一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

67たび大野教室に行く・中編

2014-05-31 01:28:54 | 大野教室
29日の倉敷藤花戦・清水市代女流六段対渡部愛女流初段の一戦は、渡部女流初段の勝ち。渡部女流初段にはお約束どおり、後日、勝手にプレゼントを贈らせていただく。渡部先生、挑戦権目指して頑張ってください。

(きのうのつづき)
小学生君はさらに▲7七桂。先ほど大野八一雄七段との将棋をチラッと見たが、それとほとんど同じ将棋である。
さらに指し手が進んで、これらは端攻めの狙いということが分かった。私は美濃囲いに組んでいたから、ちょっと端が弱い。
果たして小学生君の猛攻が始まった。しかしそこは私が誤魔化し終盤に突入、何とか勝てた。
感想戦。小学生君の端攻めの構想はともかく、金が四段目に上がる形がいいとは思えず、私はそこだけ注意した。ところがFuj氏によると、この手は「将棋世界」の別冊付録で、小林健二九段が解説していたという。それでは私が口を挟む余地はない。…ないのだが、やはりこれが本筋の指し方とは思えない。
早指しだったので、もう一局指すことにした。私はもちろん三間飛車。小学生君はまたも中飛車から、▲5六金~▲7七桂である。さらに▲9七香から▲9八飛。一局目と同じである。小学生君、この戦法に魅せられてしまったようだ。
今回は私も対策を用意している。△7三銀~△8四銀~△5一角とし、万全の迎撃体制を整え、実戦も私の受け勝ちとなった。
さて2局指したが、ちょっと残念だった。というのは、先にも書いたが、私に三間飛車を強要するからには、小学生君が三間飛車破りで来ると思ったからだ。
だが本譜の指し方では、私がどこに飛車を振ろうが関係なくなっている。実際彼は超早指しで、私の手の意味すら考えていなかった。付録の攻めが通用するかどうかを試すだけの感じだった。これで、実戦を指す意味があったのだろうか。「小林流」が指したければ、共同研究の場で披露すればよかったのではないか…。と、小学生相手に、真面目に考えてしまった。
彼とまだ指してもよかったのだが、急造手合い係のFuj氏の指示で、私とIi君がリーグ戦を指すことになった。
Ii君は大野教室の秘蔵ッ子で、もう大学生だからトウが立っているが、将来アマ名人も狙える逸材である。私が教室に通い始めたころはIi君といい勝負だったが、最近は差がどんどん開き、実力の違いを感じる。ただ、同じ負けるにしても一手違いにはしたかった。
どう考えても私が先手のはずだが、なぜか振り駒となり、私が後手になった。
私は三間飛車に振る。Ii君は▲5七銀左から▲4五歩。そして▲2四歩。これに△同角と取ったのが私の工夫だ。どうも▲4五歩早仕掛けには、△2四同角がいいような気がする。
▲2五桂の銀取りに、△4四歩のカウンターパンチ。以下銀桂交換になったが、△8四桂が期待の一手で、▲8五銀△7三桂▲8四銀△同歩となっては、△3三の銀が駒台に乗った計算になり、これは振り飛車十分になったと思った。
しかし▲3五歩が味わい深い好手。私は指す手が分からず△5五歩。以下▲3四歩△5七角成▲同金△4五桂と捌く。▲5八金引△3七桂成▲2三飛成△4四飛▲5五角。私は勢い△4七飛成▲同金△同成桂。この局面も振り飛車悪くないと見ていたのだが…。

以下の指し手。▲4一飛△4二歩▲6一飛成△同銀▲7一角△同玉▲7三竜△7二銀▲6三桂 まで、Ii君の勝ち。

▲4一飛が厳しかった。△4七成桂取りなので何か受けなければならないが、先手は▲6一飛成と▲6四角と出る手を絡めて、後手に受けがないように思える。
とりあえずは△4二歩と受けたが、やはりIi君は▲6一飛成。しかしそのあと、▲7一角には驚かされた。こんな速攻があったのか。▲6四角とばかり思っていた。
是非ない△7一同玉に▲7三竜△7二銀。ここで▲8二金かと思いきや、先に▲6三桂。何と、これで後手玉は即詰みである。いや、こんな気持ちのいい寄せがあるとは思わなかった。
感想戦に入るが、中盤▲3四歩に△5七角成が焦ったようで、単に△4五桂跳ねがよかったらしい。ただそれでも、後手難局だった。
それにしたって本譜の順も、後手はもう少し工夫のしようがあったのではないか? 本譜はあまりにも簡単に潰されている。まあそれが実力の差といえばそれまでだが、何か釈然としないものがあった。
(家に帰って思ったのだが、△4二歩では△4三歩があった。これは成桂を守るとともに竜の横利きも消して、一石二鳥である。これなら先手は▲1二竜だろうが、△5一歩と守る。後手は金銀4枚を持っているのが強味だ。次は△5七銀や△5九銀があり、けっこう後手もやれたのではないか。△4三歩なんて平凡な手なのに、どうして見えなかったのか理解に苦しむ。これも負け下になっている弊害だろうか)
ただ、いかな強豪のIi君といえども、アマチュアであり、私がしっかり指せば、そこそこ指せることを改めて感じた。次に彼と指すのが楽しみである。
(つづく)
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67たび大野教室に行く・前編

