a passion for cars

自動車趣味…その果てしなき天国と地獄についてのブログです。オーストラリアでのロータスエクシージによる海外レースなど。

スープラ2.0G

2006年01月31日 09時14分07秒 | Weblog
やがてカリーナEDの車検が切れる。こんなボロ車に車検代は払えないし、そもそもレンズ類が割れていたので修理代の方が高くつきそうだ。しかしこの当時からトヨタ社はどんなにぼろぼろでもきちんと走るのには驚いた。日産車ならトルコンや電気系がとっくにイカれる。
そしてまた知り合いからスープラを5万で買う。10年前にはプレミアムエンジンだったGTtwincam24、1GーGもその時にはほぼ一番下のグレードになっていた。中古でステレオを買い、巨大な自作スピーカーボックスを作った。カーブで曲がるとそのスピーカーボックスが室内で転がり、トランクボックスの内バリをぼこぼこにしていったが、気にしない。いつかハリアーに乗りたいなぁとその時も思っていた。
そのスープラも半年後に車検を迎え、お役ごめんとなった。確かまた5万で売れた。

カリーナED

2006年01月30日 09時32分34秒 | Weblog
今日本でダントツの某製薬会社を退職し、独立開業してみたものの最初の2年はとにかく苦しかった。給料はサラリーマン時代の1/3。1300万円あった運転資金も残り200万円のところまで来た。借金は2億。不安を打ち消すために、休みの日には朝5時に起きてバイクで出かけた。銀行で融資を受けるために多額の保険に入らされた。ツーリング(というより爆走)中に、もし今はねられたら保険で借金返せるんじゃないかとも考えていた。その保険も保険代を節約するために半年後に全て解約した。喧嘩で殴りあいになって怪我したら賠償請求できるんじゃないかとか。その時はやくざも何も怖いものはなかった。1年後に銀行の担当者が初めてやってきて、担保割れしているからと金利を2%上げられ、返済期間も20年から10年に縮められた。ホント最低、三和銀行。
今改めて思うと、何も持っていない奴が一番強いんじゃないかとも思う。それなりの財産があり、収入や地位があったりすると、それを失うことが怖くなる。もともと何も持っていなかったはずなのにそれを守ろうとして、みっともない過ちを犯す。
テラノを売って知り合いから10万でカリーナEDを買う。トランクとドアがボコボコの車だったが燃費が良かったので助かった。人と会う時、ホテル等に泊まる時に今ならとても恥ずかしくて乗っていけないがその当時はそんなことを考える余裕は全くなかった。


テラノ2.7Dturbo

2006年01月29日 09時08分22秒 | Weblog
独立開業。しばらく自動車趣味は沈滞期にはいる。店舗内の家具や、いろんな物品を運ぶためにFCから走行10万キロのテラノ6年落ちを購入。あまり好きではなかったSUVの中では個人的にイケてるデザイン。当時は軽油がまだ60円ぐらいだったのでガソリン代が半分になったのがありがたい。
普通車に比べても圧倒的に遅く黒煙が半端じゃない。あおってくる車や、警察車両には遠慮無く黒煙攻撃を食らわせることができたが。くさい、遅い、汚い、二度とディーゼルには乗りたくないと思った。
結局この車は財政難のせいで1年以上も乗った。私にとっては超長期所有車となる。会社が黒字になったら新車でハリアーを買うというのがささやかな夢だった。
知り合いからレーシングカート、レーシングスーツ等一式をただで譲ってもらうことになり、岐阜までテラノで取りに行く。帰りは大雪、四駆にもかかわらずパートタイムでタイヤ山無しのそれはくるくると高速で回ったのだった。
抑えられないスピードへの欲求はカートで解消していた。


FC3S RX-7

2006年01月28日 09時04分28秒 | Weblog
なぜインテを売って7をまた買ったのかはわからない。たぶん金銭的に苦しかったのかもしれない。とりあえずこの時に抱えているローンはポルシェだけになっていた。
たまたまこの時に買ったFCは調子良かった。なぜか身軽さはFDの方が上だったけど、心地よい加速感と、エンジン、排気音に感じられた。このころから人間的に大人になっていたのか、マフラーはノーマルが一番良いように感じられていた。もちろんパワー的には劣るが。特にロータリーのマフラー改はどうも音が「ベーッ」って感じで下品でいただけない。

