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誤用も含めて言語:仏語参考書について6

2010年08月31日 | 言語
 この夏は、いろいろなことがあって、休みという感じがしなかった。兄が亡くなったことが一番のことだったが、それに加えて、やらねばならないことも多く、最近やっと「休み」らしく落ち着きかけている。

 ただ、今、以前自分がやった翻訳の見直しをしなければならず、またすぐに、いろいろな作業に忙殺されることになりそうである。

 今日は、その「翻訳の見直し」をしている際に気がついた仏語参考書の話をしたい。今回触れたい参考書は下の参考書。

Les fautes de francais les plus courantes

 以前のエントリーでも説明したとおり、仏語を母語とする人向けの参考書である。ただし、母語者向けと言ったからといって、それが外国語あるいは第二言語として仏語を勉強している者にとって難しいとは限らない。

 例えば、この本の中には、「文脈に応じてquand か、quant àのうち、正しい表現を選べ」などという問題がある。綴りあるいは発音では似ている二つの表現だが、前者は英語ではwhen、後者は英語ではas forといった意味である(日本語では、前者は「~の時」、後者は「~については」ぐらいの意味)。
 で、日本語の意味で判断すれば、この二つの表現を間違えるわけがない。というぐらいに簡単な問題である。ただ、仏語を母語とする人には、二つの語を混同して用いること(誤り)があるようだ。

 で、「なるほどこの二つの表現は、近い感覚で母語者は用いているのか」などと思いながら、quandの語などを使っていると、何となく母語者の感覚がわかってくるような気がする。そうした意味で、「誤用」もまた、言語の感覚を知る上は重要なんだと思ってみたりする(ただし、この参考書は、認知言語学的な視点で作られている本では全くない。あらかじめ断っておくと 笑)。

 で、先ほどの「翻訳の見直し作業」の話に戻るのだが、ある有名な理論家の文章に、まさにこの誤用、quand を使うべきところに、quant àが使われていることを発見した。かつての翻訳作業のノートを見ると、この誤用に「これはどういう意味だ?!」的な書き込みがあり、文章の理解に苦しんだ痕跡が残っていた。私程度の語学のレベルだと、この手の間違いには、ものすごく苦しめられる。ちなみにこの部分、なんかよくわからないが、正解を見つけていた。たぶん、共訳者のおかげだと思う。

 高名な学者もそうした誤用をするのか、とも言えるし(ただしその文章は草稿なので、文法や綴り上の問題も時々あったりする)、また、文章を読む側からすると、「誤用」についても知識として知っておかねばならない、と言うこともできると思う。

 個人的考えだが、「誤用」も含めて言語だと思う。


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