熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。
今は町を歩くといたるところで
LEDで飾られたイルミネーションを
見ることができます。
京都駅には大きなクリスマスツリー
がデコレーションされています。
見上げるほどの大きさ
角度によっては
京都タワーとのツーショットも
見ることができます。
階段から下りてきたのですが
この階段にも面白い仕掛けがあって
小さなLEDが埋め込まれていて
音楽に合わせて色が変わり
遠目に見ると
色々な絵が浮かび上がってきます
しばし楽しんでいました
ふと横を見ると
醍醐寺の五大力さんが
ツリーの横で睨みを効かしています
まあ、面白い取り合わせです
反対側からの遠景です
こちら側がグランビアホテル、
この京都駅も面白い構造で
見る度に新しい発見やら
おもしろさに驚かされます。
この階段のイルミネーションも
まじかで見るとただのランプの点滅
にしか見えないのですが
遠目に見ると
絵が浮かび上がるというのも
なかなかいい仕掛けです。
これも新しい発見でしたが
このようなモニュメントもあるのです
何気ないただの照明ですが
夜見るととても美しく見えます
グランビアホテルのロビーの
クリスマスツリーです
百合の花一面に飾られています
駅前の風景もいいものです。
久しぶりに夜の風景を堪能しました。
いよいよ来ました!
「高齢者講習」
来年、70歳になるので
再来年かなと思っていましたが、
10月にこのハガキが届きました。
早速、近くの自動車学校へ電話すると
最短で今日12月21日ということで
予約しました。
団塊の世代がこの時期になるので
混んでいるのでしょう。
なんだか、一番気になったのは
認知症の検査があるのかな
ということでした。
しかし、
その検査は75歳からのようで
70歳からは高齢者に対して
法令が変わったことと
ビデオでの高齢者が犯しやすい
例えば、高速での逆走行などの
説明でした。
それに、視覚検査
やはり一番情報量が多いのは
目ということです。
やはり、おばさまになると
視覚検査でも
見えますか?
丸が見えます。
違いますよ!
丸の欠けてるところですよ!
なんとも頓珍漢なやりとりで
教室では笑いもおこったり、
そのあとは車での実習
軽自動車にしか乗ってない
おばさま
こんな大きい車はできない、とか
自分の車で運転させてと
結構好き勝手な意見も飛び出し
かたや、
教官の方はなれたもので
大丈夫ですよ!
点数が付くわけでもありませんので
と、説得に大変そう。
ということで、2時間の講習
あとは、誕生日の一月前までに
免許センターに行けば大丈夫という
ことです。
思ったより簡単に無事済みました。
孫の紗和ちゃんからも
じじはいつまで運転するの?
と、電話もかかっていた矢先
何とか無事に過ごせました。
けれども、
65歳以上の高齢者の事故
という報道を見るたび
免許を返す時期が気がかりです。
まあ、
今回は視覚検査にしろ実技にしろ
合格点のようでしたが
せめて75歳まではと
思いつつも
こればかりは
どうなるものかわかりません。
自分の体と相談しつつ
自分の体もよく客観的に観察
しながら
注意深く見ていかなければ
いけないということでしょう。
自分のことを見直すためにも
こういう講習は必要なものだと
思いました。
今年の漢字一文字は
「北」になりました。
当院のお不動さまも北向き不動尊
といわれています。
「北」という字は
ヒ(ひ)部に入る文字で
この部類に入る文字は
化という字と北と匙の三つしか
ありません。
「北」という字は
人が背中を向けあっているさま。
それで、「そむく」という意味が
でてきたようです。
中国では家は南向きに作るので
それに背く方角ということで
北という字ができたということです
北が付く言葉で思いつくのは
「北面の武士」
もともとは天子南面して座す
というように、
その天子に対して北を向いて
座ったところからでてきたのが
日本では白河法皇が上皇の身辺警護
のために作ったのが
北面の武士といわれています。
世の無常を感じて26歳で出家した
西行法師も佐藤義清といって
鳥羽上皇に仕えた北面の武士でした
同じころ
袈裟御前に横恋慕して
誤って殺してしまい
自分の罪を不深く感じて出家した
文覚上人も遠藤盛遠といって
やはり北面の武士です。
また、
「北の政所」ということも聞きます
特に、秀吉の妻「ねね」高台院は
有名です。
正妻のことを「北の方」と
いったところから
北の政所といったのでしょう。
方角も普通は東西南北といいますが
順番的には東南西北となります。
一日をみても
東から日が登り南の天頂へ行き
西の夕日で日が沈み夜の北になる
北とは一日の安らぐ落ち着く所を
意味すのではないでしょうか
また、東北角は鬼門といって
とても大切な場所にもなります。
御所の東角も鬼門のところは
角を欠いてあるのです
角を取ることによって
鬼門を避けることにしたのです。
あまり方角の事とかいわない
東西本願寺さんでも
鬼門のところはこういう風に
なっているようです。
むかし、よくお参りの方から
こんな話を聞きました。
「北向きの仏さんはお力が強い」
と、
私もどういう訳か
北向きに縁がって … !?
