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outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

田舎に住むと言うことは

2009年11月13日 20時10分06秒 | 退職生活
日本列島の中で、東京近郊と大阪近郊を除けば、かなり似たようなものですが・・・

そこらを一段目と考えると、確かに二段目の県もあります

その二段目を過ぎると、かなりドングリの背比べで、徳島県もその中に入れてもらえる「県」のような気分でいます

こんな、日本の殆どの田舎県の中の徳島県を、この様な目で見えるのは、ヨットで世界を周って、1000箇所以上の場所に14年生活し、キャンピングカーで三百名山に登り始めて数年、日本のかなり隅々まで旅してからなんですが・・・

徳島県は歴代知事、及び各市町村長、並びに県、市町村議員が汚職にまみれた政治貧困県で、それに感化され、それを取り引き材料にしてきた県及び市町村職員のお陰で、明治維新以来、人口が全く増えないで減っている、日本でも珍しい、三つしかない県の一つです(古今東西、政治が悪い所に人は増えない殆どの県は5割以上増えている。倍増した県も多い)

でも・・・遊ぶには、非常に良い土地でなんです

今日も、朝ドラを見て、近くの那賀川へ行って「鮎のコロガシ漁」を11時過ぎまでしました

鮎は36匹しか獲れませんでしたが・・・

これで僕だけの晩酌の肴なら2~3日分は確保です

家に戻って、その鮎を開いていたら、近藤氏が来てくれました

すぐに淡島漁港へ行って、テクで出港

来年の夏、僕は山旅に行くので、徳島に居ませんから、周辺のヨットライフポイントを案内

北の脇海水浴場、中林漁港、野の島の泊地、暗礁のある海域などを、現場に行って走ったり見たり

徳島県は北は鳴門から南は宍喰まで海岸線は長いし、島も沢山あるんですが、意外と橘湾を徳島のヨット乗りは知りません

世界を周った僕が、日本でも数少ないセーリング(クルージング)スポットの一つと、太鼓判を押す橘湾を徳島のヨットさえ訪れる人が殆どありません

まあ、日本人と言うのは徳島に限らず、ヨットを「全く知らない人種」なんですが

一年を通じて、台風を除けば、安心してアンカーを入れて、泊れる無人の入り江や島影が30箇所以上あります

そのどこも、海水浴が出来、魚釣りが出来、潜れば魚や貝が獲れます

島や入り江を巡って、何日でも愉しく過ごせる場所なんです。

この橘湾が地中海の一部のどこかにあったとしたら、常に2~300隻のヨットがクルージングを愉しんでいるでしょう

確実に日本で五本の指に数えられる場所なんです。

その橘湾を、世界のヨット乗りのレベルで愉しもうと、近藤氏と計画しました

現在、我々「ハグレモノ兄弟」は、マカナ、テク、サーモン、ホロホロ、セブン、マハリンと6艇おります

その6艇は現在徳島の「ケンチョピア」をホームポートにしているんですが、先日築いた淡島漁港の泊地の他に、もう一つ橘港にも、誰でもが繋げる常泊地を作ろうと言う事になりました

全員賛成だったので、僕が山旅に出発するまでに完成させ、皆が一度はそこに停泊が経験出来る様にしたいと思っています

ひと夏を僕が徳島に居て、誰かにしっかり教えてあげると、徳島のヨット乗りだけでも、世界レベルになるんだけれど・・・

ひと夏は居られないけど、橘湾に数隻が停まれるようになったら、少しづつでも、週末レベルを満喫できるようにしていきたいと思っています

定年退職して、どこか「田舎暮らし」を考えている人。

阿南の近くはどうでしょう?

