
源平一ノ谷合戦で岡部六弥太忠澄(おかべ・ろくやた・ただずみ、生誕不詳〜1197)に討取られた平忠度
(たいらの・ただのり、1144〜1184)の墓があるという深谷市萱場地内に所在する清心寺を訪ねてきました。
平忠度とは、伊勢平氏の棟梁である平忠盛の六男で、平清盛の異母弟であり、文武に優れた武将との評判です。岡部六弥太忠澄に討ち
取られた経緯については色々なところで皆さんが書かれていますので省略しますが、討取った岡部六弥太忠澄が、戦後、忠度の死を悼み、
自分の館に近いこの地に忠度の墓を建て、菩提を弔ったということです。正確には墓でなく供養塚(供養塔)のようです。
兵庫県明石市に「忠度塚」と言うのがあり、此処が平忠度の墓と伝えられ、また、神戸市長田区に「腕塚」と「胴塚」があるようです。

門前にある「史蹟 平忠度之墓」石碑

山門をくぐってすぐの左手に築地塀で囲まれた供養塔(五輪塔)があります

この説明板にも書かれているよう、清心寺境内に供養塔が建立されたのではなく、その後の戦国期に供養塔がある場所に清心寺が建立されたようです。


供養塔(五輪塔)

清心寺本堂

「石流山」の山号額

鐘楼と忠度桜
忠度桜の元の木は、枯れてしまい、その後、新しい若木、
諱が「ただのり」であることから、忠度の官名「薩摩守」は無賃乗車(ただ乗り)を意味する隠語として使われる場合がありますが、
ICカード時代になりましたので、「薩摩守」の隠語も忘れられていくかもしれませんね。
散策日:2017年(平成29年)5月27日(土)