といって、
私に力があるわけではないのですが
東寺にいた頃は御影堂にいて
その弘法大師は「北面大師」と
いって、御所をお守りするため
北向きに安置してあります。
寝殿造りの板張りの床は
冷え冷えとして身体に堪えました。
熊本に帰ると
本蔵院も「北向き不動尊」と
やはり北向きです
誰もいない南側はぽかぽかと温かく
お参りする本堂は北向きで
本当に冷え冷えとしています。
よくよく考えて見れば
家は南向きに作る方が住みやすく
北向きに作ると
夏はむんむんと蒸し暑く
冬は冬で寒々としている
ということは
そこに居ること自体が修行
ということなのでしょう。
そういうところから、昔の人は
北向きのお不動さまお力が強い
と言ったのでしょう。
「北」という字は
漢字自体は背くとか逃げる
といってあまりいい意味は
ないようですが、
色々な意味で今年は北という字が
選ばれたのでしょう。
しかしまた、
色々な意味合いを持った字でも
あるようです。
厳しい寒さが続きます。
その寒さの中でも着々と準備を
進めている植物たちもいます。
山法師もすっかり葉を落とし
枝を空に向かって伸びきっています。
幹の肌も美しい模様をみせています
その下のサツキ、
この寒さでは虫たちは死んだのか
と捜してみると
毛もなく、
丸裸のツンツルてんの姿で
頑張っているようです。
昨年、長浜で買った梅も
葉を落としいつの間にか
可愛い花芽を膨らませています。
そして、
枯れるかもしれないと思っていた
「牡丹」
小さな花芽を固く閉じて
来春に向け力を蓄えているようです
夏だけのものと思っていました
「唐辛子」
まだ赤や紫の実を付けています
いま、店先ではシクラメンの花が
たくさん並んでいます。
が、我が家では
手を入れてないせいでしょうか
まだ葉だけが茂り
中を覗くと
小さい花芽が
今かと準備中です
シクラメンの花は
お辞儀するように花を下にして
伸びてくるところは
とても謙虚な姿に感じられます。
三株ほどありますので
これからが楽しみです。
そして、
行き倒れだったコオロギ
草むらの中でじっとしています
元気か!?
と声をかけると
触覚を動かして答えてくれました
なんとか元気にしていたようです。
先日届いたのですが
工芸博に行った時、作ったクマモン
瓦が焼き上がったということで
「ウェルカム・クマモン」です。
目を凝らして見ると
季節に応じて
それぞれのハタラキを見ることが
できるようです。
マウリア王朝3代目アショーカ王
初めてインドを統一して
仏法による政をしたので法王と
呼ばれました。
この方がいなかったら
仏教は滅んでいたということです。
ということで、
今日の佐々木閑先生のお話は
アショーカ王についてです。
名前を翻訳すると「無憂」
うれいがない、となり
音写すると「阿育王」となります。
仏教を広めたということでは
大変な功労者なのですが、
もともとの性質は大変粗暴で
悪の権化だった人ということです。
この事も初めて知りました。
アショーカは父と仲が悪く
父は兄の方を信頼していたようです
ところが、兄が遠征に出かけた時
父親は急死してしまいます。
そこでアショーカは自分が王になり
自分に刃向うものを
全部殺してしまいます。
それだけには飽き足らず
人が苦しむのを見るのが好きで
殺戮する部屋まで作って
また国中で一番の悪人といわれた
「ギリカ」を番人に据えます。
そのことを聞きつけ両親が
ギリカにそんな酷いことをするなと
注意すると
自分の両親まで殺してしまいます。
これを見てアショーカは大変喜んだ
こんな悪い奴は番人にはもってこいと
ある日、
その殺戮するとい部屋に
お釈迦さまの弟子がやって来た
とても美しく見える建物で
何も知らずその弟子は部屋に入って
行きますと、
ギリカは大変喜んで
この坊主を釜茹でにしようと
大きな釜に坊さんを入れて
下から火を燃やすのですが
坊さんは瞑想して静かに座っている
不思議なことがあるものだと
