熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。
穏やかに晴れ上がった今日の朝
外に出てみると
すっかり葉を落とした山法師に
芽らしきものが輝いている
この段段になっているところが
伸びたところなのだろうか
場所によっては日が当たらない所は
伸びも違うようです。
そのような中、
檸檬の木が届きました
こういう風に段ボールに入って
送られてきました。
注文した時はどうやってくるのか
興味津々で待っていましたが
なるほど、こうやって
きちんとダンボールに納まるように
して届くのです
早速ほどいて植えました
鉢の下には骨粉とか油粕の肥料を入れ
新しい土も入れて
ちょっと大きめの鉢に植えました
これからが楽しみです
実を付けるとなると3.4年はかかる
とのことですが
実よりも何よりも
根を張り新芽をだし
育ってくれることが
一番の願うことなのです。
数少ないわが家の植物たちは
シクラメンは
寒さを楽しむかのように
元気に次々と花を咲かせています
それから、
蚊取草も新しい葉を出しています。
2年前に買った梅の木は
私の不注意だったのですが
幾多の困難を乗り越えて
今年はやっと
一輪花を付けました。
明日からはまた寒くなり雨
雨水という日にあたります。
檸檬という字も
書いてみると難しい
漢字的には読み方はネイモウ
それをとってレモンと
当てたのでしょう。
「レモン・ツリー」という歌は
ピーター・ポール&マリーの
デビュー曲です。
レモンの木はとってもプリティ
花はスイートと
しかしフルーツというよりも
食事にはとても大切なもの
と直訳ですが、
レモンの木はかわいい
花は甘く香る
でも、
その実は切ない恋の味がする
というようにうまく訳されています。
まあ
どうなるかはこれからの楽しみです
この字に出会ったのですが
「耄碌」
何と読むのだろうと調べて見ると
「モウロク」と読みます
自分にピッタリしてドッキリです
今では
「親父はボケたんか!」と
ボケるという言葉を使うようです。
最近は、
耄碌とはあまり使わないように
思うのですが、
「耄」という字も
毛の上に老いと書きます。
目がかすむという意味で、
年をとり視力の衰えた老人の意。
ひいて、おいぼれの意。
と出てきます。
1の意味として、老いぼれる
2の意味は70歳、一説には80歳
ということです。
70過ぎたら字義的には老いぼれる
ということですね。
また、よく言われる
「ぼける」ということ漢字で書くと
惚けるとも、呆ける、暈けるという
漢字があります。
「惚ける」、という字は
うっとりするという意味で
ボケるという意味はありません
うっとりする、見とれる、かすか
奥深いさま、というように
非常にいいことばかりです。
昔、「恍惚の人」という映画が
ありましたが、
「恍惚」という意味も
味わい深くはかりしれないさま、
うっとりするさま、とあるように
ボケるという意味はないようです。
ただ、
映画で痴呆の人を扱ったので
そこから、惚けるということが
出てきたのでしょうか。
同じボケるでも、
「呆ける」ということは
ホウと読み、おろかという意味
があります。
あっけにとられるという時には
「呆気に」という字を使います。
また、もう一つの
「暈ける」という意味は
ぼんやり曇った光彩ということで
めがくらむとか、ぼかす
というようなことで
ボケるという意味からは
少し外れると思います。
本当は全く違うことで
読んでいたのですが、
この字「耄碌」という字に出会った
ばっかりに、
話がそれて、調べていくのも面白く
思わぬ時間を割いてしまいました。
しかし、
これも有り難いことで
以前は、読むのに忙しく
他にそれていく時間なんか
無い状態でしたので
回り道して辞書をめくっていく
楽しさがあります。
「石門心学」ということを
知ったのも、
実は今年の京都新聞正月号で
カール・ベッカーという方の記事が
目に止まり、心引かれたのです。
「正直・倹約・勤勉」
日本人の価値観を思い出す
という題で書かれています。
記事には、
「明治維新後、日本の急速な
