一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

2012年・私の将棋10大ニュース

2012-12-31 00:32:05 | ランキング
大みそか恒例、「2012年・私の将棋10大ニュース」をお知らせする。

第1位 ある女性と、楽しい小樽の一日を過ごす(2月10日)
将棋には直接関係ないが、この2012年2月10日は、我が半生でいちばん楽しい1日だったので、ジャンルを越えて挙げることにした。
私の旅行はけっこうハードなのだが、この日はある女性が同行してくれることになった。彼女は歩くのが好きではないふうだったが、不満を洩らすことなく、私の行程に付き合ってくれた。彼女との食事、会話、ショッピング。彼女には指一本触れられなかったけど、すべてが楽しかった。彼女の人生に幸あれ。

第2位 楽しかった、稚内食い倒れツアー(6月7日~10日)
中井広恵女流六段の出身地、稚内にプロ棋士や棋友と繰り出し、将棋と食を楽しもうという企画である。3泊4日の行程だったが、地元愛棋家との交流あり、観光あり、海鮮三昧ありと、思い出深いツアーとなった。

第3位 ジョナ研のマドンナ・Ayakoさんが退職する(2月)
駒込ジョナサンのAyakoさんは、私たちがLPSA駒込サロンに遊びに行っていたときには、すでに店に勤めていた。そのAyakoさんが今年2月、店を辞めて沖縄に帰ってしまった。あの愛くるしい笑顔がもう見られないと思うとつらい。ジョナサンに行く楽しみが半分なくなってしまった。

第4位 秩父将棋合宿(5月18日~20日)
将棋合宿といえば「信濃わらび山荘」が定番だったが、今回は初夏の予約が取れず、Kun氏らの推薦で、秩父市の宿に白羽の矢を立てた。旅館「越後屋」は純和風の造りで趣があり、若女将も松尾香織女流初段に似て魅力的だった。
将棋対局は大広間を貸し切り。植山悦行七段らが麻雀を始めたときの、中井女流六段の呆れ顔が忘れられない。

第5位 信濃わらび山荘将棋合宿(11月2日~4日)
往復のクルマのほとんどで中井女流六段と一緒だったが、帰りのクルマの中で強烈な反撃を喰らい、タジタジになった。合宿は楽しかったが、今回はこの思い出しか残っていない。

第6位 Fuj氏が当ブログを大量にプリントアウトする(10月)
Fuj氏は当ブログの愛読者だったが、それが高じて、エントリのほとんどをプリントアウトしてしまった。それぞれのエントリに一言コメントを付け、これはと思う読者コメントもそのままプリントアウトする。それらをジャンルごとに分け、気になる点、疑問点があれば符箋を付けて、私に質す。
ここまでの愛読者がいるとは、信じられなかった。一公ブログ、以って瞑すべし、であろう。

第7位 大野八一雄七段が、第25期竜王戦で6組に降級する(10月12日)
昨年の12月に「竜王戦5組昇級焼肉大パーティー」を行ったが、あれから1年、すぐに6組に逆戻りとなってしまった。禍福はあざなえる縄のごとし。今期の活躍を期待するしかない。

第8位 中井女流六段が、女流王将戦と倉敷藤花戦の挑戦者決定戦で敗れる。
女流最強戦では3連覇を果たした中井女流六段だが、私たちが望むのはタイトルである。今年は女流王将戦と倉敷藤花戦で挑戦者決定戦に進出し、私たちに大きな希望を抱かせた。たが決定戦では、中村真梨花女流二段と矢内理絵子女流四段にそれぞれ敗れた。
中井女流六段は43歳。まだまだ老けこむ年齢ではない。来年の活躍を期待したい。

第9位 植山悦行七段が、第26期竜王戦6組の1回戦で勝利する(12月12日)
このままでは来年で引退の危機を迎えている植山七段が、竜王戦6組の1回戦で小林宏七段に勝利した。最近の植山七段には闘志が感じられなかっただけに、この勝利には本当に感動した。引退延長のためには5組への昇級が条件でありまだ先は長いが、今後の活躍に希望を抱ける、大きな1勝であった。

第10位 第6期マイナビ女子オープン予選抽選会で、山田久美女流三段の色紙を引く(6月27日)
室谷由紀女流初段の直筆色紙を引くべく出掛けたが、山田女流三段の色紙を引いた。いや山田女流三段だって、かつては林葉直子さんに匹敵する美少女だった。この色紙は大事にしたい。

