蹴球放浪記

緩まない、緩ませない。
横着しない、横着を許さない。
慌てない、「だ」を込める。

ん、まあ、いいタイミングだ。

2011-07-12 22:58:33 | 舞台のこと

 今日は二ヶ月に一度になった話し合い。
雨傘屋の件から始まったもろもろごとをひと通り話す。

 自分は人に対して「活かす」言葉を出していきたい、
「殺す」言葉は出したくないが、最近つとに「殺す」言葉を
巧みに使って、てめぇの思いを伝えようとする輩が居て、
その人達が福岡の演劇業界で好き放題やっている。
で、殆どの人たちがその輩から嫌な思いを受けて辛そうだ、
そうしたら、自分もその輩から居場所を剥ぎ取って「殺し」に
行きたいけれど、いかんせんわたしには「殺す」言葉を持ち合わせていない。
そいつらが自分よりひどいことをしたところに出くわしても、
その状況をうまく利用して「殺し」に行けなかった。

 現実は「自分に非はある」と頭を素直に下げて、当分黙って、
状況からある程度の距離をおくことしか出来なかった。
本当は輩共が自分に対してさらなる攻撃を加えて、
完全に「殺し」に行こうとすることが分かっていたから
こりっちの今までのレポート、この放浪記、全部消去して
演劇も、われらが愛媛も「自分の糧」として「発信」することなく
おとなしく見て、心に蓄えて次に備えようと思った。

 けれども、「活かす」言葉を待っている人もいるし、
そういう人たちからいろいろな声を掛けられて、
てか、待っている人がみんな、「やめるな」という言葉を
口で言う他に「身体言語」で投げかけてくる。
すごかったのがこないだの鹿児島演劇見本市、
進行のおねえさんが始終、「からだで演劇を感じて、
ツボに嵌ったら、笑ってもいいんだよ」とか
「からだで演劇を感じるって、楽しいだろ?」という言葉を
客席に投げかけている。
・・・すごく心に来た。

 という話をして、「だ」を出して、表現して、貫く生き方が出来ているから
まあ、何とかなる、結果、まわりにいる人間はきちんと篩にかかってる。

 あとは「殺す」言葉を浄化する作業が心のエネルギーを使いそう。
それには多少時間がかかるとして、そろそろと書き始めよう。

 まず始めに鹿児島演劇見本市のことを書かないとね。



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