経済発展を可能にしたのも、
京都から石田梅岩の石門心学が
全国に行き渡ったと言われている。」
石門心学を開かれたのは
石田梅岩(いしだばいがん)という
人です。
調べて見ると京都の亀岡という地が
その出身とあります。
亀岡もいろいろ面白いところで
次のNHK大河ドラマは「明智光秀」
ということで、
彼は亀岡の領民からはとても慕われ
その舞台が亀岡というところです。
道の駅「ガレリアかめおか」に
石田梅岩のコーナーがあるということで
訪ねてみました
道の駅にしてはとても立派な建物
中には図書館、イベントホール、
地元の野菜販売等々があり
その一角に
梅岩ゆかりの品や
その人となりを紹介しています
梅岩が講義をしているところ
受講料も無料、女性でも受講でき
広く門戸を開いていました
愛用の品々(レプリカ)があり
その人柄を表すような像が
まるで講義をしているかのよな
雰囲気を漂わせています
江戸時代中期の享保期を中心に活躍
その頃は
吉宗の「享保の改革」があり
幕藩体制の矛盾が表面化しました
その反面、
商業の発達により町人が台頭し
梅岩の教えは町人層に広まりました
「人の人たる道」を求めながら
同時に商いの営利追求を積極的に求め
勤勉・倹約・正直を説き
そういうことが時代の風潮に合い
広まっていったようです。
若い頃から、
「自分とは何か」
「人間とは何か」
ということが大きなテーマだった
ようで、
求めていれば必ず師は見つかり
小栗了雲という黄檗宗の禅僧に
出遇い、参禅して深め
人間の本質である性を求め
「性はこれ天地万物の親」
さらには
「我なし」という境地に
達したということです。
カール・ベッカー氏の言葉は
さらに興味深く、
「心学の三徳とは
『正直・倹約・勤勉』で、
その価値観を徹底したために
信用取引が広まり、貿易や金融、
流通や産業が栄えたのである。
心学の「正直」は、
嘘つきではないという
意味だけではない。
あらゆる物事を懇切丁寧に、
精確にやりこなすことである。」
と述べておられます。
「正直・倹約・勤勉」という
日本人が今まで最も大切にしてきた
ことを外国の方に指摘され
忘れかけた心を気づかされました。
利益ということも
「りえき」とも読め
「りやく」とも読めるのは
考えさせられることであります
あまりに利益追究に走るあまり
本当のご利益を忘れてしまうのは
何か核になる心を失って
しまったからでしょう。
正月号でこの記事を読んでから
ずっと心に残っていました。
亀岡の地を訪ね、
石田梅岩の像にも触れ
心学のありようを学んでみようと
思い立つ心が起きたことは
なによりでした。
願わくば花の下にて春死なむ
その如月の望月のころ
今日はお釈迦さまの涅槃会
西行法師はお釈迦さまの涅槃に
自分も亡くなりたいと
常日頃思っておられたようです。
この歌は亡くなる十数年前に
詠まれたそうですが
その思いが叶うかのように
建久元年(1190)2月16日、
河内の弘川寺で涅槃に入られました
西行法師は俗名佐藤義清といって
北面の武士
今でいうキャリア官僚
ところが突然出家してしまいます
その出家の原因はいろいろと
友人の死、政争への失望、
女性との失恋など
瀬戸内寂聴さんは失恋という説
のようですが、
やはり17歳の時父の死ということも
大きな原因かもしれません。
お釈迦さまも生まれてすぐ
お母さんを亡くされています。
十地経講義では
宗教問題というのは
なんか追っかけられる
なんか大きな忘れ物をしている
というような問題なんだ
あらゆるものが足らんで
なにか不安なのではない
あっても不安なんだ
そういうものが日常生活の底にある
時々ふうっと出てくる
ふだんはそれを忘れておる
忘れるのではない
もう忘れようとするんだ
そんなものが出てくると
もう飯も食えん、仕事もできん
もうなるべく抑えようとする
けど抑えようとすればするほど
出てくるんだ
不気味なもんです
実はそれが、
到達点から見ると
人間の一番健康な心理なんです
不安というけども
不安でなければなお危険なんです
超越的なものが内にあるという
矛盾構造の自覚ですからね
不安というのは。
