a passion for cars

自動車趣味…その果てしなき天国と地獄についてのブログです。オーストラリアでのロータスエクシージによる海外レースなど。

Z32 NA MT

2006年01月19日 14時01分22秒 | Weblog
MTに乗り換えた。マフラーを当時設立したてのApexにして、エアクリを変えたり少しだけいじった。しかし乗り始めてわずかまたしても1ヶ月、半分酔っ払いのおっさんに高速道路でアタックされた。
第2神明道路、私の車を抜こうとしたキレたオヤジは壁に激突後私の車の前に飛んできたのだ。Zは何回転したか定かではないが、後続のバスと激突寸前のところで止まった。廃車にしたほうがよかったと思うが、修理代は200万円以上、修理期間は3ヶ月かかった。その間に嫌気が差して、買ってしまった、あの車を。
その後赤いZは、教習所通い中の少年に買い取られた。カレは待ちきれずZに乗ってしまった。そのZは交差点で曲がりきれず、某国産ディーラーのショールームに突っ込む。Zはとうとう廃車。
カレは保険どころか、免許もまだ取っていなかったのだ。

そのZはまさしく「悪魔のZ」だった。

Z32 NA AT

2006年01月19日 13時51分26秒 | Weblog
就職をした平成元年と言えば日本の自動車業界にとって超当たり年。ユーノス、R32GT-R、Z、NSX、セルシオ。最終的にこの5台は全部購入したことになるのだが、Zはとにかくいつでも憧れだった。
2年落ちのZを日産ディーラーから購入。NAにもかかわらず350万円位した。本当はターボが欲しかったのだが手が出ないほど人気があった。バブル期でホステスと言えばカレ2かZと決まっていた。
スキーも行ったし、1ヶ月で3000km乗ったが、やはりMTが懐かしくなりMTに買い換える。

サーブ900

2006年01月19日 13時35分55秒 | Weblog
このころから買い替えのサイクルが1年未満になってきたので順番がわからなくなってきたし、もはや買ったことすら忘れている車も出てくる。

超硬派にもなりきれなかった私は再びナンパな車に乗り換える。
ディーラーの試乗車落ちのサーブ90016、当時東京では人気があった車だが、しかしながら田舎ではさっぱりだった。トルクステアが強く、最高速も170kmで排気温警告等がつく始末だった。塗料がはがれてきて洗車すると雑巾が真っ赤になった。
今まで乗った車で最悪だった。半年でいやになったが、すでに不人気車で300万で買ったのにもかかわらず、160万で友人に売った。それでも市場の買い取り価格は120万円だったのだ。

S130Z

2006年01月19日 12時58分49秒 | Weblog
RX-7と過ごした日はそれなりに楽しかったが、何かが足りなかった。刺激。
当時W市にはナンパ通りのほかに、ゼロヨン会場もあった。7でも何度か走っていたが、そこでみるZはこの上もなくかっこよかった。
7を売却しS130の最終型ターボを手に入れた。ATをMTに換装し、ライトチューンをする。しかしL型のライトチューンでは到底歯が立つわけがなく、当時現役バリバリの柿本S30Zに悲しいほどぶちのめされた。
まだ7のローンを抱える私はそれ以上チューンする費用がなかった。

暴走族そのままのZ、洗練された7カブリオレ時代に知り合った女の子たちはことごとく去っていった。
そのZはその後新進の某有名ショップに渡り600馬力となって復活することをその時は知る由もなかった。

RX-7カブリオレ

2006年01月19日 12時39分48秒 | Weblog
何度か留年の危機を乗り越え大学も無事卒業。大阪に本社のある某製薬会社に営業として入った。同級生の大半が大学院や研究職につく中、なぜ営業職になったのか。それはただ単に給料がいいからだった。時代はバブル真っ盛り、週末はディスコ。当時400万以上したRX-7カブリオレは超高嶺の花だった。
W県に赴任が決まった平成元年。
2年落ちのRX-7を350万円で購入。MTかATかで悩んだが流れはやはりAT。これは完全に裏目に出た。緩やかなのぼりでは常にキックダウンとストールを繰り返しパーシャルで走ることが難しいのだ。また燃費も極悪でリッター5km/hぐらい。
しかし、ディスコ帰りや、俗に言うナンパ通りなどでは2シーターにもかかわらずライバルたちを確実にリードできた。

初代ソアラVX うんこメタ

2006年01月19日 12時23分19秒 | Weblog
結局120万で買ったR30は半年で38万円になった。そして満を持して購入した車は「ソアラ」しかも色はゴールド。当時はやっていたシャコタンブギの影響で人気度敵なし。ソアラ、プレリュードに乗っていれば誰でももてた時代。
走行2万キロだったが、今思えば確実にメーター巻き戻し車。
公道レースは引退。
しかし、バイト先がガソリンスタンドだったせいか、フルスモーク、GSお決まりサスカット、リアストップレンズスモーク、パーソナル無線、中古のアルパインコンポ、中古アルミと山なし45扁平タイヤ、の方向へ転換せざるを得なかった。土曜の夜はGS仲間と「ゴッドファーザー」を聞きながら街を徘徊した。
交差点での事故をきっかけに後期型グリル、バンパー、テールに変更しグレードアップ。
中型免許しかないのにZ750FXを購入、路上で練習していたせいで大型をなんと一発で合格、GSX1100Rでゼロヨンでは敵なしだった。
土曜の夜はバイクか車に乗って朝まで遊んでいた。
収入が仕送り4万円、奨学金2万円で支出がローンがバイク3万円、車が6万円、家賃が1万5千円。ガソリン代3万円。月から金まで家庭教師と塾、土日はGSがルーティンでそのほかに喫茶店やイベント場などでしのぐ。車とバイク両方の車検が控えていた4年次の冬休みは徹夜でガードマンの仕事もした。
それでも毎日が楽しくてしょうがなく、また金持ちになりたい願望も一番強い時期だった。

