一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

中座真八段、引退

2024-06-21 23:31:48 | 男性棋士
19日に第37期竜王戦4組残留決定戦・中座真八段VS野月浩貴八段戦が行われ、野月八段が勝った。中座八段は5月に引退を表明しており、これが現役最後の対局だった。
中座八段は2023年3月1日より11月30日まで、体調不良を理由に休場していた。昨年末、ようやく休場が明けた矢先にかくのごとくで、残念でならない。もはや、長時間での対局がままならなかったのだろう。

中座八段は1996年4月1日四段。1995年度後期の三段リーグでは、最終戦を負けて12勝6敗。当時中座三段は26歳で、このリーグ戦を最後と思って指していた。しかし到底昇段できる星ではなく、中座三段は絶望の淵に落ちた。だが、奇跡が起きる。競争相手の3人も最終戦で次々と敗れ、中座三段の四段昇段が決まったのだった。
四段昇段を知らされた中座三段は、ヘナヘナとその場で崩れ落ちた。このときの場面は、いまでも語り草になっている。
1997年の第56期C級2組順位戦で、中座四段は松本佳介四段相手に横歩取りの形から「△8五飛」と指した。ふつうは下段まで飛車を引くところを、中座する形で留め置く。これが画期的な新手で、この日同じ部屋で指していた野月四段はその優秀性を見抜き、以後、連採するようになる。その野月八段が、中座八段の最後の相手になろうとは……!!
そして後手になった野月八段は、中座八段に「中座飛車」を指したのだった。
ときに将棋界は、作り話のようなことが起こる。これもまたその一つであった。
中座八段は、2003年に中倉彰子女流二段と結婚した。
2007年にLPSAが設立された際は、中倉女流二段がLPSA所属になったこともあり、LPSAのイベントでは、中座八段がよく解説で出演してくれた。
その中座八段に、私は一度だけ、指導対局を受けたことがある。角落ちで、下手の私は、本家相手に「中座飛車」を指したのだった(「第10回武蔵の国 府中けやきカップ(2)」「第10回武蔵の国 府中けやきカップ(3)」「第10回武蔵の国 府中けやきカップ(4)」)。
我ながらうまく指しており、自分でないみたいだった。
中座八段は、竜王戦は2組まで昇ったものの、順位戦はC級1組からフリークラスまで降級し、プレーヤーとしては不満の残る成績だったと思う。
だが、自分の望む職業に就き、自身の名を冠した戦法名を残し、美人女流棋士をめとった。棋士として、これ以上の幸せはあるまい。
今後はくれぐれも身体を大事にし、将棋の普及に努めてください。長い間、お疲れ様でした。
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佐藤康光九段の快勝劇

2024-04-14 00:14:00 | 男性棋士
最近びっくりしたのは、10日に行われた第37期竜王戦(主催:読売新聞社、日本将棋連盟)ランキング戦1組準決勝で、54歳の佐藤康光九段が伊藤匠七段に勝ったことだ。
佐藤九段の実績は言うまでもない。元竜王、元名人で、永世棋聖の有資格保持者でもある。順位戦は第81期までA級を張っていた。だから誰に勝ってもおかしくないのだが、相手が伊藤七段とくれば、少々話が違ってくる。
伊藤七段は前期竜王戦の挑戦者で、いまも叡王に挑戦中である。藤井聡太竜王・名人がいなかったら、なにがしかのタイトルを持っていてもおかしくなかった。
そのふたりが対局したら、勢いの差で伊藤七段が勝つと誰もが思う。ところが本局は佐藤九段が勝った。これはびっくりするではないか。
その将棋は佐藤九段の先手で、金矢倉になった。かつて増田康宏八段は「矢倉は終わった」と言った。あまりにも極端な物言いだが、半分は当たっている。しっかり玉を囲って双方端攻めをする牧歌的な「相矢倉」はなくなったが、先手の矢倉自体は細々と生きているのだ。
果たして伊藤七段は、角換わりを思わせる中住まいを採った。これが令和の布陣で、十分戦えると見ているのだ。
だが昭和生まれの私からすると、矢倉城から玉が5二に出てきたように見え、これは先手が勝たなければならないと思った。
先手は一段玉で待ち、後手の居角の直射から逃れる。対して後手は二段玉で、佐藤九段が巧妙に5筋に照準を合わせた。これがハマり、先手が徐々に形勢を良くしていく。
こうなれば佐藤九段はもう逃さない。以下流れるような手順で、後手玉を網にかけ、しぼってゆく。結局、115手まで佐藤九段が勝ったというわけだった。
勝った佐藤九段は、これで決勝トーナメント進出決定。このあと1組決勝に勝てば、スーパーシードのベスト4に置かれる。
そして1組の反対の山は、久保利明九段と山崎隆之八段が勝ち上がってきている。佐藤九段は1組の優勝が2回あるが、久保九段と山崎八段はまだない。よって、誰が優勝しても、話題になる。
また余談ながら、森内俊之九段も4位決定戦で渡辺明九段に勝ち、決勝トーナメント進出まであと1勝としている。
森内九段も53歳。佐藤九段ともども、腕に歳は取らせない、という感じだが、両九段が若手のころはAIがなく、自力で手を読むしかなかった。その苦労がいまごろになって実を結んでいるのではなかろうか。
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宮嶋四段の成績