というように述べておられます。
出家ということも
そういう不安というか
御飯も喉を通らない
仕事も手につかなくなった
そういうことが動機だと思います。
ですから、西行の出家は
大きな寺院ではなく
名もなき寺でひっそりと得度
したのでしょう。
同僚には平清盛もいて
出家を強く引き留めたと
そして天皇も思いとどまらないかと
出家することを反対されたようです
というのも
流鏑馬の名人でもあり蹴鞠の名手
容姿端麗、
北面の武士としてこれほど優れた
人はいなかったのでしょう。
「西行は長く煩悩に苦しんでおり、
いわゆる聖人ではなかった。
彼は出家後の迷いや心の弱さを
素直に歌に込めていく」
と、ある解説には出ていますが
長く煩悩に苦しんだからこそ
素晴らしいと思います
さとりとは苦しまないことではなく
断ち難い煩悩に苦しんでいくところに
歌に対する厳しさがあると思います
時の荒法師と言われた文覚上人
西行法師が高雄の神護寺で
一夜の宿を乞うた
弟子たちは心配したのです
西行が文覚にこてんぱに
やられるのではないかと
ところが、
文覚は西行の歩まれた人生の
深さに頭を下げた、
という話があります。
それから一人厳しい人生を歩まれる
のですが、
驚くべきことは
68歳の時、
東大寺大仏復興の為重源が訪ねます
協力してほしいと
砂金が必要だったのです
奥州の藤原秀衡と親交のある西行
大仏様のためならと
意を決して奥州への旅に出るのです
途中、鶴岡八幡宮で頼朝と会う
流鏑馬の奥義を頼朝は尋ねる
一端は、もう長くはやっていないので
すっかり忘れたというのですが
話すうちに
その奥義を語りだし
慌てて頼朝は書き手を呼び
書き留めたという話があります。
「嘆けとて 月やはものを
思わする
かこち顔なる わが涙かな」
という歌が百人一首の歌です。
文治6年・建久元年(1190)
2月16日涅槃に入られました。
堀川通り中立売を西へ
黒門通りに面してお店はあります
立派な建物です
大正時代の建築物で
京都の文化財建築にも指定されています
店内も時代を感じる作り
この硝子戸の向こうが仕事場のようです
一段高くした部分は新しいもの
この場所も
聚楽第址という石碑があるように
この辺りは秀吉が聚楽第を構え
ここに住み、政を行ったところです。
1586年月に着工翌年9月には完成という
さすが秀吉の力です。
塩芳軒(しおよしけん)
お菓子なのに
「塩」という字が付いている
「塩梅」という字もあるように
味というのは塩と梅酢のバランス
甘いお菓子といっても塩がなければ
本当の味は出ないという
ことなのかもしれません。
「塩」古い書体は「鹽」
難しい字です。
鹵(ロ・しおち)部に入る字
塩分を含んだ土地、しおつちから
出来た文字です。
ですからお店の紋も
「塩」をあしらったものです。
やはり、西陣という場所
いろいろ、他とはまた違った
歴史を感じる店もあるようです。
近くには「粥」の店もあります
お粥専門店というのも面白い
こじんまりとしたお店ですが
座敷もあり、
テーブル席もあり
中華粥なので少し味が付いていて
とても美味しいお粥です。
お粥という字も古い書体は
「鬻」という字を書きます。
弓へんが両方についていますが
これは弓ではなく
お粥から立ち上る湯気を
表したものです。
ですから、
字の部類は鬲(かなえ)になります。
子供の頃は「お粥」というと
腹持ちも悪く、
好きではありませんでした。
ところが、三浦先生はお粥が好きで
その残りを頂いているうちに
好きになり、
それからは中国へ行った時は
いつもお粥を頂いていたのです。
お店の名前は「福住」さん。
宝船を用いたドアが
印象的でした。
久しぶりの京都御苑
今日は寺町御門からのアプローチ
その門の前のサルスベリ
枝ぶりが不思議な造形美です
枝が伸びて
土に着いたところからまた枝が出て
このような大きな枝ぶりのサルスベリに
成長したのです
その元は見事な太さの幹
どれくらいの年月がかかったのでしょう
また花が咲いた時を楽しみに
いつもと違う門から入ると
風景も違って見えます
まず目に止まったのが
代々の木でしょうか?
