四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

帯刀古墳群

2023年09月04日 | 古墳


名 称:帯刀古墳群(たてわきこふんぐん)
概 要:神流川流域右岸に分布する古墳群。円墳約20基が現存
築 造:古墳時代後期(6世紀後半)
出土品:埴輪・玉類・銅釧などの装身具など
選 定:埼玉県選定重要遺跡 名称:帯刀古墳群 昭和51年(1976)10月1日選定
所在地:埼玉県児玉郡上里町帯刀、五明、長浜


かつては30基以上の円墳が存在していたようですが、農地転用や削平等で消滅したものがあり現在は20基程度が
現存されるとするも実際の数はわかりません。本筋から外れますが、古墳群の名称「帯刀古墳群」の「帯刀」に
ついて少し記しておきます。

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久寿2年(1155)8月16日、源 義賢(木曽義仲の父)は、武蔵国比企郡大蔵(現在の埼玉県比企郡嵐山町)の大
蔵館を甥である源 義平(義賢の兄の源義朝の子・源頼朝異母兄)らに襲撃されて同日討ち死にしたとされるのが
定説となっています。
ですが、ここ帯刀地域においては、大蔵合戦で敗れた源義賢は上野国に逃れようと、8月28日この地にまで来たと
ころ敵方に追いつかれて打ち取られてしまった。これを哀れと思った村人はこの地に埋葬し墓を建て、村名の上長
村を帯刀村に改称したとの伝えである。帯刀(たてわき)とは皇太子の護衛にあたった武官の官職名で、源義賢は
その長官である先生(せんじょう)であり、「帯刀先生(たてわきせんじょう)」と呼ばれていたことから、帯刀
を村名にしたということのようです。今は合併により大字のひとつとなっています。

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今回巡ってきた古墳を史跡記号と名称を赤字で入れてみました。実はもっと多くの古墳を回るつもりで位置を書き入れた
メモを作っていったのですが、中々見つからず同じ道を行ったり来たりでした。通り過ぎてしまったものや、既に消滅し
ていたものもあるようで、成果はこの程度でした(いつものことですが)
なお、個々の古墳の直径や高さ等の規模は記しませんので写真を見て大きさを想像して下さい。



上越新幹線の高架の向こうに見えるのが帯刀古墳群の主墳とも言える「稲荷塚古墳・帯刀1号墳」
但し、地図によってはこの古墳は帯刀11号墳とあります。また、この稲荷塚古墳の東南東約280mの場所で高架下沿いの
道の脇にも稲荷山古墳と名がついた古墳があります。どちらが正しいのかわかりませんが、皆さんここを「稲荷塚古墳・
帯刀1号墳」としていますので、疑問を感じつつも当ブログもそれに倣うことにします。



帯刀古墳群の標識と説明板 背後の高まりが「稲荷塚古墳」


説明板の文字と略図はほとんど読めない状態です。昭和61年3月建立のようですが・・・


古墳南東の高架下沿いの道路から


南側から  鳥居の神額には「松下稲荷」と揮毫されています。稲荷塚古墳と言われる所以でしょう。


墳頂にある小祠(稲荷神社)


南西方向から


北方向から


円墳の北東斜面に見られる沢山の河原石 ほかの場所には見られませんが葺石でしょうか?  

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鬼塚古墳  東側道路から


鬼塚古墳  北側道路から

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帯刀15号墳 南東方向から 
墳頂部が削平されたように広くなっています 石造物が2~3基見えますが近付けないので確認できませんでした

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福昌寺」 山号を士峯山と号する曹洞宗の寺院です。過去に2~3度参詣していましたが、その際は山門があり
ませんでした。いつの間にか建立されていたようで、記念碑を見ると令和3年12月の建立のようでした。
帯刀先生こと源義賢の墓(宝篋印塔)があるお寺で源義賢の没(久寿2年〔1155〕)後から300余年経た寛正5年
(1464)に創建され帯刀山士峰院と称したのが始まりとされます。
この福昌寺境内にも複数の古墳がありますので幾つかを。



福昌寺本堂前にある  帯刀29号墳 石段脇の石の前に「上里町 107号古墳」と記された小立て札があります。
107というのは上里町の遺跡の遺跡番号をスライドしています。
帯刀※※号墳 と 上里町 ※※※号古墳(或いは 帯刀古墳群※※※号古墳) と言った複数の呼称があって
ややこしくしています。更に、帯刀古墳(例)などの名称を持つ古墳もありますので統一した呼び方ができませ
ん。
墳頂の石碑は源義賢(帯刀先生)を称えた碑ですが、全部漢字のうえ大分古いものですので読むとなると大変で
しょう。



帯刀29号墳 西側から


帯刀29号墳 東側から


「上里町 106号古墳」


「上里町 105号古墳」? 立札がなかったので自信なし


本堂裏にある帯刀26号墳 「上里町104号古墳」の小立て札あり
ほとんど古墳の形を残していないようです


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帯刀22号墳  石段脇に「上里町 101号古墳」と記された小立て札があります。背後と横は墓地です


墳頂にある小祠とその覆い屋  および石碑

散策日:令和5年(2023)8月27日(日)

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