王様のアショーカに報告すると
アショーカ王もやって来て
その様子を見て
そのお坊さんになぜかと尋ねる
すると
自分は釈迦の教えを聞いていると
答えるのです。
そこで、アショーカ王は
お釈迦さまに帰依するようになった
これから自分は殺生をしないと
菜食主義になり
深くお釈迦さまの教えを聞き
その教えによって
国を治めたのです。
国中にお釈迦さまの遺骨を祀る
仏塔を八万四千基立てて
皆がお釈迦さまの教えに触れるよう
にしたということです。
それはお釈迦さまが亡くなって
100年後とも200年後とも
言われています。
そん頃は
文字に記すということがなく
お釈迦さまの教えは口伝えに
伝わってきました。
ですから
教えが広がっていくにも
限度があったのです。
アショーカ王の仏塔建立とかで
全インドに広がった仏教は
その礎を築いていったといえます。
暴悪非道といわれたアショーカ王が
仏教に帰依しなかったら
中国にも日本にも仏教は
広がらなかったともいえます。
おもしろいことに
インドでは年代を記すという
習慣がないせいか
いまだにお釈迦さまの年代は
確定していないのです
たぶん今から2500年前という
アバウトなことしかいえない
ということのようです。
アショーカ王の時代も
不明だったのですが
アショーカ王が建てた碑文の中に
エジプトとかシリア王の記述から
年代を確定したということです。
とても興味深い話を拝聴しました。
昨夕あたりから玄関先に
倒れていた虫、
たぶん、コオロギでしょうか?
今朝もまだ動ないでじっとしている
もう死んでしまったのか
そっと手に取ると
肌の温みを感じたのか
少し動きだします。
やはりこの寒さでしょう
霜の当たらない玄関先で
倒れたのかもしれません?
一体この虫はなんだろう
ネットを見て、
どうしたらいいものかと
「コオロギ」で調べると
意外なことが分かる
コオロギの飼育はもっぱら
他の爬虫類の餌として育てる
ということが出ています。
しかし
飼うにはそれなりの責任もある
そして、
生きもを飼うということは
そう片手間で出来るようなことでも
ないようです
秋ごろ鳴いていたコオロギ
時期外れに、
羽化したのかもしれません
仕方ありません
今日の出会いは出会いとして
やはり自然に帰すことにします
一応、あなたの写真を
ブログにアップして
姿を残しておくことにします。
寿命はわずか40日ということです
8月から11月の間に
卵を産み付けるということです
身体の色つやからると
まだ若いコオロギのようです。
どうかあなたのいのちを全うして
ほしいと祈っています。
モミジの紅葉も終わり
殺風景になった木々の中に
ひときわ赤さを放っているのが
赤い実をつける
千両、万両、南天などなどです
今日お邪魔したお宅の庭
千両でしょうか
目に飛び込んできました
枯れ果てた庭の中にひときわ
彩を添えています
美しく群生しています
一本だけ小さな実を付けて
ひっそり立っているものもいます
黄色の千両もありました
そして、
南天も赤い実をつけています
鳥とかが食べに来ていないのでしょう
こうやって
赤い実を美しくあって
私たちを楽しませてくれます
極めつけは
このたわわに付けた
ピラカンサス
豪華絢爛の姿です。
赤い炎という意味がピラカンサス
寒い時期に
こういう赤い実を見ると
心が躍るものです。
帰るころには美しい夕日に
枝だけになった
美しいメタセコイアのシルエットが
印象的でした。
夜はテレビ三昧
色々最終回もあり
テレビの前にくぎ付けでした。
「諸仏の境界蔵に通達して
魔の境界を現ず」
と、『十地経』に出て来ました。
仏と魔という組み合わせです。
一見、仏と魔とは全く関係ない
ような気がしますが、
お釈迦様がさとりを開かれるとき
ただじっと座って仏になった
というのではなく、
「降魔成道」ということがあって
自分の内面にある魔を降して
仏になったということです。
魔を降す、魔を対治する
ということがなければ
