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GSX1300R 隼

金にものを言わせてとうとう最強のバイクを手に入れた。公称300kmオーバー、178psのハヤブサ。さらにダイノ何とかと言う追加コンピュータでチューニングした。さすがにすげー馬力、ホイールベースが長いのでウィリーは意外と難しい、すぐにホイールスピンしてしまう。もうウィリーができる歳でもなくなってしまったが。ZX9Rよりも重心が低いので乗りやすい。コーナーもひらひらではなくどっしりと曲がっていく。ツーリングにはいい。
例によって仕事が終わると一目散に日光へ向かって走った。なんと2時間後についた。中善寺湖畔で宿泊場所を探す。湖に面したその施設はちょっと暗い感じ。宿泊客は誰もいなかった。夜ひとりでテレビを見ていてふと目を天井に向けると、何か黒い斑点がついている。その斑点に沿って目をおろすと、壁の梁を伝って横の柱まで続いていた。柱から天井にまた目をゆっくり移す。どうも下から上へ、、、、これって血しぶきでねえのーっ?障子や壁紙は変えてあるけど、柱と天井だけ残ってんじゃん。窓の向こうは漆黒のみずうみ。夜中の2時とうとう耐えきれなくなって、フロントへ電話した。「あの~、何か血糊みたいのがついてるんですが。」フロント「そんなこと無いですよ~。」あぁ、眠剤持ってくればよかった。とか考えている内にまどろんでいつの間にか眠ってしまった。結局何もなかったのだが、バイクでひとりツーリングに出かけるといろんなハプニングや事件が起こる。箱根のユースホステルでホモのおっさんが布団に入ってきたこともあったし。その時には必死なのだが後で考えると笑えるよなぁ。
バイクはもう人間の手に負えるものではなくなってしまったと思う。ハヤブサは160km/hを超えてからでないと楽しくないバイクだった。160kmを超えると風圧と体の前傾バランスがとれてくる。100km/hでは逆に苦痛なのだ。東北道で220km/hで巡航中、覆面パトカーを追い越してしまった。気がついたが速度を落とさなかった。追っかけてはこなかった。SAでトイレをすませた10分後、その覆面パトが突如ミラーに現れた。十分に速度を落とした、つもりだったが140km/hでていた。「すごい勢いで抜いていったねぇ。やっと追いついたよ。」
4回目の免停。
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ZX9R

ニンジャの修理が、私にとって超久々の連休に間に合わなかったのでその週のツーリングだけのために、その店にあったZX9Rという新しいバイクを買って帰った。相場より高めだったが当時はそれほど休みが貴重だった。
やっぱり新しいバイクは速いのなんの、しかも軽い。コーナーでは前輪に重心をかけてぐぐっと曲がる。今までのバイクは前輪に重心をかけると、フォークがたわんで怖くて乗れなかったのだが。重心が高く、ひらひら感が今までのバイクとは全然違う。
佐渡島へ一人で出かけたのだが、船も欠航寸前の台風で大変だった。いつも行き当たりばったりで予約もせずに旅館に行くのだが、佐渡島で探した民宿の部屋は20畳もあった。部屋の真ん中で大嵐の中ひとり寂しく寝た。
最近のバイクに久々に乗ったので、今度はもっと速いのに乗りたいと思い始めた。
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GPZ900R②

ようやく仕事も軌道に乗り始めた。いよいよ物欲全開!とりあえず好きな900忍者を再度手に入れた。
しかし乗って愕然、こんなに遅かったっけ?年式は新しいのを買ったのに、程度もよかったのに、こんなに遅いはずはない、どっか調子が悪いに違いないとチューニング屋に持っていった。普通ですよ、と店の人に言われたが何か納得がいかなかったのでチューニングをしようか迷っているうちに、結局ほとんど乗られることもなく、その後に買ったZX9Rとともに売られた。

