神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

三十八神社

2016年06月03日 | 京都府

京都府木津川市加茂町観音寺


白鬚神社からは集落に戻り、北西へ向かう道を進む。
偶然にも、これから向かう神社への道のりは、途中まで大仏鉄道遺構めぐりコースと重なっているようだ。



集落を抜けるとすぐに長閑な風景が広がる。
山城は竹林の多いところで、道路横に竹林があったりするが、薄暗いイメージのある竹林とは違って、ここは随分と明るい竹林だ。






ひっそりとした竹林が好きだけれど、これはこれで面白い。



やがて三叉路があって、右への道を見ると大仏鉄道の遺構があった。
観音寺橋台と呼ばれるもので、奥に見えているのは現役の関西本線の橋台である。
大仏鉄道は1907年廃止ということらしいから、今から100年以上前の遺構ということになるが、まだまだ使えそうな堅牢な造りだ。



橋台の向こうの風景に少し惹かれたので進んでみる。






平凡だけど、いいなぁと思える風景。



三叉路のところに戻る。



線路に沿う道の方も、いいなぁと思える風景が広がる。



左に道が分かれて竹藪の中に入っていく。
大仏鉄道の跡を辿るならこちらに進むらしく、私自身、進みたい衝動に駆られる。



衝動を断ち切って右の道を進む。



JRの踏切を渡って、観音寺の集落が近づいてきた。
というか、ここに至るまで神社と関係ない写真ばかりなのはどうなのか、と思いつつ、楽しい道中だったので。



集落から山の手へ入っていく狭い車道を進むと、突然といった感じで石段が現れる。
ずっと伸びやかで長閑な風景の中を歩いてきたから、大袈裟に言えば、いきなり深山に入り込んだような気分になる。



実際、天気や時間帯によっては、深山の気配を漂わせそうな気がする。



地形図にも記載されている、それなりに長い石段を上っていく。
地図に直線の長い石段記号のある場所は、大抵コンクリートの階段で、周囲が開けて味気ないところが多いものだが、ここは味わい深い。



石段を上りきればすぐに社殿という形態じゃないのもいい。



平坦な道が続いて奥深い。
鳥居が見えてきた。



電柱が邪魔だが、鳥居もいい雰囲気の中に立っている。
もっといい光線状態のときに訪れたかった。






鳥居の先にも、もう少し参道が続く。



二手に分かれるが、上の本殿前の広場で繋がっている。



左の参道から広場に出たところ。



こちらは右から。
本殿方向以外の三方に、似たような形状の建物が建っていて広場を囲んでいる。






本殿はやはり朱塗りで、所々色褪せてはいても綺麗に保たれている。



本殿右の境内社。



更にその奥に朱の鳥居が立っている。
この先には何も無いようだし、鳥居の下に台のようなものもあるから、遥拝所か何かだろうか。
ここも照葉樹林が豊かだ。

掲載した写真の半分ほどが神社以外のものになった。
道中の寛げるような風景が気に入ったためでもあるが、撮影条件さえ良ければ、この神社だけでこのくらいの枚数は掲載したと思う。
奥深い参道と鳥居の佇まいは、もっともっといい風景になる筈で、心奪われるような瞬間が想像出来るだけに、自分の力量不足を痛感。


撮影日時 160517 13時~13時45分(神社のみ)
地図


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6 コメント

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Unknown (Jun)
2016-06-03 22:04:09
こんばんは!
最初の竹林の美しさに見とれてしまいました。
多分、筍を採る為の竹林だと思うので、かなりお手入れされていますね。白いお花が足許に咲いていて、柔らかい雰囲気で、まっすぐ立っている竹と調和しています。

いいなぁと思える風景、いいなぁ!
今、丁度こちらも田植えの準備に入っているので、よく似た風景が広がっています。
つかの間、湖の中の道を走っている気分に浸れる季節です。
山裾では山が水田の面に映り込んで、山奥の池を思わせます。
そっちへ惹かれて足を勧めてしまうのも頷けます。

大仏鉄道、聞いたことはありますが、どこを走っていたのか、とんと知識がありません。
廃止された鉄道跡は、何故か人を惹き付けますね。
鍛冶屋線はサイクリングロードや県道になってしまいましたが。
朝来の神子畑や生野に行くと、トロッコの線路跡などがあって、ワクワクします。

参道が良いですね。すぐ社殿に着かないところが、また良いです(笑
木立の中の長い参道・・・森の大きさが重要です。

朱色はやっぱり奈良や京都のもんです。
摂津にもありますが、播磨では稲荷社以外であまり見ないので、ちょっと違和感があって、そこがまた良いです。「外国」だなぁって。
「外国」って、播磨国の外と言う意味ですよ。
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Unknown (hiro1jz)
2016-06-04 08:49:35
>Junさん
おはようございます。
竹林はいいですよねぇ。
もう一回、山城に行って、竹林の多いところの神社を訪ねようかと考えています。

いいなぁと思ってもらえて良かったなぁ、という感じです(笑
水が張られた水田の中の道が、湖を行くよう、という感覚が素敵ですね。
こういう平凡で、日本では当たり前のような風景が、
いざ探すと案外無かったりしますし、
特に都会暮らしの人間には、癒しの風景です。

以前、幽黙さんが大仏鉄道の記事を書かれた筈なんですが、
残念ながら今は見られませんし…。
その記事を見たときに、いつか行ってみたいな、と思ったのですが、
漠然とした記憶だったので、今回出逢えるとは思っていませんでした。
トンネル跡があるようなので、せめてそれくらいは見たかったなぁ。
廃線には確かに惹かれるものがありますね。
篠山線とかも少し興味を持ったことがあるものの、
やはり路盤やトンネルといった判りやすいものが残っていないと、ちょっと面白みに欠けます。