安い土地は幾らでもありますよ






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猫婆さん

2009年11月12日 19時49分41秒 | 退職生活
倉庫ハウスの数軒隣に、沢山の猫を飼っているお婆さんがいます。

ヨットクラブのクラブハウスの数軒隣には、沢山の犬を飼っている夫婦?がいます。

犬は繋いで飼っているから、ウロチョロすることはありませんが、通ると一斉に吠えるのでウルサイです

猫は繋いで飼っていませんから、魚の料理を外で良くする我が家に、いつも数匹が来ています

お婆さんは多分80歳を超えていると思うんですが・・・

広い敷地内の何処で寝泊りしているのか解らない所で、一人暮らしです。

猫が何匹居るかは、当のお婆さんも知らないと思います

ただ・・見るたびに増えているところから考えると、そこへ捨てに来る人が、かなり居るらしいです。

我が家に毎日来て、ウロウロするのは4~5匹で、そのうちの一匹はいつも水槽の錦鯉を狙っています

ネットで覆いをしているから、獲れないとは思うんですが・・・

いずれにしても・・・30匹ほど猫がいて、お婆さんは、毎日洗面器で餌をやっているんですが・・・お婆さんが死んだら、あの猫達はどうなるのか・・・

僕らは殆ど旅に出てるから、いいけど・・・近所の人は心配しているようです

きっと、優しい人達なんだろうけど・・・犬も猫も、余り沢山飼うのは、近所に心配を掛けますね。

山旅の最後のほうで、壊れた(水温計が上がらない、排気ブレーキが効かない)キャンピングバスを修理屋さんがとりに来てくれました

その修理屋さんが、猫が狙っている水槽の鯉を見つけて「一匹欲しい」と言うので、掬って上げました。

しばらくして、先ほどの修理屋さんの同僚が「五匹欲しい」と言うので上げました。

もう一人欲しい人が日曜日に来るそうなんですが・・・

前の川へ放流しようと思って、毎日餌をやって飼っているのに・・・

川に逃す位なら・・・・と・・思っているようです


昨日から、鮎が再解禁になりました

10月19日で産卵の為、禁漁になっていたのが11月10日から又獲れるようになったんです

ただ、産卵を終えた鮎が殆どなので、質は落ちます。

腹に砂があるので、開いて内臓を捨て、薄塩水に数時間漬けておいて、乾かすと「肴」としては、上等になります

昨日は大雨の影響で水嵩が多くてダメだったんですが・・・今日の夕方には漁が出来そうだったので、竿と道具を持って様子見に行ってきました

一時間ほどで、15匹掛けたんですが、3割はまだ腹に一杯タマゴを持っていました

帰ってきて、仕掛けを幾つか作ったので、2~3日鮎獲りも行こうと思っています

モクズ蟹も、この増水で「大きいのが」下って来たと思うから、罠を仕掛けたいと思います


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吉永小百合

2009年11月11日 19時04分09秒 | 退職生活
昔かも知れませんが・・・50年か100年に一人と思える女優が現れました

それは・・・日本中の全ての男を惹き付けたと言っても、過言では無いほどの魅力を持っていました

極めて個人的ではありますが・・・・分析してみると・・・「唇」が強烈でした。

「あの唇」こそ、50年か100年に一人しか、日本には生まれてこない女性でしょう

今日、そんな事を書くのには、理由があります。

先日、大手上場企業の会長から久しぶりに、電話を頂きました

そして、その会話の中で「吉永小百合でもヨメハンに出来る」と言っていたけど今もそう思っているか?と聞かれたんです

当然、僕は「しようと思ったら、出来ると思う」と答えたんです

この様な状態を世間では「誇大妄想狂」と言って、病気の扱いとなるようですが

タモリさん(有名なサユリスト)に怒られるかもしれませんが・・・本気で今でもそう思っています

思うのは勝手ですし・・・その位の「気合」が無ければ「男でない」と思うし、本気で僕が必要だったら、何とかならないわけが無いとも・・思う。

病気かもしれんけど

ただ・・今の生活に充分満足しているから、そんな気にならないだけです。

話しが変わりますが・・

夕べの豪雨は、殆どの人の予想を超えるものでした

前の川の水も、夜中十二時過ぎより、ドンドンと水嵩を増し、午前二時にはデッキの脚下にまで水が来ました

そして・・・解ったんですが・・・ここの川の水位は海の「干満」に左右されているんです

今朝起きて、周りの様子を見に行ったら、床下浸水している家が、近くに何軒かありました。

そんな人達が集まって・・・県に言って「川底を掘ってもらわないと」と言っていました(それをする県は完全に狂っている(単なる馬鹿?言われると仕方ないのかも知れないけど)としか思えないけど)

この倉庫ハウスの前の川は30年前に買った時から淵でした。

現在より少しは浅かったと思いますが、こちら側から対岸まで、水面だったんです。

それを・・・・何を思ったのか(住民が陳情した?)僕が世界を周っている間に掘り下げて深くしてました

その所為で(大きな柳の木を切っても良いと言ったのも影響していると思うけど)・・・川から続く斜面の土が、掘った川へと押し出してしまい、倉庫の床のコンクリートが大きく裂けてしまっていたんです

