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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

「特別史跡埼玉古墳群 愛宕山古墳発掘調査見学会」に参加してきました

2024年02月10日 | 企画展・見学会

埼玉県立さきたま史跡の博物館主催
特別史跡埼玉古墳群 愛宕山古墳発掘調査見学会 墳丘前方部・周堀南側の調査成果
開催日時:令和6年(2024)2月10日(土) 10:00~13:00
に参加してきました。


受付場所の「さきたま古墳公園レストハウス」
開始前に到着したものの既に沢山の参加者が集まっており、グループによる見学も始まっていました。



見学場所である愛宕山古墳に向かうに先立って、さきたま史跡の博物館職員によるさきたま古墳群・愛宕
山古墳についての説明がありました。



見学を終えて戻ってきたグループと入れ違いに道路を横断して愛宕山古墳に向かいます。現地では別のグ
ループが見学中です。



愛宕山古墳前方部の「3トレンチ」と内堀・中堀・外堀
のもので

後円部墳頂から「4トレンチ」(調査継続中)を見学しています。


受付時に頂いた「現地見学会資料」
二つ折り4ページのもので、1ページと4ページです。


見学日:令和6年(2024)2月10日(土)

本庄総合公園の梅花

2024年02月09日 | 花・鳥・風景

本庄総合公園(本庄市北堀)まで梅の花を観に行ってきました。これを観梅と言うようですが。
別件で近くまで行ったことはありましたが、公園を訪ねたのは初めてのうえに、梅林がどこにあるかも調
べずに行ったものですから、一番遠いところに駐車してしまったようです。






























観梅日:令和6年(2024)2月8日(木)

企画展「王朝時代のかみさと-『源氏物語』の時代の上里町を考える-」

2024年02月08日 | 企画展・見学会

                          上里町立図書館・郷土資料館 と 企画展展示解説書
上里町立郷土資料館企画展
「王朝時代のかみさと-『源氏物語』の時代の上里町を考える-」
会 期:令和6年1月11日(木)~2月21日(水) ※展示解説書には2月18日までとあります
会 場:上里町立郷土資料館特別展示室 (児玉郡上里町七本木67)
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 上里町内では、これまでに大小合わせて、150か所以上もの遺跡が確認されており、部分的ではありますが現在
まで発掘調査が行われてきました。これら遺跡の調査によって、かつて町に暮らした人々の様子が今、少しづつで
すが明らかになってきています。
 本展は、今から1,000年ほど前の平安時代(744~1192)の人々を特集します。特にこの時期の9世紀~12世紀に
かけては、平安時代の半ばから後半にあたり、歴史学では「王朝時代」とも呼ばれます。
 この頃、上里町はどのような時代で、そこに暮らした人々はどんな日々を過ごしていたのでしょうか。これまで
の調査結果から考えたいと思います。                        上里町立郷土資料館

                                 《あいさつ文から抜粋引用》
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を観覧してきました。

今年のNHK大河ドラマは『光る君へ』であり、この主人公である紫式部が『源氏物語』を書き上げたのも
この時期ですので、この時代に合わせた企画展とも言えるかも知れません。


本企画展は、
 はじめに
 第1章 王朝時代以前のかみさと
  1-1奈良時代から平安時代初めの集落
   (1)田通遺跡
   (2)北稲塚遺跡
   (3)寺西遺跡
   (4)油免遺跡)
  1-2王朝以前の集落の特徴
   (1)土師器と須恵器の利用
   (2)武蔵型甕の使用
   (3)円面硯と帯金具の出土と地方役人の影
   (4)古墳と埴輪の出土 集落の人々のご先祖様?
 第2章 王朝時代のかみさと
  2-1王朝時代の遺跡群
   (1)田中に志遺跡
   (2)日月遺跡)
   (3)水引塚遺跡
   (4)中長遺跡
   (5)長幡部周辺出土土器
  2-2王朝時代とは、どんな時代だったのか 王朝時代の特徴
   (1)条里制水田の開発
   (2)灰釉陶器の流入
   (3)羽釜の登場
   (4)須恵器の色彩と変化
   (5)碗の変化」
   (6)「ての字皿」の登場とその謎
 第3章 まとめ 王朝時代の以前と以後
   (1)集落の立地と支配者の変化
   (2)流通 モノの動きの変化
   (3)都の文化・思想の流入
 おわりに 上里町の王朝時代の主人公

から構成されていて、沢山の解説パネル・写真と出土品が展示されていました。


観覧日:令和6年(2024)2月8日(木)

雪・・・記憶はあてにならないので

2024年02月05日 | 花・鳥・風景

令和6年2月5日月曜日 朝から降り始めました。明日まで降り続くのでしょうか?
1週間もすれば雪がいつ降ったのか記憶も定かでなくなってしまうでしょうから、記録としてここに残し
ておきましょう。



庭の南天です


いつもなら鳥が啄ばみに来て実がなくなっているのですが・・・

降雪日:令和6年(2024)2月5日(月)

「箭弓稲荷神社本殿・幣殿・拝殿」が国指定重要文化財に

2024年02月04日 | 史跡・遺跡・文化財

箭弓(やきゅう)と付くことから野球関係者が多く参拝することで有名な東松山市の箭弓稲荷神社が、この度、
国の重要文化財に指定されましたので参詣してきました。
 社 名:箭弓稲荷神社
 創 建:和銅5年(712年)
 主祭神:保食神(宇迦之御魂神・豊受比賣神)
 社格等:旧県社・別表神社
 様 式:権現造
 鎮座地:埼玉県東松山市箭弓町2-5-14