現在の都道府県よりも、旧国名での境界の方が、
文化の違いをよく反映してますね。
というか、今に至っても、それが残っていると言うべきか。
もともと歴史に興味のあるほうではなかったのですが、
各地の神社を見ていると、国、文化圏の違いが感じられて面白いです。
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Unknown (Jun)
2016-06-05 08:47:17
おはようございます

旧律令国によって文化圏が異なると言うのは、兵庫県にいると本当に身近に感じられます。他県では、1国1県、又は2国1県で、県が違うから、と言う程度にしかわからない、とよく聞きます。
兵庫県は、5国(但馬・播磨・丹波・摂津・淡路)に西の2国(伯耆・作州)の一部から構成されていて、現代においてもその文化の違いが残っています。兵庫県県庁のHPを見ても、5国の違いが大きいので、歴代の知事はそれを一つにまとめるのに苦心している、と書かれていたことがありましたよ。
実際にドライブしていても、但馬や丹波の人からは、「播磨は明るくて暖かく良いですね」と言われるし、播磨から見ると、丹波や摂津の人は大阪や京都の方向ばかり見ていて県の西を見ようとしない、けしからん、となります(笑

私の実家は神戸市垂水区で、須磨から東は摂津、垂水区・西区は播磨で、摂津圏の人から見ると、「明石」と同じ扱いをされます。つまり、同じ市内なのに田舎なんですね(笑
須磨の鉄拐山に登ったら、リフトの下に線が引かれていて、「はりまの国」「せっつの国」と書かれていました。平仮名だったので、子供向けだと思いますが・・・
小学校低学年の頃までは、自宅周辺に水田が多く残っていて、冗談に思われるかも知れませんが、黒い牛が田圃を耕していました。
珍しくて牛の後をついて歩いたこともあります。
それでも、結婚して北播に来て、初めて田植えの現場を見たのです。ちょっと感動でした。
国道が水田の中をまっすぐ通っていて、そこを走ると本当に湖の中にいる錯覚に陥りました。今ではその道もホームセンターやソーラーパネルで囲まれてしまいましたが。

「心奪われるような瞬間」、これは撮りたいし、撮らないと二度と見られないかも知れない、と思いますよね。
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Unknown (hiro1jz)
2016-06-07 07:14:07
>Junさん
おはようございます。

確かに兵庫県は5国ということで、他に無い多様性があるように思います。
特に私としては、道路事情やその他諸々あって、
播磨に行く機会が殆ど無く、異国の感が強いです。
淡路となると、行ったことすら無く、まさに海の向こうの異国です(笑

京都でも似たような事情はありまして、
伏見区や山科区などは、後から京都市に編入されたという経緯もあって、
京都ではないと言われたりします。
違った意味で、丹後出身の友人などは、丹後は京都と言いにくいらしいです、
出身地を聞かれて京都と答えても、普通の人は、あの京都しか思い浮かべないですし、
かといって丹後と言っても、あまりピンとこない人も多いようで、
京都と言っても北の端の日本海の云々…
といった説明になるようで。
私などは、生まれは金閣寺の近くだったので、説明が凄く楽です。
小さかった頃、さすがに牛は見ませんでしたが、
市街地の外れの田畑には、まだ肥溜めがありました。
今は田舎に行っても見かけませんね。

車で夜明け前に目的地に着いていた頃に比べて、
心奪われる瞬間になかなか出逢えないのが残念です。
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Unknown (Jun)
2016-06-07 23:20:25
こんばんは

確かに、丹後と言うと、丹後であって京都と言う認識が薄いですね。
多可や丹波市の人はよく買い物に福知山へ行くのですが、京都府に行くと言う意識はなくて、福知山とピンポイントで認識してます。
「京都」と言われると、京都市ですものね。
我が家は丹後半島の風景や食べ物が好きで、よく遊びに行きます。
家人のドイツ車愛好会のお友達が名古屋や大阪から集まって来て、丹後半島を案内した時に、名古屋の人が、「この辺りって、京都ナンバーの車が多いね」と言ったので、笑ってしまいました。
「だって京都府ですからね」と言ったら、「あっ、そうなんだ?」って。
あの時は、京都市内出身のお友達がいなかったのですが、もし同席していたら、何と言ったでしょうか。
「そう言われれば、京都の雅が漂っているような」と名古屋の人がフォローしていましたけど。
私は田園風景の中に、丹後縮緬の着物屋さんが営業しているのや、綺麗に盛りつけられた名物のばら寿司を見て、「京都だなぁ」と思いましたよ。

全然話が変わりますが、この記事を開く度に、最初の写真が目に入るでしょう? あの竹の足許の草のもふもふした感じが本当に堪らなく好きで、触れるものなら触ってみたいです。


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Unknown (hiro1jz)
2016-06-09 12:46:26
>Junさん
こんにちは。

今日は休みなので出掛けようと思っていたのですが、
生憎の天気で家でゴロゴロしております。

どうも世の中には地理が苦手な人が想像以上に多いようで、
京都に海があんの? という言葉を、今まで何度か聞いたことがあります(笑
そこで、舞鶴とか天橋立の名前を出すと、
ああ、そういえば京都か、という具合。
このやり取り、相手は関西人ですから、
名古屋の方が、丹後=京都という認識でなくても、
ある意味仕方ないのかも。
私も丹後縮緬などに京都らしさを感じますし、
丹波や丹後の田舎であっても、どこかに京都の空気のようなものを感じます。
まあ、丹後出身の友人は「ただの田舎」と否定しますが。

遠目にはもふもふした感じに見えるかもですが、
シロツメクサ、ヒメジョオン、その他イネ科の雑草で、
実際に触れば、ガサガサ、ゴワゴワだと思われます(笑
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