文句を言って、そんなことに税金を使わせたくないし・・・

それもあって、強化する為も兼ねて改造したんですが・・・

干満が影響している川の淵の川底を、たとえ百メートル深く掘ったとしても、一ミリも増水、満潮時の水位が低くなるなんてことはありえないのに

そんな話を聞いていて、吉永小百合を嫁にしようと思えば出来ると言っている僕の方が大分「マトモ」だと思った次第です

終日、小雨が降ったり止んだりの、阿南市でした

先日、淡島漁港へ持ってきたヨット「テク」の係船ロープが、岸壁のコンクリートに擦れて、傷む事が心配だったので、チェーン3本と、シャックル三つを準備して行き、ロープが傷まないように繋ぎ替えました

夕方、芳川氏が来て、工作場で一緒に軽く呑み、美由紀が戻ってきたので・・・座を変えて・・今日も沢山頂きました







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六合のお酒

2009年11月10日 16時56分03秒 | 退職生活
昨日仕掛けた蟹罠を見に行こうと、目覚めた時は雨でした

BS放送で「ウェルカメ」を見終わった時に雨が止んでいたので、慌てて出かけました

話しが横道に外れますが・・・今回の「ウェルカメ」(NHKの朝ドラ)は地元、徳島県が舞台だし、少しだけ変な方言がイッパイで、愉しんでます

海亀水族館の初代館長が知人だったり、あそこに飾った、水中の海亀写真に関わりがあったりで、何度も行ったことがあり(入場料は払って無いけど・・)懐かしいです

話は戻って・・・

なんと

最初の蟹罠を引き上げたら三匹でした

サイズは大きくも無く、小さくも無く放流しようか、保存しようかと迷うサイズです

そして・・・次もその次もゼロ

そして・・・その次は一匹

4つの罠を引き揚げて4匹で・・・それも・・・大きくも無く

とりあえず、その4匹をカゴに入れて、次を見ると10匹ほどが入っていました

平均にオスが多いけど・・・半分を放流したけど、半分が残りました

次の罠にも同じように10匹ほどが入っていて・・・半分を残し・・

次の罠を見ると20匹ほどが入っていて

平均に大きく、半分を確保

最後の罠は10匹余りで、オスばかりだったけど・・・同じように半分を確保

最後の選り分けで、残ったのは25匹でしたが・・・

予想通り、平均に大きく、予定の数が確保出来ました

この豊漁は・・昨夜からの雨のお陰だと思います

家に戻ったら・・・止んでいた雨が降り始めました

前にも何度か書きましたが・・僕は雨が嫌いではありません。

どちらかと言えば・・・嬉しいんです

何故? と考えてみると・・・僕は農家に生まれました。

子供の頃、親が相手をしてくれるのが「雨の日」だけ、だった事が影響しているように思います

「三つ児の魂百まで」と言う言葉が身近に感じます。

ただ・・・大人になってからの雨の日は「遠慮なくお酒が呑める」日のような気がするんです

そんなんで・・・本格的に雨が降り始めた頃から・・・

僕は基本的に午後四時までは「呑まない」と言う「掟」を自分で作っています

僕はお酒が非常に好きです

仕事を辞めた時に「何時でもお酒が呑める」状態になって、お酒に流されないようにと思って自分で作った掟です

そして、それを何とか今まで守っています

しかし、絶対に4時を過ぎないと、呑まないかと言えば・・・そうではありません。

僕一人や美由紀と二人の時は「日常」だから呑みません

でも、人が居る場合、宴会や式などは別です

雨が降っているから・・・「のみたいな~・・・」と過ごしていたお昼過ぎに、

柳田氏から「買い物に出るので、寄るわ」と電話がありました

美由紀は昼からプールなので・・・早速「肴」を準備

タカベと鮎の干物を焼いていると・・・柳田夫妻が到着

これは・・「宴会に準ずる」との判断をして、呑み始めました

雨の日の日本酒は、落ち着きます。

いい気持ちで呑んでいたら・・・お酒が無くなりました

