本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

彼の障対治・楽無作行対治

2023-09-07 20:43:52 | 十地経

この言葉もよく聞く言葉で

講義では繰り返し出てきます

七地に入ると

その七地に入り・住し・出る

という、「入・住・出」

ということが出てきます

すると

そこには障りが出てきて

その二つの障りが

彼の障対治と楽無作行対治

です。

 

対治ということも

退治とは書きません

鬼退治の場合は退治で、

この対治はプラティパクシャ

というインドの言葉を訳した

ものです

道(どう)をもって煩悩を

断ずること、とあります。

 

力とかではなく、

道(智慧)で煩悩を断ずる

ということで

退治とは意味が違います。

 

これは何かやろうとすれば

必ず障りが出てくるものです

何もしなかったら

障りということもありません

修行もすればするほど

障りが見えてくるのです。

何ごともなく過ぎていくのが

一番幸せのようですが

何か一つやろうと思えば

必ず障りが出てきます。

 

そこで

『十地経』では

彼の障対治と楽無作行対治

ということが出てきます。

 

「対治は二度あるんです。

片方の対治は彼の障という。

彼の障を対治する。

片方は何かというと、

六地の障りであって、

これ無作やね、

無作を楽しむという。

無作を楽しむというのが

障りなんです。

 

楽ということが障りですから

そういう楽無作行という

ものを対治するために、

加行(けぎょう)する。

その加行は何かというと、

方便智殊勝の行です。

 

七地に入ったから

正しく住したかというと、

そうではないんであって、

入った、

初めて入ったんで、

そこにまだやっぱり初めて

入ったんだけども

正住にならん。

住が完成しないと。

そのかに一つの障りがある。

それを「彼の障」といった。

 

それから

前の方はね、この、楽と

いうんですから、

楽ということは、

染汚(ぜんま)といいます。

染汚、汚れですわ、

この楽ということは。

楽は愛着ですから、

染汚心ですね。

 

まあ先に言ったように、

倫理的反省には、

この悪(アク)という字が、

悪という字が倫理的反省

なんです。

悪を否定する。

けど「オ」とも発音する、

嫌悪すると。

これは別にアクではない。

 

アクというのはね、

なにか、

今日の言葉でいうと、

ゲバルト(暴力)を

いうんですよ。

ゲバルトを伴うような行動を

アクというんです。

破壊作用です、アクという

のは。

 

ところがオという場合は

破壊はせんのです。

破壊はせんでもやっぱり

好ましくないという、

嫌悪するというのはね。

 

それは何かというと、

ここに染汚、

「オ」というのは

染汚という意味がある。

つまり、信仰の罪でしょう。

倫理的な罪ではなしに、

信仰の罪を。

 

まあ言葉なんだけど、

悪といってもいい、

罪といってもいい

そういうのを、罪悪という、

罪悪深重というときにね。

「悪」を倫理的な一つの

反省の内容とするなら、

今度は信仰の反省の内容は

罪でしょう。

罪といったものを

染汚という。」

 

と続くのですが、

染汚(ぜんま)というのも

煩悩の一つです

汚れるという。

面白いことにこの字も

入れ替えると汚染と

読んでいて面白いのは

悪という字にしても

アクと読むかオと読むかで

意味が微妙に違ってくる

そのことを厳密に区別

しているところが

驚くのですが、

悪という字ももう一つ

悪太夫という場合は

悪い太夫という意味ではなく

力強いという

意味もあるのです。

 

楽ということも

愛着するという障りなんです

愛着する、

そこに腰かけてしまう

それが大きな障りですね。

 

 

 

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