さとりは開けないということです。
「魔」という文字
なんだか
あまりいい響きではありません。
漢和辞典では
サンスクリットMARAの音訳
とあります。
熟語を見ても、
魔力、魔王、魔性、魔物、魔法
などなど、
辞書にも、人の心を惑わせる
あやしい術などとあり、
悪魔という言葉は
人に害を与える魔物という
ような意味合いで解説してあります
インドの言葉、MARAマラから
魔という言葉をあてたということで
本来は仏教の言葉なのです。
隠語でマラというのも
修行で私たちを最大に悩ますもの
ということで、男のあそこをマラ
といったということのようです。
ですから、修行する私たちにとっては
魔ということは大きな問題です
魔を対治するということがなければ
さとりということは
成り立たないのです
魔をみつけるということが
さとりを開く大事な要素です
ただ、やさしく幸せなことばかり
考えていても悟りには至らない
ということです。
魔が見つかったということが
本当の自分の姿が見えてきた
ということになると思います。
お釈迦さまも悟りを開こうとすると
魔王波旬(まおうはじゅん)が
四女遣わして悩ませた
ということがお経に出て来ます。
魔王は欲界の他化自在天にいて
正しい教えを破壊する
といわれています。
しかし、おもしろいことに
お経が説かれるのは
他化自在天に於いて、とあり
必ずしも極楽浄土では説いていない
ということです。
魔王の住む他化自在天で説かれた
そこには大きな意味があるのです。
私たちにとって
わかりやすい魔ということは
煩悩障の魔ということです
これはなんとなく
解るような気もします。
しかし、
対治しにくいのが
所知障の魔ということです
知恵の障りです
さとりを開く鍵は智慧ということですが
それに執着してしまうと
それが障りになってくる
得たら得たものに執着する
これが私たちの癖のようなもので
この所知障の魔を対治するのは
修行でも一番難しい難といえます
人間の心の構造が複雑になっている
ということは、それだけ
煩悩の構造も複雑ということです
ですから、
総体的には
私たちを悩ませる煩悩を
魔というようです。
しかし、
詳しく見ていくと
魔ということもたくさんに分析されて
魔の姿を説いています。
では、自分にとって
魔とは何か??
それは
一番自分が大事にしているもの
一番可愛いもの
ということができると思います。
なぜ、大事なものが魔なのか
お釈迦さまを見ると
出家に当たって、
国も妻も子も捨てて
出家されたとあります。
ちょうど、出家しようと
決心された時
家来から
「王子が生まれました」
と、報告が入ります。
その時お釈迦さまは
「ラーフラ」とつぶやかれます
ラーフラとは障り、邪魔なもの
というような意味です
お釈迦さまにとって
出家しようとする心を鈍らせる
引き留めるような
障りであるということから
そうつぶやかれたのでしょう。
それでそのことがそのまま
名前になったということです。
そういうこともあって
本当に目的を持って修行に
励もうとする人にとっては
一番大切なものが障り、魔なのです。
反対に、
何の目的もなくただぼんやりと
生きている人には
魔というものはないのでしょう。
仏と魔
全く関係ないようですが
魔が解らないと
仏もわからない
ということになるのです。
ですから、
魔が見つかれば仏が見えてくる
ということが言えると思います。
仏は好きで魔は嫌い
というのは表面的な見方で
本当のことをめざそうとすると
魔が見つかることが
一つの難関を超えていく
大切なものになってくると思います
京都御苑は広く
いろいろな発見があります。
御所もあり、京都迎賓館もあり
大宮御所、仙洞御所などなど、
ちょうど、迎賓館の裏(東側)に
小さな森があります。
ちょっとお腹もすいたので
今日はオムハヤシライス
オムライスにふわふわ卵がのり
ハヤシルーがかかっています。
まあ、これも美味しい!
