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一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

川上七段の成績はどうなっている(第38期竜王戦編)

2025-03-04 00:16:54 | 男性棋士
第38期竜王戦ランキング戦5組では、もうひとり気になる棋士がいる。このブログではおなじみの、川上猛七段である。
川上七段は20歳のとき、奨励会三段リーグを15勝3敗で駆け抜け、四段に昇段した。
しかし順位戦C級2組では不調に陥り、2013年、フリークラスに降級した。その後、順位戦復帰のチャンスが何度かあったのだが、その将棋をことごとく敗れ、2023年(2022年度)に引退となった。
この時点で川上七段の通算成績は、422勝425敗。勝率はほぼ5割なのに、順位戦の成績のみで棋士の寿命が決まってしまう。これが私的には納得がいかないのである。だからフリークラスの棋士を応援してしまうのだ。
ところが川上七段の場合、その2022年度は第35期竜王戦5組で準優勝となり4組昇級を果たした。4組にいる限り、竜王戦は何期でも参加できるのだ。
第36期は4組で2敗したが、残留決定戦で中村太地八段に勝ち、残留を決めた。
ところが第37期は3連敗で5組に降級してしまった。
竜王戦は5組で2期務められるので、第38期か39期で再び昇級すればいいと思っていた。
ところが、川上七段はすでに4組で2期務めているので、この第38期で昇級しないと完全引退、という噂もあり、私は注目していたのである。
運命の第38期、川上七段は1回戦で先崎学九段に勝った。これは新将棋会館での対局で、これを川上七段はたいそう喜んでいたそうである。
そして2回戦は渡辺正和六段。これがまた組み合わせの妙で、渡辺六段は1回戦で中村八段に勝っていた。もしここで中村八段が勝っていたら、2回戦で川上七段と当たっていた。川上七段、2期前には中村八段に勝ったから恐れるに足らずではあるが、当たらないに越したことはない。ここで対A級を回避できたのは大きかった。
そして2回戦は渡辺六段に勝った。
3回戦は、田村康介七段VS山本博志五段の勝者と。田村七段はともかく山本五段は今年度成績が24勝8敗、順位戦C級2組においては8勝1敗の好成績だ。よって、できれば田村七段と当たりたいところ。
しかしここを勝っても準決勝、すなわち昇級の一番が問題だ。反対の山から、山下数毅奨励会三段が勝ち上がってくる可能性があるからである。
このカードになったら、世間では山下三段を応援する。だが私が応援するのは、ここでは川上七段である。山下三段は遅かれ早かれ四段になるが、川上七段には棋士生命が懸かっている。ここで負けるわけにはいかないのだ。もっとも川上七段は負けても昇級者決定戦があるが、そこで勝てる保証はまったくない。少ないチャンスは確実にモノにしなければならないのである。
さて、どうなるか。
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振り飛車の神様

2025-01-14 23:41:18 | 男性棋士
きょう1月14日は、振り飛車の神様・大野源一九段の命日である。1979年の没だから、もう46年も経ってしまった。
大野九段は1911年生まれ。木見金治郎九段門下で、弟弟子に升田幸三実力制第四代名人、大山康晴十五世名人がいる。戦後から振り飛車を採用するようになり、その芸術的な捌きは、多くの棋士に影響を与えた。
大山九段(当時)が升田名人(当時)にタイトルを全部取られたころ、疲労困憊だった大山九段に、大野九段が振り飛車を勧めたのは有名な話である。

図は1962年9月3日に指された、第1期十段戦挑戦者決定リーグ・大山名人戦(主催:日本将棋連盟、読売新聞社)。
大野九段は三間飛車が得意で、左銀を4六に出る手を好んで指した(歩は4七が定型。以下の指し手も記したいのだが、長くなるので省略する)。
1969年度のB級1組順位戦は好調で、最終局を前に9勝3敗。もちろん自力だったが、最終戦に米長邦雄七段(当時)に敗れ、大魚を逸した。なおこのときの一戦は、のちに米長永世棋聖の脚色によって、「米長哲学」として、広く知られることになった。
1973年には、当時一般棋戦だった王座戦で、62歳にして挑戦権を獲得した。結果は中原誠王座に2連敗したが、その奮闘は当時大きな話題になった。
晩年はC級1組まで落ちたが、まだまだ腕に歳は取らせない、というところで、1979年1月14日、列車待ちのとき、踏切を無理に渡ろうとして、事故死。衝撃的な最期だった。
余談だが、この年から私は十段戦の観戦記をスクラップしはじめたのだが、陣太鼓氏(山本武雄九段)がこの訃報を伝えていたのを思い出す。
さらに余談だが、「大野の振り飛車」(弘文社、1971年)の古本を持っていたが、2017年の例の大掃除で、上のスクラップともども、(たぶん)棄ててしまった。まったく、あのときの私はどうかしていた。
それはともかくAI全盛の今、大野九段の捌きを彷彿とさせる若手棋士は、もう現れないだろう。
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八代七段の順位戦の成績

2025-01-07 13:05:50 | 男性棋士
先日佐々木大地七段の順位戦の成績に言及したが、八代弥七段も、順位戦には縁が薄い。そんな八代七段は昨年の第37期竜王戦で1組に昇級したが、実は「復帰」である。すなわち八代七段は2021年、第34期竜王戦2組で渡辺明名人に勝ち、1組昇級を決めた。C級2組の棋士が永世竜王に勝ったのだから、実力のほどが分かるというものだ。
しかも第35期1組では残留を決めた。第36期は残念ながら2組に降級したが、翌第37期に復帰した、というわけだ。
では、順位戦の成績はどうだったのだろう。確認してみよう。