立派な実を沢山つけています
それを見ながら梅園へ
白梅は今が見ごろ
それを過ぎて行くと
御所に流れる「出水の小川」を見て
紅梅が美しく咲いていました
微かな香りが漂っています
もうほぼ満開です
この梅は深紅の花を付けています
本当に紅梅というにふさわしい
色をつけています
御所の休憩所もやっとできたようで
ちょうど向うに見えるのが休憩所
これはモクレンでしょうか
前の建物とは打って変わって
風景にマッチするように
建てられています
中の天井も、
ただ一面に張るのではなく
山折りのような形に作られ
またそれがなんともいい雰囲気を
出しているようです
御所も台風の被害が大きかったようで
大分片付いているもの
枝が折れた生々しい姿があります
ここも倒れたのでしょう
幹は切られ、土が盛り上がっています
横に回ると棲家のような穴
たぶん、狸か何かの動物の
ねぐらだったところかもしれません
木が倒れたので
ひょっこり穴が顔を出したのでしょう
それから、
今にも倒れそうな寄生木をした木
風にも負けず頑張っています
たぶん、
前にも写真を撮ったこの桜の木
行くたびに気にかかっているのですが
こんな姿でも元気に育っています
自分の姿を見るようで
足元の幹は穴があき
皮一枚でいのちをつないでいる
今年は前よりも元気のような
伸びた枝には花芽を沢山つけて
暖かくなるのを待っているようです。
帰りがけにコーヒーでもと
いつものイノダに寄ったのですが
生憎満席
美しい形のケーキを買って
家でコーヒーブレイクとします。
これから、京都御苑も色とりどりの
美しい姿を見せていくことでしょう。
もうすぐバレンタイン
近くのスーパーとか覗くと
たくさんのチョコレートが
並んでいます。
最近ではこの時期になると
小学校の子どもが
学校へ行きたがらなくなる、
ということだそうです。
女の子から、
「三倍返しやで!」
と言って渡されるそうで
もらうのが恐いということの
ようです。
そういう時期なのでしょう。
我が家にもバレンタインの花が
届きました。
三倍返しということでもありません
チョコレートの箱に見立てた
入れ物にチョコにかわり
美しい花が活けられています。
日本では何でもかでも
商業ベースにしてしまい
本来の意味が見失われています。
なにはともあれ、
それにちなんでか
時期時期に合わせて活けられる花は
目も心も楽しませてくれます。
正面から目線を下げてみると
箱から花が溢れているようで
今にも飛び出しそうな様子は
おもしろいものです。
バレンタインも歴史は古いようで
ローマ時代までさかのぼるようです
しかし考えて見ると
私の小さい頃にはなかったようです
たぶんチョコレートの会社が
何かのきっかけで始めたようです。
歴史的にはそのバレンタインという方も
処刑されたということで
歴史的には悲しい出来事だったのです。
2.12は私たちにとっても
大切な日でもあります。
こうやってゆっくりした時間を
持てるのは何よりのことです。
花を愛でて一献いただきましょう。
宝塚市、4月から全国初
公文書に「障碍」使用へ
という記事を京都新聞で見ました。
常用漢字にない「碍」という字を
公的に使用する自治体は
全国初ということです。
「害」という字は
障害のある人に問題があるかの
ような否定的なイメージがある。
ということで、
「障がい」とひらなが書きにして
使い分けていたということです。
そこで、
「障碍」という字を使う
ということにしたそうです。
ちょっと気になったのが
「碍」という字です
どこかで見たような…
そういえば、
般若心経に出てくる
「無罣礙 無罣礙」
(むけげ むけげ)という
ところに出てくる一文です。
「碍」の字は略で昔の字では
「礙」というように書きます。
ですから、碍も礙も同じ文字です。
仏教辞典には、
「無礙」-さわりのないこと。
無碍とも書き、
無障礙、無罣礙、無所罣礙ともいう。
ように出ています。
この無礙ということはとても大切な
言葉で、
理事無礙法界とか事事無礙法界という
