a passion for cars

自動車趣味…その果てしなき天国と地獄についてのブログです。オーストラリアでのロータスエクシージによる海外レースなど。

ディアマンテ2.5SE

2006年02月28日 08時42分21秒 | Weblog
思い出した。多分これだ。スポエリや隼で相変わらずの散財が続き、その上F4への進出を目前としていたため街乗り車は節約、15万円で買ったのがこのディアマンテ。タイヤワンセット分で買えるんだもんなぁ。金銭感覚狂うよ。
ある日ふと鍵穴を見たら細工したあとがある。そういえば中にはあるはずのCDが一枚もなかった。しかし普段鍵もかけずに汚いまま乗っていたし、ディアマンテのCDプレーヤーは壊れてたのでひょっとしたらはじめから積んでなかったのかもしれない。車上あらしの確信がなく、しかもいつやられたのかも全くわからない。3ヵ月後警察から電話があり、捕まった犯人が私の車からも盗んだとの事。そういえばCDもラジカセを積んで聞いてたんだっけ、そのCDラジカセ(1万円)もとられていたらしい。
ディアマンテには鍵は必要ないし、とられたCDもなんだかわからなかったので被害届けも出さずに一切を放棄した。

トレイルブレイザーLTZ

2006年02月27日 09時07分41秒 | Weblog
隼でサーキットを満喫していた私はもう公道でどんなに速い車に乗っても刺激を受けることがなくなっていた。M3でたまたま袖ヶ浦のGM代理店に行ったらトレイルブレイザーがあった。試乗したあと、M3をもうGMに置いて帰った。ほかのメンバーもみんなサーキットにはSUVだったし。トレイルはアメ車と言っても、もうほとんどヨーロッパ車と同じレベルのエンジンでドロドロ感はなかった。燃費もレギュラーで8km/lは走った。細かいパーツがおかしな動きをしたり、取れちゃったりすることはあるものの、独特のスリッパ感覚で結構な巨体にもかかわらずどこへでも乗っていけた。車高を落とし、20インチのホイールを履かせ、またしてもオーディオにこりまくり、セキュリティをつけ英語をしゃべらせ、とてもエンジョイできる車だったが、いかんせん高速と山道が辛い。そのハンドリングはプロドライバーにさえも手のひらに汗をかかせ、ワインディングでは新旧レンジに置いていかれた。しかし今でもSUVならアメ車がいいと思う。独特のゆったり感が懐かしい。とばさなくても(とばせないが)くつろげる。目が三角にならない車。車社会のヒエラルキーから開放される車だと思う。
1年で20000km以上走った。売ったのは覚えているが次に何を乗ったのか思い出せない。

プジョーS16

2006年02月26日 09時54分53秒 | Weblog
F4が右ミッションだったので練習用に購入した。プジョーといえば自転車も有名だ。Z750FXで九州にツーリングに行った時、長崎でバイクが故障した。地元のバイク屋でコイル系のパーツを明石のカワサキから取り寄せるのに1週間かかると言われた。金がなかったので住込みで働かせてもらう事になった近くのユースホステルにおいてあったのがプジョーの自転車だった。変速機が壊れて動かないと言うそれをなおしてあげた。これでタダで観光できると思ったのもつかの間、バイク屋でバイク用の空気入れを借りてタイヤに無理やり空気を入れたら破裂した。「やっぱりなおらないです」と言って返した。南風荘のおばさん、ごめんなさい。
S16は買ってすぐ茂原で某女性レーサーに貸して数周走ったら、マフラーが落ちた。そのまま車屋へもって行き、マフラーを後部座席に積んだまま、業者オークションに出品した。S16はおしゃれだけどスポーツモデルで遅いのはなんとも私には許しがたい。絶対的に速い、もしくはアルファのように速く感じさせるものがスポーツカーには必要なんだな。
おフランス車とは相性が悪い。シトロエンのC4が気になって見に行った千葉のディーラーはもう取り扱いをやめていたし。


