一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

半年ぶりの愛(5)

2019-10-31 00:10:48 | 女流棋士の指導対局会
「3月16日は岩根忍さん、3月9日は加藤桃子さん、3月30日は坂東香菜子さん、3月31日は植村真理さん……」
「あれっ? 植村さんて、3月31日でした?」
飯野愛女流初段が疑問を呈する。
「あ、違うか。バンカナが3月31日で、植村さんは12月31日か」
どうもこの2人の誕生日があやふやで、もう1回勉強し直さなければならない(実際は、植村女流三段は3月16日、板東女流初段は3月31日)。
私はカレーを食べる。だが極度の緊張からか、カレーの辛み、というか味をほとんど感じない。つい最近もどこかで飯の味が分からなくなったことがあったが、私が病気なのだろうか。
飯野女流初段はマイペースの食事である。というか、少食である。渡部愛女流三段も少食で、「愛は少食」なのだ。女流棋士はもっと食わねばならぬ。体力をつけるのも仕事のうちである。
私がタイミングを見計らい、昼の投了図の局面を見せる。夕方時間があったので、この局面を作っておいたのだ。でしゃばってしまい、ほかの棋客には申し訳ないが、これだけは聞かずにおれなかった。
「ここで△8一玉と寄られたら、上手玉が寄らないんです」
「エッ…!? 全然気付きませんでした」
飯野女流初段はしばらく盤面を眺め、あらためて唸る。「ここから指し直したいです!」
それは私も歓迎だが、さすがにそれは無理だ。
でも飯野女流初段はしばし考え、「▲5三桂成で私の負けです。よかった」と結論づけた(参考図)。

私は「△5七歩成▲3八玉」の2手が入っていればまた違うと思うのだが、ここは飯野女流初段の見解を尊重した。
W氏が、そろそろ席を替わってください、と告げた。しかし飯野女流初段は心の準備ができていなかったのか、「あと5分」と、ここの滞在を延長してくれた。

飯野女流初段があちらに移り、ここからは男だけのおしゃべりである。いつもはこのパターンなのに、マドンナがいなくなり、灯が消えたようだ。
私はみなにカレーの味を聞く。と、「薄味ではあるがスパイスが利いていて美味しい」とのことで、これはマジで私の舌がおかしいようだ。
とりあえず将棋の話題とする。右の男性は会社を休んでタイトル戦の解説会に赴くこともあるという。将棋ファンとはありがたいものである。
あちらでは、マイナビ女子オープンの話題が出ているようだ。
「予選の1回戦を勝つと、(チャレンジマッチ行きを回避でき)寿命が伸びた感じです」
との声が聞こえる。やはりあちらのほうが盛り上がっている。
こちらは向かいの男性が、「日曜は仕事だから」と言った。
「たとえ日曜でも、仕事があるのはいいことです」
と私。これは私が数年前から言っていた持論である。
そんな私の状況を察し、斜め向かいの某氏が
「私が社長だったら(一公さんを)採るんですけどねえ」
と言ってくれた。
だが私が採用担当者なら、こんな学歴も職歴もいい加減の、50過ぎの独身男は採用しない。まして2ヶ月で会社を辞めたならなおさらである。
ここらでW氏からストップが出て、お開きとなった。楽しい時間は、過ぎるのが早いのだ。飯野女流初段は今日もかわいらしく美しく、ヒトを惹きつける華があった。
将棋ファンが棋士や女流棋士に将棋を指導してもらうこと、それは野球ファンがプロ野球選手にコーチしてもらうことに等しい。そして女流棋士との食事会は、アイドルとのそれになるのだろうが、どちらの後者もまったく叶わないことを考えると、将棋界は本当に恵まれていると思う。大野教室に感謝であり、それに参加できる私たちは、幸せである。
また機会があれば、参加したいと思う。
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半年ぶりの愛(4)

2019-10-30 00:11:10 | 女流棋士の指導対局会
小池都知事がんばれ!