別格 日本将棋連盟会長・米長邦雄永世棋聖逝去(12月18日)
将棋界の風雲児・米長会長が急逝した。日本将棋連盟会長に就任してからの言動は賛否両論あったが、現役時代の将棋に心酔した将棋ファンは多かった。合掌。

今年も中井女流六段、植山七段、大野七段、ジョナ研メンバーら棋友に、とてもお世話になった。心から感謝したい。これは虚礼でもなんでもなく、本心である。皆さまの存在がなかったら、私は無味乾燥な1年を送っていたであろう(まあ、それはそれでいいものだが…)。
さて来年の10大ニュースはどうなるだろうか。1年後のきょう、無事お知らせすることができれば、それ自体が快挙になると思う。私も来年はいろいろあるだろうから…ね。
今年1年、当ブログのご愛読をありがとうございました。よい年をお迎えください。
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聖夜の将棋寄席・ブログバージョン(後編)

2012-12-30 00:08:13 | 落語
中に入ると、年配の演者がマジックをやっていた。「大山十五世名人が…」とかやっている。将棋寄席では、ネタの中に将棋を盛り込むことが必須になっているのだ。
ところで将棋寄席といえばあっち亭こっち氏(長田衛)が一番手と決まっている。氏の軽快な落語を聞きもらしたのは痛かった。
年配の演者はアタチ稔氏(後藤稔)。いただいたプログラムには「Mr.マリックの素人弟子です」と書かれていたが、その芸風はマギー司郎の弟子といった趣であった。
私は小さくなって、最後方右の席に座った。右の塀際のベンチには、M幹事がいた。そして私のナナメ前には窪田義行六段が座った。いつになく服装が地味だが、米長邦雄永世棋聖の告別式に参列してきたのだろうか。
今回私は手ぶらで来たのだが、筆記用具を忘れてきた。ブログ用にいろいろメモをしたかったのだが、こうなったら、要所は脳裏に刻むしかない。しかしこの「忘れ物」が、後に大きな後悔になるとは思わなかった。いや、嫌な予感はあったのだ…。
ところでプログラムを見ると、将棋ペンクラブ会長・木村家べんご志氏(木村晋介)とバトルロイヤル風間氏の名前がない。ともに将棋寄席以上の予定があったのだろうが、二枚看板の欠場に、寂しさは否めない。
3番手は、第6回から参加の桂扇生。落語は「幇間腹」。ペンクラブ会員の落語もうまいが、真打ちの落語を聞くと、さすがにプロは違うと唸らされる。
続いては神谷広志七段の「辛口トーク」。聞き手は湯川恵子さん。恵子さんはピンで落語がしゃべれる実力者だけに、贅沢な配役である。神谷七段は、米長永世棋聖、加藤一二三九段らの大御所を肴に、爆笑トークを繰り広げる。それでいて泣けるパートもあり、短時間ながら中身の濃いトークであった。
仲入りでは、入場券の半券で棋書などが当たる抽選会があった。私は今年もダメ。どうも将棋寄席ではヒキが悪い。
ここで2次会の参加が募られる。私はどちらでもよかったのだが、まだ空きがあるとのことだったので、申し込んだ。参加費3,500円也。
仲入り後は、お囃子担当の鶴田やよいさん。ふだんは裏方だが、どうしてどうして彼女の演芸が絶品だった。三味線の合間のおしゃべりが、キレがあって楽しい。顔よし声よしスタイルよし。お囃子にはもったいない、いいオンナであった。
トリは、我が仏家シャベル氏(湯川博士)の「藪入り」。シャベル氏の落語を聞くのは2年ぶりだが、シャベリに格段の磨きがかかっていたのに驚いた。シャベル氏は人情話をやらせたら天下一品だ。
最後は演者が勢ぞろいし、将棋寄席恒例の3本〆で幕となった。
2次会は、歩いて5分のところにある居酒屋で行った。神谷七段夫妻、窪田六段も参加。将棋ペンクラブを応援してくださる棋士はいっぱいいるが、イベントがあるたびに参加してくれる窪田六段の精神は尊いものがある。
私は奥の方に座ったのだが、湯川幹事が来てくれた。
「おお大沢君、きょうはありがとう」
「はあ、どうも」
「そうだ大沢君、きょうのレポート書いてくれよ」
うわっ。来ましたか…。私は3年前にも「将棋ペン倶楽部」に将棋寄席のレポートを書いたことがあるが、それはどうなのだろう。だから「もういいんじゃないか?」などとは言えない。あの顔で頼まれると、断れないのだ。「2頁でいいよ。あとは彼女(写真家の岡松三三さん)の写真で何とかするから」
「……」
「3頁でもいいよ。好きなだけ。じゃあよろしく頼むよ」
「はあ」
いやー、しまった。ここにきて、筆記用具を忘れた弊害が出た。レポートをしようにも、重要な事柄はほとんど喪失してしまった。〆切りは1月末日。どうしようか…。
乾杯のあと、幹事の長田氏が、参加各者にきょうの感想を聞く。神谷七段夫妻は浜松に帰るべく席を辞していた。それでも私は、あっち亭こっち氏の落語を聞けなかったことと、神谷七段のトークが面白かったことを話した。
説明が前後するが、私のナナメ前は「近代将棋」元編集長の中野隆義氏。正面の女性は誰かと思いきや、中野氏の奥さんだった。私の左はOs氏。関東交流会などでよくお見かけするが、対局はもちろん、しゃべったこともない。名前もうろ覚えだった。
しかし鍋を囲めば何とかなるもので、2つ3つ話をした。みんな酒も入って、にぎやかな会となった。
散会は10時半。やや色気はなかったが、将棋ペンクラブならではの、楽しいクリスマスイブであった。
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聖夜の将棋寄席・ブログバージョン(前編)