国の文化審議会文化財分科会が東松山市の「箭弓稲荷神社本殿・幣殿・拝殿」を国指定重要文化財へ指定
するよう文部科学大臣に答申したのが、昨年である令和5年11月24日でした。そして、本年令和6年1月19日
(金)文部科学大臣から国の重要文化財に指定する告示がなされ、晴れて国指定重要文化財となりました。
これで埼玉県のおける国指定重要有形文化財は81件(5件は国宝)、うち建造物は29件(1件は国宝)となり、
「箭弓稲荷神社本殿・幣殿・拝殿」は建造物のうちの1件となります。



令和6年1月19日付の官報  赤枠で囲ったところが「箭弓稲荷神社本殿・幣殿・拝殿」で、
附として、元宮本殿 1棟、棟札 3枚、文書 1冊



一の鳥居と社号標  旧社格が県社であったことから「懸社箭弓稲荷神社」のままになっています
二の鳥居は三の鳥居の少し手前にあります



三の鳥居  両部鳥居ですね


拝殿正面  丁度節分の日で豆撒き用の舞台が組まれていました
この後続々と人が舞台前に集まってきました



拝殿向拝の彫刻


向拝脇にある大きな絵馬  当神社の近くにある県立松山女子高等学校美術部の方たちが毎年製作してい
ます



左:本殿  右:拝殿


左:本殿  右:拝殿


本殿  背後から
本殿屋根の両端にある千木と鰹木  鰹木は5本  千木は外削ぎ(そとそぎ)の形
千木は本来V字型に上に出ていますが ここのは何故か両端とも片方(1本)だけしか写っていませんが、
撮った角度の関係でしょうか?



左:拝殿  右:本殿  拝殿と本殿の間に幣殿がありますが透塀で見えません


本殿火頭窓彫刻『二龍』


本殿縁の下持送り彫刻『龍』  本殿の四隅のある内のひとつ
この他にもたくさんの彫刻が施されていますが、取りあえずこの2点で



元宮本殿  本殿の後方に鎮座  
『附・元宮本殿 1棟】 として 本殿・幣殿・拝殿などとともに重要文化財に指定



神楽殿


箭弓(やきゅう) →  野球  ということから 野球のバットの絵馬


ベースの形をした絵馬


ギネス世界記録に認定された巨大御朱印のスタンプ (平成28年5月21日認定)
印面 130×130cm
高さ 142cm
重さ 420kg
材種 欅 埼玉県の木(樹齢約500年)
和紙 細川紙(ユネスコ無形文化遺産)


ほかにも紹介すべき関連建物や彫刻などがありますが、折を見て・・・

参詣日:令和6年(2024)1月3日(土)

吉見町 権現遺跡・二ノ耕地遺跡 見学会

2024年02月03日 | 企画展・見学会


令和5年度 第4回 遺跡見学会
 吉見町 権現遺跡(第2次)二ノ耕地遺跡(第3次)
開催日:令和6年2月3日(土) 
場 所:埼玉県比企郡吉見町久保田地内
主 催:埼玉県教育委員会 公益社団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
後 援:吉見町教育委員会

に参加してきました。(事前予約制)

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 権現遺跡と二ノ耕地遺跡は、西を流れる市野川と東を流れる荒川に挟まれた自然堤防上に立地しています。権
現遺跡第2次調査(第1・2地点)では古墳時代から中世の遺構と遺物、二ノ耕地遺跡第3次(第3・4地点)
では古墳時代の方形周溝墓と奈良・平安時代の掘立柱建物跡が見つかっています。これらは、吉見町の歴史を紐
解く上で貴重な発見です。 
                                       《遺跡見学会資料より》

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プレハブの建物の1階が「遺物展示場」となっており、権現遺跡・二ノ耕地遺跡 からの出土品や発掘状
況の写真が展示されています。今回の遺跡見学会の対象である遺跡はこのプレハブの後方にあります。


遺跡見学会の受付 
この前を走っている道路は主要地方道東松山鴻巣線で、現在この道路の4車線工事を行っており、この発
掘調査はこの工事に伴うもののようです。
見学は予約してあった時間帯ごとに10人ずつのグループで埋蔵文化財調査事業団の職員の案内での見学で
す。いつものように写真撮影は許可されていましたが、あくまでも個人で見るだけにして、SNS等での拡
散は禁止です(現在も発掘中であり、当然、報告書もできていないので)



遺跡見学会資料


発掘現場の遠景   

見学日:令和6年2月3日(土)

遠山の甌穴

2024年02月01日 | 史跡・遺跡・文化財

『遠山の甌穴』を3年ぶりに訪ねてみました。
甌穴とは河底や河岸の岩石面上にできる円形の穴で、ポットホール(pot hole)、または甕穴(かめあな)
も言われます。 河床の岩盤で小さな石が水流により一か所でクルクル回るうちに、少しずつその表面を削
り、長い年月をかけて開いた丸い穴とのことです。この遠山の甌穴は、比企郡嵐山町遠山地内を流れる槻
川の岩畳に大小7基あるようです。
【遠山の甌穴群】の名称で、平成28年(2016)1月28日に嵐山町指定の天然記念物となっています。
前回から3年後に訪ねたからと言って、数十万年から数百万年かけてできると推測される甌穴が僅か3年
で何か変化があるわけではありません。
しかし、3年前に訪ねた後に、看板が設置されたようでしたので、その看板を確認してみたいというのが
主目的でした。



甌穴見学者用のこの駐車場は以前からあるもので、この日先客が1台(1人)ありました


道路から大きな甌穴を


岩畳の上に降りて大きな甌穴を撮ってきましたが、看板の右側にある甌穴は無理でした


まるでドミノを倒したような形の岩畳ですから非常に歩きづらく、今回は大きな甌穴を1基撮っただけで終
えました


散策日:令和6年(2024)1月31日(水)