でも・・・六合呑んだので・・これで置こうとおもいます

大好きな「カブラの三杯漬け」が、カブラ不足で足りないと、言っていたのは朝でしたが・・・柳田氏が届けてくれたので、間に合いました

雨の日に、雨の日らしく、早い時間から、好きな日本酒が、愉しく、美味しく呑める

蟹も獲れたし・・

今日もいい一日でした

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F1からの撤退

2009年11月09日 18時41分15秒 | 退職生活
昨年のホンダに続いて、先日トヨタもF1からの撤退を発表しました

トヨタの撤退はともかく、ホンダの創業社長本田宗一郎氏がいたら、ホンダがF1から撤退することは無かったでしょう。

これは、トヨタやホンダも含めて、現在の一部上場企業の殆どの「雇われ役員」が「夢を持ってない」からと言わざるをえません

確かに営利目的の企業ではあります。

しかし、今の役員達は「保身」の為の「お金」しか見えていないように、思うんです。

企業が存続する理由が「そんな事」なんて、寂しすぎます。 無能力者が多すぎます

企業が一番に追わなければならない事は、「夢」でなければなりません。

それは、皆が希望を持ち、元気にチャレンジし、笑顔で安心して暮らせる社会作りに通じてなければ、意義がありません。

夢を持たず、人を育てず、お金だけを求める企業(役員)は、地球を汚し、人の心を失くす、ただの「毒」だと思います。

確かにF1で勝つ車を造っても、現代の社会情勢に合わないのも事実ですが・・・「精神」だと思うから・・・・とにかく大変寂しく思っております


現在阿南市では市議会議員の選挙が始まり、騒々しく宣伝カーが走り回っています

でも・・・ただの一人も、本当に阿南市を良くしようとしていると、僕の心に届く人がいません

自分の事だけしか考えず、当選の為に、上辺だけの言葉が飛び交っているように、感じてなりません。

もっと若くて「気合が入った」人がいたら、応援もするんだけど・・・

話は変わりますが・・

土曜日にヨットクラブの宴会で飼育していたモクズガニを消費したので、今日の午後仕掛けてきました

朝から冷凍室の中の餌をだして、溶けるのを待ちます。その間、蟹カゴの破れ修理、罠を立ち木などに繋いでおく紐の長さが、今まで長すぎたので、半分の長さに切ったりと、蟹罠もそれなりに準備が必要なんです

昼から餌袋に魚のアラを詰め込んで、いつもの川へ行きました

罠は8個で、いつもの通り

毎回、全く同じ場所に仕掛けます。

それでも・・多く入ったり、余り入らなかったり、様々

前回は・・もう一ヶ月近くなるけど・・・大量に入っていたけど・・・殆どが小さくてリリースしたら・・・20匹ほどしか残りませんでした

明日の結果は・・・数は少ないけど・・・・大きいと・・・・予想しています

ホームページの掲示板に、今年六月、富山からフェリーで、キャンピングカーをロシアのウラジオストックまで運び、ロシアを横断して、ヨーロッパへ入っている人(田口美由紀さん)から、書き込みがありました

色々、教えてもらえそうなので、外国をキャンピングカーで旅愛することに、興味がある方は是非みてください












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ヨットクラブで蟹、スッポン宴会

2009年11月08日 19時08分12秒 | ヨット世界一周クルージング
昨日の話しです。

僕が所属しているヨットクラブは「ACC」と略して言ったりしますが、正確には「阿波クルージングクラブ」と言います。

会員数は60名ほどだと思うんですが・・・会費(年間12000円)納入者はそれより少ないと思います

県内のヨットの殆どは「ケンチョピア」に繋留していて、そのケンチョピアは徳島県庁庁舎のすぐ前の「新町川」にあります。

ホロホロは南岸の上流から3隻目なんですが・・・(余談)