2012-12-29 00:36:51 | 落語
24日(月・振替休日)は、年末恒例の「将棋寄席」があった。これは将棋ペンクラブの会員有志が芸人となって、演芸場でネタをやるものである。回を重ねて今回が9回目であった。
将棋寄席といえば、「12月28日・浅草木馬亭」が定番だったが、冒頭に記したように、今年は12月24日開催、場所も「お江戸日本橋亭」に変更になった。
どういう理由で変更になったのかは分からぬが、場所の日本橋はともかく、開演日が24日とは、ペンクラブもずいぶんな賭けに出たものである。さすがにこの日は、「都合がある」という人が多いのではなかろうか。もっとも私には一切関係なかったが…。
24日は、かなり危険な年賀状を数枚書き、そろそろ出ようか、というところに建設会社のアポなし営業が来て、ひどく気分を害しつつ、私は家を出た。
「お江戸日本橋亭」は東京メトロ日本橋駅A10出入口からすぐらしい。しかし自宅最寄駅からだと、JRで神田駅に出たほうが早いようだ。
神田といえば、立ち食い蕎麦屋が数軒ある。寄席を楽しむ前に蕎麦でもたぐっていきたい気分である。粋だねえ。店は久しぶりに「小諸そば」がいい。
京浜東北線に乗ってそんなことを考えていたら、神田駅に止まった電車が、ドアを閉めて発車してしまった。
あっ、しまった…。ボーッとしてて、降りるのをうっかりしてしまった。
まあよい、次の東京駅からでも日本橋に行ける。東京で下車、八重洲口に出る。きょうはクリスマスイブだが、オフィス街ということもあって意外に地味だ。これが丸の内側なら、街ももっときらびやかだったろう。
現在午後5時47分。寄席の開場はたしか6時だったから、開演は6時半だろう。開場直後に着くのも味が悪いから、これから蕎麦をたぐって向かえばちょうどよい。しかし小諸そばが東京駅近辺にあるだろうか。
神田方面に歩いていたら、道路の反対側に小諸そばがあったので、横断歩道を渡り、入る。
小諸そばは芝浦にもあり、LPSA芝浦サロンに入る前にはよく腹ごしらえをしていた。今回はそれ以来だから、かなり久しぶりだ。
この支店は食券の自販機がなく、入口のレジで注文して、おカネを払う方式だった。メニューには「二枚もり」があり、芝浦店と同じ290円だった。デフレの時代とはいえ、この値段が各店で定着しているようで、ありがたいことではある。
時計を見ると6時5分前(5時55分)である。まずまず予定通りだが、蕎麦をいまからゆでているようで、若干の時間を要した。
出された蕎麦はゆでたてだったので、しこしこつるつるで、美味かった。立ち食い蕎麦屋も「富士そば」や「ゆで太郎」、駅構内の「あじさい」などいろいろあるが、小諸そばがいちばん味がいい。
ところで食事中、暖簾が下げられた。休日ということで、6時までの営業だったらしい。私は滑り込みセーフだったわけだ。
さて、お江戸日本橋亭に向かう。日本橋駅に着いて、しばらく歩くとA10出入口があった。しかしそこからが分からない。
近くにコンビニがあったので聞いてみると、「すぐそこを右です」と教えてくれた。
お江戸日本橋亭は、ビル群の一角にあった。なぜこんなところに寄席が…?と思うがそれは逆で、昔はこのあたりに寄席があるのが自然で、それが後にビル群となったため、寄席が異彩を放つようになってしまったのだ。
この関係、ウチとその周りの環境に似ている、といえなくもない。
お江戸日本橋亭は、周りが総ガラス張りで、下駄箱が見えた。現在6時17分である。まあまあの時間であろう。
奥の受付に行くと、窪田義行六段の姿があった。ちょうど来たところらしい。挨拶をしようかと思ったが、窪田六段は私のことを知らないだろうから、止めた。
木戸銭2,000円を払うと、受付の旦那が「もう2つめ(の演目)が始まってるから」と、予約料金の1,800円を適用してくれ、200円のおつりをくれた。
…ウン? そ、それはありがたかったが、寄席は6時半からじゃないのか!? あ! まさか…開場はもっと前で、開演は6時からだったのか!? きっとそうだ!!
やってもーた…。私は顔をひきつらせながら、寄席のドアを開けた。
(つづく)
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腹の立つ話