フォーミュラ隼

2006年02月25日 09時25分14秒 | Weblog
やっぱり速い車乗りたいなぁ、と思っていた時、怪しい人物2人にフォーミュラ隼に誘われた。1人は髪を剃り上げ、ダッシュ貫通ロールバー、内装もみくちゃ、車高ぺタペタ、爆音仕様でえらいことになっちゃってるF355GTSの持ち主、しかも1台目のGTSは鈴鹿で廃車にしたらしい。もう一人はスーパーカーばっかりのセレブ走行会や1回15万也の土屋圭市さんのレッスンのときにもあったことのあるドイツ仕様のExige乗り。隼に限らずサーキット走行がメインのアグレッシブなチームを作りたいんじゃと言うことだった。チーム名はのちにHHRと決まった。で、何となく隼買ってみた。乗ったら楽しいの何の。究極の乗り物だと思った。
56秒台で走る隼は普段の筑波のスポーツ走行では「俺様」状態で、超気持ちよかった。レースに1年参加したが全部で700万くらいかかったかな。車代別にして。遠征費とか、メカニック代、メンテ代がやっぱりかさむね。練習では悪くないのに、本番はだめだめで菅生の3位がベスト。2年目はF4だと気合入れたものの、シーズン前、レンタルF4、3回目の練習で筑波のS字でスピン。修理代120万円。あえなく終了。1回の練習で普通の人の給料1か月分、1回のクラッシュで普通の人なら5か月分の給料をあっという間に使ってしまう金銭感覚の異常さに遅まきながら気がついた。もうこんなことは2度とやるまいとその時誓った。

マツダロードスターNR-A

2006年02月24日 11時03分54秒 | Weblog
ロータスでの2年間は楽しかったが、お金を使いすぎた。と言うことでこの年から始まった、ロードスターレースに出ることにした。
まず車からして安かったし、エントリーフィーも激安だった。早速購入後ノーマルのまま筑波を走ってみると、14秒台前半。試乗会でのプロのタイムより良かった。こりゃ俺優勝候補かも、っと思ったが甘かった。レーシングサービスディノの切替君や冨士でロードスターレースに参加している面々にコテンパンにやられた。クラスは3つ。もちろん一番上のマスターズクラスだったが、2戦出て予選5位が最高だった。全くのワンメイクなのでセッティングで大きな差が出ることもわかったが自分ではどうしようもなかった。フルエアロ、ステレオなんてつけてる場合じゃないって。3戦目は日程を間違えて欠席、モチベーションもなくなって売却。レースは楽しかったが、へたくそなGT-R乗り達の嫌がらせに耐えながらの練習が辛い。スポーツ走行で走るヴィッツやマーチの人たちの気持ちが良くわかった。
街のりでのロードスターは楽しい。タバコ吸いたけりゃ屋根もすぐ開けられるし、燃費もいい。全開で走ってもしれてる。ただもう少しエンジンに官能性が欲しいのと足回りをしゃきっとして欲しい。

スポーツエリーゼ②

2006年02月23日 10時38分19秒 | Weblog
しかし落ち込んでいる暇はない。とにかく2週間後の次のレースにまでに走らせられるようにすることと、外装だけでもきちんとしてくれるように頼んだ。エリーゼ界では有名なK板金さんの苦労も大変なものだったと思う。車が来ただけでもありがたいと考えるようにした。
純白に仕上がったスポエリを見たとき、それまでのモヤモヤしたものが全て吹っ飛んだ。レース直前に初めてエンジンを始動したためまったく走らせることが出来なかった。しかし幸いにして第2戦は雨のスポエリデビュー戦、いきなりの2位入賞。第3戦3位、第4戦ではスポエリの公式ラップレコード1秒8で予選トップ、決勝2位、シリーズ3位でその年を終えた。結果はまずまずだったが、酷使されてきたらしいそのエンジンや各所のOHが急務であることは疑いようがなかった。一発のタイムは出るけど安心感がなく、エンジンも好不調の波が激しい。セッティングもさっぱりわからなかった。K&Mでエクシージの車高の調整を頼んだ時、K店長がキティちゃんの定規でフェンダーの隙間を測り調整したころとは車のレベルが違う。(ちなみにきちんと計ったら2cmも違っていた。しかもその違いがサーキットではほとんど私にはわからなかった。)
翌年に備えてOHする金ももうないし、毎回メカを雇って練習する余裕もない。K&Mが破産しJAF戦から降格した翌年は参加することが出来なかった。