「ACC」のクラブハウスも新町川に面した二階建てで、一階はミーティングルーム兼宴会場、二回はシャワールームや倉庫となっています

このクラブハウスは賃貸で(メンバーのコネで安くしてもらっているけど)毎月家賃が必要です

クラブハウスの前の岸壁も県から借りています。電気代、水道代、ガス代など・・

全てを年会費だけでは納めきれないので・・・何か「催し事」があれば、そこで会費を集めて、余った分を維持費に回そうと頑張っています

最近はクラブハウスのすぐ前に、ヨットが四隻繋げるポンツーン(浮き桟橋)を設置したくて、皆さん頑張ってくれています。

・・・でも・・がんばれば・・・すぐに結果に結びつくほど、世の中うまくは出来てなくて・・・

そんなクラブハウスで昨日は僕が「鍋奉行」でスッポン鍋からスッポン雑炊

モクズガニの茹でたのを、食べ方レクチャーから始めて・・

そしてそれらは・・・スッポン鍋の味付けミスで慌てたけど最終的に何とか「ごまかし」に成功

二匹の合計5キロのスッポン肉、50匹のモクズガニを20人ほどが最後の最後まで完食しました

皆さんが納得してくれた「珍味宴会」だったと思っています

長く育ててきたスッポンも、モクズガニも成仏したことでしょう

宴会が終って、サーモン三谷氏と僕は繋留場所へ移動。(サーモンとホロホロは隣り合ってる)

そしてホロホロでまた、軽く呑んで各艇にて就寝

僕はまた、先日の「封筒型寝袋」で寝たんですが・・・

先日「テク」で寝た時は快適だったんですが・・・ホロホロだと・・広すぎて・・転げまわってしまうんです

そんなんで・・・今日の朝に、次回からは・・ちゃんと布団で寝ようと、一部屋を専用寝室にしてみました

エンジンを掛けて、エンジンルームを点検すると、発電機を回しているVベルトが二本とも、緩んで切れそうだったので交換

ヨットに居たら、したいことがイッパイなんだけど・・・マカナの品川氏が来て、サーモン三谷氏共々ヨットを後にして、クラブハウス前に置いていた車へ。

そして解散。

家に戻ると・・美由紀は不在。

苗を立ててあった「太ネギ」を畑へ定植したり、虫を探していたら・・・美由紀も戻り昼食。

間もなく、阿南の実家へ戻っていた品川氏が、淡島漁港に停めている「テク」を見に行っていて・・・徳島へ帰る前に倉庫ハウスに寄ってくれました

一緒に西方山まで散歩

品川氏は去年、今年とフルマラソンに出場、完走している位だし、毎週3~4回は10キロ以上走っていると言う通り、僕とは大きな差でした

少し運動量を増やして、体重を減らそうと思っている溝田ですが

今晩も、昨日の晩も明らかに食べ過ぎ。健康診断の結果が送られて来て「全て異常なし」だったけど・・・「体重増加傾向」と書かれていました

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伊島メジロ釣り報告

2009年11月06日 17時23分02秒 | 退職生活
昨日の昼前、柳田釣り師匠氏到着

早速軽トラに二人分の釣り道具と寝袋を積み込んで倉庫ハウス出発

狙っているのが4キロクラスのメジロで、目標が一人三匹だから・・・軽トラの荷台はイッパイ。大型クーラー二つが目立っていました

淡島漁港のヨット「テク」に着いて、これらの荷物を積み込むのが大変と思いきや、簡単にヨットを横付け出来るし、すぐ近くまで車が入るので、楽々でした

この具合の良さは、他の場所ではまず不可能だから、台風の時だけ非難しなければならなくても、充分価値があります

晴天、風は殆ど「無風」で海面も極めて穏やかな中、機走で伊島へ、二時間で着きました

釣り場に近いところへヨットを繋いで、堤防の先端へ

餌の「タカベ」は「サビキ」(数個の擬餌針の下にカゴがあり、そこにアミエビを入れ、カゴから流れ出るアミエビに寄ってきた魚が疑似針を間違って食べたのを、釣り上げる。アジ等も同じつり方をする)で釣ります。

釣れたタカベの背びれの下に大きな釣針を引っ掛けて、泳がせます。

それを見たメジロがタカベと針を一飲みにする。と釣れた!!と言う事になります

ところが・・・タカベは簡単に幾らでも釣れるんですが・・・メジロが針が付いたタカベを好んで食べるわけはないので

簡単には釣れません。

でも・・・釣り始めて一時間余りしたとき、僕の竿は岸壁の上に置いて、僕はタカベを釣っていたんですが・・・

突然、柳田氏が「ウキが入ったぞ!!」と言うのです。

丁度その時、タカベを引き揚げていた僕は「掛けて!」と叫びました。

柳田氏は僕の竿に持ち替えて、強く掛け合わせをすると・・・釣れた!!

