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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

立川氏館(東京都立川市)

2018年08月29日 | 100名城以外の城館跡


城 名:立川氏館(たちかわしやかた)
別 名:―
形 態:平城
時 期:不明
築城主:立川宗恒
城 主:立川氏
遺 構:土塁
指 定:都指定史跡(平成6年〔1964〕3月22日指定)
現 状:普済寺
所在地:東京都立川市柴崎町4丁目

立川氏館は武蔵七党のひとつ西党・日奉氏の支族で、立川(立河)宮内少輔宗恒がこの地に築城、戦国末期まで現在の立川市
周辺を支配していた立川氏の居館跡とされる。鎌倉時代に屋敷内に寺を建立し、戦国時代は北条氏に仕えたとされます。北条
氏滅亡とともに立川氏も滅亡し、廃城となった後、現在の普済寺になったとされる。鎌倉時代に建立された寺が現在の普済寺
となったとされます。
そんな、立川氏館跡である普済寺を雨降る中、散策してきました。




参道入口 左側に巨大石灯篭  右側に「玄武山普済寺」の寺号標




石畳の長い参道の先にある楼門
四脚門の山門で、上階には仏像が安置されています




楼門の手前右手にある鐘楼




楼門の手前左手参道沿いにある玄武山普済寺文化財案内




楼門の手前左手にある閻魔堂




再び櫓門をアップで




池と堀




池と堀の上に架かる太鼓橋




本堂
平成7年(1995)4月、放火により本堂・庫裡・客殿・書院などの建物や、寺宝の複数の仏像を焼失し、約10年の歳月をかけて
再建されましたが、その新本堂。




「常照殿」と揮毫された扁額




寺務所 本堂と繋がっています




本堂の南側にある土塁




「東京都指定史跡 立川氏館跡」説明板




土塁を逆方向から




築山ようになっていますが、これも土塁跡でしょうか?




土塁を外から




境内墓地にある「首塚」
立川宗恒の墓あるいは立河合戦の戦死者の首塚とも伝わるようです。石板は立川氏の墓の石扉の一枚とみられています。




立川宮内少輔宗恒之碑
なんの碑なのか分りませんが、立川宗恒は普済寺の開基とされる。




本堂裏手にある国宝六面石幢の石碑   雨で読めません   木の後ろにあるのが六面石幢の覆屋




講師のあるガラス戸腰に撮りましたので全体は撮れませんでした




館跡から残堀川を望む  立川氏館が要害の地に築かれたことを裏付けています

墓地の西側にも土塁が遺っているような情報もありますが、確認には至りませんでした。
雨降る中を傘をさしての散策には限界があります(いい言い訳ができた)

散策日:平成30年(2018)6月23日(土)