憩う、楽しむ 広島・湯来通信 

広島市中心部から1時間。新たな交流・体験エリアである湯来地区の最新情報。天然温泉と豊かな自然が皆様をお待ちしています。

お待たせし過ぎて14年

2024年05月24日 05時30分19秒 | 民話

5/24(金) 13℃   晴れ☀️

 おはようございます。
 蒸し暑い夜が続いて、安眠できない日が続いていましたが掛け布団を変えてあったので良く寝れた事もあっていつもよりは目覚めスッキリですの朝になりました。

 スッキリした、させなくてはいけなかったことが昨日一部解決したんです。
 遡ること10数年前、このブログに湯来に伝わる民話を連載している頃があって、その時に分かったらお教えしますと言っていたのを湯来西公民館の職員の方が読まれて、その後どうなったのでしょうか?との電話をいただいたのでその調査結果をお伝えすべき聞き取りをするチャンスを伺ってたんですが、なんせ聞き取りしたい家が空き家なものでなかなかチャンスがなかったんですが、昨日、その家の方とあうこと

 今日も一日暑くなりそうですから、暑さ対策を怠りなくお過ごができ、現物を触らせていただいて、の写真まで取らせていただきました。👏


 世代が代わりこの家にどのような経緯で在るのか本人も分からないと言うことで、親戚の叔父叔母に聞いてみるとの事をお願いして家を後にしましたが、確かにその弓矢は現存してました。
 古い布入れに入れられて床の間の前の鴨居に飾ってあり、下に下ろして袋から出していただき写したものがこちら。材質は木ではないかと思ったんですが、表面を漆のようなモノで被われていてハッキリ分かりませんでした。端っこが観れたのでアップした写真でご判断ください。やっぱり木のように見えるかな?


 当家の子孫の方の電話番号を教えていただいたので、少し時間をおいてまた確認するつもりです。
 私の記憶、間違っていなかったことにホッとするやら、調査すると言っていたことを忘れてしまってたことやら、モヤモヤしていたものがスカッとしそうな・・・😅。
 連絡待ちですが、もう少し時間の猶予をお願いします🙇⤵️。
 こちらが十数年前に書き込みした民話です。

 今朝は湯来に伝わる民話「阿弥陀ヶ峰物語第3話・山川家に伝わる話」です。

 九郎左衛門が亡くなってから何代か後のことです。ゆとりある暮らしを送っていた山川家も、生活がだんだん苦しくて来ました。その上、火災に遭いました。
 食う米も無くなり、貧乏をすれば借りに行っても貸してくれる者もありませんでした。生きていくために仕方なく「大蛇退治にまつわる家宝の弓矢だが手放さなければなるまい」と、当時栄えていた庄屋さんに麦1俵で弓矢を譲ってしまいました。そして、数人の家族が麦三斗(45kg)にワラビの根、フキ、ヨモギ、ショウボウ(木の葉)などを採食しながら4ヶ月飢えをしのぎ春を迎えたそうです。
 弓矢を譲り受けた庄屋さんでは、こんなことがありました。
 あくる年の春、女房がひょっくり死んでしまいました。続いて一人娘も急死しました。こんなことがあって、夏が過ぎ秋が深まったある晩、主人が寝ていると山川家から譲り受けた弓矢の下に、筆立てが何事もないのに、パァーンとう音とともに真っ二つに割れてしまいました。主人はふと、山川家に伝わる伝説を思い出し、「丁度、大蛇を射止めた時刻であろう」「春以来の不祥事も弓矢の祟りであろう」「この弓矢は我が家で持つべきではない、山川家にお返ししよう」と夜明けを待って山川家に返しました。 
 これからは、代々山川家に伝わり、両家とも平穏な暮らしが続きました。

 もう1つが今回の弓矢の話になっている民話で「阿弥陀山池の草で大蛇が化身した大きな鹿を退治したお話」。このお話に出てきた弓矢が今回の弓矢だと思われます。たぶん二つが一緒ではないと思われますけど、調べてみないとわかりませんね。

 この弓矢、ある家に実在していると思うんです。単なる民話じゃなく、実在してるんです。私微かな記憶の中に子供のころ遊びにたち寄った家の鴨居に掛けてあったような・・・・、いつか、記憶に残るその家にお邪魔して真実を確認しようと思います。いつになるかは分かりませんが、気長にお待ちください。

 こんなこと書いて十数年、今しばらくお待ちください。


 太平洋上に台風🌀第1号になるかもしれない雨雲がレーダーに映ってました。コンピューター予測進路では日本南をかすめるような進路になってました。
 もう少し暑い日が続きますので熱中症対策は万全にしておきましょう。
 今週も最後までお付き合い頂きありがとうございました。
 でわまた来週~💫➰👋😃

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稼ぐに追い付く貧乏なし

2022年01月28日 05時58分21秒 | 民話

1/28(金) ➖2℃   曇り☁️

 おはようございます。
 曇り☁️と書きましたが、車庫から車を出す時には霧のようなミストシャワーのような雨が降っていた湯来の朝です。


 今朝も寝坊して夢💤🎠💤見てました。コロナ禍でありながら、私だけ感染せずに、ハイキングしたり登山をしたり海で泳いでいたり等、遊び呆けている夢でした。
 次なる遊びに入った矢先に“朝だよ、今日は休み?“と目覚ましの声、次なる遊びの夢の続きの展開がどうなっていくのか気になって仕方ない私です😅。

 アッと言う間に、1月も最後の金曜日になりましたね。コロナ、オミクロン感染拡大の話題ばかりでこの1ヶ月が過ぎ去ってしまい大変申し訳なく思っています。
 でも、コロナがいくら感染拡大しても、私が感染していなければ仕事はサボることは出来ませんから、暦通り忠実に仕事をするのみです。


