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一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

本日は社団戦第1日目!!

2025-06-29 09:00:46 | 将棋ペンクラブ
きょうは2025年の社団戦第1日目。
私は多少寝不足だが、まあ、いい朝を迎えることができた。
私は今年も将棋ペンクラブからの出場で、万年下位のチームではあるが、雰囲気がいいのが取り柄だ。
最近は老眼がひどいが、駒はなんとか見える。出場するカードでは、全力で戦いたい。
では、会場に向かうとしよう。
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将棋ペン倶楽部 通信65号

2025-06-28 23:18:05 | 将棋ペンクラブ
「将棋ペン倶楽部」通信65号が送られてきた。今号は32ページと、通信号にしても、ややボリュームが少なかった。では、中を開いてみよう。
表紙は堀彩乃女流初段と木村晋介会長の写真。いつ撮ったのか知らないが、いい写真である。
巻頭記事は私の「関東交流会レポート」で、全4ページ。当ブログ5月21日~23日に掲載した「将棋ペンクラブ関東交流会2025・B面」の姉妹編で、ブログのほうがややくだけた感じなのに対し、通信号のほうは、A面のマジメなやつである。ただ、面白いのはB面のほうである。
それにしても、私が本誌でレポートの類を書くのは、何回目になるのか。ちなみに昨年の本レポートは、3人が書いていた。新たなレギュラーの書き手を望む。
ブログでは将棋会の1局目と2局目を取り上げたが、通信号では4局目にスポットを当てている。この終盤戦に結構なドラマがあり、一読の価値はあると思う。
なお1局目、三上幹事とのそれは初対局だったのだが、通信号ではそれについて詳しく触れていない。その理由を書くのに2~3行を要するが、それがもったいないと思ったのである。この3行があると、台割に不都合が出そうな気がしたのだ。
だがそれは杞憂で、この3行があっても、タイトル周りの余白を削れば、うまく収まっていた。
本文は、文脈がややぎくしゃくしている。あと1日推敲を重ねればもう少しまともな文章になったが、ま、仕方ない。
続いては中山氏の「青空将棋で楽しもう」。第2回きょうどう名人戦と、第14回シモキタ名人戦のレポートである。後者は、もはやおなじみであろう。今年も多くのページを割き、詳報している。
中を読むと、私が拝見したかったのは「藤井猛の棋界NEWS」だ。藤井九段らしい軽快な話術で、現棋界を斬りまくったに違いない。
現在の私はゴールデンウィークに休むことはできないが、今年のシモキタ名人戦は、4月27日(日)だった。G.W.からやや外れた1日なら、休める。来年は観戦に努めたいと思う。
続いて黄信号氏の「将棋川柳」。
さらに本誌レギュラーの水野氏「将棋と歌謡曲・演歌」。
さらに榊原氏と木村氏は、それぞれ高槻市と倉敷のレポートを記した。あっちこっちを旅行した気分になれる。
そしてトリは、茂山氏の「女流棋士鑑」の最終回。単なる女流棋士礼賛ではなく、増えすぎた女流棋士とその棋力にも憂慮しており、ピリリと辛い読み物になっている。
最終ページは、湯川博士氏の編集後記。読むと、近々出版物があるそうだ。合わせて記念寄席もやるそうで、私は出席できそうもないが、出席される方は楽しんでほしい。
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将棋ペンクラブ関東交流会2025・B面(後編)

