四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

「国指定史跡 鎌倉街道上道」を歩く Ⅱ

2022年12月06日 | 鎌倉街道


埼玉県毛呂山町の「鎌倉街道上道」(かまくらかいどうかみつみち)が、令和4年11月10日国の史跡に指
定されました。
指定の範囲は、交通遺跡、集落跡、寺院跡、塚の異なる種類の遺跡で構成され、街道跡は北から鎌倉街道
B遺跡・同C遺跡・同A遺跡・仏坂(ほとけざか)遺跡の総延長1,305.9m、B遺跡を挟んで両側に広がる堂
山下(どうやました)遺跡、その西側の崇徳寺跡(すうとくじあと)と想定されている箇所、堂山下遺跡
と崇徳寺跡の南側に広がる川角(かわかど)古墳群の一部からなります。
このうち鎌倉街道B遺跡・同C遺跡・同A遺跡等は過日散策して来ましたが、仏坂遺跡のみ未散策であった
ことから周辺を含めて散策して来ました。
毛呂山町歴史民俗資料館で頂いた「文化財散策 鎌倉街道探訪」地図を片手に歩いてみたものの地図と居
る場所が中々一致せずに苦労しました(強度の方向音痴ゆえ)





鎌倉街道上道は茶色・黄色で色付けした部分の道筋です。
①から③の範囲が「仏坂遺跡」のようです。
実線の下の方(黄色部分・坂戸市森戸地区)は畑となっていますので道跡は確認できません、




県道114号川越越生線  →印のところが上記地図①の場所 
ここから鎌倉街道上道「仏坂遺跡」のようです (位置特定できない写真で失敗!!)




ここからが鎌倉街道上道の「仏坂遺跡」




鎌倉街道上道を境にして写真左側が元・西大久保村(現・毛呂山町大字西大久保)
右側が元・市場村(現・同大字市場)




電柱のところで道路と交差します




上記地図②の地点  このまま←印方向に鎌倉街道上道は延びています




掘割ではなく切通しの道で高麗川方向に緩やかな下り坂です
ここもやはり切通しの道を境にして写真左側が元・西大久保村(現・毛呂山町大字西大久保)
右側が元・市場村(現・同大字市場)




この辺りから下り坂が若干急になります




振り向くと坂がよくわかります




切通しはここで終わり 上記地図③の場所 ここまでが「仏坂遺跡」の範囲でしょうか
鎌倉街道上道は更に↑印の方向に延びています




切通しを出たところ右方向に(写真では左側のイチョウの木があるところ)市場神社が鎮座




切通しを抜けて緩い坂を下ると舗装道路に合流




振り返った状況 奥が切通し




鎌倉街道上道が合流した道路は少し進むと弓なりにカーブをしますが、鎌倉街道上道はそのまま
直進していたようです。
但し現在は畑となっていて道筋の跡は分りません(ここは坂戸市森戸になっています)




道路が毛呂山町大字市場と坂戸市大字森戸の境界
左の畑は森戸地域でこの中を鎌倉街道上道が通って、高麗川に至り渡河したのでしょう。




市場神社の鳥居




市場神社二の鳥居と境内




市場神社社殿
創建年代等は不詳ながら、当地の旧名主家山崎家が鎌倉から三島様の神体を携えて当地に移住し、
三島社を祀ったと伝えられる。江戸期には市場村の鎮守として祀られ、明治期に各社を合祀し市場
神社と改称




境内社 八坂神社




境内社 大利天神社




市場本村の地蔵菩薩  地図 あ 地点




馬頭観音 坂戸市森戸地内 地図 い 地点

散策日:令和4年(2022)12月2日(金)