2014-05-30 00:30:07 | 大野教室
24日(土)は、埼玉県川口市にある「大野教室」に行った。同教室は第1、第3の土・日曜日の開講だが、今年はゴールデンウィーク中の営業を止めたため、それぞれ第2、第4にズレた。
教室には午後1時半過ぎに入った。大野八一雄七段は4~5人に指導対局を行っておりまずまず人も多かったが、先日ほどではない。
きょうは植山悦行七段から教えていただく。手合いは今回も平手。この手合いがよく分からぬが、植山七段が駒落ちを指したがらないのだからしょうがない。
▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀。△6二銀に▲2六歩。温故知新である。「むかしの矢倉ですねえ」と植山七段がつぶやいた。
植山七段は△5三銀右と急戦の構え。△5五歩に▲同歩は注文通りなので、今回は▲5七銀と変化してみた。
△5六歩▲同銀△5四銀に▲2五歩。ここで植山七段は△7五歩。1秒も読んでない手で、シビれた。
これを▲同歩は△7六歩▲同銀△6六角で下手悪い。やむない▲6七銀に△7六歩▲同銀右となっては、金銀4枚が左に偏り、作戦負けは免れぬ事態になった。
私は▲7五歩とフタをするが、その歩を狙って上手は△6三金と進出してくる。私は1歩損を甘受して金銀交換となったが、今度はその銀を△5六銀とかぶせられ、いよいよ苦しくなった。私は泣きの涙で▲4六金。
植山七段は「大沢流ですねえ」と苦笑したが、これは植山七段の余裕の表れである。もうこの将棋は負けたと思った。
何度目かの金銀交換ののち、私はまたも▲4六銀と耐える。△7五同飛には△8七金を防いで▲7八玉。△2五飛の転回には屈服の▲2八歩。ホントに辛い。
植山七段△3六飛。これは△3七飛成(と桂を取る)▲同銀△5五桂の強襲を狙っているのだろう。それを防いで私は、▲5六銀と歩をはらって耐えた。実は本局、いちばん印象に残った手がこれである。上手のいちばんの戦力は「歩」。こういう素朴な攻め駒は、摘み取ってしまうのがいいのだ。
△7三桂には角道を遮断して▲5五歩。とにかく忍の一字である。
植山七段は△7六金と打つ。次に△8七金打があるので、私は▲7六同金。△同歩には▲7五金もあったが、私は▲6七玉と逃げ越した。
植山七段は△2六角と覗く。△3七角成▲同銀△同飛成となれば、次に△7五桂もあって下手はもたない。
私は▲3三歩△同桂を利かして▲2七金だが、こんなところに金を使うようではダメだと思った。ただ、たまたま横で見ていたFuj氏は、下手が悲観するほどでもない、の言だった。
植山七段は飛車角を切って、△7五桂から△7四金と縛る。私は▲5二角と打ち、寄せられたらしょうがないと開き直った。
植山七段は△8七銀から△6七歩。次に△7六金までの詰めろだ。上下から挟みうちにされ、やっぱり負けか、と思った。