2012-12-28 00:04:59 | プライベート
私の住んでいる家は下町の一軒家だが、最近はこの地域もマンションがドカドカ建って、見渡せばすっかり空が狭くなってしまった。
我が家は「特A」のターゲットなのだろう。当然ウチにも建設会社から、電話やら営業やらが来る。ポスティングも頻繁にある。週に1回は入っている。
ある日の電話。
「大沢さんのお宅ですか?」
「はい」
「向かいのお宅の駐車場なんですけど、土地活用の予定があるとかそういうの、ご存じないでしょうか?」
「は? いやそういうのは分かりません…」
しばらく話したところで、先方が話を変える。
「ところで、お宅はどうでしょうか?」
「……。あんた、ホントはそれが聞きたかったのか!」
「……」
営業も失礼なのが多い。当然アポなしで訪ねてくるのだが、「いやあ~、こういう家を見ると、マンションが建った景色を想像しちゃうんですよね」。
こんなことを言われてこちらがどういう気分になるか、まったく分かっていない。
別の営業男。工場内は機械が動いてるから入るな、と注意しているのにズカズカ入ってきて、「ああ、広い敷地ですねえ」とほざく。危ないんだよあんた!
別の会社の営業男は、断っても断っても、3回営業に来た。「もう迷惑ですから。困りますから」と言っても全然利かない(ここは「利かない」の漢字でよい)。こっちが拒絶するたびに営業男は「すみません」と平身低頭なのだが、それでも翌週にまた訪ねてきたりする。
この会社はコロコロ地域担当者が変わるようなのだが、しばしこのパターンが続いた。そしてこの会社……実名を挙げてもいいのだが、武士の情けでそれだけは勘弁してやる。この会社がいちばんしつこい。テレビでもコマーシャルを流している、そこそこ名の知れた会社なのだが、とにかくしつこい。もう10年以上、1~2か月と空けず、電話やアポなし営業を仕掛けてくるのだ。
今月の上旬だったかも、電話が来た。この地域の担当になったので挨拶に行きたい、というから私は当然断った。以下は私の憤り。
「もう困ってるんです。あのねえ、おたくだけですよ。ほかの建設会社は、2、3回断ればピタッと営業を止めますよ。だけどおたくはここ数年間ずぅっとじゃねえか。嫌がらせじゃねえか!
…どうしたらいい。ウチはおたくからの営業から逃れるために、どうしたらいい? 警察に相談しようか。ねえ、そうしようか?」
これだけ電話口で脅かしても、その日の午後に、だ…の営業男が訪ねてきたのには呆れた。
この日の電話でのやりとりをオヤジに話したら、「そんなことを言ったらダメだよ」と呆れられた。「だから向こうも意固地になって営業してくるんじゃないか」。
オヤジは暢気に構えているが、向こうは本気だ。私が彼らに最も応対しているから分かる。彼らには狂気すら感じるのだ。
それが証拠に、今月24日夕方。これから将棋寄席に行こうか、というとき、またもだい…の営業がアポなしで来た。クリスマスイブの夕方に…。バカじゃねえか!?
これは違反だろう。祝日の12月24日は、営業しちゃいけない日だろう!?
この日はオフクロが応対したが、「撃退」したふうではなかった。
そしてきのう27日の朝。またもだいと…から電話が来た。ここまで来ると、背筋に寒いものが走る。
「…あのねえ、もうおたくの電話は断ってるでしょ。なのにおたくは何年間も…こんなに断ってるのになんで分からないの!? 今月だけで何回目だよ、嫌がらせかよ! おたくだけだよ、こんなにしつこいの! もうキチガイだよ。●●だよ! オレだって営業の経験があるけど、ダイワハウスだって長谷川コーポレーションだってセンチュリー21だって、2、3回断ればそこからピタッと電話掛けてきませんよ! それなのにおたくはどうしてそうなの! バカなの!?」
「すみません、横の繋がりがないもんで」
「繋がりじゃないんだよ、前から言ってるじゃないか! 分かっててやってるんじゃないか!」
「すみません」
「すみませんじゃないんだよ。おたく、そうやって謝ってるそばから営業に来るじゃないか! 警察呼ぶと言っても来るじゃないか!
…オレね、ブログやってるんだ。これからおたくが営業に来るたびに、ブログに上げてやろうか! またしつこい営業されましたって書いてやろうか!
…おたく、田舎はどこ?」
「いやそれは…」
「どこ!!」
「九州です」
「九州の田舎から出てきたもんに、ウチをどうこうされる謂われはないねえ! そんなにマンションが建てないなら田舎に戻って、自分チの周りを営業すればいいじゃないか!!」
「……」
「いいか! 数十年後に万が一この家を建て替えることがあっても、絶対におたくには話しない。分かったか!!!!!」
最後は自分の言葉自体に激昂し、電話口の彼に罵声を浴びせて、私は一方的に受話を切った。
電話でも言ったが、私も広告代理店に勤めていたときは、1日中営業電話を掛けたこともあったから、相手の気持ちは分かるつもりである。しかしこの会社の営業攻勢は度が過ぎている。あまりにもしつこい。さすがに今年はもう電話は来ないだろうが、これだけ言ってもこの会社は、来年も何事もなかったかのように、営業してくるのだろう。ああ、また「嫌がらせ」が続くのかと思うと、憂鬱でならない。
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上野裕和五段は、ハリセンボンの蓑輪はるかに似ている