思い出した、大事なことを。確かこの時に会社を辞めたのだ。独立のため、車道楽をいったん中止しようと思ったのでした。しかしFCじゃあまり節約にもならんだろうが。
このFCで3ヶ月間バイトに行っていたのだが開業が迫ってくるとガソリン代すら惜しくなってきた。またいろんな荷物を運ぶのにFCは何の役にも立たない。というわけで売ることにした。短期間だったが、心通じ合うものがあったのだろうか?
売却の日、買取店まであと50mのところで、ファンベルトが切れエンジンが止まってしまった。

CR-X 1.6Si

2006年01月27日 09時31分43秒 | Weblog
また一台忘れた。千葉へ来る少し前、度重なるスピード違反で連続3回免停になった。(学生時代に1回、千葉でもう1回やるので今まで通算5回)。GPZ1000RXで、長期免停を食らい3ヶ月間(だったかな)自転車で営業をしていたのを思い出す。さすがに少し落ち込んで、バイクも、車も売り払った。
しかしヤク中と同じである。1ヵ月後には免許がないにもかかわらず15万円でCR-Xを買った。
見に行くだけだから→置いておくだけだから→少し乗らないとバッテリー上がるから の3段論法で乗っちゃった。
小さい車だし安いからバレないだろうという訳のわからない理論だった。
いつも夜中の2時過ぎに市内をゆっくりと走り回った。いつの間にか峠にやってきていた。。。さすがホンダ、下りの速さは只者ではない。そしていつの間にか全開になっていた。
今思えば車体の剛性感はめちゃめちゃなかった。でも身をよじりながらワインディングを走るCR-Xはとても楽しかった。
免許が戻ってくると売却された。つまり法律的な観点からすると、この車には乗ってなかった事になる。

インテグラDC2

2006年01月26日 09時43分38秒 | Weblog
ソアラの(似非)高級感にも飽きてしまったので、やっぱり走る車を、とローンで新車を購入。
出たばかりのインテグラ。こりゃもう乗ってすぐ、すごい車だと思った。
まずエンジンがすごい。NAなのに、VTECに乗ったときの加速はターボのようだった。それでいてもちろんターボラグのようなものももちろんない。
そしてFFにもかかわらず全くアンダーステアを感じない足回り。

ある日、ホンダ主催の「何とか運動会」とか言うジムカーナがあり、参加してみた。超初心者向けだったので15台中4位だった。それにしても何人かはSタイヤで来ていた事を思い出す。当時Sタイヤなんて知らなかった。今思えばとんでもないレベルのジムカーナ競技会だった。
図に乗った私はそのうちこれで何か競技にでも出てみたいと思いだした。
でもサーキットはFDで痛い目になっているので今度はラリーか、なんて単純に考えていた。たまたま見に行ったダートトライアルで、湯本敬さんという全日本ドライバーと知り合う。気に入られたのかただ単に手伝いと運転手に便利だったからか何度か、一緒に競技会へ連れて行ってもらう。

そして哀れインテグラは購入後1ヶ月でダートラ仕様になる。その時点ではインテグラでダートラをしている人はいなかったので、ロールバー、オーリンズの車高調、アンダーガード類、LSDなど全て特注、しかし型どりなどに使われたのでモニター価格。確か全部で60万円。当時はとんでもない金額の請求書が来たと思ったが、その10年後に来るレース関係の請求に比べれば屁みたいなものだった。

何回か長野まで下道を使って練習に行く。土曜か金曜の深夜、16号を延々と走る。ダートで走らせると驚くほど車がやれていった。2ヶ月たったらもうきしみまくり。きれいだったエンジンルームは泥だらけ、車内外問わず砂だらけになった。
乗り出し300万の車でいきなりダートラやる奴は素人ではいないよなぁ。
確か一度だけ競技に出たが、丸1日使って2本走って終了、のこの競技自体はあまり面白くなかった。

3ヵ月後、ガード類を全部はずし、車高を下げて買い取り専門店で売却、インテグラのローンを清算する。ソアラのローンはその後3年にわたって払い続ける。ダートラ車なんて誰も思わないだろう。出たばかりということもあり、結構高値で売れたそれは、車体がゆがんで異音があちこちからする走行8000kmとは名ばかりの、事故車の方がましだろうという車になってしまっていた。合掌。