図以下の指し手。▲7六歩 まで、一公の勝ち。

私は、敵の打ちたいところに打て、と▲7六歩と打った。単に頭金を防いだだけの手だが、△7八金は▲同飛△同銀成▲同玉で下手玉に詰みはなく、上手玉は▲4一飛~▲2一金の詰めろがかかってしまう。
植山七段は「▲5二角が銀なら△8五桂~△8六金で詰むんだが…」とつぶやく。
ややあって、そのまま投げてしまった。
「(あまり形勢がよすぎて)温泉に入っちゃったよ」
が投了後の第一声。そして「ここ(▲7六歩)は▲6七銀と指すでしょう。だって▲7六歩と打っても▲7五歩と取れないんだもん」と続けた。
「はあ…。でも先生、(▲7六歩で)投了されたじゃないですか」
と私も反論する。もちろんどちらも、苦笑しながらの発言である。
しかし本音を言えば、終盤までホントに私の負けだと思っていた。この将棋を何で勝てたのか分からぬ。その中であえて勝着を挙げるとすれば、▲3三歩△同桂の利かしを入れたことだろうか。これがなければ上手になかなか詰めろがかからず、下手が負けていただろう。
私が敵陣に侵入した駒は、この▲3三歩と▲5二角のみ。この2手が実に効果的だった。勝ちに不思議の勝ちあり、とはよく言ったものだ。
ここで3時休み。きょうはW氏が休みのようだ。いろいろ忙しいのだろう。
そしてもうひとつ、きょうは女流王座戦一次予選の一斉対局が行われている。Fuj氏などはそれが気になって仕方ないふうだ。
私は和田あき女流3級とHanaちゃんに勝利者賞を懸けているが、和田女流3級は午前中に渡部愛女流初段に屈し、Hanaちゃんもまた、船戸陽子女流二段に負かされていた。
「よかっ(た)…あっ!!」
思わず本音が出そうになり、私は慌てて口をつぐむ。まさか土壇場になって賞品を進呈するのが惜しくなったとは言えず、誤魔化すのに苦労した(ただし…。後日棋譜を見たが、Hanaちゃんの将棋はちょっとひどかった。Hanaちゃん、本気で女流棋士を目指しているなら、いまの将棋ではダメである)。
対局再開。きょうは新規の小学生が来ていた。4月から始まった「女性教室」はほとんど生徒が集まっていないが、こちらは相変わらず盛況である。
大野七段によると、棋力は初段程度らしい。そこで私と平手で指すことになった。ただし、小学生君はライバルが三間飛車の使い手だそうで、私が仮想敵として、三間飛車に振ることが条件となった。
対局開始。と、小学生君は中飛車に振ってきた。これは意外である。対三間飛車を望むから、てっきり私は、彼が三間飛車破りを実践したいのかと思ったのだ。
小学生君は早指しで▲5六金~▲6六角。
何だこれは!?
(つづく)
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臨時「勝手にマッカラン勝負」開催

2014-05-29 00:20:07 | 女流棋士
日付変わってきょう29日(木)は、清水市代女流六段―渡部愛女流初段戦、中倉宏美女流二段―伊奈川愛菓女流初段戦(いずれも倉敷藤花戦)がある。
前者のふたりは1か月前、女流名人リーグで顔を合わせている。そのときは相居飛車の将棋から清水女流六段が競い勝ったが、中盤までは渡部女流初段が十分の形勢だった。
とにかく渡部女流初段にとって清水女流六段は難敵だが、ここは再び存在感を示すチャンスでもある。
私見では、渡部女流初段は将棋のセンスがいいと思う。清水女流六段のそれにはあえて触れぬが、まあ、推して知るべしである。渡部女流初段の中、終盤の読みも清水女流六段のそれに劣っているとは思わない。きょうももちろん、十分勝機はあると思う。
将棋会館での対局はアウェーだが、幸いきょうは、同じ部屋に宏美女流二段がいる。女流将棋はこの2局だけなので、渡部女流初段も落ち着いて将棋が指せるのではなかろうか。
そして本局、渡部女流初段が勝てば、倉敷藤花戦2連勝となる。そこで当ブログでは、「臨時マッカラン勝負」を行うことにした。すなわち渡部女流初段が勝ったら、勝手にマッカラン(に相当するもの)をプレゼントしてしまおう、というものである。
…とこんなことを書くと、「私は?」とか宏美女流二段が不満を洩らしそうだが、宏美女流二段は最近成績が悪いので、今回は我慢していただく。
ともあれLPSA所属の2女流棋士は、本日は頑張ってもらいたい。応援しています。
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内視鏡検査を受ける・後編