   ◇

(25日のつづき)
長照寺を辞し、和光市駅には徒歩で向かった。駅前の蕎麦屋に着いたが、中には何人かいて手狭である。私はそのまま電車に乗った。
行きとは逆のルートで、朝霞台で下車。現在16時29分である。武蔵野線は16時44分のに乗ればいいので、小諸そばには入れる。
現在、鶏の唐揚げ2ヶ増量のサービス期間だが、それは定食類を頼んだらの話。私は定番の二枚もりを頼んだ。なお税込350円は、価格据え置きである。
蕎麦は茹でたてで、アルデンテがあって美味かった。小諸そばは数人前の蕎麦を茹で置きするが、やはり茹でたては一味違う。
武蔵野線、京浜東北線と乗り継ぎ、大野教室に戻ったのは17時15分だった。3回戦終了と同時刻で、これは珍しく予定通りいった。
もっとも何局かはまだ続いていて、飯野愛女流初段は飛車落ちの将棋の感想戦をやっていた。その教えはソフトで、やはり将棋は、女性に教わるのがベターだと思う。
すべての将棋が終わったときは。17時30分を過ぎていた。
今日の食事処は川口駅近くのインドカレー屋である。レギュラーの一軒だ。
参加者は多くが3回戦からの流れで、1回戦の対局者は私くらいだ。だけど、長照寺で将棋ペンクラブの連中とダベるより、美人女流棋士と会食したほうが何倍も楽しい。
いや違う。長照寺では、小柊さんも参加したかもしれないのだ。今日の行動はベストと信じていたが、とんだ伏兵が現れた。私は選択ミスを犯したかもしれない。
飯野女流初段は後から登場で、私たちは先に向かう。道すがら、大野八一雄七段に昼間のことを聞かれた。
「いや~、飯野先生との将棋を考えていて、あまり楽しめませんでした。
あの将棋、私負けていたんです。投了の局面で△8一玉と寄られたら詰めろが掛かりません」
「そうそう、だから愛ちゃんが先に△8一玉と寄るのかと思った」
「……」
やはり大野七段も気付いていたのだ。
「寄席で寄せを……」
「そうです、寄席で寄せを考えてました」
まったく、締まらぬ話である。
カレー屋は、いつもの奥の部屋だった。ここに来るのも数ヶ月ぶりである。
テーブルは大きく2つに分かれており、私は奥に向かった。今日の参加生徒は8人で、大野七段は所用があり、退席した。よって、W氏を含め総勢10人となる。
飯野女流初段が入室した。テーブルとテーブルの間の近くの席に座るのがいいと思ったが、飯野女流初段は私の右に座った。30分ほどしたら、あちらの席に移るということだ。売れっ子ホステスみたいである。ちなみにこちらのテーブルは5人+飯野女流初段、あちらは3人+W氏である。ではここで、席の配置を記しておこう。

