うべプラネタリアン

プラネタリウム解説の活動を通じ、いろいろ感じたことをさまざまに語りたく....

女子道社(二所山田神社)....(b8-1)

2007年04月13日 11時03分55秒 | 史跡散歩
以下は、二所山田神社宮本宮司さんの語ってくれた話の覚え語りだ。
(細かいところは訂正して下され、宮本せんせ)
現宮司 宮本公胤氏の祖父は、とてつもなくスケールのでっかい人だった。
明治半ば、「国の発揚は、個々の家庭の活性化にある、個々の家庭が豊かに明るくならねばならぬ、
そのためには、家庭婦人が時代に目覚め、生き生きと変わらなければならぬ..」と考えた。
そこで女性解放運動を全国に先駆けて展開した。
家庭婦人よ目覚めよと訴えたのは、平塚らいてふ等の青鞜社以前のことである。
神社のネットワークを通じ、女性解放を説く機関誌として「女子道」を発刊したが、
上海、大連、ハワイに至るまで何千にも及ぶ部数を、無償で発送するとたちまちのうちに資金困難に陥った。
それをカバーするために、印刷技術を活かして、おみくじ生産供給に取り組んだ。
その人は、おみくじの歌を作り、願の説きも書き、全て一からつくって、全国の神社に発送したのだった。
機関誌「女子道」を基にした女性解放運動は、いち早く女性参政権も訴えたが、あまりに時代の魁となったので、
ずれも生じ、大正昭和の戦争の時代もあり、相当の苦労のすえ、昭和19年に活動が停止した。
一方、おみくじ生産の方は一人歩きして順調に発展、全国でいち早く自動販売機まで考案して、
鹿野の山奥から、全国のおみくじの7割を供給するに至った。
おみくじの、印刷や折りたたみなど、未だにあえて手作業で行っている小さな会社組織(?)は、
機関誌の名から「女子道社」となっている。
...この話は、一つの日本の女性解放史にも展開するが、一方では、おみくじの裏話までおよぶので、
おもしろくておもしろくてとてもこんなところで紹介しきれることではない。
もっと聞きたい知りたいと、興味のある方は、周南市の北、鹿野の二所山田神社を訪れられるとよい。
咲き乱れる四季の山野草と共に、宮司さんご一家が気さくに歓迎して下さるはずだ。
花は、山あじさいがすばらしい(←絶対おすすめ)と一言申し添え。