ことも述べてあります。
無礙には、
すべてのものが融けあって
互いにさまたげない円融無礙と、
すべての障礙を自在に破る自在無礙
の意味があるとも説かれています。
また、
仏の智慧を無礙智、
阿弥陀仏の光明を無礙光、
仏を無礙人、
一乗法を無礙道、といいます。
煩悩ということは大きな障りで
これをいかに乗り越えていくか
ということが大きな修行です。
十地ということも
そのような段階があるということは
その煩悩対治という道程です。
何も対治といって
取り除くとか取り去る
という意味ではないように思います
煩悩なんて無くなるものではありません
煩悩を持っているという
深い認識です。
修行するといっても
煩悩をなくすのではなく
一つ一つの煩悩のあることの
確認作業でしょう。
でなければ、
「煩悩即菩提」とか
「不断煩悩得涅槃」というような
言葉はないはずです。
煩悩をなくせというような言葉は
経典には出てこないようにも
思います。
また、七福神という
福を授ける神さま方も
それぞれに障害を持っておられた
ということも聞きます。
恵比寿さまも耳が不自由だとか
それでお参りする時には
横に回って耳元で板を叩き
「たのみますよ!」と
声をかけるというような
障害を福に変えてこられた
かみさまのようです。
「障害」という字を「障碍」に
かえられたということは
漢字の意味からしても
とても理にかなっていることでは
ないかと思うのです。
ハンディキャップのある人の
スポーツ参加を促進しようと
衆院文部科学委員会が昨年5月
常用漢字に「碍」を追加するよう
政府に検討を求める決議をした。
ということです。
余談ですが、
碍も礙もどちらも石偏というのは
おもしろいと思います。
一般的によく見る「碍」としては
碍子(がいし)というものがあり、
電柱に付いていて
電気を絶縁するという
陶器で出来たものがありますが、
電気が通るのを防ぐという意味で
それが陶器ということから
石偏が付いているのかもしれません。
朝からは日も照り出したのですが
走り出すと曇り空
京都縦貫道は山道へ入ると
小雪が舞いだす。
今日の目的地は京丹後市にある
「和久傳の森」
大きな門と壁が一体になったような
入口を入ると
黒で統一された建物が見えてきます
「森の中の家」という
安野光雅さんの画を展示する
美術館です
安藤忠雄さんの設計
京丹後の民家は
どっしりとした板壁が特徴で
それを取り入れられたような建物
中に入ると、
とても細工が込んだ壁
細い三角形の棒をきれいに並べた
ものです
後で聞いたのですが
その三角形の溝に絵を吊るす
細い金具が通っているのです
見た瞬間はその針金は見えません
まるで絵が宙に浮いているような
錯覚をしてしまいます
ゆっくり絵を楽しみ
美術館の目の前にある
レストランへ
工房レストランMORI(モーリ)
ここでは食事もできます
ゆったりとした空間で
一歩足を踏み入れると
暖炉で焚かれている木の香りが
漂ってきます
たぶんここで採れたのでしょう
南天を活けて有ります
隣には和久傳の工房もあり
中庭を挟んで
両側が工場で
その様子を窺い知ることが出来ます
ちょうど、「ちりめん」の
袋詰めの最中です
くるりと一回りして
中庭のシンボルツリーでしょうか
モミジの古木が見事な枝ぶりを
見せています
その下にはたぶん大日如来でしょう
手が智拳印を結んでおられます
まあ、なんとも美しいところで
西湖のお菓子やちりめんが
作られているのです。
和久傳の女将、
昔は京丹後で旅館を営み
丹後ちりめんが盛んだったころは
随分と発展したのでしょう
時代と共に、
泣く泣くこの地を離れ京都へ
そこで成功したら必ずも出ってくる
ということを心に秘めて
京都だけでなく東京までも進出
立派な成功を納め
約束通りこの地に戻ってきて
和久傳の工房と美術館を
建設されたのでしょう。
店員の方とお話しできたのですが
態度や言葉の端々に
この和久傳を愛されている様子が
伝わってきました。
雪柳が美しい芽を膨らませています