スポーツエリーゼ①

2006年02月22日 11時20分59秒 | Weblog
ロータスワンメークレース初年度も終わりに近づいた2001年暮れ、当時のロータスディーラーでありレースの主催者である「K&M」より、翌年度はスポーツエリーゼを中心にレースをしたいとの打診があった。なんでも安全基準が厳しくなり、ロールバーのない車はJAF公認レースでは走れないらしい。社長のM氏より何回か良いオファーをいただいたが、S1エクシージは大変気に入っていたので、あまり乗り気じゃなかった。2年目第1戦、エクシージにロールバーをつけて参加することにした。
1戦目は3月だった。ほとんどサーキットだけで13000km走ったエクシージにもう去年の輝きは見られなかった。タイヤもラジアルだったこともあり去年のタイムの4秒落ちだった。当然スポエリ勢に勝てるはずもなくただ落ち込むだけのレースとなる。

スポーツエリーゼ、、、エリーゼの名前を持つが全く別の車。200PS、重量700kg、エンジンルームとコクピットの間には鉄板の補強、フルロールケージ、フロントAP、リアブレンボ、ストレートカットギアMT、スタックロガー、ダイナミクス別タンサス、レカロ、ブレーキバランサー、ハブも別物、何よりセンターシート、、、などなど。初めて乗ったのは前年。スポエリを2台持つS氏に借りて筑波を走った。電撃が走った。スリックタイヤのそれはギヤ鳴り、エンジン音はすごいし、振動もすごい。ハンドリングも全く限界がわからない。Fスポと地面の間はわずか4cm、コーナーではFスポのバンクセンサー?が路面を削る。とても扱えない。しかし楽しい。間違いなくこれはレーシングカーだ。

レーシングカーを持つなんてこんな贅沢が許されるのか。
しかもセンターハンドルのスポーツエリーゼはイギリスでレースに使われた中古しかない。値段は900万円。加えて輸入元のいろいろなうわさ。ロールバーも装着し、去年のレースで痛んだ外装も全塗装近く塗装しなおしてぴかぴかにしたエクシージを横目に見ながら揺れていた。今まででいろんな面で最も難しい車選びだった。
次のレースに間に合わせるためと、諸事情(!)により、大至急空輸で入れることにした。そして最後の砦、定期預金を解約し、現金を握り締めて「K&M」に向かう。
スペアカーで使われただけのほぼ新車に近い無事故のスポーツエリーゼ、のはずだった。
が、初めて工場で見たそのスポエリはエンジンがかからないどころか、フロントガラスがわれ、アウターパネルは全てひび割れ、その色も全くばらばらな車だった。知らない人が見たら完璧に廃車だと思うだろう。社長M氏「レースカーなんてこんなもんですよ。」
あぁ俺はこんなポンコツに1000万払ったのか。現預金を全て失い、4,5,6月の税金をどうやって払っていこうか考えながらの帰り道、唇が震えた。多分顔面も蒼白だったに違いない。あぁ、本当に唇って血の気がひくと震えるんだと思った。

いま、オーストラリアで1年レースをして改めて思う。「レースカーなんてこんなもんですよ」

ロータスエクシージS1

2006年02月21日 08時28分55秒 | Weblog
K氏「CGでエリーゼの特集があるのでエクシージ借りれないですかねぇ。まだ慣らし中ですからレブまでまわしませんから」
私「松任谷さんとか来ます?見に行こうかなぁ」
K氏「もちろん見に来てください、オーナーと言うことでCGに紹介しますから。出来上がったビデオも進呈しますから」
当日朝早くディーラーのメカと撮影現場である伊豆のサイクルセンターへ行くと、なぜかメカのつなぎを着せられ、車を拭かされ、TVクルーのスタッフに邪魔だといわれ、ビデオどころかTVのエンドロールに協力者としての名前もなく、しかもTVでは、、、、思いっきりレブ当ててんじゃねぇかぁ、塚原さん。。。
楽しい思い出だ。