 今日の「諺」は稼ぐに追い付く貧乏なしですけど、読んで字の如しで、一生懸命働いていると身銭が入ってきますから多少の支出があっても貧乏にはならないと言うもので、せっせと働きましょうって諺です😄。
 ナマケモノの私には耳の痛い諺ですけどね。以前、あるお店でいつも湯沸かししてるんだったら、仮に1000円もらってでも家業の商売してはどうかと提案したことがありまして、その人曰く“千円なんて端金小遣いにもならないから要らない、稼ぐ時には別な方法で稼ぐ“と持論を聞かされました。私はお婆ちゃんから“1円を笑う者は1円に泣く“と言われて育っているので、1円の大切さを解って言ったんですけどね。
 湯来に伝わる大原長者の話ではありませんが、遊び呆けていると家運も下がって消滅の通り、このお店も倒産してしまいました。
 長く生きていると色々な事が有りますが、今日1日を大切に、充実した1日にしないといけないなぁって思います。


梅一輪、一輪ほどの暖かさ



 堅苦しい話題で申し訳ありません、けど、水だけ飲んで日々の生活をするわけにもいきませんから、地道に仕事を頑張りましょう。

 次週こそ、楽しいとか面白いとかの情報を提供出来るよう話題集めをしておこうと思います、お楽しみに😉。

 


 今週も最後までお付き合いいただきありがとうございました🙏
 この週末、天候には恵まれそうですが空気が乾燥しています。火の取り扱いには十分注意しましょう。
 閉塞感のある今時ですが、充実した週末をお過ごしください。でわ、また来週~✨

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湯来に伝わる民話

2015年05月07日 07時45分19秒 | 民話






5/7(木)11℃ 曇


おはようございます。

連休は何をして過ごされましたか?


私は予告していた通り農作業。代かきまで計画通りの作業ができました。
後は田植えのみ。特別な事がない限り、雨が降っても土曜日に植えたいと思っています。一気にやってのけたいと思います。
そうそう、土曜日には焼き肉とタケノコ掘りをしました。焼きタケノコのしたかったので掘ったんですが、今、持山ではイヤと言うほどタケノコが生えています。掘るのが面倒くさいので途中から足で蹴って潰したんですが、まだまだたくさんあって、ご自分で掘ってさえ頂ければ差し上げますから是非どうぞ。(イノシシも食べ飽きたみたい)



今日は「博士の日」

1888(明治21)年、植物学者の伊藤圭介・数学者の菊池大麓・物理学者の山川健次郎ら25人に日本初の博士号が授与されました。ただし、論文の提出による博士号ではなく教育への貢献を評価されたもので、名誉博士的なものだったそうです。
論文による本格的な博士が生まれたのは、それから3年後。また、当時は博士の上に大博士の学位があったそうですが、該当者がなく1898(明治31)年に廃止されています。



GWが終わりましたね。沖縄にまだ1度も行ったことがないので気持ちは高まるばかり。田植えが終わって、条件が整えば行きたいところですが、今朝のテレビ番組で癒しのサイトが有ると紹介されてました。内容は沖縄の海をただボーッと見るだけ。私も行ったような気になってボーッとしてしまいまして、サイトのタイトルを忘れてしまいました。
これってボケの始まり?

気をつけなくっちゃ。



今日も一日、気を引き締めて過ごしましょう。

冒頭の写真は湯来に伝わる民話冊子と、昨日ドライブに行った場所にあったお城。帰りにはご縁担ぎの参拝をして帰ったんですが・・・柏手を1回少なく叩いてしまい、付け足しの1回で願い聞き留めてもらえたかどうか、どうかな?

気分転換の愛車ドライブ。疲れもなく大満足。


でわ、充実した一日でありますように。
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湯来に伝わる民話『平家城』

2013年09月20日 07時19分32秒 | 民話
9/20(金)15℃         

 おはようございます。
 昨夜の中秋の名月をご覧になられましたか?
 午前0時頃のお月様です。この写真、直接写したものではなく、黒い皿に水を張ってそこに映る月を間接的に写したモノです。(だから、チョッとだけ形が変。判るかな~)


 湯来に伝わる民話『平家城』

 むかし、源氏と平家の戦いがありました。山口県下関市壇の浦の戦でついに平家は滅亡しますが、地方ではまだ戦いがあったり、平家の落武者が山城に立て籠り源氏と戦っていました。
 天上山から流れ出る谷水は北に「竜頭の滝」をつくり、南に「魚断の滝」をつくっています。この滝谷川が水内川に合流するところに、水内を二分するかのように大小の三つの小高い丘があります。この丘を平家城(へけんじょう)と言います。
 平家の武士がここに城を造り、真ん中の高い丘に見張り所を設け、この一帯を支配していました。
 しかし、遂に源氏軍に攻撃され、城に立て籠りました。勝ち誇った源氏軍は追求の手を緩めず、この平家城を攻めました。
 前を流れる水内川の対岸に源氏が陣を張りました。そして何日間か源平の戦いがありました。当時の戦の激しさを物語る跡が地名になって残っています。
 矢が激しく交差して通ったところを「通矢(とおりや)」と云い、多くの矢が水内川を流れたところを「矢流()やながれ」と云い、流れた矢を堰止めたところを「矢堰(やぜき)」これが訛って「井関(いせき)」になりました。
 平家城に立て籠った平家一族は、戦いに敗れて滝谷川を上流へと逃げ落ちて行きました。
 竜頭の滝の谷底の岩盤に、馬の蹄跡、槍の跡、馬のたらいに似た凹み等が平家城とともに語り継がれています。