そこで慌てて僕が竿を代わって、引き揚げ始めましたが・・・リールに巻いている釣糸が絡んで

魚はグイグイ引っ張るけど、糸を出すことも、巻くことも出来ません

二人掛かりでやっと絡んでいた糸を直し、それから・・・巻いたり延ばしたりと魚を弱らせながら寄せてきます

最後に手網で掬ってくれた時に、やっと「釣れた」と喜べます

ところが・・・その後は全く気配なし

日暮れまで頑張って、諦め、ヨットの傍に移動して、今度はアジ釣りです

二人で100匹ほど釣ったら、餌が無くなって僕らは止めましたが、他の人達はずっと夜中も釣れ続けていました

イッパイ飲んで7時から横になって、朝起きたのは、まだ薄暗がり時です。

初めて使った、先日買った「封筒型寝袋」は快適で、久しぶりにヨットで寝たのと相まって、非常に気持ちよく眠れました

夜明けと友に、またメジロを狙ったんですが・・・九時まで頑張って気配なし

諦めて、ヨットへ荷物を運び、伊島出港。

11時過ぎに倉庫ハウスに戻ってきました

写真は二人が共同で釣った「メジロ」です。

大きいでしょ

他に全部でアジが100匹ほどと、タカベが100匹ほど、タカベは干物にすると美味しいので、すぐにウロコや頭を取って、塩水に漬け、日干しにしました

アジは人に上げたり「姿寿司」用に調理しています

「ヨットで行く、伊島、一泊2日の釣行」は狙いのメジロは一匹だけでしたが、愉しく終了しました

明日はヨットクラブの「楽しまナイト」宴会です。

飼育中のスッポンと蟹は、明日までの命となり、目出度くお腹に収まります

そして・・・クラブハウスで呑んで、酔った僕は今度は愛艇ホロホロで久しぶりの就寝となります

写真をクリックすると、大きく見えます

益々禿げてますけど
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海の底から

2009年11月04日 17時59分52秒 | 退職生活
海の底から・・・「金銀財宝が出てきた」と言う話しではありません

今日は予定通り、淡島漁港の一角にヨット「テク」を繋留する為に、森田氏、芹田氏の三人で行きました

アンカーをしっかり海底に食い込ませる必要があるので、僕はウエットスーツに着替えて、スキューバ(アクアラング)機材をつけて、海に入りました

淡島漁港は県の完全な設計ミスで造られているので、港の中に「中洲」が発現したりして、港としての機能は良くありませんが、その代わりに水は綺麗です

元々、僕はダイバーですから、海の中は得意だし、海底に居ることも好きだし、魚を突く事も、水中写真を写すことも、景色や魚を見ることも好きです

そしてそれを「業」として18年ほど生活しました。

週に一度~三度は必ずレジャーダイバーと潜り、年間50日位は人手が足らない時に作業潜水に潜っていました

一年の三分の一が「海に潜る日」だったんですが・・・

潜ると、必ず最後に「浮上」があります。

普通の人は見えない「下から水面を見る」ダイバーならではの視線です

磯に打ち寄せる波も、下から見ます。

普通の人が水面を通して、泳いでいる魚を見るように、潜って見上げると、水面を通して雲が見えたり、磯や山が見えたりします。

走っている船や止まっている船も陸上とは全く違って見えます。

釣り人が見えて・・・竿の下に迷い込んだと驚く事もあります。

そんな「水面」に向って浮上する時、日に拠って色々な思いで水面に近づきます

海底で見たもの、あった事を一時でも早く、バディ(ダイビングの相棒)に話したいと思うとき(これが一番多い)

たのしかったよな~・・・まるで子供みたいだったけど

水面を目前にしながら、減圧停止で浮上できない時もあります(潜っている時間が長くなると潜水病になるので、途中で止まって体を慣らす)

疲れ果てていた時もあるし、踊りたいほど歓喜していた事も・・・下から見る水面には色々な思い出があります

そんな水面を(港の中ですが)アンカー設置に潜った海底から見ました

話は変わりますが・・

八時に集合して、午後二時過ぎまで掛かったけど、立派に、完全な状態でヨットが停められるようになりました

そして・・・作業が終った三人がヨットを離れようとした時、バイクに乗ったおじさんが現れました。

良く見ると知人の豊川氏で、氏が言うには・・・「ここは台風が来たらあかんぞ~」

この欠陥漁港は・・台風になると異常に潮位が上がるんだそうです

だから、台風が来るようなら、他に避難しなければならないと教えてくれたんです。

折角三人が殆ど一日掛けて「完全に仕上げた」のに

どこか・・・台風で逃げられる場所を探さないといけません



明日と明後日、一泊二日で伊島へヨットで行ってきます

柳田氏と「メジロ」(ブリとハマチの中間サイズ)釣りです。

大きいのを・・二、三匹狙って頑張ってきます







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日向ぼっこセーリング

2009年11月03日 20時04分44秒 | 退職生活
ヨット「テク」を徳島ケンチョピアから、阿南「淡島漁港」まで回航するのに、車で徳島まで行ってしまうと、阿南到着後に徳島まで車をとりに行かなければなりません