2012-12-27 00:03:08 | 似ている
26日夜は「超タイムショック!!」を観たが、問題の途中でCMに入るのはやめてほしい。それはルール違反である。絶対にやめてほしい。次回あれをやったら、チャンネルを替えるよ。

おととい上野裕和五段の著書について書いたばかりだが、その上野五段は、お笑い芸人・ハリセンボンの蓑輪はるかに似ていると思う。
蓑輪はるかは先日、「踊る!さんま御殿!!」のクリスマススペシャルに出ていたのだが、最近どこかで会った気がしたので妙だなと考えたら、上野五段が浮かんだのだった。いままで女流棋士を中心に発表してきた「似ているシリーズ」だが、初の男性棋士編というわけである。
蓑輪はるかは1980年1月1日、東京都府中市生まれの32歳。2004年、相方の近藤春菜(1983年2月23日生まれ)とお笑いグループ「ハリセンボン」を結成。その後はテレビや舞台などで幅広く活躍し、いまに至っている。
上野五段(35歳)と蓑輪はるかは年齢も近いし、顔のパーツ、物静かな雰囲気、穏やかな笑顔、やせ型の体型と、すべてが似ている。なお蓑輪はるか本人は、「女優の堀北真希に似ている」というが、それなら上野五段≒堀北真希、となるがどうだろうか。
蓑輪はるか…ハリセンボンは、派手な活躍はないが、着実に実力をつけている感がある。この調子でこれからも頑張ってほしい。
また上野五段は順位戦C級2組在籍で、降級点2つ持ちで今期を迎え、いきなり5連敗した。しかしそこから2連勝して巻き返してきている。来年の対局も期待したい。
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