庭の隅にあった
四面の菩薩さまに挨拶して
一路、久美浜湾へ
案外、京都にいながら
久美浜の地は訪れていませんでした
美しい湾で
海との入り口がほんの小さな水路
大きな地図で見たら湖のようにも
見えてしまいそうです
穏やかな湾なのでしょう
水どりたちものんびりと
羽を休めています
見方によって変わる湾の景色
曇り空ながら心落ち着く風景です。
京都縦貫道が出来たおかげで
10時ごろ家を出たのに
美術館を訪ね久美浜湾を一回りして
7時には家に帰ってきました
昔であれば
一泊どまりの行程です。
ちょっとした時間で
ここまで来れたことは何よりでした
また、違った角度で
和久傳さんの心に触れたようで
充実した気持ちで
帰りの道につけたのは
嬉しいかぎりでした。
五蘊仮和合(ごうんけわごう)
五蘊、
分かったようで
よくは分からない
五蘊とは色・受・想・行・識
すべてのものはこの五蘊で
成り立っているといいます。
般若心経にも
色即是空、空即是色
受想行識もまたかくの如し
というように出ています。
詳しくは、受即是空、空即是受
想即是空、空即是想
というように続くのです。
そして
色も無く、受想行識も無い
というように続いています。
色はカラーという色でもなく
色香という色でもありません
物質のことを色蘊というように
いうのです
その後の受想行識は心のはたらきを
言っています
五蘊という色受想行識は
物質と精神というすべての
縁によって生じたものということが
出来ると思います。
「受」ということですが
簡単には感情ということ
厳密には、
「受とは謂く順違と倶非と境相を
領納するを以て性と為し、
愛を起すを以て業と為す」
というように出ています。
ここでいう愛とは煩悩のこと
順違の順は順境、都合のいい対象
違は違境、都合の悪い対象
倶非はどちらでもないもの
そこで、
領納とは自分に関係させること
つまり、自分に引き受けた
ということです。
青い月を見れば悲しいという
その場合、月は何も悲しくない
青いだけである
それを見る心が悲しい
感覚と感情の違いはそこにあります
感覚は熱いとか冷たいとか
感覚されるものが熱かったり
冷たかったりするのです
ところが感情というのは
見る心自身がさびしい
月が寂しいというのですが
月自身は何も寂しくも悲しくもない
見るこちらの心が問題で
楽しい時は明るく見えるし
失恋でもしたときには
青い月が悲しく見えるものです。
つまり、
あらゆる対象を自分に関係させて
見るところに
順境のときには楽、
都合がいいので楽しく受け止める
違境のときは苦、
自分にとって都合が悪いので
苦というように受け止めるのです。
「受」ということは
自分に関係させてものごとを見る
ということなのです
そこから都合がよければ楽しいし、
都合が悪ければ苦しいと
受けとめるということです。
話しは飛びますが
五蘊仮和合ということも
五蘊ということは
そういうことが決まって固定して
あるということではなく
(都合よければ楽、悪ければ苦)
あらゆる条件(因縁)によって
変ってくるということです。
ですから
私たちが今いるということも
あらゆる条件が
仮に和合(結び合って)して
成り立っているということです。
仮に自分自身が病気でもすれば
今ある境遇は壊れてしまい
ベッドの上という境遇で
周りの家族も看病とか
また違った環境が生まれてきます。
ですから、
今、こうやっているということは
因縁の絶妙のバランスの上に
成り立っているということが
言えると思います。
有り難うございます。
ということも
「有ること難し」ということです
有り得べからざることがある
ということで、
何かの一つのバランスで
壊れてしまうかもしれない
というのが今の現実です。
そこにこうやっていまあるという
貴重な存在が今の自分である
と思います。
年ということもあるのでしょうか
つくづくと
一日こうやって何事もなく
過ごせることの有り難さを
かみしめています。
本当に因縁の絶妙のバランスです。