2年間ロータスのJAF公認レースは続いたが、1年目のエクシージのワンメイクレースは大変盛り上がった。Fポンの前座も走っていっぱしのレーサー気取りだった。
土屋さんや服部さん、飯田さんなどのプロレーサーの人たちとも知り合いになった。最初の1戦以外は全て表彰台に上がり、年間2位になる。メンツもきわめて個性的で強烈な人ばかりだった。六本木をピラミッドの頂点となって歩く永ちゃん好きのS氏はTVでも有名人になったし、筑波でイベントの進行を中止させて自分のためだけに表彰式を行わせるなんて人もいた。土屋さんと筑波を占有で何日も貸しきる人、藤原紀香を使う広告代理店の人、ここにはかけない人たち、とにかく強烈だった。。唯一残念だったのはスポエリを破って私が総合1位になったレースで某氏二人がトラブルになり表彰式どころではなくなってしまったこと。

今まで乗ってきたスポーツカーではS1エクシージが一番楽しかったと断言してしまおう。アミューズの筑波丸1日走行会で130周走ったこともあるし、とにかくどの走行会でも周回数だけは常にトップだった。その年に出した筑波3秒台(忘れた)は公式レースのレコードだったと思う。

ロータスエリーゼ111S

2006年02月20日 08時59分31秒 | Weblog
仕事がうまくいき、収入が増えたが税金も増えた。年収を300万から2000万ほどにあげた。借金は経費ではなく何の控除もないため税引き後には手取り1000万くらいになってしまう。そして返済が夫婦で年2000万近い。毎年、いろんな税金が来る4.5.6月は個人的には火の車だった。毎年税金を払うためだけに定期を解約していた。逆に9月から3月まではお金がたまっていく。使っちゃいけないんだが口座にお金があると使っちゃうよなぁ。結局会社売却時まで貯金はゼロだった。

カートも中古車屋もやめ、BMW525を買ったものの何となく満たされないまま、相変わらず休みの日には朝早くからバイクでぶらぶらしていた。suzuki隼から乗り換えた似合わないハーレーで朝早く閑散とした目黒を走っていたら、リアタイヤがパンクした。全重量の大半がリアタイヤにかかるアメリカンはだからいやなんだよと、近くのバイク屋を物色していたら、今はなきロータスの正規代理店「K&M」があった。パンク修理後よってみた。わざわざ店長がいろいろ説明してくれた。あとから考えると店長しかいなかったに近いが、その有名なK氏。本当に笑える話がたくさんあるのだが危険すぎる、命にかかわる。そしてK&Mに関しても、ここではコメントを差し控えたい。本当に楽しいその後の2年間であった。その時に出会った人たちとはその話題だけで多分丸1日盛り上がれるだろう。
以下一部 
納車時、
「あれ?社外マフラーついてるって聞いたけど?」
K氏「ウチは正規ディーラーですから違法マフラーはつけられないんですよ」
「走行が3000kmになってるけど500kmの新車って言ってなかった?」
K氏「社長が少し乗っちゃったんですよ」
「ステレオサービスは?」
K氏「あれ?私そんな事いいましたっけ?」
一事が万事。。。

初めてエリーゼに乗ったときまさに脳天をかち割られるかのような衝撃を受けた。何なんだこの車は。走るとあらゆるところからきしみ音、タイヤの砂利がホイールハウスにあたる音、狭い車内、ABS,PS,PW,AC全てなし。なのに600万円。それ以上の衝撃はその軽さ、3速で急な坂をぐんぐん上っていく。こりゃ、面白れぇ~。筑波山を攻めてみる。限界が高すぎる&腕がひどすぎるで全くオンザレール。2回目の筑波サーキット。NSXの21秒から大出世の14秒。今思えばサルが運転しても、もうちっとましだがたったの140馬力でNSXより速いなんて。しかも運転自体が楽しくて仕方がない。タイムは二の次に感じられる車。
そしてそのわずか3ヵ月後、またしてもK氏。
「来年からエクシージでJAFの公式ワンメイクレースが始まるんですけど、あなたのような人にこそ参加して欲しいんですよ。」筑波14秒でレースもくそもないが
M社長の知る人ぞ知る恐るべき別室招待もあり、購入してしまう。しかもエクシージはまだ日本には形式認定のためのその展示車1台しかない。即納車にしか興味のない私はその展示車を買ったのだが、その時点ではつまり誰もレースに参加する予定などなかったのだ。その後何度か、ディーラーデモ車ということで「K&M」に貸すことになった。2001年4月号カーグラフィックの表紙そして特集のエクシージ、そしてカーグラTVのエクシージ「千葉3030」は私の車そのものである。

