「 仏教の話は難しい !! 」
よく聞く言葉です。
ことばにも慣れていないということもあり、
聞きなれない言葉もたくさん出てきます。
今日も感じたのですが、
「 人間は二つの間違いを起こすと、
本当のことがわからない、
という1つの間違い。
本当のことがわからないということで終わればいいのですが、
本当のことがわからないと、
本当でないものを
本当と思ってしまう。
そしてそれを、絶対のもとして固執してしまう。 」
むかし、こういう話をききました。
「 骨董屋の息子さんには
本物しか見せない。
すると、偽物を見たときにすぐわかる。 」
ということです。
そういわれてみると、
「 東寺 」 にいるころ、
東寺の文化財はほとんどが国宝か重要文化財です。
何気なく接しているときは、
その良さは少しもわかりませんでした。
ところが、他のお寺に行ったとき
仏像とかとても貧素に見えたことがありました。
あるとき、
金融業の方と名詞を交わしたことがあります。
肩書きが、
「 法会部長 」
以前、私も同じ肩書きでした。
ところがその方は
金融トラブルに関する法律の専門家ということだったのです。
お寺では主に、法要に関することを
取り仕切っているのですが、
金融の方は法律に関することに
携わっておられるのです。
お寺も 「 仏・法・僧 」 という
お釈迦さまの教えを 「 法 」 として
とても大切にします。
裁判関係も法律に則って、
というようにすべて 「 法 」 が中心です。
ということもあってでしょうか、
どちらも、言葉が難しい !!
「 事業に伴う財貨の移転は
まさに、物品の移転と
それに伴って行なわれる
行為の対価の支払い 」
一読しただけでは、なんのことやら ??
よく読めば、
「 何かを作ってもらってそれに対してお金を支払った 」
ということのようです。
財貨の移転・物品の移転
なんで、こう難しく言うのか
行為の厳密性を押さえていくと
こういう表現になるのでしょう。
仏教の話も同じようなもので、
心の変化を見逃さない、微妙な心の動きを
的確に見ていくと、
一見したのではわかりにくい表現になっているのでしょう。
今読んでいる
『 唯識三十頌 』
最初の一行、その中でも15文字で
ここ4日ほど、行きつ戻りつしています。
「 仮に依って我法と説く
種々の相の転ずることあり
彼は識が諸変に依る 」
と、難しく何のことやら ??? と思うのですが、
簡単には、
このことが、人間が本当のことがわからないと
自分勝手に物事を見て判断し
自分勝手に決めて、
そのように思い込んでしまっている。
というようなことになるのではないかと思います。