2025-05-23 13:50:39 | 将棋ペンクラブ
将棋会も終わり、16時から自己紹介を兼ねた勝利数の発表である。負け数は関係なく、勝利数の多い順から呼ばれ、好きな賞品をもらっていく。今年は最多勝が4勝で、私とOsa氏、それと関西から来た方が呼ばれた。
私「今年は会員との将棋では4勝できたんですけど、最後、堀先生に吹っ飛ばされました」
そして楽しい賞品選びである。迷った末、今年は、山田久美女流二段の「駒魂」をいただいた。毛筆でしっかりと書かれた達筆で、山田女流二段の気合が見て取れる。山田現女流四段が女流二段だったのは、1990年から2000年までの10年間。23歳から33歳までのキラキラしていた時代で、それだけにこの色紙は価値があった。
今回の参加会員は多く見ても30人程度で、ものの15分で全自己紹介が終わってしまった。すぐに机を並べ替え、懇親会となる。
なお酒類は、直前にA氏が買ってきたもの。昼もおにぎりなどの軽食をA氏が買ってきた。陰の尽力に感謝である。
懇親会は4つの島に分かれて行われた。私の島はブルーベリー氏など数名がいた。
乾杯の音頭はもちろん、木村晋介会長である。
「アメリカ国歌による君が代を歌います。みなさま、右手を胸に当ててください」
そして木村会長は、アメリカ国歌のメロディーで君が代を高らかに歌った。乾杯!
その後、木村会長がなぜか私の右に来てくれたので、しばしお話をさせていただいた。聞くと、木村会長は毎週金曜日、蛸島彰子女流六段の将棋教室に通っているという。蛸島女流六段は木村会長と同世代的で、当時の将棋ファンのマドンナといってよい。私が木村会長の立場だったら至近距離に蛸島女流六段がいるだけで満足だが、木村会長はどうなのだろう。
手合いは平手だそうで、木村会長が飛車を振ると、蛸島女流六段は居飛車で指すらしい。
「私は石田流でね。だけど蛸島先生がけっこう長考するのよ。へっへっへ」
楽しくやっているようだ。
落語にも話を振ると、6月は深川、7月と8月は両国で噺をすることが決まっているらしい。それでいながら社団戦の予定を入れてなかったとは、当人も周りも、緊張感がなさすぎる。
ブルーベリー氏は拙宅の桃の木に感心があるようで、桃の実のことを聞かれた。
私も桃の実の成長が楽しみだが、食べごろになると盗まれるのは目に見えているので、複雑な気持ちである。
宴たけなわになったころ、窪田義行七段がいらした。この関東交流会に棋士がプライベートで来ることはほとんどなく、いまは窪田七段だけである。
だけどその恰好が異質だ。上から下まで埼玉西武ライオンズのユニホーム姿である。なんと、所沢のベルーナドームで野球観戦をしていたが、この懇親会の時間に合わせ、観戦を切り上げてこちらに来たという。
あの恰好で観戦に行くのかという衝撃はともかく、その配慮がうれしい。
窪田七段にも一言いただいたが、ポソポソしゃべるので、よく聞き取れなかった。
その窪田七段が、同じテーブルに着いたのでビビった。窪田七段は遠巻きに見るぶんにはいいが、交流は厳しいものがある。
ちょうど伊藤氏が窪田七段の横に着き、野球談議に花を咲かせていたので、まずはよかった。
このあとも懇親会は続くが、私はプライベートでヒトと話すことがあまりないので、聞き役に徹するのみだ。
そして19時になり、お開きとなった。
私はいつもそそくさと帰る。きょうもそのつもりだったが、エレベーターが1階にあったので、階段を使おうと思った。
だが、さすがに階数があるので躊躇する。それでエレベーターを待つことにし、その間誰かに二次会を誘われたら、ついていこうと思った。
果たしてA氏に誘われ、A氏と茂山氏、それと交流会常連の関西の方と、4人で二次会に行った。
二次会は、神保町のとある居酒屋に入る。四人掛けのテーブルがちょうどひとつ空き、いいタイミングで座ることができた。
A氏と茂山氏はサワー、大阪氏と私はジンジャーエールを頼み、乾杯。
気の置けない人たちの集まりなので、いろいろな話題に花が咲く。囲碁と将棋の違いについての話はためになったが、やっぱり私には将棋が合うと思った。
関西氏は「最近白髪が増えて、めっきり老け込んで見える」と嘆く。
これが贅沢な悩みというやつで、白髪は染めれば黒くなる。だが、ハゲはどうしようもない。カツラを作る手はあるが高額の上、装着しても無理がある。その不自然さから、一発でカツラとバレてしまうのだ。
しかも私の場合、ある程度ハゲが認知されてしまったので、いまさらカツラを付けられない事情もある。
このあとは、女流棋士の話になった。あまり知られていないが、私が「女流棋士ファンランキング」で第1位にした女流棋士は、既婚だった中井広恵女流六段を除くと、船戸陽子女流三段、島井咲緒里女流二段、室谷由紀女流三段、渡部愛女流四段、飯野愛女流初段と、みんな結婚している。
そして現在の1位は西山朋佳女流三冠で、その動向がどうなるか、みんなニヤニヤするだけだった。
まだA氏の終電に時間はあるが、店のスタッフが「早く出ろ」光線を出している。私はそれを浴びているのだが、A氏には効いていないようだ。「もう少し(いよう)」とズルズル伸び、店を出ると22時近くになっていた。
でもまあ、久しぶりに楽しい一日だった。
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将棋ペンクラブ関東交流会2025・B面(中編)

