四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

細川紙の世界

2015年02月12日 | 講演会・講座


平成21年(2009)にユネスコ無形文化遺産に登録された「石州半紙」(島根県)に、国指定無形重要文化財(保持団体認定)である「本美濃紙」(岐阜県)、
「細川紙」(埼玉県)を追加して拡張登録を申請していた「和紙:日本の手漉和紙技術」が、昨2014年11月27日に登録決定しました。

それから約2か月半を経過した昨2月11日、「細川紙」の生産地である小川町・東秩父村・小川町教育委員会・東秩父村教育委員会主催による
『ユネスコ無形文化遺産登録記念事業 細川紙の世界』がリリックおがわ(小川町民会館)で開催されましたので聴講してきました。




会場のリリックおがわ(小川町民会館)です。
開会30分程前に会場入りしましたが、すでに一般席は満員状態でした。




オープニングは、地元埼玉県立小川高等学校音楽部の皆さんによるコーラスでした。




続いて、平成25年度文化庁工芸技術記録映画「細 川 紙」の上映です。

楮きり(かずきり)-楮かしき・楮むきー楮ひきー楮煮ー楮さらしー楮打ちーとろ叩きー紙漉きー紙干しー紙そろえといった
製品になるまでの一連の工程やその他が記録されたもので、1枚の和紙が出来るまでがいかに大変かを教えていただきました。

上記写真は、映画の一コマで「楮さらし」の模様です。

この工程や、細川紙(和紙)についてここに詳しくは書けませんので省略します。




こうした催しには付きもののお偉方さんたちの登壇と挨拶です。




記念講演会  「期待される細川紙」

講師は、文化庁主任文化財調査官 近藤都代子氏  
   1 「ユネスコ無形文化遺産」について
   2 「重要無形文化財」について
   3 重要無形文化財・ユネスコ無形文化遺産「細川紙」について
を詳しく説明していただきました。

この手漉き和紙の技術がユネスコ無形文化遺産に登録決定された際、他の和紙の産地から「なぜうちは登録
されないの」、「私の産地には人間国宝がいるのに」等といったコメントがありましたが、なぜ、「石州半紙」、
「本美濃紙」、「細川紙」以外が対象になっていなかった理由についての説明などもあり、ひとり納得。



数多い説明のスライド画像の中の1枚です。




記念講演の後、細川紙技術者協会の会員・準会員・研修生等が紹介されました。
鷹野会長の「和紙の卒業証書」の話は大変良かったです。

休憩をはさんだあとのアトラクションは、








和紙を着る 紙子(かみこ)

と題して、細川紙で作った紙子ファッションショーが行われ、ホール上段からモデルさんが通路を降りて
きて登壇し、また戻るといった方法で、先達を務めたのは地元小川町立欅中学校吹奏楽部の生徒さん。

ショーの間の音楽演奏は、同じく町立西中学校吹奏楽部(男性モデルの際)、
町立東中学校吹奏楽部(女性モデルの際)の生徒さんたちが務めてくれました。

以上でこの催しは終わりになりましたが、映画と講演は非常に勉強になりました。




今回いただいた資料です。

聴講日:2015年(平成27年)2月11日(水)          

腰越城跡(埼玉県小川町)

2015年02月04日 | 100名城以外の城館跡


埼玉県指定史跡である『腰越城跡』を再攻城してきました。(初攻城は平成21年(2009)年4月でしたが、記事にはしてありません)

腰越城は、小川町腰越地区にある比高110メートルほどの山にあった山城です。
軍記に短い記載があるだけでこれといった史料はないそうですが、松山城(比企郡吉見町)の支城と
しての位置づけで、天文年間(1532~55年)に築城されたのではないかと言われています。

腰越城の説明については、本郭跡に設置された案内板の記述を以下に転記しておきます。


県指定史跡 腰越城跡
 腰越城跡は、槻川に三方を囲まれた天然の要害の地に築かれた戦国時代の典型的な山城です。本郭からは東に小川筋、
西に安戸筋(東秩父村)をよく眺めることができます。城跡には城山、西側山麓には城を守る武士達の居住地を示す根古屋、南東側山麓には
城への入口を思わせる榎木戸などの地名が残っています。
 この城は安戸を根拠地とする松山城主上田氏の家老として仕えた山田伊賀守直定(1562歿)の居城と伝えられ、
安戸への入口を守る重要な役割を果たした城と考えられます。
 城跡は最高所の本郭を中心に二の郭・西の郭・帯郭・竪堀・堀切などから構成されています。中でも寄せ手の横移動を
防ぐ竪堀が多いことや、本郭に至る通路が複雑なことがこの城の大きな特徴です。
            
                                 平成2年7月 小川町教育委員会




腰越城跡には駐車場がありませんので、近くにある「パトリアおがわ」(小川町総合福祉センター)の駐車場を利用させてもらいます。
また、徒歩の方は、小川町駅から東秩父方面行きのバスに乗車し、「パトリアおがわ」で下車すればすぐです。




