うべプラネタリアン

プラネタリウム解説の活動を通じ、いろいろ感じたことをさまざまに語りたく....

史跡散歩...和泉式部の墓...(b4)

2007年01月20日 17時53分38秒 | 史跡散歩
平安時代の女流歌人、和泉式部(いずみしきぶ)の墓と伝えられるものが
旧山陽町、JR埴生(はぶ)駅の近くにある。
和泉式部の墓は、全国に15基くらいあるらしい。
まさか、京の都から長門の果てにさすらい来て、ここで倒れたわけではあるまい。本人が旅をしたのではなくて、「話」に翼がついて飛んだのだろう。
恋多き女性の物語は、夜話にもってこいだ。
庚申講などで村人の集まっているところへ、上手い「語りべ」が来て、おもしろく密やかに、いにしえ人の艶笑談でもしただろう。
長も、ひやひやとわらいながら、「その道は今も昔も変わらんの...じゃが、どこかあわれじゃのぅ」とでもコメントをのたもうたか。
村の畑に、いつの誰のともしらぬ荒れ果てた古墳が一基。
「どうじゃろう、講のゼニもいくらか貯まったことじゃし、他んとこみたいに庚申塚を建てるより、わしらぁ、このゼニであそこの塚を祀っちゃろうやぁ」「でも、誰のなにやらわからんでよ、あの墓」「じゃからの、こないだの話の“和泉式部さん”の墓ちゅうことで、どうかの」てな話し合いがすすんだのではあるまいか。
集まりの小さなお堂に、ほの暗い灯影がゆれていたか。
月の光はさえざえと野道を照らしていたか。
そうして、時は江戸時代、享保16年に、平安時代の女性の墓が建った。