喜多院法興寺

住職のひとりごと

延暦寺会館グランドオープン

2005-09-12 10:44:49 | Weblog
 今年は延暦寺会館が新たに改築され、11月12日から14日の比叡山参拝の旅を教区で計画しましたところ,募集人員250名が直ぐに集まりました。私どものところも15名の参加する予定にです。今度はバスが会館まで乗り入れ出来るようになって、大変便利になりました。
今月の「比叡山時報」が届きましたので記事を載せさせて頂きます。トップページは延暦寺会館グランドオープンの記事です。【延暦二十年(801)、伝教大師が一乗止観院に南都十大徳を請じて法華十講を修すと年表は記す。また、座主記天元3年(980)の条には、「九月晩日中堂会を行ず…(中略)…大納言藤原為光卿、参議源惟正卿等法会を随喜す。」とあって、法会随喜の参籠がうかがえる。はるか平安の昔、比叡山に登って法会に参加した高僧・貴顕達は、どこに宿し、何を食し、どのような接遇をうけたのであろうか。山門堂舎記に「食堂は中堂の東に在り」等と、記録は簡潔に伝えるのみにて詳細についてはその多くを語らない。しかしながら、どの時代にも登山参拝者は存したはずであり、参籠(一定期間寺社に龍って祈願する)して自他の平安に祈願を込め、後生善處を願った人は少なくないと思われる。徒然草の第238段には、「三塔巡礼のこと侍りしに横川の常行堂のうち龍華院と書けるふるき額あり」とあって、当時(鎌倉末乃至室町初期)、三塔を経めぐる参拝が行われていたことを伝えている。如何に健脚の時代とはいえすべての人の日帰りは考えにくく、いづれかの坊舎に宿を求めたことも有ったのではないか。長期に滞在し、比叡のみ教えと修行に触れて、種々なる襖悩を鎮め、自己研鑽・完成(解脱・悟りへの道)を希った人もと思いは廻る。今般、山上唯一の宿泊施設であり、延暦寺運営に欠くことのできない本坊・庫裡機能を有する延暦寺会館(正式名称・延暦寺檀信徒会館)の建替え事業が完成した。工期一年半、老朽化、使い勝手の悪さなどを解消し、現代に相応した施設及ぴ接遇の体制は、天台宗内外のご助力・ご支援を得てととのった。多くの来訪・参拝者による利用・活用が期待されるところであり、殊に、宿泊参拝の方々には、早暁静謐の中に醸す比叡山の霊気を受け、伝教大師を始めとした祖師・先徳の御跡を慕い、数多の修行僧が求め来たったものを感じて貰いたいものと念願して止まない。比叡におわす仏たち、訪(おとな)いびとに冥加・恩沢あらせたまえ。】