男性 某氏 男性  男性 男性
   □        □
一公  愛  男性  男性 W

私は緊張してしまい、まともに飯野女流初段の顔を見られない。恐る恐る窺うと、小さい顔がそこにあった。
すでにオーダーはされている。私は「チキン・チキン・ライス」である。W氏が給仕係も兼ねていて、まずは私のを持ってきてくれた。
「あれ? ナンじゃないんですね」
と飯野女流初段。
「あ、ああ、カレーにはライスです。ナンは、20年以上前に地方で食べたことがあるけど……」
私が若手のサラリーマン時代、ユースホステルで知り合った女性(2人)と、大阪で何度か会ったことは当ブログにも書いた。この時入ったバイキングレストランで、カレーにナンを食べたのだ。今となっては甘酸っぱい記憶である。
現実に戻り、どうもみなの話だとナンが大勢で、「ナンを食べられるのだからここはナンで」ということらしい。
「パンはお嫌いですか?」
飯野女流初段に聞かれる。
「いえ嫌いじゃないですけど」
一段落すると、再び
「パン(はいつも)食べません?」
「……先生、けっこう(追及が)来ますね」
飯野女流初段が苦笑いした。
「街には高級食パンとか売られてますけど、食べたことはあるんですか?」
「あります。パンを切ると香りがよくて、たまりません」
高級パンはおカネはかかるが、一度食べると病みつきになるそうだ。
ところで、私の隣に独身女性が座るのは久しぶりである。向かいだと社団戦の打ち上げでAkuさんが座ったが、横はあったろうか。ああもう、その記憶がない。私はどれだけ味のない人生を送っているのだろう。
ほかのメンバーは知った顔もあり、右斜め前の男性は、指導対局会でも、先日の将棋ペンクラブ大賞贈呈式でもお話した。
とはいえ棋客と話すこともないし、私は飯野女流初段に話を振る。
「先生、最近の対局はどうです?」
「まあまあです」
「最近は、新しい組み合わせとかはないんですか?」
「清麗戦です。第2期の」
「ほう、初戦は誰と?」
「渡部愛ちゃんです」
「あっ!」
この組み合わせは注目である、と自ブログに記事にしながら、すっかり忘れていた。
聞くと飯野女流初段は渡部女流三段とよく一緒のイベントになることがあり、連名で色紙を書いたこともあるという。お互い落款も似ているので、書く位置を間違えたこともあったとか。
対局日は決まってますか、と誰かが問うた。
「11月5日です」
「おおゥ、鈴木環那さんの誕生日だ」
と、これは私。
「よくご存知ですね」
「はい、飯野先生はもちろん11月17日。分かってますよ」
「ああ…11月のほかの女流棋士の誕生日はご存知ですか?」
「11月30日は中村桃子さんですね。11月14日は和田あきちゃん。ちなみに11月13日は木村拓哉」
私は「似ているシリーズ」で女流棋士の誕生日に敏感なので、割に憶えている。
「じゃあ16日は誰でしょう?」
「16日。あれ……?」
11月16日は、誰かいたはずだ。似ているシリーズで書いた覚えがある。
「ああ分かりません」
「上田初美ちゃん」
そうだった! 私としたことが、上田女流四段の誕生日を忘れるとは……。「11月は多いんですよ」
「でも3月も多いですよ」
私は汚名返上とばかり、いらぬことを口にした。
(つづく)
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第3回 大いちょう寄席(後編)

2019-10-29 00:05:37 | 落語
木村家べんご志の羽織姿も貫禄十分。こちらも本職の噺家のごとくである。
「木村家べんご志でございます。
先ほどの俳句の詩吟は、いいですね。
……短くて」
私たちはドッと笑う。「言ってる意味が分かりますよね」
べんご志、将棋のほうは冴えないが、落語になると実にキレがある。
「私は高座名でも分かる通り弁護士をやってまして、今年72ですからもう半世紀になるんですが……皆さん子供の頃はヒーローがいたと思うんですが、私は月光仮面でしたね。こうオートバイに乗って、白装束でね。毎週テレビを楽しみに観ていました。
だけどいつの頃からか、月光仮面の生き方に違和感を覚えましてね」
私たちは笑う。「月光仮面に生活感を感じないんですよ。だって、悪者を退治しても、被害者から謝礼をもらわないんですよ。オートバイに乗るのだって、ガソリン代が要るでしょう? これじゃマズイだろうと」
フムフム、と私たちは頷く。「私は別のヒーローを探しました。そこで目を付けたのが、弁護士ペリー・メイスンですね。彼はしっかり謝礼をもらう。これなら生活できますナ」
仏家シャベル同様、マクラだけで聴かせる。
「だけど依頼人には殺人の容疑がかかっていて、どの証拠も彼のことを犯人と示している。ペリー・メイスンはその証拠をひとつひとつ覆して、依頼人を無実にするんですナ。
……毎週ですよ」
ワハハハ、と私たちは笑う。なるほど木村家べんご志は、ハナシの最後にぼそっと下げを言うパターンなのだ。
「それで私は弁護士になろうと思ったんですね」
べんご志は22歳で司法試験に合格し、今に至る。司法を面白おかしく説く著書も多数だが、2007年に上梓した「キムラ弁護士、ミステリーにケンカを売る」は名著だ。これもペリー・メイスンの影響があるのだろう。
噺に入る。今日の話は「宿屋の富」。神田馬喰町の流行らない宿屋に、ある男が宿泊する。男は貧乏臭いナリだが、これは世を欺く姿で、実は使い道に困るほどおカネがあるという。もちろん大ウソである。
そこで宿屋の主人は、副業で売っていた富札の、最後の1枚を男に勧めた。料金は一分である。一分は1/4両だから、かなりの高額である。しかし男は購入し、「金が邪魔でしょうがない」と言った手前、「もし一等の千両が当たったら、半分の五百両を主人にやる」とまで約束した。
しかし男は、これが最後の所持金だった。男はヤケになって、湯島天神に赴く。ちょうど富札の抽選が終わったところだった。
男が番号を確認すると、「子の一千三百六十五番」。一番富の一千両が当たってしまったのだ……。
べんご志は、この男の困惑と喜びを、巧みに演じる。なるほど本当に宝くじに当たったら、こんな反応をするのではと思われた。
「長照寺の和尚に頼んで……」のフレーズも大いちょう寄席バージョンで、相変わらず芸が細かい。
しかし私はといえば、飯野愛女流初段との投了の局面がチラチラと脳裏に映り、難しい顔をしていた。寄席で寄せを考えているのだからどうしようもない。
何となく下げが入り、会場は爆笑のうちに終わった。べんご志は腹から声が出ていて、とても聞きやすかった。落語の玄人と素人の差は声量、と私は信じるが、べんご志はその溝をかなり埋めつつあると思った。
これで「第3回 大いちょう寄席」は終了である。今年も面白い演目ばかりだった。
時刻は16時過ぎ。予定を30分オーバーし、これから懇親会となる(1,000円)。湯川恵子さんが「まだお席がありまーす」と言って回るが、私はこれで退席せざるを得ない。飯野女流初段との食事会が待っているからだ。
来年も大いちょう寄席は行われるだろうが、平日開催であろう。そして来年も私が出席するようだと、人として本当にまずい。いやもう今の時点で、すでにまずいのだが。
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第3回 大いちょう寄席(中編)

