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神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

丹生神社

2008年10月01日 | 三重県

三重県多気郡多気町丹生


丹生という地名は各地で見られる。主に水銀鉱脈のある場所を表す地名とされ、特に和歌山県では、丹生と付く地名や河川、神社などが多い。
丹生という名称の分布を見れば、中央構造線に沿って集中しているのが一目瞭然で、和歌山などは最も顕著に構造線が出ているから、それに比例するかのようであるが、ここ、三重県多気町の丹生神社も、中央構造線上といえる位置にある。
やはりかつては水銀を産出しており、伊勢水銀と呼ばれ栄華を極めたらしく、今の特に変哲も無い田舎の風景から往時の繁栄を窺うのは難しいけれど、この丹生神社と、それに隣接している丹生大師と呼ばれる神宮寺の存在が、その面影を伝えている。
とはいえ、丹生大師の立派な仁王門が目立っていて、神社の方は、やや影が薄い感がある。
近くには鉱山跡があって、丹生大師も興味深いところであるが、私は丹生神社の「風景」が目的であるから、それらは横目で見るだけである。
寺社両方に興味がある方には申し訳ないけれど・・・。



神社前は意外と車の往来がある。
この左、十数メートルのところには丹生大師の豪壮な仁王門が聳えているが、神社の方は緑に溶け入るようにある。


長くて緑濃い参道。
平行して、右手には水路と車道、左手には池や林を挟んで神宮寺の境内があり、横の広がりに欠けるのが残念。
ただ、お寺の空気と混じり合った雰囲気は独特のものがあって味わい深い。
正面に見えている鳥居と社殿は、摂社の丹生中神社である。


参道の左手、神宮寺との間の池では、睡蓮咲く水面の下を錦鯉が泳いでいた。


参道から左に直角に折れると拝殿が望まれる。


こちらは神宮寺側から神社境内へ入る鳥居。


拝殿。
昭和5年の伊勢神宮式年遷宮の際、外宮の東宝殿を移築したものであるらしい。


それなりに明るく、さして深い木々の陰翳が描かれるわけではないけれど、非常に神寂びた趣の境内。


本殿は、神明造としては大きなもの。
ここも20年に一度、建て替えるらしく、散歩に来られていた地元の方が、負担の重さを嘆いてらっしゃった。
ここくらいの規模になると、小さな山里の神社よりも遣り繰りは楽なのかと思っていたが、それなりの規模がある故に、また、もっと大きな神社のように有力な資金提供者がいない故に、負担は重く圧し掛かるとのこと。


さて、先ほど参道の正面に見えていた丹生中神社であるが、とにかくその風景が気に入ってしまった。
晴れたり曇ったりの天気が幸いして、その神々しさを湛えたまま、表情は刻々と変化した。
何枚も同じような写真を撮ったけれど、どれも微妙に違っていて、私自身、どれがいいのか選べずにいるので、それらをまとめて載せておこうと思う。


日が翳る。


薄日が射す。


晴れて木漏れ日が斑模様を描く。


図ったように落葉樹のみを輝かせる。


社殿周りが光に浮かび上がる。


光と影が最も美しいコントラストを描いた瞬間。


キリが無いのでこれくらいに・・・。


小振りな社殿だが、周囲を形作る空間、纏う空気は類稀なものがあると思う。

振り返ると、虫捕り網を持った少年が、はにかんでいる。後からその子のご両親がやってきてご挨拶。さらにお祖父さんと思しき人も現れて、少し話をする。
三重、和歌山の南部を訪れる度に思うのだけど、人懐っこい方が多くて、何度でも訪れたくなる。


2万5千分1地形図 横野
撮影日時 080813 8時40分~10時10分

駐車場 神社の斜め向かいに「ふれあい館」という道の駅のような施設あり。神社横の道路沿いにもスペースあり。
地図

 


