先日、早稲田大学の斉藤純一先生が主催されているある研究会にまねかれて参加をする(本当のところ、招かれたのは西川先生で、我々共訳者は「おじゃま虫」として(^-^; )。今回は合評会という形式で、同じく早稲田の清水先生が我々の翻訳にコメントをくださるというもの。
清水先生は、ネグリの『マルクスを超えるマルクス:『経済学批判要綱』研究
』を翻訳されており、現代の経済学との関連においてアルチュセールのイデオロギー論についてコメントをして頂く。私自身は、わりとテクストに即したアルチュセール解釈を主眼としているのですが(それについては留学での「経験」が多大に「影響」(良くも悪しくも)しているのですが)、しかし彼の理論の展開は、そうした解釈にとどまるものではないと考えています。
そうした点において、清水先生のコメントは非常に有益なものだったように思います。この『再生産について』は、邦訳では400頁を越える大著なため、そうした周辺領域、あるいは彼のイデオロギー論文から影響を受けた人々については、なかなか手を出せないでいるのではないか? と今、思いつきました。ただ、単なる思いつきですが(^-^;
我々のセッションは、そうした感じだったのですが、当日はその後、梅森直之先生の『帝国を撃て?平民社100年国際シンポジウム
』についての合評会もありました。今回の研究会参加の思わぬ収穫はこちらの合評会でした。当日の議論内容については別の機会で。
その後、西川先生と共に食事に行ったのですが、その後、平凡社の保科さんと斉藤先生達と、朝まで二次会を……。こちらの話も楽しかったのですが、さすがに、朝までは、疲れてしまいました(^-^;。しかし、二次会の後半部分はこの保科さんが絶好調(いろいろな意味で (^-^;)。そのエネルギーに圧倒されました。で、我々の翻訳、その作業は時として遅々として進まない苦渋なものだったのですが(というのも、西川先生が「訳者あとがき」で述べているように、全員の訳文を逐一音読し、訳文について一言一句それこそ全員で議論したので)、そうした作業ができたことは、この保科さんのエネルギーに負っていることを再確認。
いずれにしても、今回の研究会の参加は、非常に知的刺激に満ちたもので、とても楽しいものでした。最近は家に籠もりつつ自分の研究にのみ関わっている状態だったのですが、このように外に出ることの大事さを改めて再確認しました。
以下のリンクで、アマゾンのページへジャンプできます。
帝国を撃て:平民社100年国際シンポジウム![](http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=adiaryofsocio-22&l=as2&o=9&a=4846003426)
再生産について:イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置
清水先生は、ネグリの『マルクスを超えるマルクス:『経済学批判要綱』研究
そうした点において、清水先生のコメントは非常に有益なものだったように思います。この『再生産について』は、邦訳では400頁を越える大著なため、そうした周辺領域、あるいは彼のイデオロギー論文から影響を受けた人々については、なかなか手を出せないでいるのではないか? と今、思いつきました。ただ、単なる思いつきですが(^-^;
我々のセッションは、そうした感じだったのですが、当日はその後、梅森直之先生の『帝国を撃て?平民社100年国際シンポジウム
その後、西川先生と共に食事に行ったのですが、その後、平凡社の保科さんと斉藤先生達と、朝まで二次会を……。こちらの話も楽しかったのですが、さすがに、朝までは、疲れてしまいました(^-^;。しかし、二次会の後半部分はこの保科さんが絶好調(いろいろな意味で (^-^;)。そのエネルギーに圧倒されました。で、我々の翻訳、その作業は時として遅々として進まない苦渋なものだったのですが(というのも、西川先生が「訳者あとがき」で述べているように、全員の訳文を逐一音読し、訳文について一言一句それこそ全員で議論したので)、そうした作業ができたことは、この保科さんのエネルギーに負っていることを再確認。
いずれにしても、今回の研究会の参加は、非常に知的刺激に満ちたもので、とても楽しいものでした。最近は家に籠もりつつ自分の研究にのみ関わっている状態だったのですが、このように外に出ることの大事さを改めて再確認しました。
以下のリンクで、アマゾンのページへジャンプできます。
帝国を撃て:平民社100年国際シンポジウム
再生産について:イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置