三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」

2024年06月11日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」を観た。
映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』公式サイト|2024年6月7日(金)公開

映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』公式サイト|2024年6月7日(金)公開

2014年本屋大賞翻訳小説部門第2位の傑作小説を映画化!その一歩が人生を輝かせる、驚きと涙の感動作!

映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』公式サイト|2024年6月7日(金)公開

 2022年に日本公開された映画「君を想い、バスに乗る」と同じく、SNSが余計なことをして、変に騒がれるシーンがある。被災地のスーパーボランティアとして有名になった、尾畠春夫さんのケースと同じだ。尾畠さんは東京から自宅の大分県まで歩いて帰ろうとしたが、SNSやマスコミの報道で話が広まり、一緒に歩いたり自動車やバイクや自転車で伴走したりする人がたくさんいて、交通事故の発生を懸念した尾畠さんは、徒歩での帰宅を断念したという経緯(いきさつ)がある。
 有名な人の偉業(?)や、一時的な流行に乗っかって、みんなで大騒ぎすることをミーハーと呼ぶ。サッカーのワールドカップやハロウィンのときに渋谷などで大騒ぎする連中が、ミーハーの典型だ。ひとりで静かに歩きたい人にとっては、あんな族(やから)に囲まれるのは、たまったものではない。
 
 本作品の主人公ハロルド・フライも、静かに内省しながらひとりで歩きたかったと思う。事実、ひとりで歩いていたときには、来し方行く末を思い、家族や友人たちを思った。外見的には何も変化はないが、心の中は充実していた。ところが人が集まると、賑やかになるが、中身は空疎だ。渋谷で大騒ぎする連中の空疎さにそっくりである。
 振り返って、では当方は空疎ではないのかというと、ハロルドと同じく、自分は何もしてこなかったと嘆く部分がある。ミーハーの連中と、そんなに変わらない。孤独が好きで、群れるのが鬱陶しいだけだ。
 
 ハロルドの個人年表を想定してみた。いまは75歳くらいだろう。25歳で結婚して、銀婚式の年くらいに出来事があって、それから25年経った。金婚式くらいの結婚生活だが、25年前の不幸が影を落とし続けていて、金婚式を祝うような雰囲気ではない。妻のモーリーンは空虚な時間を埋めるように、毎日家事を一生懸命にこなしている。
 
 人生は空虚で無意味だ。我々は目的もなく生み出され、右往左往して死んでいく。人間の存在を肯定する人も否定する人も、死んでいくことには変わりはない。問題は、自分にとって自分の人生がどうだったかだ。世間や他人は関係ない。
 ハロルドの旅は、彼自身の人生を肯定するために、必要なものだった。何かのために尽力するのは、結局は自分のためだ。ゴータマのように天上天下唯我独尊という悟りの境地に達するのは至難の業である。しかしせめて自分の人生は無為ではないと思いたい。少なくとも、誰かの役に立ったのだと。
 ハロルドは立派だった。