ソアラ 4.0GT-LTD

2006年01月25日 10時22分32秒 | Weblog
あまりのZのガタピシ感に嫌気がさして、当時も高級車であったソアラに乗り換えた。情けないことに、もう何台かの車のローンのため自分で自動車ローンを組むことができず(正確にはすぐに承認が降りなかった、、、)妻の名前を借りたのだった。たかだか200万程度の中古車にもかかわらず。。。。
内装は後年のジャガーそっくり、っていうかジャガーを真似たソアラをさらにジャガーがまねたのか。あとLTDのDSPつきオーディオにもやられた。

トヨタは実に商売がうまい。ドイツ車勢に比べると当時のトヨタはソアラでも剛性感は頼りなく、ホイルを19インチに変更しただけでボロが出た。DSPも音が良いのではなくて音場を意図的に作り出しているに過ぎない。しかしカタログ写真のきれいさとスペック、あぁこれがあるといいのになぁというのをすぐに感知する能力はたいしたものだ。

いいものは高い。という常識を覆したのはトヨタだろう。それはもう世界的な基準にすらなっている。果たして真実だろうか。JBLやマークレビンソンを備えるトヨタ車のスピーカーケーブルを見るとどうだろう。こんなに細いケーブルでいいの?アクセサリーからの細いケーブルで電源取っちゃっていいの?スピーカーを設置しているボードはこんなに薄くていいの?
よしんば大量に購入することによって100万するマークレビンソンが30万で買えるにしろそれを100万の音を出そうとすればさらに100万かかるのだ。
100万予算があれば、部品代で50万円。50万の音を出すために工賃が50万円。
100万予算があって部品代で95万円、工賃5万でやってくれったって30万分の音しか出ない。
今まであらゆる車のスピーカーとステレオをアフター物に交換してきたが、ベンツ、アウディ、BMWはスピーカーを変えるだけで確実に良い音が出る。ほぼまちがいない。どこが違うのかは私にはわからない。

音だけじゃない。工賃や、アイデア、情報に一銭もお金を使いたくないけどブランドネームだけが好きな消費者の心理を微妙につくトヨタの商法は世界的なスタンダードとなりつつあるが今一歩好きになれない。
実家が名古屋で小さいころから工場見学でお世話になった私が言うのもなんだが。。。

Z31 300ZX

2006年01月24日 08時35分14秒 | Weblog
ZとGT-Rはいつも気になる。。やはり私の根底に流れる大和魂のなせる業か、またZを買ってしまった。250万で買ったALFA、半年後の車屋での買い取りはわずか60万円。後輩に120万円で売りつけたが。またまた恐るべしイタリア車。

もうすでに10年落ちになっていたZ31は外装はきれいだし、英語しゃべるしで雰囲気は良かった。でも乗ったら最悪だった。直進もふらふら、コーナー曲がらない。止まらない、音ばかりで加速しない。昭和61年から平成元年までの日産の車はみなこんなのばかりだ。S130の方がまし。いやオーラがある分だけS30の方がさらにましか。
どうも「あのころ乗りたかった車」病は時々発症するらしい。まぁこの後もR30鉄仮面とかでやっちゃうわけだが。

ALFA164

2006年01月23日 09時17分03秒 | Weblog
関西から関東に移ってしばらくは雑誌で見た環八、七通り車屋めぐりをした。やっぱり外車屋の数が関西とは違う。雑誌やテレビでしか見たことがない車が見られるだけで満足だった。もう毎週のように夜中に出かけた。

やっぱりおしゃれな車にも乗っておきたいということで選んだのがアルファだった。前のオーナーがテレビ局のプロデューサーというのもなるほどと思わせた。
このアルファロメオはうわさにたがわぬイタ車だった。車としては、良いのか良くないのかわからない。左後ろのドアだけ勝手に閉まってきて足が挟まれるは、警告灯がいっせいについたり、スイッチ類がみんな同じ形をしていてどれを押したらいいのかわからなかったり、細かいトラブルも多かったが、まあいいやと感じさせるものを持っていた。
スタイル抜群、エンジン音も今まで乗った車の中では飛びぬけていた。大柄なボディなのにワインディングの運転が楽しくて仕方がない。特に東名高速、大井松田から御殿場感の高速ワインディング。ボディ剛性はひどいものでシャーシのよじれ感が素人でもわかる。
しかし「楽しい」のだ。「速く」はないが「楽しい」。新たな発見だった。恐るべしイタリア人。