それで朝早く、ヨット「サーモン」の三谷氏に電話して、徳島まで乗せて行ってくれるように頼みました

今日はNPO法人「アクアチッタ」が我々のヨットクラブのクラブハウス前を含む「万代町岸壁」を活性化する目的で「お祭り」をする日でした

それに「阿波クルージングクラブ」も協力していて、ヨットをクラブハウス前に持ってきて「お祭りを盛り上げよう」ついでに岸壁で「キム家の焼肉もしよう」と前から決まっていたのです

その為に三谷氏は徳島へ。

僕は近藤氏とテクを回航する為に徳島へ行くんだったんですが・・・

「キム家の焼肉のタレ」は以前食べたことがあって、それは絶品なんです

だから・・僕らも急遽、焼肉宴会に参加を決めて、テクに乗ってクラブハウス前へ

到着したら、丁度焼きあがったところでした

早速ビール片手に焼肉を食べ始め、最後の焼ソバまで食べると

いつの間にか、二時になっていました

阿南までは、車だと一時間弱ですが・・・ヨットは自転車ほどしかスピードが出ないので、これは日暮れまでに到着は難しい

近藤氏も僕も、「酒とオンナに時を忘れる」極めて健全な人だけど・・暗くなって、五年前に一度しか入ったことが無い港へ入港するのは、安全とはいえません

だから・・後悔もしたんですが・・・外海に出ると、これが・・・なんとラッキーなことに、斜め後からの順風で、予想外のスピードで走りました

そして、ヨットは後からの風を受けると、「風と共に移動」しているから、乗っている我々は殆ど風を感じません

今日の風は受けたら、冷たかったはずだけど・・・風と一緒だから・・そして太陽をイッパイに受けてるから、快調、快適な「日向ぼっこセーリング」が出来ました

時間も4時過ぎの入港となり、アンカーを入れてテクを繋ぎ終えたところへ、プールが終った美由紀が迎えに来てくれて

全て順調に、本日の計画全てが終了しました

明日はヨット「マハリン」の森田氏と芹田氏に手伝ってもらって、テクを常泊出来る様に常錨を入れて係船します

久しぶりにセーリングして、どっか・・少し遠くへ・・・行きたいな~・・・なんて思った一日でもありました

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「寂庵だより」届く

2009年11月02日 18時09分48秒 | 退職生活
昨夜の雨もすっかり上がっていたし、予報と違って暖かい陽射しに、愉しくなって畑の草抜きをしました

家庭菜園をすると、作っている作物の間から、次々と色々な草が生えてきます

生えていても、作物は育つんですが、「見た目」が悪いので、抜きたくなります。

退職者だから、出来るんでしょうが・・・

この草抜きをする「タイミング」が結構大事で、何時でも抜けるものではありません。

前日にしっかり雨が降って、土が柔らかくなった時で、水溜りが消えて、出来れば晴天で穏やかな日がベストなんです

そんな理想的な、朝だったから、愉しくもなると言うものです

チョウチョも飛んでくるけど(5匹捕獲退治)