 湯来に伝わる民話、いかがでしたでしょうか?
 この民話は、地域の古老から聞き取ったものを旧湯来町教育委員会が編集委員会のみなさんの協力を得て、印刷発行されたものです。現物の販売はもう有りませんが、図書館に行けば読めますし、時々、広島市国民宿舎湯来ロッジロビーであんみつ姫なる方が紙芝居をされています。
 長い間、お読み頂いてありがとうございました。

 次回からは、『想い出の漫画(山田清香)』の書かれた漫画を題材にしたものをお伝えしていこうと思います。お楽しみに~。



“湯来ヒルクライム2013”参加者募集開始のお知らせ

12月1日(日)に開催されます湯来ヒルクライム参加者の募集が始まりました。
 集合場所:広島市湯来交流体験センター
 開催場所:天上山、林道入口スタートゴールの10km
      一般体験走行2.5km
 参加資格:①10kmコースを制限時間の1時間30分以内に完走できる中学生以上の方
       ※18歳未満は保護者の同意書が必要。原則、中学生は保護者同伴 
      ②事前に自転車専門店にて安全点検した自転車での参加 
 参 加 費:4,000円(保険料、参加費)
      一般体験走行500円(保険料)
 参加申込:湯来ヒルクライム専用WEBサイトのフォームより申込
      http://e-yuki.net/sports
      事務局より受付確認のメールが届いたら指定口座に振込。入金確認ができた時点で受付完了
    


 今週も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
 来週火曜日にまた。

 でわ、また来週~
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湯来に伝わる民話「志井の水神釜」

2013年09月03日 07時07分32秒 | 民話
9/3(火)22℃        

 おはようございます。

 天候不良によって関東では竜巻が発生するなどして大きな被害をもたらしていますが、皆さんの地域では何事も無かったでしょうか?
 湯来地区でも昨夜は日没後から急激に雨が降り始め、予定していた消防の訓練が中止せざるを得ませんでした。
 今月15日の日曜日に佐伯消防団ポンプ操法大会が湯来の湯の山温泉近くのグランドで行われますので時間に余裕のある方は、応援観覧にお越しください。  

 今朝は久しぶりに湯来に伝わる民話「志井の水神釜」です。

 むかし、公法大師が弟と志井まで修行に来られました。大師は志井から川下を少し下った所まで来ると、弟に、
 「おまえは若いから、もう少し奥まで行きなさい。私は待っているから」
 と、ここまで来た印に、岩盤の上に直径30cm、深さ20cmの穴をお彫りになりました。
 弟にあたる人は志井の北、出合いまでお進みになり、来た印に大師より少し小さい穴を彫られました。これを人々は水神釜と呼びました。
 むかし、日照りが続くと、この穴に水を入れ、中の水をかきまわして、雨乞いをしていました。
 志井には二つの水神釜があるということです。


 伏谷の下伏の鍋石と言う所にも川底の岩盤に大きな穴があり、この釜石を簑傘をかぶり“大雨じゃ、やれうるさ、やれうるさ”と釜石を洗えば大雨が降ったと言う言い伝えの残っている場所が在ります。近くの川底の大岩には馬をつなぎ留める際に使ったとされる杭打ち用の穴もあいており、雨乞い信仰の場であったことを示しています。
 近くに来られた方はご覧ください。

 次回の湯来に伝わる民話は「平家城」です。お楽しみに~。


 今日は「東京」改名の日だそうです。

 慶応4年7月17日(西暦では1868年9月3日)に「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書(えどを しょうしてとうきょうとなすのしょうしょ)」が発せられ、この日から、江戸は東京と 呼ばれることになりました。


 ドラえもんの誕生日

 2112年のこの日、藤子・F・不二雄氏原作の「ドラえもん」の主人公、ドラえもんが誕生しました。


 ホームラン記念日

 1977(昭和52)年、後楽園球場で巨人の王貞治選手が通算756号ホームランを打ち、それま でアメリカ大リーグのハンク・アーロンが持っていた世界最高記録を更新しました。
 2日後の9 月5日に、政府は王選手に初の国民栄誉賞を贈りその栄誉を讃えました。王選手の引退まで のホームラン数は868本で、あの頃はアンチじゃなかったから、900本はいけるだろうと期待してました。今の現役選手がいくら頑張っても追い越せないとてつもない数字。
 生涯カープ選手で活躍してくれるスターは現れないかなぁ。



 でわ、天気がよくなることを願って、今日が充実した一日でありますように。
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初登場

2013年08月26日 07時11分58秒 | 民話
8/26(月)21℃ 


 今朝は湯来に伝わる民話『川角のはじまり』です。

 むかし、山県郡の人たちは冬には雪が多く降るので、温かいところへ出稼ぎに行っていました。行き帰りにはみんな川角を通っていました。
 山県のある人が川沿いの沼地を見て、
 「ここは稲が出来るのではないかな」
 と思って翌春、種籾を沼地にばらまいておきました。秋にはりっぱな稲穂をつけていました。
 それを見て何人かが田を作りました。住む人も多くなり、川角の集落ができました。 
 河内神社には二人の神様がおられ、その一人が稲作りを始めた人かもしれません。


 次回の湯来に伝わる民話は『志井の水神釜』です。

 お楽しみに。



 冒頭の黒猫はご近所さんの飼い猫、名前は分かりません。まだ若い猫らしく、私の出した手に興味津々だったらしく(何かくれると思ったのかな?)、私の暇を弄んでくれました。
 でも、全身黒猫が怖く感じてしまうのは何故なんだろう。
 キキのイメージあるんだけどなぁ。


 処暑を過ぎると涼しくなりましたね。



 体調管理には気をつけましょう。

 でわ、今週もよろしくお願いします。
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湯来に伝わる民話『日入谷の大岩』