仲山神社

2008年09月07日 | 三重県

三重県津市美杉町下之川


津市といっても、かつての美杉村で山深いところだ。
八手俣川という何か曰くありげな名前の川が、蛇行して小さな平地を形成するところに下之川の集落がある。
700メートル級の山々に囲まれた場所であるが、集落の周辺はなだらかな斜面が多いせいか、思いのほか明るく伸びやかだ。
そんな伸びやかな南東向き斜面の高台、村を見守る好適地といえる場所に仲山神社がある。
集落の規模に比して立派な神社であり、また、伊賀や大和の影響を受けているのか、三重に多い神明造ではなく、流造に華美な彩色を施したものとなっている。本殿彫刻は津市指定文化財であり・・・・・・いや、ここの見所は、個性的な狛犬かも知れない。



水田を見渡せる山裾にある鳥居。
ここの狛犬は、まあ普通のタイプである。


木々に覆われた参道。そしてその両脇にある狛犬は・・・


なんとブサ───


───いや、なんとユーモラスでマンガチックな狛犬だろう。つい微笑まずにはいられない。


石段を上りきると、木々に囲まれた広い空間。
不安定な天気で、日が射したかと思うと───


雨が落ちてきたりする。


本殿は瑞垣に囲まれていて見えにくいので、隙間から撮らせていただく。左右の摂社と真ん中奥に本殿。
見ての通り、非常に鮮やかな彩色であるが、派手、というより華やかという表現を使いたい。賑わいと軽やかさをも感じさせる絶妙な色合いと配色だと思う。


明るい境内だが、周りには何本かの大木が聳えている。
鳥居は境内社のもの。


2万5千分1地形図 伊勢奥津
撮影日時 080813 13時~13時50分

駐車場 あり
地図

  


瀧原宮

2008年08月22日 | 三重県

三重県度会郡大紀町滝原


ここで掲載する神社では、異例の大きさの神社であり、今まで紹介した神社の中で、規模、知名度ともに一番だろう。
そんな神社であるから情報には事欠かないので、いつものように神社とは関係無いことを書かせていただこうと思う。
と、言うのも、滝原には思い出があるのだ。瀧原宮でなく、滝原の方である。

私が以前、三重県の名張市に住んでいたときのこと。
年末が押し迫ってものんびり構えていて、年賀ハガキを買いそびれた年があった。
慌てて家族の者が近所の郵便局へ行ったが売り切れ。電話帳を引っ張り出してきて、名張市内の郵便局に電話をかけまくるが、どこも売り切れ。しかも、今頃になって何言ってるんですか、という冷たい対応(だったらしい)。
ところが一箇所だけ、少し在庫があるという。聞けば滝原郵便局とのこと。
名張市に滝之原という地名はあるが、滝原は無い。どうやら家族の者は、滝原を名張の滝之原だと思って電話したようなのだ。市外局番も違うし、器用に勘違いしたものである。
それはともかく、どうすべきか。
同じ三重県といっても、決して近くは無い。だが、名張の郵便局には残っていないのだし、電話では買いに伺いますとも言ったようだ。
暫し話し合うが、結局、ドライブがてら滝原まで行くか、という結論に達した。
滝原郵便局で応対してくれたのは、まだ高校を卒業して間もないような若い局員。
残っていた年賀ハガキは十数枚で、欲しい枚数の半分ほどだった。
「私の家に年賀状が余ってますので、取ってきます」
彼が、あまりに簡単にそう言うので、こっちは戸惑ってしまった。
「え、いや、お仕事中ですし、そんなんいいですよ」
「いえ、すぐ近所ですので大丈夫です。ちょっと待っててください」
止める間もなく、彼は走っていく。
静かな集落の郵便局前で、ぽつんと待つ。
待ちながら、ああ、何だか嬉しいなぁ、と思う。
程なくして、若い局員が息を切らせながら走って帰ってくる。
何度もお辞儀すると、彼は照れながら郵便局の中に戻っていった。
そうやって買った年賀ハガキの中から一枚、滝原郵便局宛てに、礼状を兼ねた年賀状を送った。
後日、その若い局員から年賀状が届いた。
自分がしたことは当たり前のことです。でも、普段、先輩から叱られてばかりいるのに、今回、初めて褒めてもらいました、といった内容であった。
まだ幼さの残るその文字に、心が柔らかくなっていくようで、とても素敵な年始を迎えられたのである。
今から十数年も前のこと。きっと彼は、立派な局員になっていることと思う。