柳田氏が寄ってくれて、メジロ(ハマチより大きく、ブリより小さいサイズのもの)釣りの相談をしました

近々、暖かい日を待って「伊島」(紀伊水道入り口にある太平洋に面した、阿南の有人島)へヨットを使って、一泊で釣りに行く計画です

それに使うヨットはホロホロでなく、近藤氏の「テク」なので、近藤氏に連絡して、明日ケンチョピアから阿南に回航する段取りをしました。

テクの常泊地を阿南にする予定なので、丁度いいんです。

昼ご飯を食べ終えた頃、森本氏が来てくれて、一緒に和田島の鳴滝氏の作業場を案内してもらいました。

これは、テクを阿南へ置くようにする為に大きな錨が二つ必要なんです。

「常錨」と言って、ヨットの船尾側にそれを二つ入れて、ヨットの後を固定します。

前も二箇所堤防にロープをとって固定するんですが・・・

そんな風に「常泊」する為に必要な「錨の中古」を頼んであったのを、受け取りに行ったんです。

その後、釣具屋さんへ行って、メジロ釣りの為の「五号の竿」他を買ってきました

天気が良くなるのが待ち遠しくなっています

先日、「瀬戸内寂聴事務所」から取材があった、新聞?「寂庵だより」270号が送られてきました

ちょっぴり人より生き方が変わっている僕らは、時々色々な刊行物に載せてくれます。

僕を知っている人は「溝田正行」と見ると「反射的」に「マイナス」してから読んでくれるので、誤解は生まれません。

ところが・・・問題は知らない人で・・・「すごいな~」などと思い、そのうち、特に女性は「妄想」が激しいので、勝手に「金持ち」「オトコマエ」などと思うらしいんです

ところが・・現実は厳しく・・・とりあえず人であると分別はできるけれど、頭髪は貧しく、服装は汚く、金持ちでもなく、下ネタな話題で声は大きいけれど・・アソコは小さく、おまけに作動しない

僕がしている事は広く報告する義務があると思っているけど・・・そんな事を書いてくれとも言えないし

なかなか難しいものです

そんな誤解を招く可能性がある「寂庵だより、270号」ですが、沢山送ってくれたので、倉庫ハウスに寄ってくれた人は是非お持ち帰りください









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眠りながら成功する

2009年11月01日 18時54分04秒 | 退職生活
朝、飼育水槽の見回りをしていたら、芳川氏から「溶接して」と電話。

間もなく、友達と二人で、昨夜釣ったと言う「タチウオ」と鉄筋を幾つか持って現れました

最近芳川氏とその友達は、しばらく使って無かった高速ボートを、つり用に使おうと修理したり、ペンキを塗ったりしています。

そのボートで使う「釣り用アンカー」(強く引くと爪が延びて、どんな場合も引き揚げる事ができる)を作って欲しいとの事でした。

僕も同じようなアンカーを今年の春に作っていたので、要領は解っています

しばらく使って無かったけど、溶接機もガス切断器も健在です。

作り終えてペンキを塗っていたら・・雨になりました

二人は帰って・・・

僕は読みかけていた笹沢佐保の「地下水脈」の残りを読んでしまい、 次は何を読もう?と思ったとき、一昨日の引越し荷物の中から見つけた本を思い出しました

数日前(ずっと前にも書いたけど・・)のブログに書いた「眠りながら成功する」です。

テープを張ったりしながらも、何とか本であり続けている「ぼろぼろ本」ですが・・・

この本を林和弘氏から貰った日が書かれていました

「昭和46年11月29日」僕が22歳の時だったことがわかります。

久しぶりに、読み返し始めました

まだ、12ページまでしか読めていませんが・・・

当時、若かった僕は、色々なことで悩んでいました

まだ宗教も探していた頃です。

そして、この本を貰って・・・宗教より、この本を信じてみようと思ったんです。

それで何度も読み返したんですが・・・

何度も読むうちに、この本が「伝えたいこと」は、「ほんの少し」だけど、それが極めて重要だと、心から思えたんです

この本のタイトルの中の「成功」についてですが・・・

本の172ページに書いてある「成功とは」では、「成功した生活のことです。あなたが平和で、幸福で、楽しく、自分のやりたいことをやっているならば、成功者です」と書かれていました。

そして、「成功者は利己的でなく、成功者の人生における主なる願いは人類に奉仕する事」だそうです。

今の僕も粗方その通りと思っていますが、何か足りない気がしないでもありません

そして、理解不足かも知れませんが、本の中の全てに納得したのでもありません。

一部は首をひねるところもありました。

今現在、僕が思い、目指している「成功者」と言うのは

成功とは決してお金持ちになることではありません。 でも貧乏でもありません。

「必要なものが、必要なだけ手に入り、食うに困らず、信念を持ち、日々が楽しく、自分の生活が思い通りになって、人の事、社会のことを考え、自分の役目が果たせる人」

そんな人なのでは??

書けば限がないけど・・・


昨日、中華街での「ダメ押し」が効いて、今日は終日、本調子ではありませんでした。

それで、くれたタチウオは煮付けと、酢の物、あて寿司にしてくれていたけど・・・晩酌が呑めませんでした




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