カラリと晴れ、北東からの爽やかな風
掘り上げなければ・・・と思いながら梅雨のような天気が続いて延び延びになっていたニンニクとタマネギを掘り起こし天日に晒しました
成長が遅く半ば諦めていたタマネギも少し小粒で縦長ながら家で食べるには充分です
ニンニクは「芽」も楽しみにしていたんですが・・これは何故か殆ど伸びずに葉が枯れてしまったんですが・・芋のほうは思った以上に膨らんでいて「売っているのと変わらない」と大川氏からお褒めの言葉を頂いたほど
ヨットのコクピットにあるテーブルなんですが・・・ニスが剥げ落ちて汚くなっていたのが気になっていたので昼食後それを外しに行って帰りにホームセンターでニスを買ってきました
工作場でそのテーブルの古いニスをペーパーサンダーで落としていたら鳴門から佐藤氏が来てくれました
実は先日の「ひろこちゃん宴会」の後、ヨットの電気式自動操舵装置の一箇所のプラスチック部品が非常に壊れやすいので真鍮で作ってもらいたいと頼んでいたんです。
佐藤氏は金属加工の会社に勤めているので「見てみて出来れば作ってあげる」と言っていたのを見にきてくれたんです
そこでまあとりあえずヨットへと言う事でヨットへ行って・・良い風なので一時間ほどセーリング
音も無く走るヨットと言うのは気持ちがいいもんです。
さてその部品は・・・二つが噛み合わさるようになっているんですが・・・「まあ・・何とかなるかな~??」ということで見本を持って帰ってもらう事に。
倉庫ハウスのデッキが日陰になってきたので椅子を出してお茶
前の川の鯉を眺めながら世間話をしていたら川の対岸をタヌキが餌を探しながら一時間ほど散歩していました
タヌキを見たのは今日が初めてなんですが・・・美由紀も喜んで見てました
僕がブログに「リゾート気分うんぬん」と書くからもあるんでしょうが・・・佐藤氏もリゾート気分になれるな~・・と言ってくれました
それから・・残業してテーブルを磨いていましたが・・・なかなか磨けません
次の雨の日に・・と考えています
話は変わりますが・・・
僕は旅が好きで・・・もしかすると・・・現在でも日本人の歴史の中で10本の指には数えられる位長く遊ぶ旅をしているのでは??と思います
今後も計画通りに旅をすれば・・・「一番長く旅をした夫婦」は確実?もしかすると「一番長く旅をした男」や「女」になるかも知れないな~・・・などと思ったりする位なんですが・・・
僕が旅をする理由です。
これには幾つかの理由があるんですが・・・
先ず一番に挙げなければならないのは「生まれた場所」です。
近所に数軒の家があるから「人里離れた」と言う表現はおかしいですが・・・
「お店」まで6キロある山奥でした
一番隣は200メートル離れていて次の隣は二キロ離れています
一応「隣組」として6軒の家の人達は月に一度ほど「当家」とかで行き来がありましたが・・・小学校に入るまで隣組の子供以外は親戚の子供くらいしか知らない生活でした。
物心がついて・・爺に連れられて徳島市内へ行った時のショックは大変なもので・・・今も覚えていますが・・・「大人も子供も皆が洋服を着ていた」事でした
いや~・・・ほんまに驚きました。昭和27~8年頃です。
その時のショックが・・・「広く世界を見ないと遅れてしまう」的コンプレックスとなり10代からユースホステルを利用しての旅が始まり、今なをそれは絶えずに続いているようです
次に決定的出来事に続くんですが・・長くなるので続きは明日書く事にいたします

掘り上げなければ・・・と思いながら梅雨のような天気が続いて延び延びになっていたニンニクとタマネギを掘り起こし天日に晒しました

成長が遅く半ば諦めていたタマネギも少し小粒で縦長ながら家で食べるには充分です

ニンニクは「芽」も楽しみにしていたんですが・・これは何故か殆ど伸びずに葉が枯れてしまったんですが・・芋のほうは思った以上に膨らんでいて「売っているのと変わらない」と大川氏からお褒めの言葉を頂いたほど

ヨットのコクピットにあるテーブルなんですが・・・ニスが剥げ落ちて汚くなっていたのが気になっていたので昼食後それを外しに行って帰りにホームセンターでニスを買ってきました

工作場でそのテーブルの古いニスをペーパーサンダーで落としていたら鳴門から佐藤氏が来てくれました

実は先日の「ひろこちゃん宴会」の後、ヨットの電気式自動操舵装置の一箇所のプラスチック部品が非常に壊れやすいので真鍮で作ってもらいたいと頼んでいたんです。
佐藤氏は金属加工の会社に勤めているので「見てみて出来れば作ってあげる」と言っていたのを見にきてくれたんです

そこでまあとりあえずヨットへと言う事でヨットへ行って・・良い風なので一時間ほどセーリング

音も無く走るヨットと言うのは気持ちがいいもんです。
さてその部品は・・・二つが噛み合わさるようになっているんですが・・・「まあ・・何とかなるかな~??」ということで見本を持って帰ってもらう事に。
倉庫ハウスのデッキが日陰になってきたので椅子を出してお茶

前の川の鯉を眺めながら世間話をしていたら川の対岸をタヌキが餌を探しながら一時間ほど散歩していました

タヌキを見たのは今日が初めてなんですが・・・美由紀も喜んで見てました

僕がブログに「リゾート気分うんぬん」と書くからもあるんでしょうが・・・佐藤氏もリゾート気分になれるな~・・と言ってくれました

それから・・残業してテーブルを磨いていましたが・・・なかなか磨けません

次の雨の日に・・と考えています

話は変わりますが・・・
僕は旅が好きで・・・もしかすると・・・現在でも日本人の歴史の中で10本の指には数えられる位長く遊ぶ旅をしているのでは??と思います

今後も計画通りに旅をすれば・・・「一番長く旅をした夫婦」は確実?もしかすると「一番長く旅をした男」や「女」になるかも知れないな~・・・などと思ったりする位なんですが・・・
僕が旅をする理由です。
これには幾つかの理由があるんですが・・・
先ず一番に挙げなければならないのは「生まれた場所」です。
近所に数軒の家があるから「人里離れた」と言う表現はおかしいですが・・・
「お店」まで6キロある山奥でした

一番隣は200メートル離れていて次の隣は二キロ離れています

一応「隣組」として6軒の家の人達は月に一度ほど「当家」とかで行き来がありましたが・・・小学校に入るまで隣組の子供以外は親戚の子供くらいしか知らない生活でした。
物心がついて・・爺に連れられて徳島市内へ行った時のショックは大変なもので・・・今も覚えていますが・・・「大人も子供も皆が洋服を着ていた」事でした

いや~・・・ほんまに驚きました。昭和27~8年頃です。
その時のショックが・・・「広く世界を見ないと遅れてしまう」的コンプレックスとなり10代からユースホステルを利用しての旅が始まり、今なをそれは絶えずに続いているようです

次に決定的出来事に続くんですが・・長くなるので続きは明日書く事にいたします
