木村一夫選手(走り高跳び)のこと
平昌オリンピックが始まりました。
きのう(2/9)の神戸新聞のコラムはオリンピック選手・織田幹夫さんの言葉を紹介しています。
最初の文章を取り上げておきます。
・・・・日本人初の五輪金メダリストだった織田幹雄さんが亡くなって、もう20年になる。日本の陸上界を引っぱってきた織田さんは、色紙を求められるとこう書いた。「強いものは美しい」。
自分で練習方法を考え、鍛錬を重ねて三段跳びの世界王者になった方である。勝手に解釈するに、苦難に立ち向かってきた選手こそ美しいという思いだろうか。頂点に立つ人は競技の姿も美しい、とも読める。
平昌(ピョンチャン)冬季五輪が始まる。届く記事を読みながら、織田さんの色紙を思い起こす。・・・・(神戸新聞コラム・正平調)より
長くなります。続きは新聞をお読みください。
この記事を読みながら、一人の加古川出身のオリンピック選手を思い出しました。
織田選手と同じ早稲田大学からオリンピックに出場した加古川市出身の木村一夫選手のことです。
写真がよくなく申し訳ありませんが、左から西田周平、織田幹雄そして、木村一夫選手です。
昭和3年8月2日、新聞はオリンピック・アムステル大会で織田幹雄選手の「三段跳び優勝」を大きく報じました。
また、昭和7年のロサンゼルス大会では、南部忠平選手の三段跳びを「大日章旗上がる中に感激の君が代は轟く」と報じています。
この両オリンピック大会に、氷丘小学校出身の木村一夫選手(加古川市加古川町溝之口)がいました。
種目は走り高跳びで、1・88メートル、1・94メートルと両オリンピックとも6位入賞でした。
関学中学から早稲田大学に進学した彼は、2度のオリンピックの外、数々の国際試合に出場し活躍しています。
国内大会の成績はもちろん素晴らしく、全日本学生選手権大会では、全国最高記録で4年連続優勝するなど、当時日本の第一人者でした。(no108)
*写真:西田周平(写真左)、織田幹雄(同中央)そして、木村一夫選手(同右)です。
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