とまあ、こんな思い出があるので、滝原という土地自体が私にとっては大好きな場所なのだが、今回、初めて訪れた瀧原宮は、そんな思いをより豊かにしてくれる素敵な神社であった。
それに、大きな神社は敬遠する傾向にあるのだが、以前いただいたコメントで、瀧原宮を奨められたこともあって、今回の参拝に繋がった。
特に、名張在住で、「神社参拝記」を運営されているウージーさんから奨められたこと、また、そのホームページで瀧原宮を拝見したことで、強く惹かれ、何かしらの縁を感じたのである。感謝です。



神社前の「道の駅」に着いたのは、まだ薄暗い時間帯。国道からは、山裾に伸びた平坦地に、広大な鎮守の杜が横たわっているのが見えた。その杜から、ヒグラシが大合唱を始める。
一の鳥居は「道の駅」に隣接しているので割愛。これは二の鳥居である。


大きな神社の参道は、だだっ広いことが多いが、ここはひっそりと慎ましく、深くて清澄である。


まだ暗いので、感度を高めにして撮っているため、やや画質は落ちている。雰囲気が伝わるだろうか。


参道を横から見る。


参道中ほどに橋がある。橋の先には守衛屋、そこから右手に小径を降りると御手洗場がある。


季節のせいか、御手洗場の水は、予想以上に少ない。


だが、この空間の美しさには惚れ惚れしてしまう。水も、木々も、空気も、清浄な場所だ。


水が少ないのは季節のせいばかりではなく、背後の山の保水力が落ちているためでもあるのだろう。
この後、背後の山を越える道路を走ったが、杉、桧の単純林であった。


長い参道が終わりに近づくと、巨木が増えてくる。


向こうは社殿のある広い空間のようで、朝の光が洩れてくる。


静かに空気が広がっていく。


瀧原宮(奥)と瀧原竝宮。
私が一番乗りだと思ったのだが、先客がいらっしゃって、熱心にお祈りされている。
邪魔しては悪いと思い、10分ほど待つ。
その後も参拝の方が、ちょくちょく来られる。夏休みのせいもあろうが、時刻はまだ6時前である。


瀧原宮。


瀧原竝宮。


瀧原宮の右手にある若宮神社(左)と長由介神社。


更にその隣にある空間。立ち入り禁止のようだが、中央に巨木が聳え、とても神聖に感じられたがここは?

帰り際、鳥居前で出会った、紀勢町出身で大阪在住の方、尾鷲出身で名古屋在住の方と楽しくお話できた。里帰りの時期で人が多いのも、悪いことばかりではない。


2万5千分1地形図 伊勢佐原
撮影日時 080813 5時10分~7時半

駐車場 あり
地図



大馬神社

2008年06月20日 | 三重県

三重県熊野市井戸町

熊野國総鎮守とあるが、あまり神社関連サイトでの記述を見かけない。
どちらかといえば、巨樹関連サイトでよく取り上げられる神社で、私自身、その自然環境に惹かれたクチである。
明るく雄大な熊野灘から4kmほどの山中、滝と巨木が創り上げる環境は、海や市街地から近いとは思えないほどの自然の息吹で満ち、自然崇拝が盛んであった熊野の面影を見る思いがする。