2024-04-08 20:20:08 | 男性棋士
2023年10月1日付で四段に昇段した宮嶋健太四段。私がお世話になっている大野八一雄七段の門下ということもあり、ライトに応援したい棋士である。
では、この半年間の戦績はどうだったか。とりあえず確認してみよう。

■2023年度
12月19日 第37期竜王戦ランキング戦6組1回戦 ○慶田義法アマ
12月27日 第37期竜王戦ランキング戦6組2回戦 ●黒田尭之五段
1月29日 第74期王将戦一次予選2回戦 ○大石直嗣七段
2月 第74回NHK杯予選1回戦 ●畠山成幸八段
2月24日 第50期棋王戦予選2回戦 ○横山大樹アマ
3月19日 第50期棋王戦予選3回戦 ○出口若武六段
以上、4勝2敗。

順位戦に参加していないと対局数が少なく、6局のみ。それでも4勝2敗はまずまずである。
四段になってのデビュー戦は、もはや定番となっている竜王戦6組の、対アマ戦。アマだからプロ有利ということはなく、このレベルのアマはプロ級であるし、プロ側は出場アマの棋風も知らないから、プロがアマに勝つのは大変なのである。そこをよく勝った。
しかし続く黒田五段に負けたのは痛い。竜王戦は対局料がいいからだ。まあよい、昇級者決定戦で勝ち抜けばよい。
殊勲だったのが次、王将戦の大石七段に勝ったことだ。大石七段は中堅の実力者で、前期順位戦ではB級2組から1組へ昇級した。その大石七段に勝ったのだから大したもの。大きな自信になったのではあるまいか。
次の対局、NHK杯予選で畠山八段に負けたのも痛かった。棋士が顔を売るには、NHK杯で勝って、テレビ出演するのが一番だからである。
まあ1回戦で負けたので、そこまで残念でもなかったが。
続く棋王戦予選で横山アマに勝ったのも見事。横山アマは朝日アマ名人戦6連覇中の強豪で、その辺のプロより有名である(失礼)。そこを宮嶋四段は勝ったわけで、やはりプロはアマより強いのだ。
続く若武六段もタイトル戦経験のある実力者だが、勝ち切った。
2024年度の戦いも楽しみだが、初日の4月1日、宮嶋四段は王将戦一次予選3回戦で、森本才跳四段に敗れた。
ま、本場所の順位戦はこれからだし、宮嶋四段の棋士人生もこれからである。頑張ってください。
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中原誠五段の47勝8敗.855の内訳

2024-03-09 12:49:34 | 男性棋士
年度最高勝率を狙う藤本渚四段は8日、第65期王位戦挑戦者決定リーグで佐々木大地七段に敗れ、46勝9敗.836となった。これにて、1967年度に中原誠五段(現十六世名人)が作った47勝8敗.855の記録を抜けなくなった。
これで残るは、44勝7敗.863の藤井聡太竜王・名人が更新できるかどうかに懸かった。
ところで、いつも引き合いに出される中原五段の1967年度の成績は、どんなものだったのか。棋戦別の勝敗を記しておこう。

第22期順位戦C級1組…○○○○○○●○○○○○(11勝1敗)
第7期十段戦…一次予選○●(1勝1敗)
第17期王将戦…一次予選○○二次予選○●(3勝1敗)
第11期棋聖戦…一次予選○○○二次予選○○本戦○○○○五番勝負○○●●●(11勝3敗)
第12期棋聖戦…本戦○(1勝)
第9期王位戦…予選○○○○(4勝)
第15回王座戦…本戦●(1敗)
第16回王座戦…一次予選○○○○二次予選○○(6勝)
第11回古豪新鋭戦…○○○○(4勝・優勝)
第17回東西対抗勝継戦…○○○●(3勝1敗)
第1回日本将棋連盟杯争奪戦…○○(2勝)
特別対局…○(1勝)
以上、47勝8敗。