2013年07月30日 07時01分59秒 | 民話
7/30(火)25℃      

 おはようございます。
 植物にとっては大歓迎でしょうが、我々人間にとっては連日の雨の必要はなく、傘を差すのも、雨後の蒸し蒸しムンムンもうんざり。地球温暖化の影響で局地的なゲリラ豪雨が起きてるんだそうです。

 一人の行為は大したこと無くても、積もり積もれば大きな影響を地球に与えてしまいます。地球と自分に優しいエコな生活を心掛けましょう。

南極と北極と大陸の高い山の山頂に太陽光を利用した巨大氷機を設置して氷河の補給をしたらどうかと……………、暑さにバカなことを閃いてしまいました。(バカだねぇ)


 湯来に伝わる民話『日入谷の大岩』

 日入谷(ひのいたに)に直径4mもある大きな岩があります。むかし、大水害があり、西の蛇の谷から流れ来たものですその時、川を横切り向かい側の陸地まで転がりました。
 ところが、その洪水の水が引くと、この大きな岩に西の谷の宮崎谷の御弊と、東の谷の豆栃の宮の御弊が引っ掛かっていました。
 人々は、神がかりと思い、ここに日入谷の御宮を建てて秋祭りが行われるようになりましたとさ。

 確か、豆栃と言う場所に祠が建っていたし、楠谷の杉木立の場所に祠が建っていたし、大きな岩って集落の中程の川よりも高い場所の陸地部にあったような…?近々、この地を訪ねてみようと思います。
 この他、打尾谷と言う集落には『船岩(ふないわ)』と言う、船に似た巨石を見たこともあります。いつの災害復旧で撤去されたのかを忘れてしまいましたけど、湯来出張所と下伏町内会との中間にある穴坊(あなんぼう)と言う場所に『けむり岩』があったそうです。

 次回の湯来に伝わる民話は『川角のはじまり』です。お楽しみに~ 




 中々、湯来に特化した情報を集めきれてません。

 そう言えば、湯の山温泉にあるクアハウス湯の山でまだまだ先の情報ですが、いきいき!スポーツの秋in湯の山と題した健康ツアーが計画されてます。関心のある方はぜひどうぞ。
■日時:9月19日(木)8:30~16:15
■場所:湯来ロッジ・クアハウス湯の山
■内容:ノルデックウオークと水中ウオーキング
■送迎:クアハウス湯の山のマイクロバス
■参加費:2,000円※入湯料
■準備物:水着(バスタオル・シャンプー有り、レンタル水着400円)
■集合時間・場所:8:20 南区スポーツセンター正面玄関
■申込先:南区スポーツセンター082ー251ー7721
     クアハウス湯の山0829ー83ー1198
■申込期間:8/30~9/14<先着順>




 天気、回復してくれるといいなぁ
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湯来に伝わる民話『火消しは手伝わぬ』&『まむしの教え』

2013年07月18日 07時28分44秒 | 民話
7/18(木)23℃        


 おはようございます。
 今朝のお目覚めはいかがでしょうか

 山間の湯来でも屋外の暑さは市内と一緒。空に近い分だけ熱い?なんてバカなことを考えてしまうノー天気な私です。



 今朝の湯来に伝わる民話は短編のこの2つ。
 地元、湯来で活動されているあんみつ姫よりも先にご披露させていただきたいと思います。

 でわ、その1『火消しは手伝わぬ』

 むかしはどの家も藁葺き屋根でした。
 ずっと昔、田布のある家が家火事になりました。粟柱の人々は火を消すためみんな手伝いに行きました。みんなが田布の火事を夢中で消している間に、田布の火事が飛び火して粟柱のある家の藁葺きの屋根に燃え移り火事になりました。
 粟柱の人はどうすることもできませんでした。
 それから後は飛び火が恐いので、
 「田布の火事の時は、粟柱の人は火消しを手伝わぬ」
 「粟柱の火事の時は、田布の人は火消しを手伝わぬ」
 と言われましたが、今はそんなことはありません。


 その2『まむしの教え』

 むかし、はみ(マムシのこと)が道の中で、牛に踏み殺されそうになったところを、旅人に助けられました。
 はみは、旅人の足を噛んでおいて、それにカボチャの花を擦り付けて治して見せました。助けてもらった恩返しに、はみに噛まれた時の治し方を教えたのでした。



 次回の湯来に伝わる民話は『日入谷の大岩』です。お楽しみに~


 湯来に伝わる民話も残りあと僅かになってきました。新たな話題を探してみたいところですが、皆さんのご期待に添える話題が探せるかどうか…。
 社や祠の謂われを聞いてみたいと思っていますので、ご協力をお願いします。


 明日からは選挙事務で書き込みできないかも知れませんのが、何らかの情報発信はしたいのでお楽しみに。


 でわ、今日も元気にガンバりましょう…かぁ

 
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湯来に伝わる民話『田舎の力自慢&粟柱の里』

2013年07月10日 07時11分50秒 | 民話
7/11(木)23℃       

                                      

  

       

           

             


                        
           



                   



 おはようございます。

 アッと言う間にホタルの飛翔期間が終わり、夏の星座が夜空を煌めかせてます。
 市内中心部ではなかなか見えない3等星クラスの星もチョッと郊外の街灯の無い場所に行くと北斗七星やカシオペア、さそり座でしたっけ?S字形の形をしてましたよね。人間の目もなかなかなもので、デジカメでは撮れなくても眼ではしっかりと見ることができます。
 蒸し暑い夜、ドライブがてらに湯来で夕涼みにお越しください。


 久しぶりに湯来に伝わる民話です。今回は短編なので2話をどうぞ。

 1 田舎の力自慢
   和田の喜三兵のおやじさんと甚助のおやじさんが廿日市から
  四斗俵(1斗60kg)を背負うて帰りました。喜三兵さんは背負っ
  たまま柿の木に登って見せました。甚助さんは背負ったまま肥
  担桶(こえたご=糞尿を入れて運ぶ桶)を担いで肥かけをしました。
   さて、どちらが力自慢と言われたでしょう?