セリカGT-four

2006年01月22日 13時27分44秒 | Weblog
転勤のためお金が必要になり、千葉へ引っ越し後RX-7と別れた。ポルシェの残債を一括し、残ったお金でセリカGT-fourを購入した。
学生時代に一世を風靡した車で、原田知世の密かにファンだった私は「私をスキーに連れてって」で姉、原田貴和子の駆るセリカGT-fourに憧れを持っていたのだった。恐るべしホイチョイプロダクション。
確かにスタッドレスを履いたGT-fourは雪の中では周りの車が全部止まっているように感じた。雪の中を暴走するためだけによくスキーへ行っていた。スキーはどうでもよかったのだ。
映画の中で三上博史演じる主人公は街の中ではさえないサラリーマンなんだけど、GT-fourもまさにその通りだった。180psそこそこで重量級、FFベースで超アンダー。FDからの乗り換えではやむを得ない。
やはり学生時代からの夢だった「sound stream」をビルトインしてオーディオに走ったが、それも買い換えを控えさせる手段にはなり得なかった。

FD3S

2006年01月22日 09時00分35秒 | Weblog
時は平成6年。タービンブローしたZに代わってRX-7Ⅱ型がやってきた。苦節10年、初めての新車。ポルシェの残債、ZのBBS、そして7のフルローン300万。気のせいか借金の額ばかり増え続けているような、、
時代背景も似たようなものだった。91年頃に世界一のGNPを記録した日本にはまだバブルの名残があったし、日本経済は右肩上がりを続けるとこの時点でもシモジモの者は思っていたのだから。上がり続ける給料体系を背景にゆとりローンなんて馬鹿なモノもあったぐらいだから、たとえ借金が増え続けようとも誰も私を責められまい。
初めての新車、そりゃもう大切にした。ポリマーコート、アルミ、エアクリ、マフラー、サスキット等々もちろんモディファイも欠かさず。毎日のようにガソリンスタンドへ行って、手洗い洗車(自分で)。
慣らしが終わった2週間後、生まれて初めてのサーキット走行。GT-Rに乗る友人とこれまたバブルの象徴、TIサーキット。完熟走行の意味なんて全く知らなかった私はコースイン2周目、全開。あっという間に集団のトップに躍り出た。
「あれ?俺ってば速いじゃん。天才かも。」半周走ったところで、タコ踊り。スポンジバリアにサイドから激突。あとの25分はもう全く何も覚えちゃいない。

幸いへこみなどはなかったものの、右側面は前から後ろまで傷だらけになった。洗車もそれ以来ほとんどしなくなった。サーキットなんて行く奴はバカだと思った。

このころ千葉へ転勤が決まる。実家の名古屋へはよく車で帰省した。名古屋から成田まで450km3時間ちょっとで帰ってこれた。まだ深夜の東名は今ほどトラックも多くなかったのだ。

R31 GTS-Xターボ

2006年01月21日 16時39分04秒 | Weblog
そういえばサーブとZ32の間にこんな車も乗っていた。学生時代の憧れだった。カタログを下宿の壁に貼りまくってたっけなぁ。先日エリーゼのレースでカッタネン氏に突っ込んだ某さんも当時はかっこよかった。スカイラインとして初めてのツインカムセラミックターボ。7thがハイソカーブームに媚びすぎて、人気がた落ちの時の救世主だった。
まっ赤のなぜかAT。セラミックタービンは音ばっかりで一向に前へ進まない車だった。はっきり言って期待はずれでした。
160km/hでミッションが滑り始め、なぜか速度計のみが上昇していくという不可解な現象をたびたび経て、普通に走ってても滑り始めたので、Z32の下取りでディーラーに売ったっけな。ミッション終了GTS、次に買う人もディーラー販売だから安心ダネ!