R30スカイラインGTESターボ

2006年01月19日 12時03分19秒 | Weblog
念願のスポーツカー、56年式スカイラインGT-ESターボ4ドア、男のPS,PWなし。RSグリルを白く塗って、ヒロスーパーシルエットもどきの当時は確実に道交法違反の大きなリアスポ。リアガラスには「HIRO SUPER SILHOUETTE」、フロントガラスにこれまた意味ない「powered by HKS」のステッカー。イエローバルブ。
夜な夜な、ゼロヨンと街道バトルに出かけた。友人が新車で買った86には楽勝。当時のオプション誌のタイムは16秒2。マフラーが社外でついていたが、ただなんか音でけーなー、ぐらいの感覚だった。430セドや、ジャパン、S130とところかまわずレースもどきのことをしていた。ヤンキーをあおったり、パッシングしまくったり。そういえば、木刀もって追っかけられたこともあったし、アメ車にのったやくざに家の近くまで追っかけられたこともあったなぁ。何でこんなばかなことをしていたのだろうか。モラルゼロの時代だった。
ある日いつものように信号グランプリをしていると、RSターボがやってきた。もうぼろ負け。ディーラーに遊びに行ったときに、社外マフラーをノーマルマフラーに勝手に変えさせられた。劇遅になった。
そして時代はハイソカーブームに。昭和61年。
下取りとしてお店に持っていくと「あ~お客さん。これ事故車ですね~。完璧なニコイチですよ。」

歴代の愛車

2006年01月19日 11時45分02秒 | Weblog
来月末予定の例の車が入荷するまで話題がないので、今までに乗った車についてボケないうちに記録に残しておこう。
さて、大学に入り馬鹿な学生の一番の興味と言えばやはり、「車と女」だろう。当時は、車は絶対の必需品とはなっておらず、それだけに、あれば確実にライバルに差をつけられるものと言えた。
大学に近くに警察の免許センターがあったので、貧乏学生だった私は俗に言う「一発試験」を受けた。当時は無免許運転に対する罪悪感なんかこれっぽっちもなかったので、平気で路上で練習していた。今思えばむちゃくちゃ怖い。3回目の試験で合格(こういう試験の類にはめっぽう強い)し、そして念願の免許取得。初めて乗った車は親のカローラだった。一家は7人家族だったが、父が免許を持っていないこともあってほとんど乗っておらず、勝手に岐阜の下宿に持ってきてしまった。

56年式1300GL4MT、パワーのつくもの何もなし、エアコンもなし。
バイトに行く途中、渋滞の坂道で何回もエンスト。
初めて女の子を載せて、ドライブ。駐車中の車に2台ぐらい接触していたが、そのためのバンパーやモールなんだから、いいんじゃねぇ~の?と言うくらい軽く考えていた。電柱や路側帯、岩などにもことごとく接触、見る見る無残な形になっていった。
ある日どうしてももっといい車に乗りたくなって、日産自動車に行く。そこにあった、R30スカイラインに一目ぼれし、親に内緒で勝手に契約。(俺18だったのになあ)あわれ、カローラは勝手に売られる羽目になってしまった。
しかもそのカローラは出たばかりのAE86に乗る若いぼんぼんの兄ちゃんと交差点で衝突し、ほぼ全損。
なぜか兄ちゃんが全面的に謝罪し、彼が全額払ってくれた。しかも代車は彼のAE86。友人のみんなが感激してみんな試乗した。昭和60年のこと。まだAE86は高嶺の花だった。

From Australia

2006年01月14日 11時55分57秒 | Weblog
さてオーストラリアでのレースも終わって1ヵ月半。オーストラリアからあまりうれしくないお知らせが届いた。
なんとスピード違反の切符。場所はフィリップアイランドの誰も走っていないバックビーチロード。しかも4km/Hオーバー。制限時速が80キロのところを84kmらしい。厳しぃ~。
罰金131A$、日本円で11500円。それに為替手数料や送料もかかっちゃったりして。

グランドフィナーレ

2006年01月12日 02時09分18秒 | Weblog
今年のレースが全て終了してから2週間。何とか1年やり終えてほっとした。気持ちいいくらいさっぱりした。あともう少しではない「何か」が十分にわかった。技術じゃない。技術は彼らとそれほど変わらない。
①セットアップ能力
②基礎‥瞬時に最速ラインを見分ける能力
③度胸
が完璧に彼らより劣っている。

要するに「イタタタタ」なのだ。
(これらはそのサーキットを走りこんだり、エクシードやツボちゃんなど優秀なスタッフを利用することで補えることではあるが。)
フェラーリ1台分のお金を費やしてやっと諦めがついた2週間だった。
スーパーカーオタクにでもなるか、とヤフオクみてたらいつの間にかレースカーを検索している。

Hey,guy! You've never learned!


第8戦フィリップアイランド1

2006年01月12日 01時49分25秒 | Weblog
初めての海外レース、ロータストロフィもいよいよ最終戦のフィリップアイランドサーキット。モトGPやスーパーバイクで有名なところで、近隣のカフェ、レストランにはいたるところにGPレーサーの写真やオートグラフがある。芳賀などの日本人GPレーサーの写真もたくさんあった。メルボルンから2時間半。今回のレンタカーはカローラ。