2025-05-22 00:13:36 | 将棋ペンクラブ

第2図から△2九成香▲同玉△6九飛▲3九金△1九金▲3八玉△2九角(第3図)

▲4八玉△6八飛成▲5八桂△5六桂▲同歩△5七金と進み、私が勝った。
だが途中、私の△2九角にOsa氏の▲4八玉が悪手で、ここは▲2九同金△同飛成▲4八玉で、先手玉は逃れていた。
この局面、後手玉は詰めろになっているので△5一金打とするが、これでは流れがおかしく、先手もまだまだ楽しみがあった。
だが、第2図で本当に先手玉に即詰みはなかったのか? 実は第2図から△2九成香▲同玉に、△3八金が好手。以下▲同玉△6八飛▲4八金に△2六桂(参考図)で、簡単な詰みだった。

金を1枚捨ててでも玉を二段目におびき出すのが妙手順で、後日の研究でこの詰みを見つけたときは、うれしかった。
3局目は角換わりになり、相手の男性は棒銀を採用した。私は△4九角から△9四角成と馬を作り、終始攻めが繋がって、何とか勝つことができた。
つづく4局目は、会報でも有名な和田氏との対戦。私が四間飛車に振り激戦となったが、最後はトン死で拾わせてもらった。
ところが感想戦をやると、私が詰めろっぽい手をかけたとき、私の玉に詰みが生じていた。
もしこの順に私が気づいていたら、受けに回って負けていただろう。
というわけで、ここまで4局指して全勝。とはいえ明らかな負けもあったし、指し手も雑だった。このぶんでは来月からの社団戦が思いやられる。
14時30分を過ぎ、木村晋介会長が来席した。とりえず社団戦の日程を告げるが、6月は別の予定を入れてしまったという。ちょっと木村会長、軽率だったか。
将棋会の最後は、堀彩乃女流初段に教えていただく(有料で1,000円)。昨年は黒のイメージを払拭する明るいいでたちだったが今年もそうで、春らしく軽やかだ。

初手からの指し手。▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5六歩△4三銀▲5八金右△3二金▲6八玉△8四歩▲7八銀△6二銀▲7七銀△7四歩▲7八玉(第1図)

右に人の将棋は下手の勝勢に見えた。ここでアタリになっている飛車を横にすべらし敵陣への侵入を図ればよかったが、星野氏のアドバイス?で攻め合いにいったのがよくなかったようだ。上手が首の皮一枚で残し、最後は下手玉を詰ましてしまった。ここが上手の恐ろしいところである。
こちらも対局開始。堀女流初段は居飛車党なので、私も居飛車でいけば、いろいろな戦型が予想される。堀女流初段は雁木できたが、これも堀女流初段の得意戦法である。

第1図以下の指し手。△7三桂▲6六歩△6四歩▲6七金△5二金▲2五歩△3三角▲7九角△6三銀▲3六歩△4二玉▲3七銀△5四銀▲2四歩△同歩▲同角△同角▲同飛△2三歩▲2八飛(第2図)

右では山本氏が新たな対局者として入った。山本氏は右手をケガして包帯を巻いており、それをネタに談笑している。それでいいのかなあ、という感じ。
△7三桂と攻め味を見せるのが令和流。私は上部を厚くし、攻勢に備える。
△6三銀に▲2四歩から角交換に行くのは、後に△8一飛~△2一飛~△2四歩からの逆襲があるので、ちょっと見送る。
しかし▲3七銀と応援ができたので、角を換えた。

第2図以下の指し手。△4五歩▲6八金上△6二飛▲7五歩△8五桂▲7四歩△6三金▲7六銀△6五歩▲7三角△6六歩▲5七金寄△7七歩▲同桂△同桂成▲同金(第3図)