Z32 twinturbo

2006年01月21日 09時57分12秒 | Weblog
やっぱり速い車じゃないとあかんわ。ということで次に選んだのがこれ。
Z32だけで3台目。なんたってデビューした時の印象が強烈だったんで、928そっくりの内装もイケてた。
そしてまたゼロヨン。マフラー、サス、エアクリ、EVC、IC、特注CPUなどライトチューンどまり。特に写真のBBSは当時限定といわれていて、またしても50万のフルローンを組んだのだった。
関西では、堺港と和歌山港によく行っていたが、ATにもかかわらず、勝率は悪くなかった。ATはタービンの種類がMTと異なり、0-300位ならMTよりピックアップがよかったのでリードを保てた。またATなのでブレーキ踏んでアクセル開ければ簡単にバーンアウトができたので、タイヤを十分に暖めることもできた。ブーストもやばそうな時には1.5くらいまであげる。普通に交差点を走っていても2速でテールが暴れるほど調子がよくてGT-R以外ならどのブーストアップの車には負けなかった。
ある日、何回か走っているうちに、ATからモクモクと煙があがってきた。ATクーラーだけでは持たなくなってきたのだ。強化AT入れるしかないなぁと思っていたら今度は、マフラーの片方から白煙を吹くようになってきた。タービンがブローしている。
ニスモGT-Rタービンを購入。交換を予定していたら、新車でFDがなんと5%ローンで買えるフェアをやっている。当時10%が当たり前で中古車だと18%も普通にあったからすぐに飛びついてしまった。
ブローしたタービンは常に白煙を噴くわけではなかった。そしてたまたま査定の時には吹かなかった。アルミをノーマルに戻したが、全てのタイヤの空気が抜けていた。とりあえず空気をパンパンに入れ、下取りにだした。後日マツダ中古車に並ぶそのZをみた時、Zは超車高短になっていた。全部のタイヤがパンクしていた。タービンブロー、オールパンク、ディーラーで中古車は買うもんやないでぇ~ということを教えてくれたZ、サヨナラ。

GT-Rデビュー後、並みのチューンではもうGT-Rには勝てなくなり、GT-RとパルサーGTI-Rのクラスができるほどだった。GT-R以降、ゼロヨン人口は一気に減り和歌山、堺ともに非合法ゼロヨンは廃れていった。

ユーノスロードスターVスペ

2006年01月20日 09時49分17秒 | Weblog
911を売却しポルシェ以前のローンを完済する。
その余ったお金でロードスターを購入した。
あぁなんて日本車はいいんだろう。なんといってもお金がかからないのがいいね。

2週間後にはマフラーをApexにホイルをBBSにフォグランプをCIBIEにエアクリをHKSに、、、、なんてしてるうちにあまりの遅さに飽きてしまった。

3ヵ月後売却、残ったのは売却した代金120万円とBBSアルミのローン20万円とポルシェのローン300万円だけだった。

87 911カレラ

2006年01月19日 14時23分14秒 | Weblog
大阪に同期300人でまだ研修中だった時、飲み会で上司に「お前は将来どうしたいんだ?」と聞かれ、「26歳でポルシェにのって、40歳でジャガーに乗りたいです。」と馬鹿な答えをする。上司はせせら笑った。

たまたま知り合った中古車ブローカーからとうとう夢の車を買う。年齢も予言どおり26歳。87カレラ黒。5年落ちで諸費用込みで560万円。友人の結婚式で東京までW県からポルシェで出かけた。明け方4時、富士ICぐらいだろうか、途中ロールバーを入れて、ヘルメットかぶったGT-Rとバトルになった。240kmまで競ったが、ちぎられた。やつの車は大量のブローバイガスを発射し、ポルシェのスクリーンは瞬く間に油まみれになった。
しかしフルチューンらしきGT-Rに全くノーマルのポルシェがついていけること自体が驚きだろう。
故障もなかったが、黒で露天駐車、洗車が大変だった。車は瞬く間に、磨き傷だらけになった。オイル交換が1回2万円を2ヶ月に1回忠実に行っていた。Zのローンが3万円。その前のもう何の車のローンかわからないけど3万円。そして限度額いっぱいまで借りたポルシェのローンが10万円。手取り22万円の給料から16万円を車のローンに費やしていた。とうとうガソリン代も出なくなった。
某車屋に「ポルシェは金持ちの乗る車だよ。露天でこんなに傷だらけで、ポルシェがかわいそうだよ」と言われた。
8ヶ月で夢の車は去っていった。