 2 粟柱の里
   むかし、この里にどこから来た人か分からない二人の旅人が
  訪れました。
   二人は山の中で、二・三日野宿をしていましたが、一人は他
  の里に行きました。残った一人がここの里に住み着きました。
   山の中腹を耕して畑を作り、粟やソバを作って暮らしていま
  した。この人が作る粟は特別大きくなり、大きな穂を付けます。
  茎も柱のようになったと言います。
   「大きな粟を作りんさるけぇ、みんなおおたまげじゃ、ひと
  つ種を分けてもらえんじゃろうか」
   「どうぞ、どうぞ、みんなにも分けてあげてつかあさい」
   こうして、この里はどこでも大きな粟ができるので、粟柱と
  言う地名になりました。
   何年間かは、大きな粟が出来ていましたが、だんだん土地も
  やせて普通の粟しか出来なくなったそうです。

  現在の粟柱地区は湯来温泉下流の右側斜面に数十戸の家が建っています。


 次回の湯来に伝わる民話は『火消しは手伝わぬ』です。お楽しみに~
             

 今日も暑くなりそうです。熱中症対策を怠りなくお過ごしください。


 これから、自転車マナーアップの街頭指導に出かけてきます。
 何事もルールは守りましょうね。


 でわ、今日も頑張りましょう。
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湯来に伝わる民話『阿南坊』

2013年04月23日 06時58分28秒 | 民話
4/23(火) 5℃     //



 おはようございます。今朝も冷え込んでいる湯来です。
 夕方から雨の予報になっていますので、外出予定のある方は雨傘の用意と置き忘れにご注意ください。


 今朝は久しぶりに湯来に伝わる民話『阿南坊』です。

 広島市佐伯区伏谷の湯来名水と言われる水の涌き出ているところの下流、伏谷川に沿って湯来出張所がある大橋に通じる道。その昔は昼間でも両側の木が生い茂って暗くなっている。
 昔から、まるで谷の底を通っているようなのでこのあたりを「阿南坊、穴ん坊」と言っています。そもそも阿南坊とは、その北側の山上に城跡があり、これを阿南坊城と言い、その名にちなんだものです。城主は「なばり将監(しょうげん)」と言うことです。
 昔、下伏に備前坊と言う者がいました。阿南坊城主が戦に負け逃げる時、鶴瓶(つるべ)と言う角力取(すもうとり)に背負ってもらって逃げました。その時、備前坊はその護衛に当たったと伝えられています。

 この阿南坊城跡は今も現存していて、湯来中学校のほぼ真裏の丘陵にあります。平成17年3月に発行された湯来町の文化財めぐりと言う冊子で次のような説明がされています。
 『丘陵先端の標高は270mで、比高は50m、城はL字型の郭と南西隅下の小郭からなっている。北東部に10m×5mの石積みの段があるが何の施設だったのかは不明である。中心部付近に五輪塔がある。』

 郷土史を本格的に調べていただける方があったら、未調査エリアでもあるので何かあるかも…。古銭でも見つけることができたらなんて考えるとロマン広がりますね。
 いつか、近々に行きたいなぁ


 次回の湯来に伝わる民話は『赤土地のこと』です。お楽しみに。


 昨夜ので、廣島蝶鮫パークのオープン当日撮影されたVTRが放送されたそうです。内容は見ていないので解りませんけど、私が出ていたとの連絡が入りました。イメージダウンになってなきゃいいけどと思った次第です。



 視られた方は、素直な感想をお願いします。


 今日も充実した一日になりますように。

 でわ、ハッスルハッスル
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湯来に伝わる民話「湯の山のはじまり」

2013年02月26日 07時12分11秒 | 民話
2/26(火)ー2℃       


 おはようございます。
 短時間、完全爆睡型の睡眠なんでしょうね、睡眠導入ドリンクもいただかないで、ベッドインから暗黒の闇の世界まで超特急でした。 
 夢?もちろん見ているハズなんなんですが記憶力は『ゼ~ロ~』。今、今日やらなくてはいけないあのイベントの準備に七転八倒、右往左往、後ろを振り返る余裕すら無くなってきたこと危機感を感じてます。 

 ただ、私がこれまでこうした状況下でも色々と対応ができているのは周りの同僚・緒先輩あってからこそ。いつも感謝の気持ちを忘れていないことをお伝えしておきたいと思います。(感謝)


 さて、今日の湯来に伝わる民話『湯の山のはじまり』です。

 今から1,200年も昔、大同年間(807年)和田にある水内庄感応山の麓、慶蔵院の境内に初めて鉱泉が出たと言われています。 
 遠近の患者が集まって、患部を洗うとその効果が百発百中でした。また、浴室を建てようと岩壁をうがつと、光を放つものがあります。それは3つの玉石でした。これを湯の玉として祭ったのが湯の山神社と言われています。 

 民話なのでこのくらいの言い伝えになっていますが、湯の山鉱泉由来記や地域の旧家に残る資料にはもっと詳しく書き記されています。


 次回は『阿南坊』です。お楽しみに~


 今日は夕方から天気は下り坂のようです。お出かけの予定のある方は傘をお忘れなく。




 今日は『血液銀行開業記念日』

 1951年(昭和26年)のこの日、輸血に必要な血液を常に確保し、必要に応じて供給する血 液銀行(現在の血液センター)が発足しています。最近というか、今年に入って、タイミングが悪いため未だに献血できてません。
 健康管理のバロメーターにもなりますから、皆さんもご一緒にいかがですか?