東西対抗勝継戦は日本将棋連盟杯争奪戦に変わり、のちに天王戦に変わった。そして1993年、棋王戦に合流した。
古豪新鋭戦は、棋王戦の予選を兼ねた名棋戦へと名称を変え、後に棋王戦に合流した。
NHK杯は、当時は選抜制だったので、中原五段の出場はない。
また新人王戦は、まだ創設されていない。
順位戦C級1組は、当時12局あった。中原五段は6連勝後に木村義徳五段(現九段)に敗れ、デビューからの順位戦連勝は「18」でストップした(「中原五段の順位戦連勝を止めた男」)。
中原五段はこの対局の前まで公式戦でも14連勝しており、この敗戦のあとも9連勝した。勝負事にタラレバを言っても詮無いが、もし中原五段が木村五段に勝っていたら、24連勝というとんでもない記録が生まれていた。
11月21日には、第11期棋聖戦本戦準決勝で大山康晴名人(現十五世名人)と初対局。これに勝って挑戦者決定戦に駒を進めた。
大山名人はこの敗戦で、全タイトル戦での連続出場記録が「50」で途切れた。大山名人はこの敗戦をとても悔しがっていたという(「今日は何の日・11月21日」)。
「初対局」としては、中原五段は7月14日に、同じ棋聖戦二次予選で升田幸三九段(現実力制第四代名人)とも当たっている。もちろん勝ち、大山名人と当たったわけだ。中原五段がこの年に、将棋界を代表する両巨頭と当たっていたとは、なかなかに興味深い。
なお第11期棋聖戦は、中原五段が板谷進六段(現九段)との挑戦者決定戦に勝ち、20歳にしてタイトル戦初登場となった。いまでも20歳のタイトル戦登場は衝撃的だから、当時はもっとセンセーショナルだった。結果は山田道美棋聖に2勝3敗で敗れたが、新鋭中原五段の名は全国区になった。その後の活躍は周知の通りである。
こうしてみると、藤井竜王・名人こそ、中原五段の記録を抜くにふさわしい。そして、藤井竜王・名人が最高勝率を塗り替えても、またその記録を自身が抜きそうな気がするのだ。
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阿部光瑠七段の期待はずれ

2024-02-19 23:39:10 | 男性棋士
先日の第82期C級2組順位戦だが、ちょっと気になる棋士がいた。阿部光瑠七段である。
阿部七段は2011年4月、16歳5ヶ月で四段デビュー。藤井聡太竜王・名人、渡辺明九段などを見るまでもなく、デビューが早ければ早いほど活躍するのは道理である。「こうる」という21世紀的な名前、捉えどころのない風貌など、これは大変な棋士が現れたと思った。
ところが阿部七段は、順位戦の1期目に、いきなり5連敗を喫してしまう。順位戦はそこから4勝1敗と盛り返し辛くも降級点を免れたが、おいおいこんなことで大丈夫かと思った。
翌第71期は6勝を挙げ勝ち越し。第72期は7勝を挙げ、ようやく調子が上がったかに見えたが、第73期は4勝6敗で再び負け越しとなった。
この間、2014年の第45期新人王戦では、佐々木勇気五段に2勝1敗で勝ち、棋戦初優勝を飾った。
その後も各棋戦では、竜王戦の4組昇級をはじめそこそこの活躍はするのだが、順位戦はもう一押しが足りない。それどころか第75期は3勝7敗に終わり、降級点を取ってしまった。
第77期では自己最高の8勝2敗を挙げたが、順位の差で昇級できず。ちなみにこのときは、同じ8勝2敗の佐々木大地四段が頭ハネを食らっている。
以下、阿部七段は本日まで順位戦C級2組在籍である。デビュー当時の衝撃はどこへやら。いまはふつうの棋士になってしまった。
では、順位戦の成績だけ記してみよう。

2011年度 第70期 ㊹4-6
2012年度 第71期 ㉜6-4
2013年度 第72期 ⑭7-3
2014年度 第73期 ⑩4-6
2015年度 第74期 ㉜5-5
2016年度 第75期 ㉗3-7
2017年度 第76期 ㊵7-3
2018年度 第77期 ⑪8-2
2019年度 第78期 ⑥6-4
2020年度 第79期 ⑭6-4
2021年度 第80期 ⑱7-3
2022年度 第81期 ⑯4-6
2023年度 第82期 ㉝4-5(9局まで)

降級点を取ったあとに5期連続で勝ち越しているのに、1回目の降級点は消えず。まことに恐ろしいルールだ。
順位戦通算は71勝58敗(.550)。全棋戦の通算が317勝209敗(.6026)なので、いかに順位戦に相性が悪いかが分かる。
そして今年度の順位戦は、5連敗のあと4連勝。いよいよ尻に火がつくと強くなるようだが、16歳の天才少年が、いまだにこのクラスでジタバタしているようではダメである。
C級2組にいると、油断しているとすぐ降級してしまう。とくに阿部七段の場合は、2年連続悪い成績を取ったら、もう降級である。せめてB級2組くらいにいれば、下に落ちるにも相当な年数がかかる。だから早いとこ昇級しておかないとダメなのだ。
佐々木七段と阿部七段は、順位戦の昇級がないのに現役九段になりそうで、恐い。
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