第71期 46位・6勝4敗→18位
第72期 17位・5勝5敗→21位
第73期 22位・6勝4敗→17位
第74期 15位・8勝2敗→4位(頭ハネ)
第75期 4位・7勝3敗→6位
第76期 4位・5勝5敗→21位
第77期 19位・5勝5敗→25位
第78期 26位・6勝4敗→20位
第79期 19位・6勝4敗→19位
第80期 20位・6勝4敗→18位
第81期 19位・7勝3敗→12位
第82期 11位・8勝2敗→5位
第83期 4位・5勝2敗8位(7回戦まで)
以上、通算80勝47敗.630。

八代七段は2012年4月デビュー。その年の順位戦から参加した。だが、そこから3年間は可もなく不可もない成績である。
惜しかったのは4期目の8勝2敗だが、順位も悪く、頭ハネとなった。
しかし惜しかったのはこの期だけで、以降も昇級に絡まない星が続く。この間、2017年には朝日杯将棋オープン戦で優勝し、2019年には七段に昇段した。そして竜王戦は1組に昇級である。
つまり佐々木七段と同じく、順位戦以外の棋戦に強いのだが、八代七段は順位戦がパッとしないのも面白い。
第82期順位戦では久々に爆発し8勝を挙げたが、順位が悪く、届かず。
今期も5勝を挙げているが、6勝者が7人いて、微妙なところだ。
そんな八代七段は、七段になってからも勝ちまくっているので、八段昇段まで「あと17勝」である。順位戦で昇級できなくても引退後に八段になった例はあるが、C級2組在籍中に八段は、極めて珍しい。ちなみに八代七段の公式戦の通算成績は、順位戦のそれを覗くと、290勝140敗.6744となる。今年中の八段昇段は固いだろう。
九段になるまでに、順位戦で昇級できるか。
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いまあらためて、佐々木大地七段

2025-01-05 23:25:42 | 男性棋士
各順位戦は中盤戦を終了し、年明けから佳境に入る。
私が注目している佐々木大地七段は、C級2組で5勝2敗。毎期昇級を期待されているが早くも2敗を喫し、今期の昇級も厳しくなった。
ここで、佐々木七段の順位戦の成績をまとめてみよう。

第76期 48位・8勝2敗→8位
第77期 6位・8勝2敗→4位(頭ハネ)
第78期 5位・8勝2敗→4位
第79期 3位・7勝3敗→6位
第80期 7位・7勝3敗→10位
第81期 11位・8勝2敗→4位
第82期 3位・6勝4敗→15位
第83期 14位・5勝2敗(7回戦まで)

佐々木七段は2016年4月に四段デビューしたが、次点2回でフリークラス入りしたため、ここを抜ける必要が生じた。
しかし11ヶ月足らずで規定をクリアし、2018年度の順位戦から参加した。
1期目の第76期は8勝を挙げ、48位から8位に大躍進。
続く第77期も8勝を挙げたが、無念の頭ハネ。
続く第78期も8勝を挙げたが、今度は下位の棋士が9勝以上を挙げ、またも昇級はおあずけとなった。
第79期は3位でのスタートとなったが、4期目でついに7勝で終わってしまった。これでは昇級は無理である。
第80期も7勝に終わる。
第81期は11位からのスタートだったが、またも8勝を挙げる。しかしまたもや、ほかの棋士が9勝以上を挙げ、4位に終わった。
失意の第82期は自身ワースト(!)の6勝に終わり、第82期は7回戦を終えて5勝2敗となっている。
第76期から82期まで、7期中8勝が4回。第83期7回戦までの順位戦通算成績は57勝20敗.740。驚異の7割台である。
公式戦の通算成績は309勝139敗.6897なので、順位戦のほうが成績がよい。その間、タイトル戦にも2回登場している。これでどうして昇級できないのか、まさに将棋界の七不思議だ。
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関浩七段、逝去

2024-12-06 23:42:33 | 男性棋士
5日の当ブログは、973人の訪問、1717ページビューだった。ページビューはこの3日間、似た数字になっている。

   ◇

関浩七段が、11月11日に亡くなっていたとのこと。享年64歳。
関七段は1985年3月デビュー。私は知らなかったのだが、羽生善治四段に初黒星を付けた棋士だった。
私はむしろ順位戦1年目の成績に驚いた記憶がある。関四段は1985年度の第44期順位戦に間に合ったのだが、いきなり3連敗。以後どうなることかと思ったが7勝3敗で1期目を終えた。
ある年、関七段は、自宅の近所に出没した泥棒を捕まえた。これは新聞にも載ったから、知る人ぞ知る。私もその記事を観戦記スクラップに貼ったのだが、そのノートは2017年に棄ててしまった。これはいまでも後悔している。
結局順位戦では昇級できぬまま、1997年、フリークラスに降級。ただ、竜王戦では4組まで昇級している。
2007年、46歳で現役引退となった。
関七段といえば、指し将棋より文筆である。関七段はいつごろからか、毎日新聞で名人戦・A級順位戦の観戦記者を務めた。「将棋世界」などでも、たびたび健筆をふるった。その文体は本人のイメージ通り、誠実なものだった。将棋ペンクラブ大賞にも何度か最終選考に残ったが、ついぞ入賞することはなかった。私は関七段をひそかに、「無冠の帝王」と呼んでいた。
そんな関七段だから、河口俊彦八段「新・対局日誌」、先崎学九段「千駄ヶ谷市場」に続く読みもの連載が務められたと思うのだが、その機会はなかった。
それにしても64歳とは……。医学は長足の進歩をとげているが、それだけではどうしようもない人間の寿命があるのか。
これから滋味を増した文章が読めると思ったのに……。合掌。
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