2014-05-29 00:06:27 | プライベート
まあ鼻だろうと口だろうと、管が食道を通ることに変わりはない。もう引き返せないので、そのまま検査を受けることにした。
まず、胃の洗浄液を飲む。続いて喉への麻酔である。やはり生では挿入できないのだ。念には念を入れる意味で、もっと強い麻酔薬を飲む手もあったが、それをやると午前中はふらふらするらしいので、そちらは遠慮した。第一、大の男がそこまで面倒を見られたくない。
液状の麻酔薬を舌の奥にピュッとかけられる。頭を壁につけてしばらくいると、液が舌をつたって喉に達し、オエッとなった。早くも前途多難である。
心臓を下にして横になり、マウスピースを咥える。いよいよである。
「検査中は唾を飲み込めないので、そのまま外へ流してください」
と先生が言う。私がポケットに手をやると、女性看護師さんサッとティッシュをくれた。いまはこの看護師さんが唯一の癒しである。
先生が管を挿入してきた。ノドチンコのあたりは麻酔が効いており問題はなかったが、先端が食道に入ると、さすがに異物を感じた。
管の直径は数ミリだから問題はないのだが、食道の直径スレスレに挿入されている感じである。
さらに管が進んで、やはり苦しくなってきた。息は、鼻で吸って口で吐く。深呼吸の要領だ。分かってはいるのだが、忘れてしまう。やがて窒息状態?になり、瞬間、中断を申し出ようかと思った。が、すんでのところで息を吸い、窮地を脱した。
管は胃に入った。緊張すると全身の筋肉が硬直してよくない。リラックスが求められるが、どうするか。先日の大野教室のアフターで難解な詰将棋を出題されたのだが、それを再び脳内で解いてみる。しかし何度やっても同じ読み筋で堂々巡りをしてしまう。どうも詰将棋の解図はカラダによくないようだ。だが1分は稼げただろうか。
検査の時間は早くて5分、長くて10分とのことだったが、まあ10分は覚悟しなければなるまい。ゴールはまだまだ先だ。
胃を空気で膨らませる。少し苦しくなった。もう、我が運命は先生の手に委ねられている。
胃から十二指腸に移った。行きは鈍行だが帰りは快速だろうから、もう半分は過ぎたはずだ。私も呼吸の要領が分かり、少し余裕が出てきた。
ついに折り返しである。先生がいろいろ説明してくれるが、それを私はうつろな目で聞いている。傍で見ると、私は相当情けない格好なのであろう。
管が胃、食道を戻ってくる。やはり帰りは「快速」である。スッという感じで、管が喉を抜けた。
ふう…やっと終わった。マウスピースを外すと、ドロッ…と、大量の唾液がこぼれ出た。なんかこう、一仕事やり遂げた感じである。看護師さん、頑張ったオレを見てくれたか、という感じである。自分がヒーローになった気分だった。

しかし本題はここからである。検査の結果が最悪だったら、ここまでの苦労が水の泡になってしまう。
約20分後、診察室に呼ばれた。先生がパソコンのモニターを見ながら、先ほどの画像を流す。
「ここが食道、ここが舌ですね…」
私は興味深く見守る。いよいよ自分の体内を見学するのだ。モニターが次の画像を流す。「食道のここ、ここにわずかな筋が見えますね。それでちょっとイヤな予感がしたんですよ」
先生がミニ人体模型を指しながら説明した。
見ると、灰色に見える食道に、何本かの細い筋が入っていた。普段は光の当たらない場所を、私は見ている。それが不思議極まりない。
画像が先に進むと、その線がだんだん太くなってゆく。しまいには、胃の入口あたりでパアッと赤くなっていた。
先生が模型の下に添付されている写真を見せる。そこには6枚の食道と思しき写真があった。左の2枚はセーフだが、右の4枚がやばい。粘膜が赤くなっており、明らかに病巣であることが分かる。番号は「Grade1」から「4」まで振られてあり、先生は
「これじゃあ辛かったでしょうねえ。ここ(3)とここ(4)の間ぐらいですかねえ…」
と言った。…が、ニュアンス的には「4」だった。我が食道は、そんなにヒドイことになっていたのか!! やはり逆流性食道炎のようだった。1年前に診てもらえばと後悔したが、それも自分の選んだ道である。
「胃もちょっと赤いんだが…。ま、大丈夫でしょう」
胃は3月の区の健診で「白」と出ている。さすがに問題はないと思う。
十二指腸の入口に達するが、ここは「一方通行」で、食物が通るとき以外は閉じている。もちろん逆流したら困るからだ。このあたり、人間、というか生物の体はよくできていると思う。
画像は胃に戻ってきた。レンズが自分自身の管を映している。管の直径は7mmだそう。意外と細いと思った。1cmはあると思っていた。
ポリープが7個出来ていたがこれは良性で、切除の必要はないとのこと。ポリープは紫吹淳もできていたから、心配しなかった。
ただ、食道から胃に至る出口が、私の場合は少し開いているという。これは生まれつきのものらしく、ために、食物や胃液が逆流しやすかったようだ。
これにて先生の説明は終わり。我が体内は神秘の世界というか、何か小宇宙のごとくだった。これを見れば、もう少し内臓をいたわらなければと思う。暴飲暴食は止められないが、せめて食物ぐらいはよく咀嚼して飲みこもうと思った。
治療は、前日にいただいた錠剤をそのまま飲み続けることで収まった。これは2か月前に処方された薬と同じ。外科手術の類にならず、とりあえずは一安心である。ただ、この錠剤だけで完治するのか、いつまで通院するのかは不明である。