下取りされた111Sとはなんと2年後にカワマタ商会で再会する。その111Sでオートバックスのスポンサードを受け川俣さん、オートジャンブルの野沢編集長の3人でプレジョイ耐に参加し、見事総合2位入賞を果たすのだ。

メルセデスベンツC200

2006年02月19日 11時59分55秒 | Weblog
それほど所得格差のないところで育った。世の中に金持ちがいると初めて実感したのは大学1年の時バイクで一人軽井沢に行ったとき。ツーリングではいつも駅や駐車場、神社の境内の下、ある時は墓場などに寝袋を使って寝泊りしていた。バイクのキャブが詰まって、押して歩いていると回りは別荘街だった。真っ赤なアウディと、毛の長い犬、庭で英字新聞を読むお父さんと、コーヒーを入れるお母さん、犬と戯れる子供。。。
おぼろげながら将来の目標が決まり始めていた。授業中に先生に「金なんて要らないです。自分の好きなことを仕事にしたいです。」と大見得切っていたその高校生は、大学生になって普段はSLに乗り、休みにはSクラスで両親乗っけて軽井沢の別荘に行くことを目標にするようになった。

その父が40年勤めた会社を退職後、車の免許を取った。私は名古屋を離れて住んでいる。仕事も忙しく、休みに別荘って言うのは無理だ。そこで父に車を買うことにした。父が癌だということがわかったのはその直後だった。父はアリオンが欲しいといっていたがそれではこっちの気がすまなかった。購入対象車はクラウンになり、ベンツになっていった。初めての車でベンツもない。本当は出たばかりのEが欲しかったのだがでかすぎる。即納できるC200に落ち着いた。貧乏人憧れの的、皮シートや無理やりナビをつけ、リアバンパーとフロントサイドにカメラを取り付けモニターに移るように加工し、ガレージから出しやすいようにしたつもりだがあまり役に立たなかった、そのうえ総額ではE240が買える位になってしまった。

一度父の運転する車に乗ったが、本当にやばかった。あっという間にあらゆる箇所に板金が入った。ウチの周りじゃベンツはそれほど走っていないので周りがよけてくれたが、時々ぶつかった。ベンツじゃなければある意味やばかった。ベンツ買ってよかったと思ったのはぶつけたあとだった。母がそのたびに後始末をし、激怒してとうとう運転禁止令が出た。車を大切にしたいのはわかるが、足マットやシートマットを何重にも置いて運転はしづらいし、車体カバーのせいで細かい傷だらけだった。父の誕生日をライセンスナンバーにしたベンツは、父がこの世を去り買ってもう4年以上がたつがはまだ6000kmしか走っていない。

E46 M3 SMG

2006年02月18日 08時53分01秒 | Weblog
発売直後のM3は大人気で入手困難で、営業のS氏に即納の白いM3があったら買ってもいいよと冗談で言ったことがあった。
数ヵ月後、千葉のBMディーラー、バイエルンモータースが破綻し、近鉄モータースに吸収された。バイエルンの営業マンはすずめの涙ほどの退職金を受け取ってやめるか、近鉄モータースに再就職するかの選択に迫られていた。再就職するためには退職金放棄のほか、3月末までの3ヶ月間に決められたノルマを達成しないといけないという。不景気真っ只中、そんなにぽんぽんBMが売れたらバイエルンはつぶれない。325は購入後わずか6ヶ月、お金もかけてしまった。値落ちは200万位になるらしい。
そしてその白いM3のキャンセル車が現れた。総額でほぼ1000万はかなり痛い。それに3ヶ月前にはメルセデスも買っている。しかしS氏の頼みを断るわけに行かなかった。彼の今後がかかっているし、冗談とはいえ口は災いの元だ。しかし結局彼は、残れなかった。ずいぶん裏があったらしい。会社でも問題になっていたが、売れるセールスマンだったのでみな目をつむってきたとのことだった。私も素人ではないのでうすうすわかってはいた。が、3ヵ月後に半年後に下取りとして出したはずの325の税金が来たり、325の下取り額が私に対して未払い金として請求が来たのにはびっくりした。つまり325は近鉄に入ってなかったのだ。