レストランの前のもみじ
紅葉したものの落ちずに
そのまま枯れ葉になっています。
寒いのでしょう、スズメたちも
体を膨らませて凌いでいます
サルスベリの枝ぶりも美しい
この林の中を抜けて
森の中へ
説明にもあるように
出来るだけ人の手を加えないで
清和院門から始まります
自然のままの散歩道
空気も良くて誰もいないし
なんだか贅沢な気持ち
ここにもあった面白い木
ぴったり寄り添って伸びています
赤茶けた落葉
見上げるほどのメタセコイア
もう葉は半分ほど落ちています
途中にはこのような森の仕組み
とか、生息する植物の解説がみえます
ここが京都迎賓館、裏からの姿
このように草木もそのままの状態で
お互いに共生しています
ここには紅葉の仕組みが
解説してありました
井戸を発見!
「染殿井」と、
説明には「染殿第跡」(そめどのてい)
平安京当時この付近は北東端にあたり
摂関政治の礎を築いた
藤原良房の邸「染殿第」があった場所
染殿第はまた、良房の娘明子
(文徳天皇の后で、清和天皇の生母)
の御所であり、
清和天皇は譲位後ここに移られて
「清和院」と称されたということで
先程の門の名前の由来は
ここから来ています。
この井戸が「染殿井」と呼ばれるのも
かつての染殿第にちなんだもの
ということです。
近くにはドウダンつつじが
まだ自然の姿のまま紅葉しています
また沢山の蝶の棲家でもあるようです
このような柵も見かけます
数人の方が集まっておられます
なんだろう
水が出てちょっとした
池になっている
見ると
野鳥の水飲み場ということです
それで、人が集まっていたのですね
こういう施設も
本当に自然を大切にしていることが
うかがえます。
そうして出口が
「石薬師御門」です
ふと見ると
猫ちゃんたちが遊んでいます
カップルは兄弟でしょうか
じゃれあっています
それを見まもる母 ??
勝手に想像を膨らませて
しばし、見ていました
御所をわが家として
なんと贅沢な
たぶんご近所の方から
食事をデリバリーしてもらって
いるのでしょう
とても艶がいいしまるまると
体つきもいいようです
その隣にはこのような広場も
野球をしている子供たち
京都御苑といっても
今ではとても身近な存在です。
寒くはあったのですが
ちょっとした自然の中に身を置き
幸せな気分です。
12月14日
大石内蔵助が吉良邸へ討ち入り
本懐をはたしたという日です。
「忠臣蔵」というのですから
忠義な臣下の内蔵助、
ということでしょう。
忠誠心・ロイヤリティーを持った
これぞ日本人の魂ということで
色々な物語になり受け継がれて
きました。
しかし、
見方を変えるとひどい話
ということも
言えるのではないでしょうか?
「勅使下向の春弥生
いかに果たさん勤めなん
見は饗応の大役ぞ…」
と歌に出て来ますが、
別当職というのは
勅使饗応ということが
一番大きなお役目です
物語では吉良さんが別当職の
肝心なところを教えなかった。
そこで、
「堪忍の二字で耐えたる…」
と、我慢したのですが
もはやこれまでと、
刃傷沙汰に及んでしまった。
ということですが、
やはり、仏道修行に於いても
忍辱ということが
最も大切な修行の一つです
もはやこれまでとなったら
いままでしてきたすべてを
打ち壊してしまいます。
忍辱の忍も、
ただ我慢するということではなく
この忍は認識の認なのです。
物事をよく理解する
そういう認識がなければ
堪え忍ぶことも出来ないのです。
浅野家もこの刃傷沙汰によって
全てを失くしてしまいます。
家臣にとってはひどい話です
もう少し辛抱してくれれば
事の重大さを認識してくれれば
一国一城の全員が路頭に迷わずに
すんだのではないかと、
殿の無念を晴らす
ということでは美談ですが
トップとして
従業員そしてその家族の
生活を奪ってしまうということでは
責任者の判断はとても大事です。
ただ個人的な感情で
決断を降してしまうということでは
忍辱という
認識をよくよくしなければ
いけないと思います。
ちょうどこの日も
今日のように寒い日です。
はるかに見える比叡の山々も
雪化粧をしています。
以前聞いた話ですが
細川家の文書によると
その日は雪は降っていなかった
そして、
討ち入ったのですが
誰も吉良上野介の顔を知らない
とりあえず、全員討ち取り
そこで決め手となったのが
香のかおりです。
一人ひとり匂いでいって
とてもいい香りのする人物がいた
この人が吉良上野に違いない
ということになったそうです。
私たちもよく
むかっ腹を立てますが
本当に忍辱という修行が
いかに大事か思い知らされます。