ひろかずのブログ・3

81歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

升田山を歩く(10) こけ地蔵

2020-04-19 08:15:05 | 升田山を歩く

    こけ地蔵

 ウェルネスホールへの途中で、道を右(東)に少し入るとこけ地蔵があります。

 すぐ南の道を5分ほど歩くと升田山15墳です。ひょっとするとこの「こけ地蔵」は、この古墳の石棺の蓋かもしれません。

  

 平安時代は、「鬼」や「もののけ」が信じられ、呪詛(じゅそ)が広く行われていました。その役割を担ったのが陰陽師(おんみょうじ)でした。

 良く知られている陰陽師は、阿部清明(あべのせいめい)であり、それに対抗した陰陽師は、西神吉町岸に生まれたという蘆屋道満でした。

 道長との対抗に敗れた道満は播磨へ流罪となり、晩年は西神吉町岸の近くで余生を過ごし、亡くなったといいます。

 ある夜、式神は天下原(あまがはら)の空を横切り、むかし修業をした古墳に近づきました。

 *式神(しきしん・しきがみ)・・・陰陽師の命令に従って、呪詛・妖術などをおこなう鬼神

 式神は、そこに懐かしい石棺の蓋があるのに気がつきました。

 石棺の蓋には、地蔵の姿がありました。

 式神と地蔵は、「お前は石棺だ・・・」、「俺様は、地蔵だ・・・」とお互いに言い争いました。

 火の玉は、地蔵に体当たりした。地蔵は、前に傾きました。

 村人は「お気のどくに・・・」と立て直すが、朝になるとまた地蔵は倒されているのです。

 こんなことが繰り返され、この地蔵は「こけ地蔵」と呼ばれるようになったといわれています。

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