今日は二ヶ月に一度になった話し合い。
雨傘屋の件から始まったもろもろごとをひと通り話す。
自分は人に対して「活かす」言葉を出していきたい、
「殺す」言葉は出したくないが、最近つとに「殺す」言葉を
巧みに使って、てめぇの思いを伝えようとする輩が居て、
その人達が福岡の演劇業界で好き放題やっている。
で、殆どの人たちがその輩から嫌な思いを受けて辛そうだ、
そうしたら、自分もその輩から居場所を剥ぎ取って「殺し」に
行きたいけれど、いかんせんわたしには「殺す」言葉を持ち合わせていない。
そいつらが自分よりひどいことをしたところに出くわしても、
その状況をうまく利用して「殺し」に行けなかった。
現実は「自分に非はある」と頭を素直に下げて、当分黙って、
状況からある程度の距離をおくことしか出来なかった。
本当は輩共が自分に対してさらなる攻撃を加えて、
完全に「殺し」に行こうとすることが分かっていたから
こりっちの今までのレポート、この放浪記、全部消去して
演劇も、われらが愛媛も「自分の糧」として「発信」することなく
おとなしく見て、心に蓄えて次に備えようと思った。
けれども、「活かす」言葉を待っている人もいるし、
そういう人たちからいろいろな声を掛けられて、
てか、待っている人がみんな、「やめるな」という言葉を
口で言う他に「身体言語」で投げかけてくる。
すごかったのがこないだの鹿児島演劇見本市、
進行のおねえさんが始終、「からだで演劇を感じて、
ツボに嵌ったら、笑ってもいいんだよ」とか
「からだで演劇を感じるって、楽しいだろ?」という言葉を
客席に投げかけている。
・・・すごく心に来た。
という話をして、「だ」を出して、表現して、貫く生き方が出来ているから
まあ、何とかなる、結果、まわりにいる人間はきちんと篩にかかってる。
あとは「殺す」言葉を浄化する作業が心のエネルギーを使いそう。
それには多少時間がかかるとして、そろそろと書き始めよう。
まず始めに鹿児島演劇見本市のことを書かないとね。