったが、とんでもない。私が先手にしてもらった。
将棋は私の三間飛車に、女性の居飛車穴熊。私は▲5七銀形にしたあと▲4五歩と伸ばしたがこれが悪手で、すかさず△4四歩と反発された。こっちは▲3七桂を跳ねてないので、▲同歩△同銀に▲4五歩と打てない。ここで大きく形勢を損ねた。
いっぽう女性は△4二飛と増強して好調。これは負けたと思った。
その後女性がトイレに行き、しばらくしたあと、女性の持ち時間が減るのを潔しとせずチェスクロックを中断にしたのだが、今度は私のスマホに某所から電話が入り、盛大に中断になってしまった。
しかし戻ってみると、女性が△4四の銀を△3三に引いていた。私は攻勢に来られたらツブレと覚悟していたので、これはありがたかった。
私は▲4六歩とキズを消したあと▲5五歩から▲5六金と、高美濃の金を上がった。これはのちの▲4八飛を見たものだが、ちょっと下品だったようである。
将棋は難解な攻防のまま終盤に突入したが、▲3四歩の王手に女性が△2三玉と逃げたのが小ミスで、私は▲4五角と据え、次に▲3三歩成の両王手を見せた。
これが存外受けにくく、私の勝勢となったようである。
私の玉も▲1九に落とされたが、▲2七馬の存在が強大で、いわゆる「Z」状態。そのまま女性が投了した。
感想戦では本譜△4四歩で後手が大作戦勝ち。そのあとは△5五歩▲同歩△同銀▲5六歩△4六銀(参考図)を目指せば女性が必勝だった。

女性がひるんだあとは私の▲5六金が悪手で、大野八一雄七段に「▲5五歩は筋のいい手で感心したのに、ここは▲5六銀と立つ一手でしょう」と叱責された。大野七段がこれだけ怒るのは珍しいことで、それだけ私の▲5六金が悪かったということだ。
将棋は自然な手を指すのが一番、と教えられた。
これにてきょうの将棋は終わり。結局Shin氏とは指せなかった。やはり何人もの棋客と指そうと思ったら昼から行かなければいけないが、私も休日は録りだめしたテレビ番組を見なければならず、時間がないのだ。
食事は大野七段、W氏、Shin氏らと行く。「楽」は食後ものんびりできるので重宝なのだが、休み。トンカツ屋も休みだったので、町中華屋へ入った。
私はラーメンと半チャーハンのセットを頼み、美味しくいただいた。
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7月4日の4時から男(前編)

2021-07-28 00:44:13 | 新・大野教室
4日(日)は午前に、大野八一雄七段から教室へのお誘いの電話がきた。私がすさんだ生活を送っているので、見かねて手を差し伸べてくれたのだろう。
NHK杯を見終わったあとすぐに出るつもりだったが、面倒くさくなって、家を出たのは午後3時過ぎだった。つまり今回は「4時から男」で、指導対局なしの自由対局である。
3時50分ごろ教室に入ると、Shin氏やOk氏などいつものメンバーがいた。Shin氏が私と対局しようとしたがW氏が制して、私は少年と平手戦を指すことになった。
私の後手で、少年は石田流三間飛車を採用した。こうなれば私の作戦は決まっていて、△4五歩から△5四銀左の大模様作戦である。

△4四角(第1図)と出て、次に△3三桂~△2四歩と、こちらは指したい手がいっぱいある。ぐずぐずできない先手は▲6五歩△同歩▲同銀ときた。
これを△同銀▲同桂△6四歩は、▲7三桂成△同金▲7四銀がうるさい。
こんな攻めは簡単に振りほどけそうだが、意外に厄介で、私は考え込んでしまった。早指しの私が中盤でこれだけ考えるのは異例。結局、5、6分経っただろうか。そして指した手は、△6五同銀▲同桂に△6二銀(第2図)の辛抱だった。これで次に△6四歩から桂を取り切れば後手の優勢が確実となる。

そこで少年は▲6四歩から暴れてきたが、私は丁寧に対処し、優勢になった。
▲3四飛と出られた局面で△3三香、と打てば飛車を殺せたが、飛車切りの反動を気にして、私は△3三銀▲3六飛△3四香とする。しかし▲5六飛と逃げられ、その飛車を△7四角~△5六角と取りにいったのがおかしかった。この場合私の角は美濃崩しに絶好の駒。その角を投入して飛車を入手しても平美濃にはあまり使い道がなく、この取引は大損だった。
そこから少年が猛烈な追い上げを見せ、私も焦ってしまい形勢は急接近。否、少年がよくなったかもしれない。なるほどプロ棋戦でも若手がよく勝つが、こんな感じでいつの間にか体を入れ替わるのだと思った。
しかし私はここから最善手を連発したようで、再び私に勝機が転がり込んできた。そこで私に一失があったが少年が咎めきれず、これは私がはっきり勝ちになった。
最後は△7六桂(投了図)までで、少年の投了。私は僥倖の勝利となった。

先手玉が8八まで行ったのが、泥仕合を物語る。私としては、玉を1七辺りで仕留めなければならなかった。
2局目は青年と対戦。手合いは私の大駒落ちが適当だったようだが、青年は平手を希望。しかしこれはこれで、いい勝負になるものである。
将棋は相掛かりになった。実はこの指し方が私はほとんど分からず、軽い作戦負けになった。
▲7八金▲8八銀、△7六銀△8二飛の局面で、私は△5四角。これには8七の地点に対抗する意味で▲6九角を予想していたが、青年は▲9八角。何とも窮屈なところに打ったもので、これは私が有利になった。
その後青年が▲6八金と寄ったため△8七銀成が実現。これで私の優勢になった。
だが青年も▲2三に竜を作り、またヨリが戻った。だが△2二歩に青年が▲2六竜と引き揚げたのが悪手。ここは当然▲1二竜と潜るべきだった。
これで私の勝勢になり、以下私の勝ち。

投了図で先手玉に即詰みはないが、▲3九玉に黙って△2四馬と竜を取ればよい。
続いてW氏の指示により、二面指しとなる。いつもの飛車落ちの少年と、四枚落ちのお嬢ちゃんである。
(つづく)
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田中沙紀さんの女流棋士への道(8)「時は来た」

2021-07-27 01:21:44 | 新・大野教室
25日(日)に東海研修会が行われ、連盟HPにその結果が掲出された。では、田中沙紀さんの戦績を、5月9日からの勝敗と合わせて記してみよう。

5月9日 C1●、C1○、C1○、C2○
6月27日 C1○、中澤初段香●、B2●、C1○
7月11日 C2○、B2●、C2○、C1○
7月25日 C1○、C1●、B2○、B2○

25日の東海研修会、田中さんは3勝1敗だった。これで直近の15局を「11勝4敗」とし、B2昇級(=女流棋士)まであと1勝0敗とした。
勝敗を細かく見ると、C1には1勝1敗だったが、懸案のB2者に2勝した。やはり上位者に勝つと星が稼げるわけで、昇級がすぐに視野に入ってくるのが分かる。
さあ、いよいよあと1つである。5月と6月分の休会分を無視すれば、次の例会は8月8日(日)になろうか。ここは何としても勝たねばならぬ。そして当日まで、1日24時間、将棋の勉強をするしかない。そう、夢の中でも詰将棋を解くくらいの熱意が必要である。
当日は勝つ! 勝つ! 勝つ! これだけを考えればよい。
そしてめでたく女流棋士になったら、ごくごく内輪でひっそりと、お祝いパーティーをしようじゃないか。
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