2019-10-28 12:34:17 | 落語
羽織姿の仏家シャベルは存在感十分で、本職の噺家に見える。
「最近は足腰も弱くなりまして、難儀しています。まごまごして高座から落ちると、ラクゴシャ! なんて言われたりしてね」
身体の衰えも笑いに変える、この自虐性がいかにも落語っぽい。
マクラは例の白内障の話である。
「どうも目の調子がおかしくなって、まあ片眼が見えなくなったって片眼で見えりゃいいってほっといたんですが、ある日家内と散歩に行ったときのこと、今日は随分霧が深いねえと言ったら、霧なんて出てないわヨと言う。それで知り合いの眼医者へ行ったら、手術の必要があるって言われた。
だけど医者は、血糖値が高くて手術が出来ないって言う。それで近くに午王山がありますわね、そこに3度の食事のあと、家内と30分かけて散歩に行った。これをひと月やりました。90回ですナ。あと3日と1回で100回になる。これから演る噺そのものです。
そしたら血糖値が下がった、それで手術できることになったが、それでも成功は難しいって言う。
このままじゃアンタ、めくらになりますよ。そりゃ困る、何とかしてくれ。じゃあ何とかしましょう、てな具合でね」
この辺りのやりとりが妙に可笑しく、これだけでもう1本の噺ができるほど、上質なマクラだ。
その流れで「心眼」に入る。実に自然である。
シャベルが梅喜になりきり、巧みに噺を進める。これは1月にも聞いているが、ますます洗練された感じだ。あれから稽古を重ね、修正点を改善したのだ。
信心の甲斐あって、梅喜の目が開いた。しかし通りを歩くと、いろいろ障害物がある。
「目が開いているとあぶない」
これはある種の真理であろう。
ちょっと切ない下げが終わり、拍手喝采である。シャベル、心眼を自分のものにしたな、と感じた。
ここで5分間のお仲入りである。もう、私を訪ねる人はいなかった。画家の小川敦子さんや、BGM担当の永田氏を視認しているが、私は挨拶に行かなかった。私はこういうところ、非礼なのである。
再開後、小柊が登場した。ちなみに昨年はこの時間、バトルロイヤル風間氏の「似顔絵ショー」だった。
その小柊が、凄まじい美人なのでビックリした。
プログラムには、「画家、大学講師、高校教師」とある。しかも銀座で毎年、個展を開いているという。三味線は趣味らしいが、大変な才能の持ち主ではないか。
「長唄三味線の奏者をやっている、ヨシズミ小柊と申します」
ちょっと鼻にかかった声が魅力的だ。お顔は鹿野圭生女流二段に似ている。そこに谷口由紀女流二段をまぶした感じで、まさかこの女流棋士2人が、同じ線上にあるとは思わなかった。ああそういえば、2人は同じ系統の顔である。
しかしこんな美人がどういう縁で、この落語会に出演することになったのだろう。
小柊が、オペラ「蝶々夫人」で使われた曲を奏でる。実に美しい歌声だ。
続いて「新土佐節」。長唄の対極にある「端唄」で、江利チエミがよく唄っていたという。
しかし小柊の様子がおかしい。
「アッ、緊張してて、弦の調律を忘れました」
私は三味線がよく分からないが、1曲ごとに調律の必要があるらしい。
「新土佐節は唄の途中に、『そうじゃそうじゃまったくだ~』というところがあります。ここを皆さんでご唱和いただきたいのです」
私はこういうのが苦手である。小柊の唄が始まったが、この歌詞のところに来ると、みなはしっかり発声する。でも私はダンマリである。しかし一度で終わりと思いきや、何度も繰り返される。3度目には私も、つぶやいてしまった。
3曲目は、虫の音をBGMに1曲。そうだ、今の季節は秋なのだ。このところの災害続きで、私はすっかり忘れていた。
4曲目は「うめぼし 水づくし」。水が落ちる様をしっとりと聞かせた。
最終5曲目は「ひあり」(だったと思う)。
「唄の途中で、『えんりゃー、ヨイ』という掛け声があります。これは音域は関係ないので、どなたでも大丈夫です。こちらもご唱和いただけませんか」
もはや完全に小柊ペースである。これも私は、つぶやいた。
大きな拍手で小柊は終了。小柊はとにかく美人で、これほどの美形を拝見するのは、谷口女流二段以来ではなかろうか。
ああそうか、私はこの系統を美人と認識するのだと思った。
小柊さんの再登場を期待します。
トリは木村家べんご志である。小柊の出囃子で登場した。
(つづく)
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第3回 大いちょう寄席(前編)

