四季・めぐりめぐりて

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真板氏館(埼玉県行田市)

2020年01月02日 | 100名城以外の城館跡


城 名:真板氏館(まないたしやかた)
別 名:真名板氏館
形 態:館
時 期:鎌倉時代
築城主:真板五郎次郎経朝
城 主:真板五郎次郎経朝
遺 構:-
指 定:-
現 況:花蔵院跡地真名板薬師堂
所在地:埼玉県行田市真名板1532 

行田市真名板地内の花蔵院(廃寺)真名板薬師堂境内が、鎌倉幕府の御家人真板五郎次郎経朝の居館跡と
伝わります。
経朝は弓の名手で、仁治4年(1243)以降11回に渡り、正月行事である御的始の射手を務めたことが『吾
妻鏡』に記されているようで、第35巻の中に、

仁治四年正月大十日丁亥。天晴。御弓始也。前太宰少貳爲申次。二五度射之。就箭員有祿。殿上人賜之云々。
射手
 一番  佐原七郎左衛門尉     澁谷六郎
 二番  中村太郎〔伊達〕     山内左衛門次郎
 三番  眞板五郎次郎       小河左衛門尉
 四番  神地四郎         對馬太郎
 五番  岡部左衛門四郎      肥田四郎左衛門尉

とあります。

館跡とされる薬師堂境内には遺構らしきものは認められませんが、当所にある薬師如来像や大板碑、公孫
樹は、経朝が活躍した鎌倉時代のもののようです。
なお、真板氏がここに居館を構えていたと伝わる以外は、出自やその後については分っていません。

そんな真板氏館跡と伝わる真名板薬師堂を訪ねてみました。




『楼門』 「藥王山」の扁額




「仁王像」




『力石』(ちからいし)




『新渠之碑』 慶応2年1(866)10月建立
碑の左側には、原文と原文意訳が記された説明板が設置されています。

碑の右側に②と記号を入れましたが、諸先輩方の真板氏館のリポートの写真では、ここに『真板氏館跡』
の石碑が写っています。行田市内でよく見かけるあの板石のものですが、私が訪問した時はこの通り石碑
はありませんでした。
元々は、トップの写真で玉垣の前に①と入れた場所に建っていたものを、②に移したようですが、撤去さ
れたようです。撤去されてから数年経つようですが、その理由は分りません。ここを真板氏館跡と名乗る
ことに何か不都合でも生じたのでしょうか?




『真名板薬師堂の公孫樹』 市指定天然記念物  指定年月日  昭和33(1958)年3月1日
薬師堂の前に東西に一列に3本植栽されています。雄木2本、雌木1本(東側)から成り、最大目通り5.5m、
まわり8.2mを計り、樹齢700年とも伝わる市内有数の巨木。




『薬師堂』




薬師堂に掲げられている薬師如来の額




埼玉県指定文化財  
   銅造伝薬師如来立像      
                                平成17年3月22日指定
像が安置されているこの薬師堂は、江戸時代にこの土地にあった花蔵院という真言宗寺院の境内にあって、
その差配を受けていた堂であったといわれています(『新編武蔵風土記』)
花蔵院は明治時代初期に廃寺となり、現在は薬師堂のみが残り、この像は両手先が失われていることから
「手なし薬師」として地域の信仰を集めています。
像の製作時期は鎌倉時代後期であり、この時期の金銅仏は全体的に小作りなものが多い中で94㎝目―もの
像高を持つ像は珍しいものといえます。また、薬師堂の近くには、この像とほぼ同じ時期にあたる「建治
元年(1275)銘の板石塔婆(行田市指定文化財)があります。
 平成19年12月                埼玉県教育委員会  行田市教育委員会




『板石塔婆』   行田市指定文化財         昭和34年3月19日指定
高さ3.51m、幅87㎝、厚さ13.7㎝行田市内で最も大きな板石塔婆
上部に伊字ノ三点、その下に阿弥陀一尊の種子(キリーク)を荘厳体で刻み中央の蓮台の上に「南無阿弥
陀仏」の銘文、左右に長五輪塔、下部に建治元年(1275)乙亥九月の記年銘と銘文が刻まれている。
     
地名は「真名板」 名は「真板」と表記しますが、いずれも「まないた」と読みます。
真板氏については真名板と表記することもあるようです。

散策日:令和元年(2019)11月21日(木)