 今日も時間との闘いの一日になりそうです。あのイベントの最新情報が集まったら、タイミング良くお知らせしたいと思いますのでご期待ください。


 今日も元気に頑張ってみませんか?充実した一日になりますように!
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湯来に伝わる民話「万次郎屋敷」

2013年02月13日 07時52分50秒 | 民話
2/14(木)ー0℃      /

 おはようございます。

 今日はお久しぶりに湯来に伝わる民話『万次郎屋敷』のお話です。

 白砂、鹿ノ道の中央に正楽寺という寺があります。
 むかし、この寺には有名な運慶の作品と言われる阿弥陀如来像がありました。有名な如来像であり、お参りも多いので、寺を再建することになりました。
 地鎮祭が盛大に行われ、朝早くから善男善女が集まって地づき(柱や地ふくの所を石で突いて固める)が行われました。
 万次郎少年も朝早くから地づきの様子を物珍しそうに見物していました。
 しばらく見ていましたが、
 「腹が減ったのぉ」
 と朝が早かったためか、家に立ち帰りました。
 「腹が減ったが、飯はまだかいのぉ」
 母親は、お昼にはまだ時間があるし、用意をしていないので、
 「まだ何もできちゃおらんけぇ、もう少し見てきんさい」
 万次郎はまた見物に出かけました。
万次郎は地づきの現場に着くと、綱の端をつかんでみんなの間に入りました。
 「よいしょ」
 掛け声とともに綱を引っ張り石を上げます。石が上がると綱を緩めて落としますが、万次郎は綱をしっかりつかんだままでした。みんなが綱を緩めた瞬間、万次郎は綱に引かれて、中に引き込まれ、その上に地づきの石が落ち、無惨にも尊い命を落としてしまいました。
 見ていた善男善女は悼悲どうすることもできません。
 万次郎の死を無駄にすることなく、それから後は、地づきの仕方を子どもの頃時から教えるようになり、こんなことは二度と起こりませんでした。
 今は、万次郎が住んでいた屋敷だけが地名として残っているそうです。

 湯来に現存する「万次郎屋敷」っていう地名を探してみませんか?そしてこの寺近くにある自然石で作った墓が誰の墓だと伝えられているか、地域の方々に聞いてみてください。きっと………。

 次回の湯来に伝わる民話は『湯の山のはじまり』です。お楽しみに~。
 

 さ~て、今日は「バレンタインデー」ですね。
 今年は何個か?義理チョコでも…、自分で買って見栄を張るのも有り?職場のお姉さまが昨日、こんなちっちゃなラクダの形をしたチョコが1個1,600円もするって感嘆のコメントをしていらっしゃゃいましたけど、その価値のわかっっていない私には“猫に小判、馬の耳に念仏、馬耳東風、ブタもおだてりゃ樹に登る”じゃありませんが、チンプンカンプン。味も解らないし、香りだって解らないし、頂いた方への一ヶ月後の御心労が目に浮かんでしまいました。
 最近、自由になる現金を持ち合わせることがなくなり、今日の結果を踏まえて預金活動に頑張るつもりです。・・・・・間に合うかな~。

 さて、『バレンタインデーになぜ女性がチョコレートを送るように なったか』御存知ですか?。

起源は

 1. バレンタインデーが「愛の告白の日」と
   なったことに関 しては、 ローマでそれ以
   前からあった豊穣神の祭り、ルベルカリ
   ア の風習と の融合である。 この祭りに
   は、祭りの日の2月15日に女性の名前を書
   いた籤 (くじ)を作り、翌日その籤を引
   いた男性とその女性が一 年間交 際すると
   いう今から見れば「奇習」としかいいよ
   うのない 変わっ た風習があった。
  2. 496年に時の教皇ゲラシウス一世がこの
   ルベルカリアの 風習を放 埒なものとして
   禁止し、替わりに殉教者バレンティヌス
   の事跡と結 びつけて教会の祝日とし、そ
   れが愛の告白の日となって今 に残った。

 だから、今でも欧米ではバレンタインカードを贈る(花束や菓 子などに添えて)習慣があるそうです。 でも、ではなぜ「チョコレート」なのか?

 毎年、私見を書き込むことになってしまいますが、これはまちがいなく「会社を挙げた陰謀」。つまり、チョコレート会社の販売促進戦略なんですね~。

 1958年(昭和33年)にメリーチョコレートが東京・新宿の 伊勢丹で販売促進を目指してキャンペーンを展開したのが始まり だそうで、ヨーロッパでは『愛の日』としてケーキや花などを贈り合っているんだそうです。 女性から男性に向かって恋を打ち明けてもよい日とされ、日本 では女性が愛の印にチョコレートを贈りはじめたそうですけど、 今の時代にはミスマッチだとは思いませんか?第一、”恋を打ち 明けてもいい”だなんて、こんな奥ゆかしい女性(幼い子供たち は別として)が世間一般に何人残っているでしょう?????今 の時代、オープンですからね。

 まぁ、何はともあ れ、私としては、気持ちのこもった手作りが頂けたらとっても嬉しいんですけど、皆さんはどう思われますか?