2019-10-27 00:53:43 | 落語
大野教室の「女流棋士の指導対局会・飯野愛女流初段の巻」を一時中座して、私は和光市に向かった。こちらは湯川博士氏プロデュースの「大いちょう寄席」である。今年で3回目で、今回はたまたま日曜日になったが、過去2回は平日の開催だった。ところが私は求職中で、どちらも参加できた。
今年は年初に恵子さんから、8月には博士氏から案内をいただいていた。かようなわけで参加が微妙だったが、ここまで来たら行くしかない。
川口から京浜東北線で南浦和まで行き、武蔵野線に乗り換える。車内ではRadikoでミスDJを聴こうと思ったが、さっきの飯野女流初段との将棋が浮かんでくる。すると、投了の局面で飯野女流初段側に受けがあり、私は考えてしまった。
北朝霞で下車、いったん改札を出て東武東上線に乗り換える。と、東武線駅舎脇に小諸そばがあった。空腹なので食したいが、ここで時間を食うわけには行かぬ。寄席は13時20分開演で、すでに遅刻は確定しているから、1分でも早く着かねばならない。
東武線は駅名が朝霞台に変わる。各駅停車に乗り、タイム5分で和光市に到着した。
駅前には美味い蕎麦を食わせる立ち食い蕎麦屋があるが、ここでも入るわけには行かない。
駅前からは路線バスが通じているが、長照寺方面のバスは13時50分である。現在39分で、11分待つくらいなら、歩いていったほうがいい。
途中の公園で、トイレを済ました。歩きは歩きなりに利点がある。
しかし長照寺近くまで行って、道に迷ってしまった。もう2回行っているから道は分かっていたつもりが、寺行きの岐れ道が分からない。
近くのオバチャンに道を聞き向かうと、かなたに大いちょうが見えた。バトルロイヤル風間氏の手による案内には「境内の大いちょうは樹齢750年」と書いてあり、いつの間にか、樹齢が50年伸びていた(追記:「推定700年」の札が立てられてから50年は経ったから、と博士氏の証言があった)。
寺に入った時は14時08分だった。湯川邸で見た知己さんに木戸銭(500円)を渡し、客殿に入る。なおお土産は、いつもの銀杏と飾り箸だった。
座敷は満席を予想していたが、やや空きがあった。やはり皆さん、「即位礼正殿の儀」を観ているのだろう。
現在は構成吟「正岡子規の世界」をやっていた。昨年までは「松尾芭蕉・奥のほそ道」だったから、今年から新シリーズというわけだ。
鳥飼岳菘(ガクシュウ)氏が吟じる。