もう製造中止で新車は手に入らない。しかし、いつかまた乗りたい。
発売当時世界最速をうたったニンジャ、100馬力ちょっと、乾燥重量230kgのバイクなんても今では全くたいしたこと無い。しかしそれはもはやバイクだけではない。乗ろうとする人間もすでに約40年落ち。反射神経も、体力も全てたいしたこと無い。バイクは車と違って、運転手の技量をカバーしてくれないから、私にとってはもうこれぐらいのバイクがいいのかなとも思う。
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FJ1200

開業して間もない頃、ひまで(つまりお客がほとんど来なかった)、かつこのままどうなるのかなぁという緊張の毎日だった。唯一のストレス発散は20万くらいで買ったこのFJでのツーリングだった。休みの早朝4時くらいに起きてお昼前には帰ってくるただ走るだけの単なる暴走だった。FJは一見高速ツーリング向けのようだが、アップライトすぎる姿勢とシートに起伏がないので正直疲れるバイクだったように思う。加速するとお尻がずるっと後ろにずれる。しかし、空冷4発の音はやはり捨てがたい。このときにはもう空冷エンジンはこれしかなかったのだ。
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GSX1100R②

千葉へ転勤後は駐輪場もなかったし、しばらくバイクのない生活だった。結婚してマンションに移ったとき、地下に駐輪場があったのを見つけたとき、すぐにアクションを起こす。個人売買でまたしてもGSX1100Rを買った。学生時代100万近くしたそれは確か15万円くらいだったと思う。新幹線(学生時代はオール鈍行だったが)で盛岡まで取りに行ったが、帰りは下道で帰ってきた。途中で日が暮れ悲惨な民宿で夜を明かした。千葉に帰ってきたときはへとへとで、右手首が腱鞘炎になってしまった。過去の思い出から再度買ったのだが、実際は135馬力なんてすでに普通だったし、もうただの古いバイクだった。バイクブームはとうの昔、コンビニに止めていると逆輸入車と言うだけで写真撮られたり、音聞かせてくれませんかと言う時代はもう終わっていた。この後、GPZ900R、スカGRSターボでも同じ過ちを起こすが、本当に懲りない。
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GSX750S KATANA

900忍者と並ぶ人気車といえばカタナをおいてない。大学時代の親友がカタナ1100withUSヨシムラ管に乗っていたのでよく借りた。彼は750からのステップアップだったが、どちらかというと750の方がいいバイクだと思う。いかにもツインカム、密度の濃い洗練されたふけ上がりの750に対し1100はトルクで押していくタイプ。アイドリングの迫力は1100だが、750は運転が楽しかった。
彼女(現在の妻)を乗っけて夜中にツーリングに行ったとき、彼女のポケベルが鳴り勤務先まで急いで送っていくことになった。30分以内に行かなければならないので、タンデムにかかわらずとばした。広い交差点、黄色(ほぼ赤だったかも)で突っ込んだとき、クラウンが右折してきた。スピードが出ていたので止まれなかった。反射的にリアブレーキに力を込め車体を横に振る。横向きのままクラウンの横っ腹に突っ込んだ。当たり方が偶然にも素晴らしくよかったので、幸い二人とも打撲だけだった。そのクラウンで彼女を送り、あとでカタナを取りに行った。クラウンもサイド一面ぼこぼこになったが、カタナはほぼ廃車だった。クラウンに乗っていたヤンキー風の若者は何事もなかったかのように行動していた私にずっとビビッテいたが、私は事件にしたくなかったし、まぁお互い悪いっつう事でそのまま別れた。ちょっと気の毒になって、帰りに2万円渡した。千葉に転勤になるのでバイク屋に引き取ってもらったが、後日そのバイク屋に行くと明らかに私のバイクとわかるものが再生され、販売されていた、走行距離も1万キロ若返って、、
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FZX750