△6二飛に、私は角頭を狙って▲7五歩と突いたが、△8五桂と跳ばれてよくなかった。
私は▲7六銀と上がって駒損は免れたが、△6五歩が急所の歩突き。▲同歩は△7四金で上手の攻めに勢いがつくので、私は▲7三角と打って反撃した。
しかし△6六歩と取りこまれて、きつい。▲同金は△3九角なので▲5七金寄としたが、こんな歩が入っては、下手が勝てる道理がない。

第3図以下の指し手。△3九角▲5八飛△6五桂▲同銀△同銀▲6二角成△同金▲6四飛△5二金▲6五飛△4九角(第4図)

△3九角から△6五桂の両取りが入って、下手劣勢。私は飛角交換ののち、その飛車を8二に打つつもりだったが、▲6四飛が金銀両取りになるので、そちらから打った。
ただしここは当初の予定通り▲8二飛と打ち、△5二金▲6四桂とする手もあったかもしれない。
本譜▲6四飛には金のほうを見捨てて△7六銀打もあったと思うが、堀女流初段は冷静に△5二金。だけど私は銀を取り返し、少し持ち直したと思った。

第4図以下の指し手。▲6六飛△5八角成▲同金△6六角成▲同金△3九飛▲5九桂△2九飛成▲7三歩成△4九竜▲6七銀△5四桂▲5五角△6六桂▲同角△3三桂▲4四桂△同銀▲同角△7五桂(投了図)
まで、84手で堀女流初段の勝ち。

私は▲6六飛と目障りな垂れ歩を除去し、ホッと一息。だが堀女流初段に2枚の飛を取られてみると、攻防ともに絶望的なのに愕然とした。
その後、金桂交換の駒損になったが、私はもらった桂を打ち返し、銀桂交換で駒損を回復する。
しかしその桂をまた急所に打たれ、これ以上の粘りは辛すぎて、投了した。

感想戦では堀女流初段から、「(第4図からの)▲6六飛に代え▲6六金(参考図)なら、まだ難しかった」と言われた。

なるほどこうやって飛の侵入を図れば、下手もまだ戦えたようだ。私は、7七にいる金を6六に出ることに抵抗がありまったく考えなかったのだが、飛を取られるマイナスのほうが大きかった。
これで本日の将棋対局は終わり。私は4勝1敗で、数字上ではまずまず。昨年は会員との将棋は2敗し、指導対局では2勝した。昨年とあべこべだ。
(つづく)
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将棋ペンクラブ関東交流会2025・B面(前編)