 義理チョコも有りだと言うことをここに宣言しておきましょう


 私、チョコレートが勿論大好き。疲れたときに食べると特に美 味しい。だから痩せられない。まぁ、今日 は、義理チョコであろうが何であろうがチョコレートがもらえる ならそれでいいですよね。 よいと思っています。(この齢になってチョコレート を餌に誘惑される心配は無いでしょうからね )。 この時期、チョコの話題に触れるのは「督促」しているように 聞こえるので言いたくはない、ただ、食べたいだけで他意は無いんですけど・・・

 でわ、皆さんの結果報告を楽しみにしています。



 今日も良い一日でありますように~
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やっぱり、どんくさい…

2013年01月25日 07時23分38秒 | 民話
1/25(金)0℃      
  
 おはようございます。
 出勤前から雪が降り始め、気温は0度。この分だと日中の気温は上がらず寒~い一日になりそうですから、何はさておき暖かくしてお過ごしください。
←見えにくいですけど、雪が舞ってます。


今日・明日「まるごと佐伯区・観光物産展」へ集まれ~!!

  日時:1月25日(金)11:00-19:00
       13:30-14:00 坪北紗綾香歌謡ショー
14:30-15:00 湯来の民話紙芝居等
17:30-18:00 温泉・観光紹介&佐伯区クイズ
       26日(土)10:00-17:00
       10:30-11:30 環境音楽ライブ
13:00-13:30 温泉・観光紹介&佐伯区クイズ
    14:30-14:35 安芸の国・河内太鼓
  場所:広島駅南口地下広場
  内容:特設ステージで湯来に伝わる民話の紙芝居や佐伯影弘を
     テーマにした歌の披露ョウザメや砂谷牛乳加工品、コン
     ニャクの加工品、金持ちようかん等の特産品販売コーナ
     ーの他、区の歴史にまつわるクイズもあるみたいです。
     ※区のキャラクターも来るんですって。
     ※チョウザメにはタッチできるそうです。

     初企画ですので是非お出かけください。



  今日は「 お詫びの日 」

 1077年のこの日から3日間、神聖ローマ皇帝ハインリッヒ4世が雪の中で裸足で城の前に立 ち、教皇グレゴリウス7世に破門の許しを乞う「お詫び」をしたんだそうです。これを「カノッサの屈 辱」と呼ぶとのこと。カノッサとはイタリア北部の地名から付されているそうですが、なぜ許しを乞うことになったのか、色々経緯があるようです。関心のある方はネット検索をどうぞ。


 今日は、湯来のお店特集を予定してたんですけど、準備を怠ってしまいまして書き込みできませんでした。来週への持ち越しです。お楽しみにお待ちくださいね。


 今週も最後までお付き合い頂きありがとうございました。体調管理に気をつけて楽しい週末をお過ごしください。

 でわ、また来週
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湯来に伝わる民話「峠のお水」

2012年11月22日 07時01分21秒 | 民話
11/22(木)5℃          

 おはようございます。

 風の無い、穏やかな朝を迎えました。今朝のお目覚めはいかがですか?風があると無いとでは体感温度が大違い。今夜遅くから明日にかけて天気は下り坂のような予報になっていますので、の準備だけはされてた方が良さそうです。一雨ごとに気温が下がってきて、体調管理が難しいとは思いますが、チョッと動いて汗をかける程度の『着膨れ』がちょうど善いみたいです。まだこれから2月末頃まで寒くなっていきますから、現時点での着膨れには充分御注意ください。

 鏡に映る我姿、成長してると思いきや、オットセイがトドに大変身。悲しくもあり、情けなくも有り。

 肉襦袢を一枚と言わず、数枚を脱ぎ捨てなきゃいけない・・・かな


 久しぶりに湯来に伝わる民話をお伝えします。今回は「峠のお水」。
 実際に、湯来の南部で国道433号線沿いに「峠」という集落があり、この話に出てくるお水の湧出場所もあるそうです。
 近くを通ったら、チョッと車を停めてご覧になってみてください。


 むかし、水内・上水内・砂谷でもお祭りやお祝い事があると、魚屋さんはその日の朝早く廿日市や五日市で魚を仕入れ、天秤に担いで、エッサ、ホッサとその日のうちに帰っていました。
 廿日市から砂谷の峠の里を越えるのが一番近道でしたが、急な峠があり難所となっていました。しかし、廿日市の役所へ行くにも買い物に行くにも近いので通る人が多く、重要な通路となっていました。
 また、この峠を登りきったところの眺めは格別で、南方を見れば廿日市の街並みと海岸線、その向こうに瀬戸内海の美しい景色が広がります。北の方を見れば、
 「あの山が阿弥陀ヶ峰、その向こうに見えるのが天上山、冠山、あれが東郷山で・・・・・」湯来の山々が一望に見渡せます。
 廿日市から魚屋さんが峠にたどり着き一休みしています。木末の方から炭や米俵を積んだ馬や人が登ってきます。
 この人達が峠を登りきって一番楽しみにしているのは、景色より「峠のお水」でした。頂上のすぐ近くにきれいな水が湧き出ていました。疲れきった体、喉がカラカラに渇ききった人馬にとって、まさに助けの水であり、命の水でした。
 村の人たちや往来の人たちは、
 「神様のお恵みの水じゃ」
 と峠のお水、峠の清水と言って大切にしました。その恩恵に感謝して、祠を建てて神様を祭りました。
 今でもその後が残っており、昔からの様子が偲ばれます。
 道粗神も祀られていたということですが、こちらは今では見当たりません。

 この地域一帯には、大きな杉の木があった「大杉」木を切り倒した際のその先になった「木末」など、日本昔話に出てきそうな民話も伝わっています。湯来に伝わる民話全63話のゆかりの地を巡ってみてはいかがでしょうか?