「パトリアおがわ」の駐車場前には腰越城跡の案内板と城跡模型が設置されています。




駐車場内に、腰越城跡への案内標識が2か所設置されていますので迷うことはありません。




県道11号線に出ますと道路反対側に、腰越城跡入口の標識と、腰越城跡の大きな看板が目に入ります。




民家の間を入っていきますと




「腰越城跡入口」の木戸があります。かつて木戸があったか否かは不明のようですが、想像で設けたようです。
模擬にしろこんな木戸があるだけでも、城攻めの雰囲気が醸し出されますのでよいですね。
また、杖代わりの木の枝や竹の枝が何本も置いてありますので、持参しなくも大丈夫でした。




登山道にはこのような標識が出ています。




頂上まであと300メートルです。あと300メートルとは言え平場と違いますので既に息はゼイゼイの私です。




尾根まで来ました。二重堀切があるのですが、写真は撮り損ないました。




腰越城跡配置図です。要所要所に設置されていましたが、平城跡と違って全体を見渡すことができないために、
配置図と自身の居る位置がなかなか掴めませんでした。そうでなくとも腰越城の縄張りは複雑なものですから。




竪堀に設けられた階段です。無論、こんな階段があったら簡単に敵から攻められてしまいますから、城跡見学用のためのもの。
上で二股に分かれますので、右の本郭方向に。




登りきったところが「二の郭跡」です。写真右上が本郭跡ですが、ここは最後にして・・・




「小口跡」です。




「堀切・竪堀跡」ですが写真に入っていなかったようです。




「西の郭跡」です。




同じく「西の郭跡」ですが、土塁が見えます。土塁の先は危険個所としてロープが張られていますが、
ロープを張った杭が朽ちていて別の意味でも危険な状態でした。




杭に「この先は危険です。」とありますが、この杭を初めだいたいの杭の下の方が朽ちていてグラグラしていました。




「囮小口跡」です。小口と思い進んでいくと行き止まり。




囮小口入り口に石垣を積み、いかにも小口だと思わせていたのでしょう。




郭跡ですが、何郭かわかりませんでした。




本郭小口前にある帯郭




「本郭跡」




「本郭跡碑」




裏の碑文です。腰越城主山田氏の末裔が建立したようです。




「腰越城跡碑」と「腰越城跡案内板」です。冒頭の腰越城跡説明文は、この案内板からの転記です。






本郭跡にはこのような案内板も設置されていました。
これには小川町の市街地の写真と腰越城に関しての説明(下の写真は説明文を拡大したもの)




こちらは東秩父方面の写真と、城主山田氏関連の説明




本郭跡から望む小川町市街




こちらは東秩父村を

多分、見落とした郭や堀切等が多数あったと思いますが、複雑な縄張りゆえに仕方ないですね。
大分前に設置したと思われる木製の案内板(標識)は朽ちてしまい文字も読み取れない状態でしたが、金属製の案内板
(標識)が随所に設けられていましたので助かりました。       

攻城日 2015(平成27)年2月4日(水)              

シンポジウム 『 戦国時代は関東から始まった 』

2015年02月02日 | 講演会・講座


2月1日、国立女性教育会館講堂を会場にして、埼玉県立嵐山史跡の博物館主催による
   シンポジウム 『戦国時代は関東から始まった』
を聴講してきました。

基調講演 
   山田 邦明 氏 (愛知大学教授)
 「享徳の乱と太田道灌」 
報告1 
   江田 郁夫 氏 (栃木県立博物館)
    「15世紀後半の下野大名と国衆」
報告2
   田中 信 氏 (川越市立博物館) 
   「戦国時代の河越城とその周辺~「かわらけ」から考える戦国時代~」
報告3
   青木 文彦 氏 (さいたま市教育委員会)
   「戦国時代の岩付城とその周辺」 
討論
  パネリスト 山田 邦明 氏・江田 郁夫 氏・田中 信 氏・青木 文彦 氏
 コーディネーター 
   長塚 孝 氏(馬の博物館)
   渡 政和 氏(嵐山史跡の博物館)

また、会場に見えていた「享徳の乱」の命名者峰岸純夫先生のご発言もありました。




会場となった「国立女性教育会館 講堂」
定員500名に対し、640名以上の申し込みがあったそうで、約140名の方が抽選から漏れてしまったようです。




シンポジウムスケジュールです。
雑誌等で読んだ上っ面の知識しかない私には難しいかったかもしれません。
休憩時間に参加者同士の話しが耳に入ってきましたが、みなさん歴史等に詳しい人ばかり。
何も知らない私は、小さくなって静かに聞き入るだけでした。




シンポジウムの資料集(¥500受講料含)と購入してきた図録(埼玉県立嵐山史跡の博物館で開催中の
【企画展 道灌の時代 戦国時代は関東から始まった】)¥400

聴講日:2015年(平成27年)2月1日(日)