憩う、楽しむ 広島・湯来通信 

広島市中心部から1時間。新たな交流・体験エリアである湯来地区の最新情報。天然温泉と豊かな自然が皆様をお待ちしています。

湯来に伝わる民話「中倉の毘沙門天」

2011年03月24日 07時12分05秒 | 民話

3/24(木) -0℃  

 おはようございます。

 お彼岸が明けたと言うのに寒い朝になりました。庭先にあるさくらんぼや桃の花芽が硬くまだ閉じたまま。いつになったら淡いピンク色を見せてくれたり、香りを楽しませてくれるんでしょうか?

 

 湯来の実感できる春は4月中旬になるのかなぁ気温の変化が激しいと風邪をひいてしまうこともしばしば、体調管理には十分お気をつけください。

  今日は「 壇ノ浦の戦いの日 」だそうです。1185年(元暦2年)に山口県下関市の瀬戸内海に浮かぶ島”壇ノ浦”で、源義経が率いる源氏軍が平家軍を破り、平家が滅亡した日とされています。聞くところによると来年度のNHK大河ドラマが平清盛を取り上げたものだとか。史実に残る歴史的な出来事から地域に言い伝えとして語り継がれている伝説まで、どんな形で放送されるのか今から楽しみです。

 そう言えば、湯来にも落ち武者伝説の地が何箇所かあり、岩井滝という滝のすぐ横にあまり深くはありませんけど洞窟が現存しています。二度ばかり現地に行きましたけど、やっぱり伝説の域を脱するほどの壁に書置きもありませんでしたし、場所が場所だけに出て来そうなのはぐらい。夏場の暑い時でしたので (マムシ)は見かけました。自然に倒れた木の上には苔むしてましたし、ランではありませんが白いランの様な花や、湿った場所に生えるマムシグサが数箇所咲いていました。んんん???「マムシの里」の聞き違いだったのかなぁ

 人に言う前に、事実関係はよく調査しておかないといけませんでしたねスンマセン。 

 

 では、民話を一つ。

 湯来温泉に行く途中、石ヶ谷峡の上流1km位のところに国道488号の道沿いに「おしゃれ工房」というお店があって、その横の橋を渡って約10分強歩いた山の中にあった元中倉集落。山の中腹に廃屋と森林化した田畑の跡が見られます。昔は30軒もの家があったと古老が言っておられましたけど、この集落の中に祀られているのが毘沙門天さま。家々は殆んど無くなってしまいましたが、この神社だけは元中倉の人々によって行き届いた管理がされています。ご本尊の毘沙門天像があり、神社の正面には毘沙門天のお使いである「百足(ムカデ)」の額が掛かっていました。

 この地に伝わっている民話が「中倉の毘沙門天」という民話です。

 その昔、中倉の人々は神社を造営してご進退の毘沙門天をお迎えすることにしました。代表の者が迎えに参りますと、毘沙門天は

 「中倉だけでなく、他のところからも立派な神社を造って迎えに来ている。わしの意に叶う条件のところへ参ろうと思う」

 「どんな条件でもよろしゅうございます。お聞かせください。」

 毘沙門天は中倉の守護神になる約束として、

 「わしは百足を使者として虚空を支配してきた。しかるに近ごろは人間どもが鶏を飼いはじめたので、わしの使者が鶏に食い殺されて困っている。わしは中倉に参るが、中倉に住む者は今から後は末代まで鶏を飼わないこと。もし飼う者があったら鶏の本性を取り除いてしまう。このことを中倉に住む一人残らず承知すれば中倉に参ろう」

 中倉の人たちはかしこんでそれをお受けすると、毘沙門天は神社の守護神になりました。

 それから後も人々の信仰は厚く、そのお陰で今まで雷が落ちたことがありません。また、大地震の時は転がる石が途中で止まって被害を防いだということです。

 神社の正面には毘沙門天の使者である百足の額が掛かっており、少し離れた所に毘沙門天が来られるときに腰をかけられたと言われている「休息岩」という岩が今も残っています。

 次回の湯来に伝わる民話は「石ヶ原の百飛び」です。お楽しみに。

 

 本業あり、家業(農作業)あり、選挙支度あり・・・・・・・、気忙しく毎日が過ぎています。やるべきことを付箋にメモ書きして消していこうと思いつつ、日増しに増えて7個も溜まってしまいました。月末まであと7日。一日1個を整理しないと激ヤバです。早くできたらよかったんですけど、相手あっての業務内容であり、計画どおりできないことにイラだちそうです。でも、苛立っちゃうと体が持たないし・・・・・、気持ちにゆとりを持って仕事を追いかけていたいなぁ。

 今日は午後から屋外作業。午前中に一つを整理しておかないとマジでヤバイかも。静かな環境が欲しーい

コメント (6)
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