うべプラネタリアン

プラネタリウム解説の活動を通じ、いろいろ感じたことをさまざまに語りたく....

ミラノの聖堂でみたやぎ座....(C13)

2007年04月04日 16時31分23秒 | 新・星座物語
古代バビロニアの時代は、冬至点が、やぎ座にあった。
現代は、地球の歳差という首振り運動のため、冬至点は、いて座とさそり座の境目
(厳密にはいて座)付近にある。
冬至は、太陽が一番低く、従って、屋内に射すの光の点は最も遠くに届く。
なぜ、やぎ座が光の射す壁の穴から最遠の反対側の壁に描かれていたか、これで納得した。
ミラノのドゥーモが建ったとき、実際に冬至点がやぎ座にあったかどうか、
時代をさかのぼって調べたい。
星座の起源のころの、「冬至点はやぎ座」という建前的な考え方が活きているのか、
実際に冬至点はやぎざにあったのか、いずれにせよ、
天井近くに開けた小さな穴から射す、正午の太陽光の点をプロットしてゆけば、
冬至の光は最も遠くに届くはずだから、そこを基点に12の星座を床に一列に並べて描いてゆけばいい。
どうなっていたか、ちょっと記憶が不確かなのが残念。
写真も、壁まで立ち上がった「やぎ座」しか撮ってないのが、また残念。

....だが、まてよ、やぎ座の「魚山羊」の形は、古代バビロニア発祥ってこたぁないだろう。
かたちはどうあれ、基本的に「やぎ」だったとすると、その辺どう関連づいているのだろう。
天文学と考古学は一致点が多い。どう転んでも、おもしろいのである。