M3のSMGは完璧に失敗だった。何が失敗ってSMGはやっぱりオートマでない。FのF1もそうだが、あくまでも安楽なMTだ。合流の時や、左折で特にギクシャクする動きにストレスがたまっていった。
エンジンは世界でも最高の部類に入るのは間違いない。車体の剛性ももちろん問題ない。が、サーキットではいかんせん重過ぎるし、前後の荷重移動も大きすぎる。何か一体感に欠ける感じだった。サスペンションのセッティングが街乗り仕様なのでしょうがないけど。
高速道路ではこれほど楽しい車もなかった。東関東道でディアブロSVと競争になったが、楽勝で○60km/h、追い詰めることが出来た。結局1ヶ月乗ってステレオ屋さんにデモカーとして貸し出した。オートサロンやカロッツェリアのコンテストに出し、入賞したりしていた。すでにお気軽に乗れる車ではなくなってしまっていた。そのころにはエクシージも持っていたのでお気軽に乗れない車ばかりになってしまった。

BMW325ツーリング

2006年02月17日 10時20分23秒 | Weblog
外車が好きな人にとってディーラーの営業マンと言うのは非常に大きな役割を持っていると思う。ヤナセから4台、BMWから3台車を購入したが、全て同じ営業マンからである。ヤナセのY氏は独立、BMWのS氏は事実上の解雇で二人とも不在なのである意味ほっとしている。
BMWのS氏はむちゃくちゃでよく約束を忘れたが、個人的には好きだった。そのS氏がどうしても今期あと1台助けて欲しいという。私も営業だったのでその気持ちが良くわかった。525の売却先も決まっていたし、今度はもう少し小さな車が良かった。525はまだ1年乗っていなかったが、1800mmという今の基準では全く標準な車幅もタバコを買いに行くには大きすぎた。街乗りは1800mm以下であるべし。現在の乗っているA4は1760mm。New3は1840mmで候補から外れたのだ。
本当は3ツーリングのMスポが欲しかったのだが、車がまだ入ってこないので登録が間に合わないという。しょうがないのでスタンダードを買って、ビルシュタインの車高調と、Mテクのホイル、タイヤを別で装着した。結局Mスポより高くなってしまった。
ありえない60万引きと言うS氏の気迫に負けて購入したのだが、買ったのはスタンダードにもかかわらず、契約書の車体の値段がなんとMスポの車体価格だった。S氏は平謝りだった。結局、値引きはただの20万引きになってしまった。あまりの面白さに怒るのも忘れた。確認しなかった自分にも非がある。
このころからまたオーディオにもこり始め、オートバックスで5.1チャンネルのDVDシステムを組んだりしていた325は哀れ半年後に同じS氏の気合に負けて購入するM3の下取りとなってしまったのだが、その時にはずして返してねといったスーリーのキャリア、ビルシュタインのサス、M3のエンブレム等はまだ返ってきていない。

車はよかった。車格の違いからか直進安定性は5の方が上だったが、その分ワインディングでは軽快だった。ボディ剛性はツーリングと言うのもあって明らかに5の方が上に感じたが運転する楽しみではわずかに3が勝る。しかし3のボディに2.5はtoo muchだと思う。飛ばしすぎてあやうく免除をなくしかけた。3には2リッター、5には3リッターが妥当かな。やっぱり車はアクセル全開が楽しめないとね。



