注意して通れば国道一号線に
この地名の交差点を見ることがありますが、
普通は何気なく通り過ぎてしまいます。
「東一口」と書いて、
「ひがしいもあらい」 と読みます。
「一口」が『いもあらい』 ??
一がいも、口があらい ?
なんとも不思議な地名です。
でも、古地図(絵図)にもあるくらいですから
やはり歴史のある地名なのでしょう。
我が家より約15分ほどの場所
この地を訪ねて、
京阪国道をここかなと見当つけて
左折すると、
ちょうど、「大池神社」という歴史を感じる神社に
出会いました。
たまたま、いい場所に来たのです。
「巨椋池」は江戸時代は「大池」とも呼ばれていました。
本殿はモダンな鉄筋コンクリート造り、
上手に木の風合いを出しています。
その横の石碑に
「大池漁業記念碑」という石碑が
今は、見渡す限り緑の田んぼが
広がっているばかり、
昔はここは漁業が盛んだったということを
記録しているのでしょう。
その向かいには「川魚商」の石碑が
伏見や淀の川魚の店が連なっています。
そして、神社の正面には
見事な田んぼとところどころ蓮池が
昔は、蓮のなかへ船で出かけて
観蓮をして、蓮の葉を帽子替わりにかぶり、
葉っぱにお酒を注いで蓮酒を
楽しんだようです。
ここ、「東一口」は巨椋池でも
大きな漁業権を持ったところです。
その証が、
このお屋敷です。
「旧山田邸」といって、前回のブログの絵図に
あるお屋敷です。
まるで武家屋敷のような、威風堂々とした
門といっても、ただの漁師さんの門ではない
当時は漁業が盛んで繁盛した
様子をうかがい知ることができます。
そのお宅の前には
「東一口」自治会の標識が、
このお宅へ行くには階段を上がります。
というのは、ここが池のほとりの淵だった
ところでしょう。
段差が池のふちの石積みではないでしょうか?
階段の下がバス停で「前川橋」
京阪バスが通っています。
向かいに眼をやると、
これもまた見事な景色で、
川の畔の桜は時期になるとそれは見事でしょう。
「巨椋池」の干拓は、
土を持ってきて埋立したのではなく、
こういう、水路をたくさん作り、
それを次第に大きな水路に集めて、
そこから、排水して広大な緑の地を生み出したのです。
昭和8年から8年がかりで、
とても難工事の中、干拓事業が完成したようです。
今でも水路は残り、排水は行われているようです。
その川を見上げると、
気持ちのいい青空と心地よい風が吹いていました。
帰りがけに、信号で止まると
「西一口」にしいもあらい、
の標識がありました。
(東があれば西もある)のです。
今、巨椋池は実りを迎えています。
新聞では、
「黄金の稲穂はや収穫」と、
巨椋池干拓田で19日、
最も早いコメの収穫が始まった。
と、出ています。
巨椋池では早、秋の訪れのようです。