免許が戻ってきた。
ゆっくり走りゃいいんだろ?と自分に言い聞かせ、レプリカは避けFZXを買う。バイクに乗るある女の子と淡路島に一緒にツーリングに行った。山道に入るとつい、出ちまった、スピードが。レーサーレプリカに乗った女の子はついて来れずにこけた。しらけた雰囲気。その後二度と会うことはなかった。考えてみれば北海道でも、一緒に走ろうといってきた連中は翌日決まって「いや、今日は俺ここに滞在しますから先行ってください」と言ってたな。まぁ雨の中、休憩なしで何時間も車抜きまくりの全開ツーリングなんて楽しくないだろう。
みんなでツーリングなんてしたことないな。せいぜい2人まで。ソロがベスト。ましてや女の子と走るのはせっかちな私には向かない。
でも今なら、してみたいなペアツーリング。

『夏はバイクで2人 街の風を揺らした ヘルメット5回ぶつければ それは愛してるの言葉のかわり』  「未来予想図」ドリカム

ってこりゃタンデムツーリングだ。

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GPZ1000RX

もうZZR1100が発売になっていたと思うが、欲しかったバイクはこれだった。GPZ400Rに似た大柄な車体に迫力のある音。大好きな900Rと別れの日、なんでもない交差点でこけた。
乗り味は、難しいバイクだったと思う。前輪が必要以上に小さかったので、コーナーで切り込みすぎるのだ。ワインディングでは倒れすぎる車体を起こすのに忙しく、高速道路では直進安定性に不安を感じた。しかし持っているだけで満足感を感じることが出来るバイクだった。
ある日、バイク好きな顧客とツーリングの後、接待で酒を飲んだ。酒気帯びのまま和歌山の田辺から和歌山市に帰る途中、スピード違反で捕まる。激しく抗議したが、パトカーの中で「お前酒臭いな」といわれ、急いでスピードチケットにサインして出てきた。3回目の免停、長期。バイクを降りることにした。
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GPZ900R①

卒業が近づき、みんな大学院進学のための勉強や研究室が忙しくバカな遊びの相手をしてくれる連中がいなくなった。入学したときには補欠でなく正規合格でたぶん上から20番以内だった成績は、すでに下から10番以内になっていたので、今更何をどうあがいても(薬剤師)国家試験には間に合わない。私は営業志望なので免許はいらないし、勉強はほとんどしなかった。毎日バイトだったし、それ以外といえば、一人で車とバイクのプラモデルを黙々と作っていた。彼女の誕生日にバイクのプラモデルを贈るようなバカだった。今考えると赤面モノ。
少しでも負担を減らそうとGSXを手放し、GPZ900R(通称ニンジャ)を個人売買で手に入れた。小田原まで始発に乗って鈍行で6時間かけてとりに行った。
男カワサキ(なぜかカワサキの枕詞には"男"がくる)はやっぱり音がいいよな。速くは無いけどエンジンから聞こえる"ヒュン、ヒュン”という音は空冷時代から変わらない。運転も楽。全部一般道、徹夜で彼女の実家山口まで行ったこともある。700kmoverの道のり。今でも一番好きなバイクはGPZ900R(ニンジャ)だ。
就職して半年は大阪、吹田の研修所に缶詰になる。当然そこにも持っていって夜中に抜け出し爆走した。
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GSX1100R