BMW525Mスポーツ

2006年02月16日 09時40分13秒 | Weblog
それまで実は高い新車というものを買ったことがなかった。サラリーマン時代に買ったポルシェが一番高い買い物であった。たいがいのものは新古車で買えるし、古物免許もあるから取得税も新古なら払わなくてもよいし。名変だって簡単だ。
カートもやめ、中古車屋もやめた私はふらっとBMWのディーラーによってみた。5シリーズのMスポーツというのが出るらしい。簡単なパンフレットをもらって帰った。総額700万近かった。しかも、新車のBMW。金銭的には十分もう買えるようになっていたが、何せもともとがカローラの出自である。中古車屋だって100万を越える車はほとんど売ってなかったし。もうかなりテンパった。まわりはなんていうだろうか。生意気だろうなぁ。でも本当に格好よかったし、欲しかった。
とうとう一線を越えた。それ以降1000万まではほとんど同じ感覚だった。車体金額1000万を超える新車が次の壁であろう。1000万の次は2000万か。2000年頭33歳の時だった。
車自体はすばらしい車だった。雑誌では酷評されていた硬すぎる乗り心地も高速道路では吸い付くように走った。
断言してしまおう。それまで、そしてその後に乗るいかなる車よりもいい車。ボディ剛性、各部の触感。馬力なんてない方が、アクセル全開がたくさん楽しめる。
直6の滑らかな回転上昇と、謙虚な咆哮。加速は遅いけど名古屋までずっと160km/hを保つことが出来る車。睡眠、休憩、加減速、どんな誘惑にも負けず一定速度で
走り続けるのがどれだけ苦痛な車が多いだろうか。セルシオなんて足元にも及ばない。ヨーロッパ車がどうしてすばらしいのか初めてわかった。
それまでは700万出すんならセルシオのほうがいいジャンとか、BMWの3シリーズにクラウンが買えるお金を払うのなんて理解できなかった。しかも排気量も半分しかないのに。
何で売っちゃったか。欲しいと言う人が現れたから。欲しいという人がいたら売っちゃう、は昔からだった。
その人は新車のEツーリングを買った今でも大切に乗ってくれている。
20年間の車人生の中でベスト乗用車は525Mスポ。スポーツカーはこの1年後に購入するロータスエクシージS1だ。

ツアラーV 2

2006年02月15日 11時23分47秒 | Weblog
結局2年近くやった中古車業界から撤退した。最後にはなぜかマークⅡとアキュラだけが残った。そのアキュラもヤフオクで330万円で売った。相場よりかなり安い。ヤフオクは面倒だったので自動延長をしなかった。1週間で2000ウオッチ、10000件の訪問が会った。350万円で落ちたあとたくさんのメールが来た。最高で390万円のオファーが来たが、ルールなので断った。そんなに欲しけりゃ最初から入れろよなぁ、と思う。広島から来た売却相手と名古屋で会う。結局なんだかんだ文句をつけてきて20万値引かれた。スパルコのシートやその他もろもろもただでくれてやった。そいつのヤフIDはどういうわけか現在削除されている。
ヤフオクといえばその後BMツーリングのMホイールとタイヤを新品で売却した。落札した証券マンというそいつは、どうしてもミシュランのついたMが欲しかったんですが、あと少しだけ引いてくれませんか?というのでそんなに好きならと値引いてやったら翌日のヤフオクに「希少新品ミシュラン付Mスポーツホイール」と出品されていた。
安く買って高く売るのは商売の基本だ。商売としてそれで食っているんならまだしも、もともといらなくなったものを処分できたり、好きな人に分けてあげるというのが本来のヤフオクの趣旨だろうと思う。ヤフオクにはその手の小遣い稼ぎサラリーマンが多い。そんなことに費やす時間があんなら、もうちょっと本業をがんばりたまえと思ってしまう。極力いらなくなったものは、知り合いにただか、格安であげるようにしている。だから中古車屋はうまくいかなかった。商売なのにそれが徹底できなかったから。好きな車を仕入れて好きな人には格安で売っちまったり、、、

ミニ タータン、スターレットGT、ミラターボ

2006年02月14日 08時57分56秒 | Weblog
ミニ タータン
普段の車が全く節操のない車になっていたので会社の配達用にミニを購入。ミニに乗ってから小さい車の方が好きになっていった。サスというよりただのゴムマリに乗っている感じの乗り心地。何十年前のエンジンなのかと思わせる古びたエンジン。しかし、自分が運転している、車と一緒に走らせているという一体感は妙に強いものがあった。高速を走るのは勘弁だが。
スターレットGTターボ
ミニを買いたいという人がいたので売って購入。これまた昔のかっとびスターレットへの憧れが強かったため。やはりもう昔のボーイズレーサーのオーラはなく、このモデルを最後にスターレットは消滅した。コメントのしようがないくらい、特徴なしの車。
ミラターボ
スターレット売却後の配達車。スタンドでバイトしてた時、ヤンキーの女の子の憧れの車が赤黒のミラターボ。フルスモークに内装応接間仕様、土禁にパー線。ミラターボも今は昔。