本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

仕合せ~、幸~、執~

2019-06-11 21:09:12 | 漢字

気になりだしたら

なんでも気になってきて

「しあわせ」という言葉は

普通には「幸せ」と書きます

幸福という字があるように

今の人にとっては

一番の関心事です。

 

神仏にお参りするときにも

「どうか幸せになりますように」

と心の中で念じます。

どういうことが幸せなのか

考えずに、まず

「幸せに!」と祈るのです。

 

しあわせということも

「仕合せ」とも書きます

広辞苑では

めぐりあわせ。機会。天運。

というような意味で

また、

幸せに通じる意味もあります。

 

私たちがよく使う字で

「執着」とかの「執」という字

よく見ると

幸せに丸という字になっています

しかし、

意味は全く似ても似つかない

内容です。

 

「幸」という字は

部首としては「干」の部類

字の成り立ちは

夭(ヨウ)と屰(ゲキ)から

できた字です

夭は若死にするという意味

屰は反対の意味をもっています

ですから

死ぬべき時に死をまぬがれる

という意味が本来の内容です

そこから、

「さいわい」という意味になった

ということです

 

「有り難い」

ということと何かにた意味が

あるようです。

 

「執」という字は

土編の部になります

丸という部分は

人が手を差し伸べた形で

幸と書く部分は

刑罰の道具で鑿(サク)という字が

幸という形になった

ということですが

鑿というのは穴をあける

ということで、

木に穴をあける道具・のみ

のことです。

どういう刑罰の道具か分かりません

たぶん、形からすると

木に穴をあけた所に手を差し込む

今でいう手枷のようなもの?

 

こういう語源を持つ「執」

幅広い意味を持っています

執刀という字もあり

執心という言葉もあります

執行という字は読み方によって

(シュギョウ)と読めば

お寺で事務を執る人のことです

これが、

執念となるとどうも心根の悪い

言葉になり、

 

執着というと

仏教ではとても重要な言葉になり

煩悩よりも難しい

やっかいな

人間を迷わすもとになる元凶

思い込んだら、どんなに

間違ていますよといわれても

正そうとしない

ますます頑迷固陋になり

絶対に自分の考えが正しいと

執着して離そうとしない

そういう心になっていきます

 

人間は本当のことが分からないと

二つの間違いを起こす

といわれています

本当のことが分からない

という最初の間違い

正しいことを聞いて

「なるほどそうだったのか」

と正していけばいいのですが

今度は

正しくないものを本当の事として

それを離さないという

二つ目の間違いを起こします

 

だから、よく

仏法は若いうちに聞け

といわれます

年と共に今まで聞いたことを

絶対と思い込み

離そうとしない

だからその壁を打ち破るのは

至難の業です

私たちが苦労をするのは

その自分の心の染みついた

間違った見解を正すことです

 

そういう心を打ち破るものとして

「空」とか「縁起」ということを

いうのでしょう

物事はすべて縁によって成り立ち

縁によって滅する

何も自分が執着するものは

何一つないんだと

空ということも

自分の執着を破る言葉でしょう

その執すること破れば

心は開け自由自在になる

あらゆるものに対応していける

融通無碍の心境になれるのでしょう

 

漢字も紐解いて

調べていくと意外な発展が

出てくるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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