車が擦れ違えないほどの狭い谷間の道を抜けると、ぱっと周りが開けて一の鳥居。
背後にはニョキニョキと杉の大木が聳える。


橋を渡って社務所の前を直角に曲がると二の鳥居。
周りの木々が太いので、鳥居が小さく見える。


参道途中、右手に小道が分かれる。少し進むと谷に出て禊場がある。


立派な拝殿。背後には神明造の本殿がある。


朝の淡い光を浴びる境内社。こちらも神明造だ。


本殿右手にある境内社。右にある木が、大きすぎて壁のようだ。


参道途中からも、ちらっとだけ見えるのだが、境内右手の小道を辿ると、この「大馬の清滝」の前に出られる。二段で30メートルほどだろうか。


熊野灘から昇った朝陽が、やっと境内にも差し込んできた。
光線状態が良くなったので、参道は帰り道で紹介。


「杜」というより「森」の雰囲気。


深い緑が、朝の空気に染まる瞬間の美しさは言葉に尽くし難い。


本来、信仰とは教えられるものではなく、自ずと生じてくるものだと思うことがある。
こういう森や、神々しい自然景観に接したとき、出てくるのは言葉ではなく、ただ感嘆の声を漏らすのみ。


大馬神社に狛犬は無い。
4キロ離れた海岸にある、この獅子岩が、大馬神社の狛犬だという。


2万5千分1地形図 木本
撮影日時 080522 4時50分~6時20分

駐車場 あり
地図



原地神社

2008年06月01日 | 三重県
三重県南牟婁郡御浜町神木

熊野市から熊野川に至るまでの範囲にある神社は、川沿いにあることが多い。どれも清流と言ってよい流れで、しかも殆どの神社で大木が見られる。
この、原地神社もそういった神社の一つであるけれど、なんと言うか、この辺りの神社全般的に、ちょっと雰囲気が明るいのである。
北から西にかけては山、東から南にかけては海、という地勢的な要因もあって、木々が茂っているわりに日当たりはいいし、温暖な地というイメージも相俟って、どうも陰影に乏しい気がしてしまう。
勿論、それは良いか悪いかということではなく、好みかそうでないかということであって、大らかな雰囲気と、日差しと木々と流れに恵まれた、豊かな場所であるとも言える。
ただ、私としては、明るい雰囲気の写真を撮るのが苦手であるので・・・。



国道から逸れて、集落内のやや狭い道を進むと神社前。
想像していたよりも立派な神社で、参道両脇には大木が立ち並び、幟も賑やかだ。


拝殿は、熊野市にある大馬神社と似たような形状で、何となくロッジのようなものを連想してしまう。
本殿は、背後の覆屋の中にある。


境内すぐ横の流れ。朝陽が反射して眩しい。
この川の上流に、「不動の滝」というのがあるらしいので、ちょっと足を伸ばしてみることにした。
不動の滝は、ネットでも僅かしか情報が無いが、国道に看板も出ていたし、変わった形状の奇瀑ということである。

神社から更に集落の奥へと進む。
やがて民家は途切れて林道となり、その終点に駐車スペースがある。ここからは徒歩だ。


林道終点付近からは、岩壁のそそり立つ南紀らしい山容が望まれる。
山道ははっきりしており、特に険しいところもないが、運動不足の身には堪える。
散策というには少し厳しい道のりである。


30分近く歩くと、急に左右が門のように狭まって、高く岩壁が屹立する。その奥に、水量が少ないながらも滝が見えてくる。


滝を懸ける岩壁はオーバーハングしており、水は中空に飛び出す。よって、滝の裏側に廻ることが出来、不動明王も祀られている。
水量が少ないのが幸いして、飛び出した水が、ぼうっと浮かび上がるのが神秘的だ。


ちょうど山から太陽が顔を出し、滝に一条の線を描く。


神々しい輝きだ。


水飛沫を浴びながら、独特の美しさに眺め入る。

下山後、腕に山ダニが付いているのを見つけた。ズボンをめくると膝にも一匹。コイツは気付かずにいると、一週間でも血を吸い続ける迷惑なヤツで、風呂に入っても死なないのである。しかもそうなると、頭部を皮膚に食い込ませてちょっとやそっとじゃ離れず、無理に剥がすと頭部が皮膚の中に残って化膿するかもしれないという代物だ。
幸い、本格的に食いつかれる前に気付いたので事なきを得たが、それでも払っただけでは取れず、引っ張らないと皮膚から離れなかった。