晴れて免許が取れたので、バイクを買い換えた。忘れもしない昭和60年のモーターショーで見た憧れのGSXR。135馬力、乾燥重量180kg。
程よく改造されたそれはキャブもいじってあり、とにかく速かった。ゼロヨン会場へ毎週末繰り出しホイールスピンやウィリーをかます。日曜早朝、下宿へ帰るとき疲れて気を失って立ちゴケしたこともあったけな。
キャブが変えてあるせいで時々アイドリングが4000rpm以下に下がらないこともあり、クラッチを早々に切らないと、交差点で止まれないこともあったりしたが、直線だけならどこでも負けたことはなかった。一般道でFC(RX-7)をぶっちぎった時、メーターは130mphを指していた。後輪だけで40000円くらいしたミシュランのハイスポーツは3000kmで丸坊主。
鬼金利20%!(当時は普通だった)のバイクと車のローンは10万近くになっており、車検代、ガソリン代、チューニング代などで時々言いようのない不安感に駆られたが、みんなが競ってローンを組みバイクのグレードを上げていった。
どうして若者の間でビッグスクーターなんか流行ってるのか理解できない。満足できるわけがない。スピード、排気量、ステータスこそ全てだった。
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Z750FXⅢ

まわりが限定解除をし始めた。仲間内で2人目が合格したとき、GPZの車検が切れたのを契機にZ750FXⅢを買ってしまった。本当はFXⅠが欲しかったのだけれど。
免許もないのに毎日乗った。警察に捕まったこともあるがばれたことはなかった。まぁもし捕まってもせいぜい免許不携帯だろうと思っていたのだが、後から聞くと名義変更までしてあれば立派な無免許運転らしい。ヒヤヒヤ。しかし猛特訓のおかげで、試験には合格した。毎回100人が受けるが6人くらいしか合格しない。なんとそれに一発で合格したのだ。教習所にも行かず、まったくの独学で。FXに比べれば試験車(忘れた)は簡単だった。プッシュキャンセルのウィンカーの使い方が少し手間取ったけど、運転は完璧だったはず。
あいつとララバイの影響で、セパハン、バックステップ、手曲げ直管は必須アイテム。手曲げモリワキ(タイプ)マフラーを自分でつけたのだが、ガスケットを変えないでつけたのでひどい排気漏れ、ほとんど直管になってしまっていたが、やっぱりカワサキは音がいい。最近、単車で走っている族を見ると(まだ千葉には少しいる)、そのしょぼい音に腹が立つ。250のアメリカンにVツインなんてもってのほかだ。
セパハンは低ければ低いほどよく、タンクに当たってもお構いなしだったのでよく指を挟んだ。バックステップも一番後ろ&一番上にしていたので今思うとかなり変な姿勢で運転していたことになる。白バイにもよく止められたが、なぜか整備不良の切符は切られなかった。夜な夜な一人でツーリング(と言うか暴走)を繰り返した。走りながらセンタースタンドをアスファルトにこすり付けると火花が上がる。よく族車の前でやった。マンホールとかに引っかかったらどうなるんだろうとは考えなかった。
老体に鞭打って回し過ぎたのか、そのうちシリンダーヘッドからオイルが漏れたりいろんなトラブルが出始める。九州でぶっ壊れてユースホステルでバイトしながら修理を待ったのは前にも書いたとおりだ。当時の友人たちはZ2、Z750FX、GSX750Sなど。
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GPZ400R

友人がナナハンの免許を取った。前からほしかった彼のGPZ400Rを売ってもらった。当時GPZ400RとNS250Rは雑誌の人気投票でNo1だった。月刊誌「オートバイ」と「ホリディオート」そしてなぜか「ヤングオート」なんてのがよく買う雑誌だった。カーグラフィックなんて雲の上の存在。
GPZはモリワキ管のクォーンという音がすばらしく、細い裏通りの街並みをいつも全開で走った。全開で遊べるバイクの上限はこの54馬力の400ccまでだろう。ツーリングにはまりだしたのもこの頃、墓やバス停、駐車場に寝たり、知らない人に泊めてもらったのも楽しい思い出。当時の友人たちはZ750GP、Z2などのコアなグループと、そうでないグループに分かれていった。当然私はコアな方向に向かっていった。
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GF250S