2025-05-21 13:00:53 | 将棋ペンクラブ
17日(土)は、将棋ペンクラブ関東交流会があった。今年は御徒町将棋センターから御茶ノ水の東京古書会館に場所を移し、リニューアル開催となる。
当日は10時10分開場だったが、あまり早くいっても味が悪いので、ちょっと遅れ気味に行く。
私は秋葉原で下車した。JRの最寄りは御茶ノ水なのだが、私の定期券が秋葉原までで、一駅ぶんのハミだしのために、146円も払えない。
10時20分、徒歩20分でに現地に着いた。私は将棋ペンクラブ将棋会で何度も訪れているが、初めての人は分かりづらいと思う。
1階のエレベーター前で三上氏に会う。三上氏も元気そうで何よりだ。
将棋ペンクラブの幹事と一般会員との関係は不思議で、こうした交流会と大賞贈呈式、それと社団戦くらいしか会う機会がない。ところが、月に1回は会っている気分になるのだ。
7階に上がり、会場に入ると、会員は数人しかいなかった。将棋会館で開かれていたころは、私がちょっとでも遅れると「遅かったね」とA氏あたりに言われたものだが、きょうはそのA氏の姿がまだない。というかそもそも、幹事も全員が出席するわけでない。来たい人だけ来ればいい、それが関東交流会だ。
室内は長方形のスッキリした造りで、御徒町将棋センターよりはやや狭いが、全体が見渡せるのでよい。
受付には、Kan氏、岡松さんがいた。会費の3,500円をピッタリ払うと、雑事で忙しかった岡松さんが、500円のおつり?をくれた。もちろん間違いで、私はそれを返す。日本人として当然の行為だが、損した気分になるのはなぜだろう。
社団戦のメンバーでは、阿部氏がいた。また中山氏は、将棋盤、駒の準備を黙々とこなしていた。中山氏は元小学生準名人で、最近は会報にもたびたび投稿している、将棋ペンクラブのホープだ。このたび幹事に就任し、今後の活躍に期待大である。
ここから16時までは将棋会だが、対局相手で適当な人がいない。まあ、こちらもガッついて将棋を指すつもりはないので、タイミングが合えばでよい。
室内の右手には、棋士の色紙や棋書が置かれている。大山康晴十五世名人、中原誠名人、二上達也棋聖などのプレミアものから、長沢千和子女流三段、山田久美女流二段、碓井涼子女流2級(いずれも当時)のマニアものまで、将棋ファン垂涎の色紙が並んでいる。
室内の隅では将棋が指されている。よく見ると堀彩乃女流初段の指導対局で、たしか昼過ぎからだったはずだが、ずいぶん早い。
御徒町将棋センター時代だったら女流棋士がもうひとり、将棋会館だったらさらに男性棋士の指導対局がついたものだが、将棋ペンクラブも予算がないのか、徐々にスケールが小さくなっている。
やがて湯川博士・恵子夫妻が来た。将棋ペンクラブといえばこの2人である。あとは木村晋介会長の姿が見えないが、14時30分ごろ来るという。やがてA氏も来て、幹事群はそこそこ集まってきた。
やっと私に対局がついた。三上氏とで、お知り合いになってから30年余、よく考えたら初対局だ。指さない人とは指さないので、こういうケースはよくある。私は湯川博士氏とも、指したことがない。
将棋は三上氏の居飛車明示に、私の四間飛車。三上氏が▲5七銀と早く上がったので藤本流でくるかと思ったが、その後天守閣美濃に進展した。

第1図は私が△5四歩とした局面。ここから▲3五歩△同歩▲同銀△3四歩に、▲2四歩が強手。△3五歩とする一手に▲2三歩成とされ、銀得でも私が苦しくなった。
そこから耐え難きを耐え、何とか勝負になった局面。

第2図から▲6四桂△4七馬▲7二桂成に、△6九馬で逆転した。以下▲8一飛△8三金▲6八桂△7八馬▲同玉△7二金▲9一飛成△2九飛成▲8八香△8六桂▲同香△同歩▲8五歩△同玉▲7七桂△8四玉▲7九桂△8七銀(第3図)まで、私の勝ちとなった。

三上氏は△6九馬をうっかりしていたようで、分かっていれば、▲7二桂成で▲6八銀とし、先手が優勢を持続できた。
辛勝しホッとしていると、湯川博士氏から、会報用のレポートを依頼された。博士氏から依頼されたら断れないが、私はこの類のレポートをかなり書いている。ほかに書き手はいないのか。
一応了承したが、交流会の模様は当ブログにも書く。だけど同じ内容にするわけにはいかないから、ブログはややくだけた形の「B面」となる。
2局目は、」Osa氏との対局となった。Osa氏とはいつも将棋会での最多勝争いをしているのだが、もうだいぶむかし同星となり、熊倉紫野女流初段の色紙を巡ってじゃんけんをしたが私が負けた。あれは痛かった。
振駒になるかと思ったら、Osa氏が先に指そうとする。私が「三段」に対して、Osa氏は「二段」と書いている。自己申告とはいえそれはねえだろうと思うが、まあいい。
将棋はOsa氏の三間飛車穴熊に、私の急戦。

第1図から、△6五歩▲6七銀△6六歩▲同銀△8六歩▲同歩△6五歩▲同銀△7七角成▲同飛△8六飛▲8七歩△8二飛▲5四銀△8八歩で、後手もまずまず指せると思った。
そこから本譜はOsa氏が▲6三歩と叩いたが、ここは▲6四歩もあったと思う。
そこから激しい攻め合いになり、私が優勢のなか、第2図の局面を迎えた。

ここで受けるか、△2九成香から詰ましに行くか。もちろん私は詰ましに行った。
(つづく)
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