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社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

学説研究の意義について:その2

2005年06月16日 | 理論
 社会学における学説研究の意義を理論研究の準備作業として説明しましたが、今日は少し趣向を変えて、将棋の例を取ってみたいと思います。ところで、プロの将棋棋士である羽生善治は、升田幸三の棋譜を良く並べるのだそうです。この升田幸三という人は、大正7年生まれで、昭和54年に引退したプロ棋士なんですが、今からすると30年以上前の棋士です。でも羽生からすると、升田幸三は、すごく現代の将棋に近い感覚で将棋を打っていたというのです。それは升田の棋譜を見るとよくわかるのだとか。升田の棋譜を調べると、将棋の局面局面で、彼がどのような計算をして、どのような考えから、次の一手を打ったのか読みとることが出来るのらしいですが、その「感覚」が現代の将棋を打つ上でも、ものすごく役立つのだそうです。

 この話、私は以前どこかで耳にした程度なので、どなたか詳しい人がいたらさらに情報をいただけると幸いです。

 この「当時はわからなかったけれども、今になってわかるようになった」という感覚は、社会学でもあることです。つまり、ある理論家・思想家なりの考えが、あまりにも新しかったが故に、時代がそれに追いつけず、後世になってその思想や理論の真の意義が明らかになったということは、よくあることです。たいていの場合、こうした「新発見」は、社会学の場合、「再解釈」と受け取られがちですが。でも、将棋の棋譜並べの例を考えるなら、あながち「再解釈」ではないのかもしれません。

 いずれにしても、過去の作品から新しい感覚を学び取ることが出来るというのは、将棋に限ったことではありません。「温故知新」、などというと手あかが付いてしまった言葉ですが、古い社会学の著作でも、それによって現代のわれわれが学び取ることが出来ることも多いように思われます。

 社会学という学問は、たしかにここ20~30年ほどで大きく発展した領域ですが、かつての「棋譜」を振り返ってみることも必要かもしれません。

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