そのころは漫画といえば、湾岸ミッドナイト、シャコウタンブギとあいつとララバイ、そしてバリ伝、バイクは250マルチとレプリカが流行っていた。
RZ250RRかRG250Γ、フェーザーで悩んでいた。本当はNS250Rがほしかったのだが高くて手が出ない。しかも燃費も極悪だったし。しかし土壇場でなぜか月25000円のローンを組んで出たばかりのスズキGF250Sなんてマイナーなバイクを買ってしまった。友人がフェーザーを買ってそれに対抗したかったからだ。VT250Fなんてのもバカ売れしていたが、アレは女子供の乗るバイクといわれていた。しかし、ΓとRZのあまりの段つき加速、エンブレが効かないためにまったく止まれない錯覚に腰が引けてしまっていたことを白状する。
あのころ、バイクでいっぱい人が死んでいた。バイクで事故るのはちょっとした男の勲章であったりもしたし、ひとりは知り合いがバイクで死んでいるはずだ。自転車での暴走癖を知っている親には、バイクの免許を取るのはやめてくれといわれていた。もちろん内緒で免許を取りバイクを買ったその日、胸騒ぎがしたらしい母が岐阜へやってきた。その途中、バイクに乗った私とすれ違った。なんと母は瞬時に私とわかり、1日でバレた。親とはすごいもんだ。当時の友人のバイクは、CBR400、Z400GP、VT250F、フェーザー、RZ250などだった。
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GSX250Eカタナ

う~ん、書く事がないのでしばらく単車歴でごまかそう。
初めてバイクに乗ったのは20年前、車の免許を取った18の時。友人に借りたGSX250Eカタナだった。カタナと言う名前はつくものの750のKATANAとは似ても似つかないものだった。
原付免許(1回不合格)でDT50(つまりギヤ付)に乗っていたので、250も簡単に乗れた。二輪は自動車免許があれば乗れると思っていた。自動車学校にも行かず、俗に言う一発試験で免許を取り、実は学科試験も落としたりしていたので、交通法規はあまり理解の無いまま自動車免許を取ったのだった。当然免許不携帯と無免許運転の違いを知らなかった。
初めて乗った250CCは当然のことながらDT50とは何もかも違った。何より速いし、信号待ちでいつも先頭に出ることが出来る。免許無いにもかかわらずいろんなところへ出かけた。
こりゃ免許とってちゃんと乗ろうと思って3ヵ月後に取得した。
免許取得後、その友人はこけて傷だらけのGSXをただでくれた。なおす金がなかったのでGSXは折れたステップのままGSや家庭教師などのバイトの足となった。
ある日GSでNTTの作業車に給油した時、ガソリンキャップをするのを忘れて送り出してしまった。NTTに電話で問い合わせ、現場を調べ、急いで単車で追っかける。ノーヘル、曲がって鬼ハンのようになったステアリング、フロントブレーキの壊れたGSXで信号無視を繰り返し、何とか無事キャップを届けることが出来たが、命からがらだった。その後バイト代できれいになおったGSXは、何者かによって盗まれた。「盗んだバイクで走りだすぅ」の尾崎がデビューした時だ。本当にその曲を聞いたときはむかついた。GSXは無事発見されたが、えらいことになってしまっていた。
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オーダー中 コルベットC6 Z06

昨年末に注文入れたこの車は、512ps、1420kgのスーパーカー。ノーマルで筑波3秒台を目指すべくオーダーしたが発売日が2月4日にもかかわらず未だに音沙汰無し。日本仕様への適合が遅れているらしい。ご存じのようにGM本体は巨額の赤字を出し、アメリカ本国での再生が急がれている。同じくGMアジアパシフィックも中国での商売がメインで、もはや日本は眼中にないようだ。
アメ車は今や車自体はそれほど悪くはない。先入観、イメージさえ変えることができれば欧州車に十分対抗できると思うのだが、Z06にはその素質があると思うし、微力ながら協力していきたいと思う。
1000万以下のアメ車がサーキットでポルシェやフェラーリを打ち負かすことができたら痛快だろうなぁ。
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