 次回の湯来に伝わる民話は「万次郎屋敷」です。お楽しみに。


 エッサ、ホッサ、エッサ、ホッサ。昔話によく出てくる掛け声。
 働かなきゃ、身体を動かさなきゃ余分な脂肪が蓄積するばかり。明日から、最大3連休の方もあると思います。ばかりじゃ私の二の舞になっちゃいますから、週末はお休みはでのんびりされてはいかがでしょう?
 温泉入浴はもちろん、コンニャクづくりの体験などもできますので、リフレッシュできると思います。そうそう、温水さんとのふれあいが放送されたNHKのテレビ番組を録画されたDVDが湯来交流体験センターにあるという情報もありますので、ロビーのテレビでご確認いただけたらと思います。
 私もまだ見てないんです。気になってました。レガシーさん、こんな情報でいかがでしょうか?明日見に行って来ます。お先に失礼~


神楽鑑賞会のお知らせ

 ◆日  時:11月25日(日)14:00-16:00(開演13:30)
 ◆場  所:湯来ロッジ二階多目的ホール
 ◆出演団体:飯室神楽団(安佐北区)
 ◆演  目:滝夜叉姫・恵比寿・戻り橋
 ◆観 賞 料:500円(未就学児無料)
 ◆問い合わせ先:広島市国民宿舎湯来ロッジ(0829)85-0111


 明日は勤労感謝の日で、このブログへの書き込みも一日繰り上げて今週は今日で終わり。DVDを見た感想や温泉でゆっくりできたかどうかの報告はまた来週させていただきたいと思っています。楽しい週末をお過ごしください。
 今週も最後までお付き合いいただきありがとうございました。でわ、また来週
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タチアガル

2012年11月06日 06時52分04秒 | 民話
11/6(火)9℃       

 おはようございます。

 
 湯来では、朝霧がタチアガってます。
 日の出前は特に霧が深くて、街路灯が冒頭のように見えてました。
 少し小高い場所に上れば、日の出と共に「雲海」が見えてるんじゃないかと思います。



 目覚めのおさんぽドライブ、楽しんでみませんか?

 あっ、寒さ対策をお忘れなく


 久しぶりに湯来に伝わる民話「虫送り」です。

 むかし、稲の害虫を防ぐには、夜、木や草を燃やして、虫を集め焼き殺す以外に方法はありませんでした。
 麦谷では、夏のはじめ、虫送りと言う行事を行っていました。
 「いつ、いつには虫送りをするけぇ、頼みます」
 と言うお触れが回ると、各農家では日が暮れると自分の家の田の近くで、松明(たいまつ:松の木の芯や、松の木を切った株が10年近く経つと芯だけになる。「肥え松」とも言う)に火を付けて、田の中を下へ下へと下がって行く村人がそれぞれ集まるので長い火の列になります。
 そして、人々は、
 「さいとうべっとう、さねもり、根虫、葉虫、さざえ虫(よろい虫)を送ろうよ」
 「斉藤別当実盛、根虫、葉虫、さざえ虫を送ろうよ」
 と口々に叫んで、矢田ヶ原の河原まで行き、各自の松明を集めて焼いていました。
 また、所によっては、峠まで長い列をつくって行き、山の上まで虫送りをしていました。

 なぜ、斉藤別当実盛・・・・・と言われていたか・・・、
 それは、
 『 昔、斉藤別当実盛が、戦で不利になり逃げ出しました。そして、田んぼの中に隠れていました。「わしが他の中に隠れていることを誰にも言うな」と仲間に言いました。
 ところが、仲間の人達がみな捕らえられましたが、斉藤別当だけは見つかりませんでした。そこで、
 「隠れている所を言ったら命だけは助けてやる」
 命が惜しくなった仲間の一人が、告げ口をしましたので、実盛はついに捕らえられました。無念に思った実盛は、
 「将来、稲の虫となって祟ってやる」と言い残して死んでいきました 』
 その言い伝えにより、
 「斉藤別当実盛、根虫、葉虫、さざえ虫送ろうよ」
 と言って、虫送りをしたそうです。


 地元の人さえ今は語り継がれること無く、風化してしまった虫送り行事。湯来の民話は平成5年、今から約20年前に地域の古老から聞き取った民話を元に語らせていただいてます。
 祭りの時に御輿を担ぐときのお囃子ことば。

 ”やぁ~~れぇ、・・・・・・・、よいせ、そこせ。やれ・・・・
  
 ご存知の方はコメント書き込みをお願いします。
 次回の湯来に伝わる民話は「峠の水」です。お楽しみに。



 今日は「お見合い記念日」。

 1947(昭和22)年、結婚紹介雑誌『希望』が東京の多摩川河畔で集団お見合いを開催したことを記念して制定されてます。戦争のため婚期を逃した20~50歳の男女386人が参加されたようですが、今の時代の結婚年齢からするとあわ・30・40までは”婚期を逃した”とは言えない気がしますがいかがでしょう?私の知人にも未だに独身貴族を満喫しているのが数人いるし、”したい”と思わない限り、自分自身の時間や生活パターンを変える気も無いようだし、自由奔放を謳歌できるのは若くて健康な時だけだと思うんですけど・・・・、病気や心が折れそうな時にヘルプできる人が近くにいたら支えになると思うんですけど・・・・、私の考えって古臭いのかなぁ


 もう一つ「アパート記念日」

 1910(明治43)年、東京・上野に日本初の木造アパート、「上野倶楽部」が完成しました。5階建て70室の建物だったそうです。
 木造三階建てくらいはよく見かけますけど、五階建てになると見たことも聞いたことも今までは無く、イメージは掻き立てられるんですが、強度や音を考えるとどんな木造家屋だったんだろうかと気になり始めました。
 まぁ、寺社仏閣のような日本伝統技術を酷使すれば、耐震基準が無かった時代でもあり、狭い敷地を上に上に居場所を求めたスタートができたんでしょうね。
  
  
  
  
  
 今の建築基準法では何階まで木造建築が許可されるんでしょう?
 わかる方、書き込みをお願いします。


 今日も元気で、楽しく、有意義な一日になりますように 
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