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社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

アルチュセール 「国家のイデオロギー装置」概念

2005年08月19日 | アルチュセール『再生産について』
 昨日までは、「励まし系」の話題を続けたので、今日はアルチュセールのイデオロギー論の草稿である再生産について 上 イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置 (平凡社ライブラリー)について、「一般的な」紹介をします。
 本当は、雑誌『情況』に掲載された我々訳者の対談の紹介をするはずだったのですが、その前に、一般的了解としてアルチュセールの議論の紹介を。

 彼が提起した「国家のイデオロギー装置」概念は、国家の支配がわれわれの日常意識の中にまで及んでいることを明確にした概念として、評価されています。つまり、われわれが日常生活の中で持つ何気ない意識は、学校やメディアなどの国家のイデオロギー装置によって植え付けられたものであり、それによってこそ現行の国家体制が維持されているのだと言うことを、アルチュセールはこの概念を使うことで明らかにしたわけです。これによって、それ以前のイデオロギー概念が大きく刷新されたことは否定できないでしょう。

 他方で、このアルチュセールのイデオロギー概念は、人間の否定的側面をしか見ておらず、人間の主体性を顧みていない概念だとして批判されました。こうした批判以降、彼のイデオロギー概念はむしろ否定的な概念として扱われることが多かったわけです。

 そこで注目しなければならないのが、彼の死後に公刊されたイデオロギー論の草稿、『再生産について』です。彼のイデオロギー論は当初、二巻本において刊行される予定でしたが、そのうち一巻の内容のみが完成型に近いかたちで残され、第二巻は結局断念されることになります。そして、この第一巻の要約が、「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」という論文のかたちで公刊されたわけです。なお、第一巻は国家のイデオロギー装置において国家の支配がわれわれの隅々にまで浸透していることを明らかにし、そして第二巻で、そうした機構が歴史的にどうやって破られてきたのかを分析する計画になっておりました。
 ただし、その計画は果たされず、結局第一巻の内容のみ、現在私たちが見ることができるわけです。

 しかし、いずれにしても、アルチュセールの国家のイデオロギー装置概念は、人間の主体性を否定していると批判されておりましたが、その構想においては、人間の主体性をしっかりと考察していたと言えるでしょう。

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