何だか神社より滝がメインになってしまった・・・。


2万5千分1地形図 木本
撮影日時 080522 原地神社 7時~7時15分
             不動の滝 7時50分~8時50分

駐車場 あり
地図



勝手神社

2008年04月27日 | 三重県

三重県名張市黒田

三重県と和歌山県の掲載神社数が、ずっとゼロのままなのが気になっていた。
行ったことが無いわけではないし、とても好きな場所もある。けれど、デジカメを始めた初期の写真が多く、気に入らないものが殆どだ。
何とかせねば、と思っていた。
特に三重県は、過去4年ほど住んでいたことのある場所でもあり、第二の故郷と言ってよいほどの愛着もあるので尚更だった。

このブログと相互リンクして頂いている「神社参拝記」さんは、三重県名張市の神社を中心に紹介されている。
そこで、勝手神社の存在を知った。
いや、私が住んでいたのも名張市であったから、神社の存在自体は知っていたし、すぐそばを歩いて通ったこともあるのだ。
だが、そこがミツバツツジの咲き誇る場所とは知らなかった。
行きたくて堪らなくなった。花の咲く時期に必ず行ってやるぞと決めて、今回、その念願が叶った。
以前に、「花の寺」はあるのに「花の神社」と呼ばれる場所が無い、というようなことを書いたことがあるけれど、ここは、参道をミツバツツジの花が彩る、「花の神社」である。



ミツバツツジの花色を考えると、直射光は良くないと思い、早朝の参拝。
黒田集落の狭い道を抜け、神社前に到着したのが6時前。
鳥居の奥にミツバツツジの花が見えた瞬間は、本当に胸が高鳴った。


ほぼ満開に近い状態で、石段の上りなど、全く苦にならない。


二の鳥居。
花も美しいが、芽吹いた葉の緑も綺麗だ。それに加えて・・・


参道に散った桜の花びらが、更なる彩を添える。


三の鳥居が石段の上にあるが、花に隠れて殆ど見えない。奥に見えているのは四の鳥居。
撮影中も、花びらがはらはらと舞い落ちてくる。


四の鳥居と、その奥の高みに拝殿。
ここや拝殿前は展望が良く、名張市街と室生火山群の特徴ある山並みが一望出来る。
残念ながら、拝殿は解体工事中であった。これは20年に一度、部分ごとに建て替える工事(造工ぞうく、と呼ぶらしい)の一環で、来年が20年目にあたるらしく、今から取り壊しに入るようだ。
本殿はそのままのようだが、場所的に撮影困難であったため、今回、社殿が写っている画像はこれだけである。

さて、通常ならここまでであるが、太陽が予想よりも南寄りであったため、淡い光ながらも逆光となる帰路の方が良い色合いであったので、神社入り口に向かっての写真も掲載させて頂く。
似たような画像で恐縮だけど・・・。


三の鳥居前から。
桜の花びらが絨毯のように敷き詰められ、その上をミツバツツジが覆う。
花びらが散ってから色褪せるまで、どれくらいの時間がかかるのか知らないけれど、本当に良い時に訪れることが出来た。
この日いちばんのお気に入りなので、ちょっと大き目の画像。


まだ桜の花も、少しだが残っている。


参道に描かれた花びらの帯に、天の川を連想した。
参道両脇にあるやや大きな葉はウバユリの若芽で、しばしば神社で見かけるものの、これだけの数があるのは初めて見た。あまり美しいとはいえない花だが、きっと花時には壮観だろうなと思う。

今回の撮影に当たっては、「神社参拝記」の管理人であるウージーさんより、ミツバツツジの開花状況、並びに造工に関する情報を頂き、このような風景に出会うことが出来ました。改めて厚く御礼申し上げます。


2万5千分1地形図 名張
撮影日時 080416 6~7時

地図