ヘチマ咲いて~~~ 痰のつまりし~ 仏かな~~~
 たんのつまりし~~ ほとけかな~~~~

痰一斗~~~ ヘチマの水も~  間に合わず~~~
 ヘチマのみずも~~ まにあわず~~~~

残念、これで詩吟は終わりである。最後は吟者が勢ぞろいして、ごあいさつ。ここで10分の休憩である。
恵子さんが椅子を置いて回っている。皆さん正座やあぐらはキツいようだ。私は恵子さんに挨拶だけさせていただいた。
後ろから、肩をポン、と叩かれた。振り返ると星野氏である。今日は将棋ペンクラブの面々も多く来ているかもしれない。あえて探さないけれど。
私は改めてプログラムを見る。
第1部は詩吟のほかに、鳥飼八五良・実行委員会代表のご挨拶、寺元俊篤・長照寺若住職の講話があった。
そしてこれから始まる第2部は「落語と音曲」で、落語は参遊亭遊鈴、仏家シャベル、木村家べんご志とお馴染みの面々。「音曲」の小柊さんが正体不明で、何をやってくれるのだろう。
第2部開始である。開口一番は参遊亭遊鈴「くもんもん式学習塾」。桂文枝の創作落語である。
「参遊亭遊鈴でございます。今年もお呼びいただき、ありがとうございます。
今日は即位の礼がありまして、本当ならテレビの前で正座してキチンと拝見しないといけないんですが、ワタシがここで正座をしております」
ここでドッと笑いが起こる。
ヤクザの世界も経営が厳しくなり、親分は子分を集めて、学習塾を経営すると宣言した。肝心の講師に心当たりがないが、親分は子分のトメに命じると、トメは現在服役中のリュウジを推した。リュウジは大学出の「インテリア(インテリ)」である。
リュウジはめでたく出所し、早速英語の講義が始まったのだが……。
「今日は命令文を勉強するぞ。命令文は動詞から始めるんじゃ。You must go to school at once. これは、お前らはとっとと学校へ行かねばならぬ、となる。これが命令文になると、Go to school at once! 直ちに学校へ行きさらせ! となるんじゃ!
この形を覚えとけば、いろいろ応用が利くな。run awayは逃げる、という意味じゃ。Run away at once! これは、すぐにずらかれ! じゃ!
far awayは遠くへ、じゃ。Far away at once! これは、高飛びせい!」
私たちはゲラゲラ笑う。ここは英語の発音がしっかりしていること、すなわちリアリティがあることが肝要なのだが、遊鈴のそれは滑らかだ。
「Cut your finger at once! は、直ちに指を詰めい! じゃ!」
リュウジの力任せの講義に生徒は震えあがり、家でも自習するようになる。結果、生徒の学力もぐんぐん上がり、父兄の評判も上々となった。
「先生、ウチの子はどこに入れますでしょうか?」
「そうですなあ、堺、府中、網走……最近は松山の評判がいいですなあ」
「お…おやっさん、それは刑務所ですぜ…」
生徒は恐ろしさでガタガタ震えているのに、それを知らない親が無邪気によろこんでいる様が可笑しく、それを遊鈴はたくみな話術で笑わせる。
親分は、翌週にフケイ参観があると言う。子分は、この調子ならフケイ参観は大丈夫だと太鼓判を押す。だが親分は……。
ヤクザがカタギの職業に就く、という設定は浅田次郎の「プリズンホテル」が有名だが、桂文枝の発表はもちろんそれより早い。プリズンホテルは何度も映像化されたが、「くもんもん」もスペシャルドラマくらいにはなりそうである。
遊鈴の噺は軽快で、内容も分かりやすく、面白かった。私が言うのもアレだが、遊鈴はますます腕を上げたように思う。
お次は仏家シャベルが登場した。噺はもちろん、「心眼」である。
(つづく)
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