今回私は不幸中の幸いだったが、だから皆さんも早期検査を受けてください、とは言えない。
私は今回のほかにも慢性的な「不便」があるが、それを改善しようと思えば、いやな反動も伴う。結局、どうしようもなくなったときに初めて、然るべき処置を取ることになるのだろう。
それで手遅れになったらしょうがない、それも運命である。
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内視鏡検査を受ける・前編

2014-05-28 00:25:39 | プライベート
一昨年の夏からだか秋からだか、ふだんの生活の中で、「オエッ」とやるようになった。
オエッ、ゲホゲホ。
あまりにも頻繁にやるので両親も心配して、医者に診てもらえとうるさく言ってきたが、医者は怖くてかかれない。
そのうち2013年の区の検診になり、胃や肺の結果は「異状なし」だったので、そのまま何もせず放置していた。
ところが今年の区の検診の直前の3月中旬に、食道に強い違和感を感じ、私はついに、医者に診てもらった。
結果は「逆流性食道炎の疑い」の雰囲気。2週間分の薬を処方してもらった。
薬はよく効き、違和感もなくなった。またその後の区の検診でも「異状なし」となり、ほっと一安心したのである。

ところが最近、またも食道に違和感を感じるようになり、というか、以前にも増しておかしくなり…正確に書くと、食物が食道を通るとき、いかにも食物がそこを通りました、というイヤな存在感を感じるようになり、あまりにも気持ち悪いので、26日の終業後にかかりつけの医者に行ったわけだった。
今度は先生も只事ではないと見たのか、内視鏡検査を勧めてきた。3月の診察では、大学病院を紹介するようなことを言っていたので、そこで検査するのかと思いきや、その設備が当院にあるとのことだった。
しかし私は3月の区の検診でバリウムを飲んで、「異状なし」の診断を戴いている。あれはどうなのかと問うと、あれは胃を診るもので、食道は見ていないでしょう、とのことだった。
そう言われたら、私は内視鏡検査を受けるしかない。検査日は27日か29日と問われたので、27日を所望した。こんなもの先延ばしにしてプレッシャーを増大させるより、早いところ済ませてしまうほうがいいと考えたからだ。
内視鏡検査とは言うまでもなく、先端に小型カメラが付いている直径数ミリの管を鼻もしくは口から入れて、食道や胃を見て回る、というヤツである。
先日観たテレビでは、元宝塚の紫吹淳が鼻から管を通す形で内視鏡検査を受けていた。またその後観た別の番組でも、あるタレントが同じ検査で、鼻から管を通されていた。
現代の医学の進歩は目覚ましい。まあ、コンピューターが将棋のプロ棋士を平手で破る時代だ。医学界だって推して知るべしである。いまは「鼻から管」がふつうになっているのであろう。またそれは、鼻から管を通せるほど、管が細くなっていることも意味する。
これはありがたいことで、「口」より「鼻」のほうが患者の負担も少ないと思う。それでなくたって、私はふだんゲーゲーやっているのだ。喉に異物を通されて、ゲエホッ!! ウゲーーーー!! とやらない自信はなかった。
そして先生から改めて、事前の説明があった。内視鏡検査の手順や当日(つまり27日)までの準備である。いわく、「内視鏡を通す直前に、喉に麻酔薬を塗る」「前日(つまり26日)は夜9時までに食事を済ませる」「検査当日は水やお茶以外は飲まない」などであった。
さらに、同意書の記入も求められた。検査にはごくまれに、「偶発症」が起こるらしい。主なものは出血や穿孔(消化管に穴が開くこと)だが、死亡例もあるという。その可能性は0.0002%だが、あることはあるのである。今回の同意書はもちろん、不測の事態のための「保険」ということになろう。
最悪、27日が私の命日になるかもしれないが、いまさらジタバタしてもしょうがない。また内視鏡検査の結果、患部に悪性の腫瘍が見つかる可能性だってあるが、どんな結果になろうとも運命と割り切り、私は検査に臨むことにしたのである。

27日は午前8時45分に医者に出向いた。自宅から徒歩3分の距離だからラクだ。別に自慢するわけではないが、自宅からはスーパー、コンビニ、図書館、耳鼻科、幼稚園、小・中学校などが近距離にあり、とても便利なのだ。
診察室から別室に通されると、先生が
「この管を口から通します」
と言った。
エエッ!? 口から入れるの!? は、鼻から入れるんじゃなかったのか!?
私は愕然とした。
(つづく)
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